韓流研究室

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韓国茶の歴史は二千年、日本に奪われた伝統茶を復元し今や世界が韓国を茶文化国家として知る

★韓国茶の歴史二千年、
 倭乱・強占期で日本に奪われたが…
 伝統を復元、今や世界が韓国を
 茶文化国家として知る

 笑韓ブログ 2017年12月02日
 http://www.wara2ch.com/archives/8991962.html
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■キム・ウィジョン
 「全国学校で伝統茶禮教える日所望」

 http://www.sisaon.co.kr/news/articleView.html?idxno=66024

キム・ウィジョン茗園文化財団理事長
・「2千年韓国茶文化、倭乱・支配で日本に奪われて」
・「博覧会通じて世界が既に韓国を茶文化国家として表示」


韓国にもチャ(茶)文化がある。

屈曲の歴史の中で、
私たちが失った数多くの物のうちに、
韓国のタレ(茶禮)もあった。
しかし、時代を問わず常に文化を守って、
蘇らせるという意義あることをする人たちがいる。
省谷、キム・ソンゴン元サンヨン(双龍)グループ会長
彼の妻である茗園キム・ミヒ夫人がそうだった。
二人の意志は彼らのにつながった。

彼女がまさに韓国茶禮の宗家である
茗園文化財団のキム・ウィジョン理事長だ。

母女は2代にわたって
息絶えたと思っていた韓国の茶禮を復活させた


(中略)
茶と共に40年を過ごした彼女の声には、
ほのかな茶香がついていた。

<韓国茶歴史2000年…日本に奪われた文化>

-私たちの茶文化というと、
 まだ馴染みがない人々が多い。

「多くの人が茶道は日本のものであると知っている。
 しかし、私たちの茶の歴史は深い。
 文献を辿れば伽耶時代から記録がある。
 これは新羅に続いており、高麗で絶頂に達した。
 茶を飲む方法には、茶葉を入れて飲む葉茶と
 粉末茶を点茶して飲む抹茶があるが、
 高麗時代にはその二つともあった。

 寺で行使する燃燈会、八関会などでも
 茶を必ず要して、吉礼・凶礼・嘉礼に加えて、
 使臣を茶で接待する接賓礼、戦争当時、
 茶を飲む軍礼もあった。
 茶が好きな英国人たちが湾岸戦争の時でも
 戦車内で茶を飲むことができるように備えて、
 「アフタヌーン・ティー」時間には銃も撃たない
 というでしょう。
 私たちにもそういう戦争での茶文化もあった。
 朝鮮時代にも
 崇儒抑仏政策によって
 多少は萎縮されても
 茶文化が残っていたが、
 
 壬辰倭乱の略奪、そして日帝強占期を経て、
 全て日本が持ち帰った。」


-茶と関連された遺物が
 韓国にはあまり残っていないと聞いた。


「茶文化を話しながら磁器を欠くことはできない。
 日本から一番狙っていたのがまさに磁器だ。
 当時、中国とウリナラ以外には
 磁器を作る技術を持っていなかった。
 それで、倭乱の時に豊臣秀吉が特命を下して、
 御所丸という専用船まで与えながら
 ウリナラの茶に関する記録、茶と関連された
 あらゆる遺物を全て持って来いと言った。
 その結果、韓国には、
 からっきり茶文化の基盤になるような
 茶器が殆ど無くなった。

 日本には、個人が持っている私たちの
 茶の遺物だけでも膨大だ。
 日本では毎年朝鮮茶器道具を展示する
 個人博物館がある。
 毎年春と秋に行われているが、
 私が何十年もの間行っても同じ物を
 一度も見たことがない。それほど多くある。」



