韓流研究室

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天皇陛下 皇居の田んぼで稲刈り

★天皇陛下 皇居の田んぼで稲刈り
 NHK(動画有り)  9月13日 17時25分
 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170913/k10011137781000.html
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天皇陛下は13日、皇居の中にある田んぼで
恒例の稲刈りをされました。
天皇陛下は、午後4時すぎ、
皇居にあるおよそ240平方メートルの田んぼ
入られました。

田んぼには、ことし5月にみずから植えられた、
もち米の「マンゲツモチ」と、
うるち米の「ニホンマサリ」の稲穂が実りました。

薄曇りの天気の中、
長袖シャツにズボン姿の天皇陛下は、
鎌を使って合わせて100株を
手際よく刈り取られました。


ことしは、先月の日照時間が平年に比べて
短かったものの、稲はおおむね順調に育ち、
作柄は平年並みだということです。

刈り取られた稲は、
11月に皇居で行われる新嘗祭などで
使われることになっています。

(引用ここまで)


★天皇陛下、恒例の稲刈り
 皇居内の田んぼ

 京都新聞 2017年09月13日 18時00分
 http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20170913000133
 天皇陛下は13日午後、
皇居内の生物学研究所の隣にある田んぼで、
恒例の稲刈りをされた。
稲は自身で春に種もみをまき、田植えをしたもの。
陛下は、腰まで成長した稲の根元に鎌を入れ、
手際よく刈り取った。

 植えられたもち米のマンゲツモチと、
うるち米のニホンマサリ計200株のうち、
この日、収穫したのは計100株
残りは後日陛下が刈り取る。
宮内庁によると、今年の作柄は平年並みという。

陛下は農作業を伝承するため、
昭和天皇から田植えや稲刈りを
引き継いだ。

収穫したコメは11月の「新嘗祭」など
皇室の神事に使われる。

(引用ここまで)





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  お田植えをされる先帝陛下


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https://vpoint.jp/imperialhousehold/29062.html

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皇室新嘗祭
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★皇室と稲作
 http://royal.must-reading.info/main/heika10.html
(引用開始)
神田(しんでん)は皇居内、
宮中三殿の近くにある300平方mほど。
ココに水を引き苗をお植えになるわけですが、
その前段階として4月に生物学研究所そばの
苗代で種もみをお手まきされます。

お手まきされる銘柄は
うるち米がニホンマサリ、もち米はマンゲツモチ。
ニホンマサリという聞き慣れない品種は、
コチカゼと日本晴をかけあわせた種で
昭和48年(1973年)に農林省農事試験場
(現・農研機構作物研究所)で誕生しました。

しかし平成6年(1994年)時点で
全国で43haしか栽培されず、翌年には
とうとうゼロになってしまった歴史があり、
現在でも一般ではほとんど作付されないため
市場に出回ることはありません。

いっぽう、もち米のマンゲツモチですが、
こちらは一般に流通している品種で、
昭和38年(1963年)に誕生しました。

5月下旬になるとお田植えです。
水を引いた神田に陛下は作業着に長靴姿で
お立ち入りになられ、
200株ほどの苗をお手植えされます。
また水稲だけでなく、
陸稲と粟も種まきされます。

陸稲・粟は陛下おひとりではなく、
皇室ご一家で種まきされるので
こちらはお田植えとは違ったほのぼの感が。
(中略)
ちなみに、
神田では農薬や除草剤は使用していません。
あくまでも昔ながらの稲作のスタイルで
栽培しています。

そして秋、実りの稲穂を刈り取る時季には、
陛下お自ら鎌を手にお稲刈りなさいます。

(中略)
皇室による稲作は
大昔からあったものではありません。
明治期より神田はありましたが、
昭和2年(1927年)に昭和天皇が
赤坂離宮内苑菖蒲池そばの神田で
はじめたものが現在に引き継がれているのです。


農業の奨励と
農家の苦労を偲ぶために
始めたとされており


昭和天皇に稲作を勧めたのは、
当時の侍従次長でのちに参議院議長となった
河井彌八(かわいやはち)でした。
河井の日記には
「聖上陛下御親ら田植を遊ばさる。
 真に恐懼(きょうく・畏れ多い)とも
 歓喜とも名状し難き思あり」

とその感慨が述べられています。

(全文はリンク先で)




