韓流研究室

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次期指導要領案から「聖徳太子」の名前を守れ! 文科省の戦後創作「厩戸王」併記の意図は?

★「聖徳太子」守れ 
 つくる会が次期指導要領案で要望 
 「日本主体の古代史ストーリーが崩壊する」

 産経新聞 2017.3.7 20:55
 
http://www.sankei.com/life/news/170307/lif1703070042-n1.html
文部科学省が2月に公表した小中学校の次
期学習指導要領改定案について、
「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は7日、
現行の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」との
併記とした歴史用語の変更を取りやめるよう求める
文書を文科省に提出した。


 文書では、
「厩戸王の呼称になれさせようとしている」と指摘。
律令国家形成の出発点となった聖徳太子を
 抹殺すれば、日本を主体とした古代史の
 ストーリーがほとんど崩壊する
と批判している。

 改定案では、
人物に親しむ小学校で「聖徳太子(厩戸王)」
史実を学ぶ中学で「厩戸王(聖徳太子)」に変更。
文科省は、歴史学では「厩戸王」が一般的としている。


(引用ここまで)


★聖徳太子の名前を守ろう!
 http://hosyusokuhou.jp/archives/48786128.html




聖徳太子は、
確かに、死後に呼ばれた称号であり
本名ではありません。
でも
この称号は長い長い歴史の中で一般化されています。

ウィキには


聖徳太子という名称は死没129年後
天平勝宝3年(751年)に編纂された
『懐風藻』が初出と言われる[注 2]。
そして、平安時代に成立した史書である
『日本三代実録[1]』『大鏡』『東大寺要録』『水鏡』等は
いずれも「聖徳太子」と記載し、
「厩戸」「豐聰耳」などの表記は見えないため、
遅くともこの時期には「聖徳太子」の名が
一般的な名称となっていたことが伺える。
(引用ここまで)


★大和法起寺三重塔
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/hoso_hokiji.htm
○現存三重塔
天武13年(685)発願・慶雲3年(706)露盤を上げる。
(「聖徳太子伝私記」0<嘉禎4年(1238)>には
法起寺塔露盤銘の記録があると云い、
その銘による。・・・銘文は下に掲載)
この三重塔は当寺創建時の塔とされる。
一辺6.41m、高さ23,90m。(34.3m)、
基壇一辺11.7m。
法輪寺(法淋寺)塔婆は昭和19年焼失し、
現存する飛鳥期唯一の三重塔となる。

○帖子本「聖徳太子伝私記」<嘉禎4年(1238)>
 引用の法起寺塔露盤銘文

 上宮太子聖徳ハ壬午年ノニ月廿二日臨崩之時於
 ニ山代兄王勅シ御願ノ旨ヲ此ノ山本ノ宮ノ殿宇
 即チ慮ロラナリ專為ス作サント寺ト
 及大倭國ノ田十二町近江國ノ田卅川町ナリ至于ニ
 戊戌年福亮僧正聖徳ノ御分ニ敬テ造テ
 弥勒ノ像一躯ヲ構立ス金堂ヲ至于
 乙酉ノ年ニ恵施僧正將ニ竟ンカ御願ヲ構立堂塔ヲ
 丙午年ノ三月ニ露盤営作ル



★法起寺(ほうきじ) 
 聖徳太子の遺言で岡本宮を改築した
 という伝承をもつ寺

 http://www.bell.jp/pancho/travel/taisi-siseki/temple/hoki_ji.htm


★重要文化財
 古今目録抄(聖徳太子伝私記)

 http://www.emuseum.jp/detail/100629/000/000?d_lang=ja
聖徳太子伝に関する秘伝や法隆寺の寺誌を
記したものである。
別に『聖徳太子伝私記』ともいう。
13世紀前半に法隆寺の僧侶顕真が上下2巻にまとめ、
上巻では師匠隆詮から伝授された法隆寺や
聖徳太子伝の秘伝を記し、
下巻では聖徳太子の舎人(とねり)調使麻呂に関する
秘伝と自らが調使麻呂直系の子孫であることを述べる。


★法起寺の歴史をさぐる展
 http://yamatojiblog.blog.fc2.com/blog-entry-123.html


★上宮聖徳法王帝説
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/taisetsu/frame/taisetsu_frame.htm




では「厩戸王」は、本名でしょうか?