-日帝強占期時代も、
 韓国の茶文化が完全に消えるところだったと聞いた。


「日本は茶文化の重要性に早く気づいた。
 各家には最も重要な空間に茶室がある。
 茶の間に招待されるということはすごい光栄だ。
 これを外国貴賓たちが来ると、
 代表的文化として紹介しながら外交に
 素早く利用した。
 さらに、朝鮮時代に連行した陶工たちが作った
 磁器を通じて茶器も発達させて、外交で利用した。
 そして強制占領期時代、
 私たちには主に酒文化を流行させようとした。
 茶禮で酒を使うのもそうなったのだ。
 元来、茶を使って茶禮だ。
 それでも、女子生徒には日本の茶道教育を行った。
 私の母が茶に関心を
 持つようになったきっかけも、
 その日本式茶道教育だ。



<茶礼は静的な文化の頂点である総合芸術>

-お母様である茗園キム・ミヒさんは
 韓国の茶禮概念を
 最初に確立した方でもある。


母が、実家のある安東で習った茶禮作法と
 日本式茶禮作法があまりにも違っていたので

 疑問を抱いていたが、
 1952年ヘルシンキ五輪を通じて、
 欧州と経由地である日本・東京に行けるようになった。
 当時は、李承晩(イ・スンマン)大統領が
 よほどのことでなければビザを出してもくれない時代だ。
 しかし、私の父(省谷 故キム・ソンゴン会長)が
 大統領を説得した。
 スポーツの重要性を説明しながら、
 代表チームの全ての費用を出すと言った。
 それで何とか母親も一緒にいけることになったが、
 そこで欧州のティーパーティー文化に接した。
 全ての重要な議論はその場で行われた。
 衝撃を受けた母は経由地である日本で
 日本が茶文化をどのように活用するのか、
 またどのように生活に浸透しているのかを見てきた。
 それで私たちが持つ茶文化を
 復元する決心をすることになった。



-すでに韓国茶文化の多くが消えた状態なので、
 困難な状態だったようだ



(長いので、続きはリンク先で)



ツッコミどころ満載の記事ですが
勿論、韓国にも「お茶を飲む文化」は存在していました。
風流を愉しむ茶飲の文化や、
その後の禅宗の寺院による禅茶ですよね。

★茶禅一味
 https://www.ningenzen-kagoshima.com/%E7%A6%85/%E8%8C%B6%E7%A6%85%E4%B8%80%E5%91%B3-1-2-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E9%81%8E%E7%A8%8B/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%BA%A7%E7%A6%85%E4%BC%9A/


★茶禅一味
 [出典] 『本朝参禅録』

 http://esdiscovery.jp/vision/es003/buddha/zengo002.html


これはウリジナルではなく、
仏教伝来とともに朝鮮半島にも日本にも伝わった
中国からの禅宗の文化です。



★韓・中・日のうち最高の味を生かすのは
 韓国茶だけと伝統茶3代目は言うが

 2011 05 22  
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1161.html




キム・ソンゴン元サンヨン(双龍)グループ会長とは
★日韓最大級のM&Aに幕、
 双竜の行方は振り出しに 
 太平洋セメントが売却した「双竜」の
 栄光と転落(JBpress)

 2016 年 7 月 20 日
 http://www.asyura2.com/16/hasan111/msg/119.html
(引用開始)
双竜は1987年には現代、サムスンなどと並ぶ
韓国の5大財閥の1つだった。
韓国南東部の大邱(テグ)出身の
金成坤(キム・ソンゴン)氏が
石鹸工場を設立して起業したのが
日本の植民地時代後半の1939年だった。


独立後、
綿紡績業、保険業、貿易業などに進出したが、
一気に拡大したのは、朴正熙(パク・チョンヒ)政権が
発足した1960年代初め以降だ。
 金成坤氏は、朴正熙大統領(当時)の実兄と
同郷の幼馴染だった縁で、「政権実力者」になる。

与党実力者として国会議員にもなり
事業も急拡大させた。
1960年代には、
製紙業、海運業と並んで基幹産業である
セメント事業にも進出した。
これが1962年設立の双竜洋灰だった。
 金成坤氏は、韓国南東部の東海(トンヘ)に
世界最大級のセメント工場を建設した。
韓国の高度経済成長に乗ってセメント事業は
超優良事業に育った。

(引用ここまで)