★「古事記」「風土記」「万葉集」
 「琉球国由来記」にみる
 稲作の起源と労働と環境と
 階級分化の問題

 http://kccn.konan-u.ac.jp/konan/kankyo/05takasaka/050301.html
(引用開始)
百人一首第一番

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 
わが衣手は 露にぬれつつ
  
天智天皇

- 訳 -
 秋の田のほとりに仮に作った小屋は
 屋根を葺く苫の編み目があらいので 
 田の番をして 夜寝泊まりをしている 
 着物の袖は冷たい露に濡れつづけている。



天皇自ら農耕をする。
日本人の労働観を考える上で重要。
垂範率先。
御製ではない。
定家が選んだ理由として考えられるのは、

①稲穂の国の代表として、
 稲作儀礼や大嘗祭に関係するから。

②天皇の農耕、垂範率先、稲作労働の讃歌。

③和歌文芸隆盛の源流に、
 日本国の主食である米・稲作の歌が
 中心と考えられる。


(引用ここまで)


天皇が御自ら
稲作をされる事で
その年の、天候による作柄を
直に把握し、民の暮らし向きが解る。
垂範率先
農民の苦労を偲ぶという思想は
この頃よりのもの。

週末の台風、収穫間近の全国の田んぼで
農家の皆さんが丹精込めて育てた稲穂が
倒れてしまったり、水害に遭わない事を、
陛下は今、祈りを捧げている事と思います。

『常陸国風土記』の
”新嘗祭=ニヒナメ=贄の忌み
 -穀霊信仰と始祖信仰”での
富士山と筑波山の伝承が面白い。

農家さんが、品質にこだわって
良いお米を作ろうと励まれる原動力って
皇室の垂範率先があるからだと思う。


★【関根珈琲舎】第39回
 「皇室献上米と勤労感謝の日の
  意外な関係」

 http://www.ecome.jp/article/13612007.html




★万葉集その百七(田植)
 http://manyuraku.exblog.jp/10739926/
奈良時代の水稲耕作は、
直接籾種を蒔く直播式から苗代で育てた苗を
移植する田植式へ移行する過渡期にあたり、
二通りの方法で田植を行っていました。

人々は
苗代の中央や水口(田の水の取り入れ口)に
生命力の強い青柳やツツジの枝を挿して
苗の順調な発育を祈ります。


「青柳の 枝(えだ)伐(き)り下ろし 
 齊種(ゆたね)蒔き
 ゆゆしき君に 恋ひわたるかも 」
  
              巻15-3603 作者未詳

そろそろ田植の時期です。
 青柳の枝を伐り取って田に挿し、
 ゆ種を蒔いて神様に豊作をお祈りいたします。
 そのような神様のように恐れ多く、
 近づきがたい身分違いのあなた様に
 恋をしてしまって- - 、
 毎日々々焦がれ続けています
 )


「ゆ種」とは
「神が宿る神聖な種籾」という意味です。
田に青柳を挿す風習は現在でも続けられており、
ウツギの枝、地竹の細いものなども
用いられているようです。

(続きはリンク先で)




子供の頃、
田植えや稲刈りの日は朝から大忙しで
夜明け前から、祖母と母が昼食の準備をし
大量のおにぎりやぬか漬けの胡瓜、卵焼きなどが
重箱に次々と詰められていきます。
お茶や、10時と3時のお菓子も用意されます。

先に田んぼに出発した
両親や祖母と親戚達に食べてもらうために
家から、おやつや重箱やお手拭きを
うんせうんせと運ぶのが、私と妹の仕事でした。

皆さんにお茶を入れ、箸や取り皿を配り
一人前に働けた私と妹を
手伝いに来てくれた叔父や叔母が褒めてくれる。
いっぱしの大人になった気分で
使い終わった茶器や食器を持って家に帰り
台所で妹と二人で洗って、乾かして
また田んぼまで運ぶ。

農作業が終わる少し前に
女衆は家に戻って夕食の準備に取り掛かります。
皆が戻る前に、畑から小松菜などを収穫して
洗って準備しておくのが、これまた私と妹の仕事。
出来上がったお料理をそ~っと座敷に運ぶのも
我々の最後の仕事。

父や叔父達が帰って来て、着替えが終わったら
全員揃って夕ご飯。
いとこ達も一緒に来た時は最大で25人位。
年下のいとこ達を統率して遊ばせるのは、
私と妹に課せられた最大のミッションだった。