日本書紀では

 厩戸皇子(うまやとのみこ)
 厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)
 豊聡耳法大王(とよとみみののりのおほきみ)
 法主王(のりのぬしのおほきみ)



古事記では
 上宮之厩戸豊聡耳命
 (うへつみやのうまやとのとよとみみのみこと)



法隆寺金堂、薬師像の光背にある名
 東宮聖王(まけのきみひじりのきみ)


法王帝説
 厩戸豊聡耳聖徳法王
 (うまやとのとよとみみのしゃうとくのりのおほきみ)
 上宮厩戸豊聡耳命
 (うへのみやのうまやとのとよとみみのみこと)
 厩戸豊聡八耳命
 (うまやとのとよやつみみのみこと)
 上宮王(うへのみやのみこ)





この状況で、小中学生に
わざわざ「併記」する意味が有るでしょうか?
併記から単独記載への下準備でしょうか?

「聖徳太子」で覚えて、高校・大学で
もっと深い知識が必要になった時の為に
日本書紀や古事記など、様々な視点で学べば良いのでは?



★聖徳太子は実在しなかった?!
 http://www12.plala.or.jp/rekisi/syoutoku.htm
l

★「聖徳太子」を「厩戸王」に!?
 http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/8e17f3f4f59bd46be5b8e02a72b39434




さて、どのような人達が
「聖徳太子」を消そうとしてきたか?


★「聖徳太子は、日本の政治的意図による
  創作・捏造だ」…中日新聞

 2008年02月11日
 http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/86f6bfc7606890f0dc0fce13f1b8a1d4
■書き換わる聖徳太子像 
 週のはじめに考える

 2008年2月10日
 実在から非実在へ、
聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。
戦後歴史学がたどりついた成果とも、
真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。

 聖徳太子を知らない日本人はまずいません。
教科書風にいえば
六世紀末から七世紀前半の飛鳥時代、
日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、
日本の国力と文化を飛躍的に高め世界の先進国入り
させていった皇太子です。

(中略)
誇張や粉飾があったにしても、
実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。
ところが、
積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は
「聖徳太子はいなかった」で、どうやら決定的らしいのです。
 聖徳太子の実在に最後のとどめを刺したとされるのが、
大山誠一中部大学教授の一九九六年からの
「長屋王家木簡と金石文」「聖徳太子の誕生」「聖徳太子と日本人」
などの一連の著書と論文、それに同教授グループの
二〇〇三年の研究書「聖徳太子の真実」でした。
(中略)
日本書紀は養老四(七二〇)年完成の最古の正史で、
その編纂(へんさん)過程に律令(りつりょう)体制の
中央集権国家が形成されました。
隋・唐の統一と東アジアの大動乱、それによる大化の改新や
壬申の乱を経て、古代社会の「倭(わ)の大王」は
「日本の天皇」へ変わったとされます。

 大変革の時代の日本書紀の任務は誕生した
天皇の歴史的正統性と権威の構築です。
それが、高天原-天孫降臨-神武天皇-現天皇と連なる
万世一系の思想と論理、中国皇帝にも比肩できる
聖天子・聖徳太子の権威の創作、書紀は政治的意図が
込められた歴史書でした。

 大山教授の指摘や論考は、
歴史学者として踏み込んだものですが、
隋書倭国伝との比較などから「用明、崇峻、推古の三人は
大王(天皇)でなかったのではないか」
「大王位にあったのは蘇我馬子」などの考も示しています。
「日本書紀の虚構を指摘するだけでは歴史学に値せず、
 真実を提示する責任」(「日本書紀の構想」)からで、
日本書紀との対決と挑戦が期待されます。


 千年を超えた執念
 日本書紀が展開した思想と論理は
千三百年の現実を生き現代に引き継がれました。
憲法と皇室典範は「皇位は世襲」で
「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」
と定めています。

 しかし、
万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇の
あくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、
その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。

建国記念の日に永遠であるかのような
日本の原理の由来と未来を探ってみるのも。
 
(引用ここまで)


反日でお馴染みのサヨク中日新聞は、
聖徳太子は非現実という大山誠一論を絡めながら
万世一系も世襲も非実在だと・・・
憲法記念日に取り上げている。
これは反天連と同様な思考ですね。


駒澤大学仏教学部教員で
仏教の教理と仏教関連文化の研究者
石井公成氏のサイトより。


★聖徳太子研究の最前線
 大山誠一「聖徳太子架空説」の誤り

 2010年06月09日
 http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/cd4a360efec5749db439a9126a9b7212
(引用開始)
大山説のうちのそうした点が着目されず、
無視される場合が多いのは、
「何しろ、学問的反論は皆無なのである」
といった断言が示すように、自説を打ち出すばかりで
批判に誠実に対応しないことも一因になっているように
思われます。
聖徳太子は『日本書紀』編纂の最終段階で創造された
のであり、実在したのは厩戸王という王族にすぎない、
というを主張
を十年以上展開しておりながら、