★パク・クネ大統領が、また国連で自慢話
 2015/9/27
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10150815890 
(引用開始)
セマウル運動は政経癒着の象徴的事業だった。
-------
朴礼賛ニュースが報じる「セマウル運動」- 維新政治の再来
땡박뉴스가 보도한 '새마을운동' - 아이엠피터
(I'm peter 2013/10/21)

「セメント企業を生かすためのセマウル運動」

セマウル運動を農村活性化の運動として、
農村への接続する道路拡張、トンネル工事、
小規模橋梁建設、共同浴場と洗濯場建設などが
あげられます。

ほとんどの人は、このような成果を朴正煕政権の
おかげと認識しているが、実際に朴正煕政権が
サポートしたのはセマウル運動の2~3割程度です。

(中略)
朴正煕は1970年10月から全国3万5千の農村に
約300トンのセメントを無償で提供しています。
セマウル運動の最大の成果と掲げる農村の整備事業の
必要なセメントを無償提供したことを
朴正煕の業績とする人もいますが、内情は全く違います。

当時、双竜セメント工場などが竣工したが、
セメントの需要はまだ多くなかったので
在庫が積みあがりました。
双竜セメントのオーナーで朴正煕の政治資金の
スポンサーだったキム・ソンゴン会長
セメントの在庫をなんとかしてくれと、
朴正煕に泣きついたのです。


キム会長の要請に応じて朴正煕は
余剰セメントをセマウル運動に生かす方策
を指示しており、セメントを購入する費用を
セマウル運動の予算として、
政府が買い上げたセメントを農村にばらまいたのです。

しかも農村にはセメントだけを配布して、
重機や建材は提供しませんでした。
そのため最終的に道路拡張や河川整備などは
農民の肉体労働と借金で完成したのです。

(引用ここまで)




キム・ウィジョンさんについては、当ブログも
2011年に記事にしています。

双龍グループ創業者の次女にして、
韓国曹渓宗中央信徒会会長、
朝鮮王室儀軌の返還で共産党や民主党議員と関わり
1990年に設立された茗園文化財団の理事長。

初代茗園文化財団理事長お母様は、
日韓併合時代に朝鮮総督府が設置した
女学校に通っていた
のでしょうね。
学校で日本式茶道の教育を受けた。



★双龍グループ・韓国曹渓宗・統一教会
 →仏教界・茶道界そして民主党

 2011 06 12 
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1201.html




①日本式が混ざったものを教える
 亜流も公然といる


★韓国茶文化協会の
 茶の礼節競技大会という茶番

 2013 04 29 
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2406.html


★ソウル常駐の三国協力事務局が
 日中韓の”茶道”イベント

 2013 05 21
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2444.html 


★韓国茶の飲み方…日本の影響で歪曲、
 過度に礼儀ばかり強調

 2014年11月13日  
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3370.html




②1979年に初めて私たちの茶の学術大会を開いた。
 発表する学者がいなくて


★茶道文化の生き証人
 「我が国の茶文化(抹茶)が、日本に渡った」

 2016年10月01日
 http://military38.com/archives/48562114.html
インタビュー] 茶道文化の生き証人シン・ウナク、茶を語る

「国内1世代茶人」ファジョン茶礼院シン・ウナク院長
50年間、韓国茶の研究して知らせ
日本茶道流派で正式な学び受け
1967年から茶文化運動開始
・高麗時代使用していた沙鉢あり
・国内茶の歴史、関心を得ることができず残念


「(中略)
 本格的に茶文化を研究したのは1971年
 同じ日本出身の李方子夫人の招待で
 昌徳宮楽善斎で茶会を開いた後だ。


 以降1982年にソウル鍾路区安国洞に
 ファジョン茶礼院を開き、専門茶人を養成して
 抹茶法を研究して直接試演するなど、
 我が国の抹茶の発展と普及に大きな力を尽くした。 」

(中略)
>いつもの韓国起源説だが、この捏造の背景には
 京都茶道協会が
 韓国が主催している緑茶のグローバル化運動に
 推進加担し
、調子に乗った韓国茶道協会の言動を
 黙認していることが原因でもあるんだよな。

(引用ここまで)