ホント、楽しかったなぁ。

瑞穂の国の神々よ。
どうか、
農家の皆さんが手塩にかけて育てた
稲穂や農作物を台風被害からお守りください。





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Comments 1

sakada

>陛下は農作業を伝承 昭和天皇から田植えや稲刈りを引き継いだ

田植え写真を視ると綺麗な田んぼです、あの美しい畔は今は棚田ぐらいのものだろうか。徹底して日本古来の米作を天皇陛下が伝承しておられます。

ただ、もち米も傍で栽培したら花粉がうるち米に飛んでしまい、うるち米を食べた時にもちもち感が出て「あれっ変だな」になってしまいます、余り食感が良いとは察しません。


>稲作の起源と労働と環境と階級分化の問題

日本に稲作が伝来して以来、それが日本国内の諸国戦争の起源に成りました。当時の米作は水の豊かな平地じゃないと出来ません、そう言う土地は地勢的に意外と少ないものです。

それゆえ、いわゆる都市国家環濠集落同士で土地の争奪戦争が絶えず、2000年前は諸国戦乱の世でした。そう言う混沌とした時代に紛争諸国30余国を統一し平定して連合国を樹立したのが女王卑弥呼でした、絶大な権限を持った国王の卑弥呼の誕生です。

当時の日本は魏志倭人伝で表わされてる通りに、日本は既に対中國や対朝鮮貿易の時代でした。その、女王卑弥呼が生まれる100~150年前の中國端渓製すずりが、福岡市西方面海岸近くの遺跡から数年前に発掘された。そのすずりは、来日した中國の官僚が福岡で輸出入管理業務で、外交文書を作成した時のものと福岡県教育委員会が発表しました。

と言うことは、魏志倭人伝で民を惑わす妖術を使う女王卑弥呼と表わされているが、女王且つ連合国の統治者で在る卑弥呼は、実は卑弥呼が生まれる100年前に日本に導入された漢字の読み書きが出来ていたと推定される。

卑弥呼は中國語で来日中國官僚と外交をしていたのだろうか、卑弥呼が「你好!」と挨拶していたのだろうか、今後の研究で卑弥呼の時代が意外と近代的行政機構を持つ国家だと、解明される事を期待します。

もしかして、卑弥呼時代の5世紀後の日本国家体制が整った7世紀の飛鳥時代と対して変わらなかったと妄想すれば楽しい古代史が鮮明になります。なぜなら、卑弥呼の妖術で在る呪術を擁するシャーマンの様な存在こそが、古代の為政者の民心統一法だったからです。

それが後の中世に於いて為政者の大衆統治に都合が良い為政者の為の宗教に変貌を遂げました、その象徴が宗教改革もされず過激思想に走ったイスラム教です。

かつての中國古代人も占いが大好きでした、鹿や亀の骨や甲羅などを焼いてヒビの出方で吉兆を占い政治の決断に利用していたので日本も導入しました、困ったときの神頼みはどこの国でも同じです。

その様な原始的な為政の伝統が日本にも残存してる、今から550年前の初の独立国家である沖縄王府に仕えた国王の次の権力者の巫女シャーマンで在る国家公務員の「のろ(ヌル)」と言う官職です。

5年前に、沖縄本島中部うるま市の与勝半島東北部無人島の藪地島のジュネー洞でシャーマンの儀式を観覧することが出来た。

島の最東部のうっそうとした雑木林の中の祭壇は、木漏れ日も少なく隆起琉球石灰岩の洞穴に据えて在る。聞こえて来るのは、対岸のアメリカ海軍ホワイトビーチの強襲揚陸艦搭載大型ホバークラフトLCACの絶え間ない演習重低音です。

介添え人は地元農協の中年男性一人だった、Aコープ農協の作業服の侭で巫女シャーマンと並んで正座した。そして、中年女性のシャーマンの呪術が始まった。それまで、巫女の歴史を語ってくれた温和で明るい女性の声が一変した、そこから先は現実主義の私さえ何度想い直しても理解が出来ない光景でした。

周囲は洞にさす木漏れ日以外に、自分にはLCACの重低音も聞こえません。シャーマンがあの世と必死に交信している祈りを示しています。そのシャーマン呪術と光景の1点に視線と注意が集中して時間が止まった様でした、実際に祈りが終わった時の時間が経った様な感覚は在りません、日本には未だ不思議なことが在るようです。

ただ、550年前の沖縄為政開始史実や卑弥呼の呪術統治の世界が少し垣間見れた気がします。あの呪術の光景は迫力が在り過ぎる、今の世に於いて新興宗教の開祖になれる条件を適えていると想っている。



2017-09-14 (Thu) 09:05 | EDIT | REPLY |   

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