その肝心の『日本書紀』では「聖徳太子」という表現は
用いていないばかりか、大山説では太子関連資料を
大量に捏造したとされる光明皇后や行信すら「聖徳太子」
という呼称を用いておらず、
「厩戸王」という呼称にいたっては現存文献にまったく
見られないことなどについて、きちんと説明してこなかったことも、
感心できない点です。
「厩戸王」という呼び方は、
聖徳太子伝承を疑った太子研究の古典である
小倉豊文『聖徳太子と聖徳太子信仰』

(綜芸社、1963年。増訂版は1972年。感動の名著です)が、
「厩戸王」というのが生前の呼称でないか、
としているのが初出ではないでしょうか。

それが教科書にまで載るようになったのは
不思議な話です。


(引用ここまで)


★指導要領改定案の問題点:
 「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、
 「うまやどのおう」も不適切【訂正】

 2017年02月23日
 http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/9fe9f3071a02bb23868183a759e23a4b
(引用開始)
後代の呼び方はいけないのであれば、
天皇の漢字諡號
奈良時代になって定められたのですから、
欽明天皇も推古天皇も天智天皇も天武天皇も
使えないことになります。
さらに重要なのは、
奈良時代から用いられるようになった漢字諡號などと違い、
「厩戸王」という言葉は、
使われた証拠がまったくないことでしょう。
どの時代の史料にも見えません。


 「聖徳太子」という名は、
現存史料による限りでは、奈良中期の『懐風藻』の
序に見えるのが最初であり、
生前に用いられていたことを示す資料はないのは
事実です。聖徳太子という名称を用いると、
後代の伝説化されたイメージが強くなりすぎるという
懸念はあるでしょう。

 しかし、
「厩戸王」はもっと問題があるのです。
このブログで何度も書き(こちら)、
拙著『聖徳太子-実像と伝説の間-』(春秋社、
2016年)でも強調したように、

「厩戸王」というのは、
良心的な研究者であった
広島大学の小倉豊文氏
が、
戦後になってから
後代のイメージに
縛られずに研究するために
仮に用いた名であって、
史料にはまったく見えない名だからです。


これを実名であるかのように扱うのは不適切です。
あるいは、これは史料に見えない仮の呼び方だと
説明するのでしょうか。

(引用ここまで)




伝承に過ぎない?
伝承もそれに纏わる信仰ももまた、歴史だと思う。
何故、その伝承が生まれたのか?も
考えるべきですが
戦後に生まれた仮称「厩戸王」を採用する文科省に
何やら、どす黒い意図を感じるのは
私だけでしょうか????




自国の歴史や伝統文化に無関心なまま育った結果???

DQNに破壊される日本の文化・・・

★聖徳太子像を真っ二つに破壊した
 18歳無職ギャル「つまずいて像を倒した」
 藤井元超住職
 「こういうことはもうしないでほしい」

 2015/07/16(木)
 http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/dqnplus/1437000872/





★学校教育法施行規則の一部を改正する
 省令案並びに幼稚園教育要領案、
 小学校学習指導要領案及び
 中学校学習指導要領案に対する意見公募手続
 (パブリック・コメント)の実施について

 http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000878&Mode=0



意見締め切りは
2017年03月15日!


「皇国史観」を否定したいが為に
「亡国史観」を強要するのは、表裏一体!
明治政府のやった事と同じじゃないのか?

皆さんの意見をお送りください。





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Comments 2

ななし

No title

聖徳太子の名称を変えるのであれば、上杉謙信は上杉輝虎もしくは長尾景虎なのか、豊臣秀吉は羽柴秀吉、木下藤吉郎なのか。また歴代天皇は崩御のあとで元号名で呼ばれるが(例えば(昭和天皇)、聖徳太子を厩戸王または厩戸皇子に呼び変えるのであれば、歴代天皇もすべて呼び変えなければ(例えば昭和天皇は天皇裕仁陛下と呼び変える)主張に整合性がとれない。

歴代天皇を元号で呼ぶことをそのままとするのであれば、これほど広く世間一般に浸透した「聖徳太子」という名称を「厩戸王」などとわざわざ呼び変える必要がどこにあるのか。

歴史学者が自らの功績を残す売名行為として行っているか、それこそ日本の歴史を改ざんしようとする何らなの意図が働いているとしか思えない。

2017-03-09 (Thu) 08:57 | EDIT | REPLY |   

弓取り

聖徳太子伝説 (伝説も歴史なり)

パブコメしました。参考にさせていただきました。

厩戸王を教科書に載せる運動でもしている人たちがいそうですね。
文科省にも学閥とかあるのかなあ、などと考えながら。

2017-03-09 (Thu) 21:43 | EDIT | REPLY |   

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