③強制占領期時代、
 私たちには主に酒文化を流行させようとした。
 茶禮で酒を使うのもそうなったのだ。


朝鮮開明派の金玉均の弟子だった金振九が書いた
「国癌切開」(31ページ)によると

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274703

「喫茶の習慣の一般民衆に、普及されていないのは、
 全く不思議な現象であります。
 日支両茶国に介在せる朝鮮に於いて、
 一部貴顕富豪の家庭で、人参その他の薬茶が、
 たまに用いられるのみでありますから、
 従って茶の栽培も見られませぬ。
 朝鮮に喫茶の習慣を奨励して、これが普及を図るのは
 諸方面から見まして、有意義な企画だと思ひます。
 これが行はれないから、客が来ても殺風景であります。
 一寸した用事の時は、茶と煙草だけで、
 総ての付合ひが、和やかに済むものでありますが、
 これがないばかりに、今日までは、よく酒をだして
 茶の代わりを勤めさせるといふ
、他から見て、
 変哲な交際をします。
 朝鮮人の、酒は日常用品の如く考えるのは、
 大方これに原因するので、人を訪問して、
 酒のもてなしがなければ帰途、何だか冷遇された
 ような感を持ち、主人の方も、何となくその客に、
 済まないような感じをするのであります。
 でありますから、時たま、朝から酒席を設けることなど、
 朝鮮の社会に於いては、少しも怪しまれないので
 あります。故に中流以上の家庭には、毎日毎夜、
 酒席の離れっこなして、これが生む所の弊害も、
 じつに甚大なものであります。
 私は日本の茶道を、彼の高尚優雅なる華道と茶道を、
 朝鮮に移しまして、朝鮮の人気を、粗野から高潔に、
 軽佻から沈着に導きたいと、常に考えております。 」


因みに、
この本では朝鮮の学校を義務教育にして
朝鮮の女子教育をもっと推進すべしと提唱している。

何故なら、朝鮮の家庭では中流家庭でも
三世代、四世代が同居する家族では(儒教の影響で)
高齢者から食事を始め、食べ終わるまで人形のように待つ。
朝7時から朝食を開始しても、
年少の女子や女中が食べ終わるのは
10時や11時なってしまう。
朝食終了後はすぐに昼食の準備をし、夕食も同様で
これでは朝鮮の女子教育が出来ないと批判している。
また、高齢者が
孫嫁の顔を見たい、ひ孫の顔が見たいと圧力を掛け
12~13歳で結婚するなどの早婚の風習もを問題視。

一応、朝鮮半島で
茶葉はごく一部で栽培はされていたのですよ。
崇儒抑仏政策によって、首都・京城から追放された
禅宗の寺では…
李王朝の先祖が崇拝していた仏教寺院ではね。

だから、中国や日本のように
中流の人までが茶を楽しむほどの茶の収穫量が
無かったのではないだろうか?

日中と比較して、朝鮮には
茶に関する歴史的文献が圧倒的に少ない。
日本では禅茶、将軍茶、大名茶、
そして利休以前からの富裕層の商人が楽しむ町人茶。
韓国では、そのような茶の文化的資料が
日中に比べて圧倒的に少ないのだ。


★仏教を弾圧した李氏朝鮮
 http://tainichihate.blog.fc2.com/blog-entry-275.html





④韓国の茶栽培

★韓国の緑茶栽培において
 最適地である宝城( ボソン )

 2014-10-05 16:46:33 | 韓国通信
 http://blog.goo.ne.jp/jagd1231/e/b9a2eb2183d460b8547208c82eeee8f1
韓国の緑茶栽培において最適地である宝城
全国お茶生産量の37%を占めており
宝城緑茶の優れた品質と名声を保証するために
農産物品質管理法に基づいて
「地理的表示全国1号」として登録されている。
(中略)
1939年
: 全国で最初に大規模な茶園を造成 - 30ha
 (キョンソン化学株式会社)

日本の技術陣によって最適な茶栽培地であると判明


★茶道
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E9%81%93
朝鮮の文献に「茶道」が現れるのは
19世紀になってからであり、その内容は
中国の茶書から引き写しただけで、
朝鮮の茶道の独自性は認められない[8]。

日本統治時代に、
日本人によって茶の生産と普及が進められた。
1911年に尾崎市三が光州市無等山証心寺付近に
無等茶園を作り、
1913年に小川が全羅北道井邑市に小川茶園を作った[9]。
また、
1930年代から高等女学校と女子専門学校で
日本式茶道が教育された
[10]。
朝鮮で日本式茶道が普及し茶の消費が増加し、
茶の供給を増やすために
1939年に
尼崎関西ペイント株式会社(京城化学)
全羅南道宝城郡に宝城茶園を作った
[9]。

1960年代以後、茶に対する関心が新たにおこり始めた。
1979年に韓国茶人会(한국차인회)が創立され、
1984年に韓国茶人連合会(한국차인연합회)に
改編された。
また、1982年2月6日に全国大学茶会連合会
(전국대학다회연합회)が、
1983年に韓国茶道協会(한국다도협회)が、
1989年には韓国茶文化協会(한국차문화협회)が
設立された[10]。
ほとんどは日本の茶道の模倣のようである[11]。
1983年に韓国茶道協会は茶道博物館を開館した[10]。
2001年に釜山女子大学校が茶道学科を新設した

(引用ここまで)


★茶栽培は日本より早い、
 これから立証作業するnida!

 2011年 8月 19日
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1336.html

 


⑤豊臣秀吉の朝鮮出兵では、
 確かに朝鮮陶工を強制的に吸収に連行したのだが


★故郷忘じがたく候
 ―九州の朝鮮陶工たち―

 http://www.yoyokaku.com/sub7-66.htm
(引用開始)
この桃山期は、室町期に使用されていた
中国の宋、明の青磁、白磁、天目など
冷たいまでに整った色や形の茶器を離れ、
千利休の侘茶の心にそった「高麗茶碗」が
尊ばれるようになった。

とくに、そのなかでも
「井戸茶碗」がもてはやされたのである。
そこで、その技術者「高麗」(朝鮮)陶工
大量に各大名は連行してきたのである

(引用ここまで)


★高麗茶碗
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E8%8C%B6%E7%A2%97
16世紀半ば頃から、日本の茶道で用いられた
茶碗の分類の一つであり、
朝鮮半島で焼かれた日常雑器
日本の茶人が賞玩し茶器に見立てたものである。
(中略)
いわゆる上手物(じょうてもの)とは程遠い
日常雑器の茶碗に過ぎないが
いかにも侘び茶にふさわしい
素朴で力強い味わいがある。

(引用ここまで)


★井戸茶碗
 http://www.geocities.jp/maruti2032/idochawan.html
井戸茶碗とは、高麗茶碗の一種で、
高麗茶碗の中で最も珍重されたものです。
李朝初期の16世紀以来
朝鮮で日用雑器として作られたもの
が、
室町末頃から日本に渡り、千利休の高弟
山上宗二の『山上宗二記』に
「一井戸茶碗是れ天下一の高麗茶碗 
 山上宗二見出して、名物二十、関白様に在り」
とあるように、見い出されて、
抹茶碗に見立てられたもの
です。
(中略)
井戸茶碗は、
もともと白磁を夢見て作成されました。
しかし、はるかに劣った技術であったので、
粗末な陶器に終始し、

それがえもいわれぬ茫洋然(ぼうようぜん)とした
風格になったのです。
その美しさは朝鮮の人ではなく、
日本の茶人の心を虜にし、

柔らかさと井戸形と呼ばれる大らかな造形が
天下人である豊臣秀吉の心を惹きつけたのです。

(引用ここまで)


★特別展「茶の湯」
 東京国立博物館
 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1828
重要文化財 雨漏茶碗
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朝鮮時代 16世紀

こちらの茶碗は
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 彫三島茶碗 銘「池水」 野村美術館所蔵

江戸時代になってから
日本の茶人が朝鮮へ発注して作らせた「彫三島」。
茶人の好みをオ―ダーして、製作依頼。

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 「秀吉が、生活雑器を作る
  高麗陶工を連れ去ったから
  朝鮮半島から韓国伝統茶の文化が
  忽然と消えたのかい???」

現代韓国の抹茶のおもてなし↓
ステンレス???????

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★<随筆>◇お茶文化◇
 広島大学 崔 吉城 名誉教授
 http://www.toyo-keizai.co.jp/news/essay/2010/post_3993.php
韓国でも古代から仏教が隆盛であった三国時代、
高麗時代には茶文化が一般的に普及していたが、
朝鮮王朝になると儒教を国教とし、
仏教文化の茶文化を禁圧して消滅させた。
お茶を奉げる仏教儀礼の「茶礼(チャレ)」を禁じ、
酒を奉げる献杯の儒教「祭祀」を奨励した。
しかし儒教の祭祀の名前は未だに「茶礼」とよばれ、
儒教祭祀の供物の「茶食(チャシク)」も
元来お茶文化の茶菓子である。

(中略)
私が1960年代に文化財管理局から依頼を受けて
茶文化を調査した時は、数か所の寺の坊さんたちが
若干栽培しているだけであることが分かった。

(引用ここまで)




抹茶を点てるのに欠かせないお道具が茶筅。
そして、茶筅を創る茶筌師。


★高山茶筌の歴史
 http://www.chikumeido.com/files/history_whisk.html


★かつては夜中に作られていた?
 一子相伝で受け継がれてきた
 茶筅づくりの現場へ

 https://sunchi.jp/sunchilist/narayamatokooriyamaikoma/35670


★茶筌の歴史と展開
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2136/tyasen.html


★茶筅はホイッパーじゃないんだよ 
 韓国の闘茶大会とやら

 脚本家・井沢満さんのブログ
 http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/42d2b988a92e40a4e33b7d9a03b6feda


そして…茶杓
★濃茶に使う茶杓の銘とは?
 
 https://wabi-sabi.info/archives/109




さて、茗園文化財団理事長で
韓国曹渓宗中央信徒会会長のキム・ウィジョンさん
韓国茶道伝統の復活という創造だけでなく、
こちらのキャンペーンにも絡んでいるのでは?


★韓国仏教を世界化し、
 日本の禅の代わりに韓国語のチャムソン拡散
 ~曹渓宗、フランスで広報活動

 2011 10 03
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1428.html


★対馬仏像盗難の背後に
 大韓仏教曹渓宗と繋がる
 慰安婦問題と日本共産党とユネスコ

 2017 01 27 
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4676.html


この大韓仏教曹渓宗の怖い所は、
2008年に、当時の韓昇洙(ハン・スンス)国務総理が
曹渓宗総務院長である智冠(ジグァン)僧侶を訪問した際

智冠僧侶は
「沖繩という島も私たちのもので、
 対馬島も太宗以前に
 私たちが占有した。
 独島は言うまでもないが、
 沖繩と対馬島も
 早く取り返えさなければならない」

と語り、韓総理はこれに対して
「対馬島がひとときうちの領土だった事があるが、
 その話を今することはむしろ…。」と言葉を濁した。


というエピソードがあるんだが…
日本のモノは、何でもかんでもウリナラのモノ!?



★【仁川日報】中国と日本の茶も
 我が国から渡ったという茶文化で
 伝統いかして百年の大計を

 2015 05 13
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3625.html


★紙文化財団理事長
 「1987年に日本のデパートで
  折り紙の展示会と体験教室に参加する
  家族を見て衝撃を受け、
  韓国折り紙を復活させると決心した」ニダ!

 特定アジアニュース 2017年12月01日
 http://specificasia.blog.jp/archives/1068695185.html




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Comments 2

弓取り

お茶の道は人の道?

>日本のモノは、何でもかんでもウリナラのモノ!?

はい、そのとおりですね。どう見てもね。なんでもほしがるクレクレタコラです。あげても大切にしません。
なんとかいうお婆さんも、民族性をおおいに発揮されています。要は日帝時代に、日本に憧れる気持ちと妬ましい気持ちが芽生えたわけですね。

そこからポジティブなところだけを伸ばしていけばいいのに、ネガティブなところばかりを肥大させる。そして、トンチンカンな茶道ができあがり、本物は邪魔なので打ち消そうとするし、滅亡させようとします。いつものパターンです。
日本が良いものを教えてあげも、日本だけが損するだけ、というのもパターンの一部です。

お茶は、中国南西部あたりが起源と聞きます。亜熱帯で湿気や寒暖の差も味わいに影響するものと認識しています。韓国に根付かなかったからといって、韓国人がうらやむことも妬むこともないのです。
そして、茶道となれば、たんに器だけの話しではなく、やはり気候風土と民族の価値観と作法と精神性と美学が織りなすものですから、韓国で茶道をやりたければ、ほんとうにいちから構築するのが本筋ですね。

茶道ともなれば、正座する習慣のない半島でどうするか等も基本的な解決事案です。
現状では、ビニルシートの上で、そばにトイレットペーパーが転がっていたり、電化製品であるポットからお湯を注いだり、(かなり滑稽感を拭いきれませんが)、日本のような茶筅や茶杓がなくても、スプーンで混ぜるニダなど、まだまだ発展途上だけど、これがこれからのウリの茶道を誇らしく発展、継続させていくのだと大志を抱けばいいのです。
日本の利休だって、べつにゼロから創り上げたわけではありませんし、支援者もいたし嗜好者もいたからできたはずです。これが文化の基というものでしょう。

韓国の場合は、茶道にせよ何にせよ、場当たり的で継続性がなく、うわべだけマネて起源をいいはることが多すぎますね。そのメンタリティが、遡れば高麗の文化を廃れさせた一因であることも、韓国朝鮮の人々は真摯に認識すべきでしょう。
そして、日本人も相手のことを良く知ってあげるべきなんでしょう。上辺ではなく、実態をね。それが人の道というものです。

2017-12-04 (Mon) 12:55 | EDIT | REPLY |   

銀の鈴

妄想のダイナミズム(笑)

いやはや、これはまた凄まじいことで……(呆)

そういや、シンシアリーさんがかつて、ブログに書いておられましたな。正確な言葉ではないですが、おおよそこんな結論でした:「私が小さかった頃の習慣ですら、すでに今は見かけなくなっている」とか。要は、あの国には「古いものを保存し、次代に『伝えていく』という考え方そのものが存在しない」という話でしたなぁ。たった二世代、三世代間ですらも。

日本とは随分違うなぁ……。当時、私は思ったもんです。今回のエントリーにも、空き缶が返還しちまった(怒)王室儀軌が出てきますな。アレも、日本に保存されていたコピーだしねぇ。あらら? 原本あるいは原本に近いコピーすら、本国に残ってないのおぉぉぉ(棒)。比べるのもアホなんで言いたくないんですが、たとえば正倉院の宝物を見てみろや。あの中には、書物だって大量にあるんだぞ。あ、コレは断じてサベツでもヘイトでもございません、念のため(笑)

まぁね。Wikiにもズラズラ一覧が出てますが。「コレもウリナラ、アレもウリナラ」のご丁寧な列挙が(笑)

ご苦労さんなことでんな。まぁほんの一瞬、無知なガイジンさんを騙せたとしても、長続きはしませんな。何しろ裏付けがな~んも無い。いつもの「日本が、ぜーんぶ奪って自分たちのモノにしたから、半島には何も残ってないニダ!」だけではねぇ……(笑)。あ、ついでに言っとくと、秀吉の没後に半島に戻った陶工は、一人も(!)居なかったそうで。誰も故郷に帰りたがらなかった理由は、想像にかたくないんですが(笑)

さて、後はいつもの山吹色のお菓子に次ぐお菓子で……と思っていたら、じき経済が破綻して資金が尽きるんじゃね。ハイ、カネの切れ目がフェイクの切れ目でしたッ。とかねぇ(笑)

2017-12-04 (Mon) 17:04 | EDIT | REPLY |   

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