韓流研究室

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天皇皇后両陛下 、ベトナムで歓迎行事。明日は残留元日本兵の家族と面会

★ベトナム訪問の両陛下 歓迎式典に出席 
 ホーチミン廟、献花へ

 北海道新聞 平成29年03/01 13:39
 
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0374007.html
【ハノイ小野孝子】国賓としてベトナムを公式訪問中の
天皇、皇后両陛下は1日午前(日本時間午後)、
首都ハノイの国家主席府前庭で行われた歓迎式典に出席した。
続いてチャン・ダイ・クアン国家主席夫妻と会見し、
ベトナム建国の父、ホー・チ・ミンの遺体が
永久保存されているホーチミン廟(びょう)に花を供える。

 歓迎式典では日本とベトナムの国歌が演奏された後、
天皇陛下がクアン国家主席の先導で儀仗(ぎじょう)隊
による栄誉礼を受けた。


★天皇皇后両陛下
 ベトナムで歓迎行事や国家主席と会見

 NHK 平成29年3月1日 16時40分
 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170301/k10010894811000.html
28日からベトナムを公式訪問している
天皇皇后両陛下は、首都ハノイで歓迎式典や
クアン国家主席との会見に臨まれました。

両陛下は、現地時間の1日午前10時すぎ、
ベトナムの国家主席府に到着し、国賓としての
公式行事のスタートとなる歓迎式典に臨まれました。

国家主席府の前庭で、両国の旗を持った大勢の
ベトナムの子どもたちが歓迎する中、
両陛下は花束を受け取ってクアン国家主席夫妻と
にこやかにあいさつを交わされました。

続いて、両国の国歌が演奏され、
天皇陛下が国家主席と並んで兵士たちを巡閲されました。
このあと、両陛下は、国家主席夫妻と30分近くにわたって
会見されました。

宮内庁によりますと、この席で、
クアン国家主席が今回の訪問についての歓迎と、
これまでの日本からの支援への感謝の気持ちなど
伝えたのに対して、天皇陛下は
「両国の交流の長い歴史を振り返りながら、
 お互い、よりよい国を作るために努力していくことが
 重要だと思います」
などと話されたということです。

(引用ここまで)


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★ベトナムの独立戦争を戦った「残留元日本兵」
 産経新聞 2017.2.28
 http://www.sankei.com/column/news/170228/clm1702280003-n1.html
天皇、皇后両陛下は、さまざまな事情で海外に出て
その地に留(とど)まった日本人と家族に、
長年心を寄せられてきた。

昨年1月にフィリピンを公式訪問した際も、
陛下の強い希望で、日系人と懇談されている。
両陛下にとって初めてとなる今回のベトナム訪問では、
残留元日本兵の家族と面会される。

▼日本軍がフランスの植民地だったベトナムに
 進駐したのは、1940年である。
 終戦時約8万人いた軍人の大半が撤収するなか、
 約600人が留まった。ホー・チ・ミンらが率いる
 「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に参加するためだ。
 再植民地化をもくろむフランスとの戦いで、
 約半数が亡くなったとされる。


「新ベトナム人」と呼ばれた旧日本兵は、
 各地の士官学校の教官となって戦争の知識を教えた。
 54年にベトナムがフランスを破った
 「ディエンビエンフーの戦い」では、司令官の参謀の
 半分を日本兵が占めていた。

▼昨日の社会面で紹介されていた元日本兵は
 その後、現地で結婚した妻を伴って帰国を果たした。
 ただ、家族同伴が認められず、帰国した日本兵と
 ベトナム人の妻や子供が離ればなれになるケースも
 多かった。ベトナム戦争で米国側を支持した日本への反
 感が強まると、残された家族は差別や嫌がらせに苦しんだ。

(続きはリンク先で)


★天皇、皇后両陛下 
 28日からベトナム・タイご訪問 
 残留元日本兵の家族「義に生きた父誇り」

 産経新聞 2017.2.27 11:23
 http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/170227/lif17022711230005-n1.html
(引用開始)
 猪狩さんは2歳のとき、父の和正さん、
ベトナム人の母とともに同国から帰国した。
和正さんは現地でのことをあまり語らなかったが、
テレビでベトナム戦争の映像が流れた際、
戦車を指し「あの中に俺の生徒がいる」と
つぶやいたことが記憶に残り続けていた。


 帰国から20年余りが過ぎた昭和56年、
肝硬変で入院した和正さんを見舞った際、
猪狩さんは初めて父の足跡を聞いた。

 ベトミンに協力

 和正さんは先の大戦で陸軍少尉、中尉として従軍し、
フィリピンやインドネシアを転戦。
ベトナムで終戦を迎えて間もなく、
ベトナム独立同盟(ベトミン)から協力を求められた。
「ベトナムにも新しい時代が来る。
 時代を切り開くのに自分の力をぶつけたい」。

そう考え、求めに応じたという。

和正さんは士官学校の教官として、銃の扱いとともに、
「源平の戦い」「川中島の戦い」など日本の合戦を
例示しながら戦いの手法を教え、
フランスとの第1次インドシナ戦争中、8期生まで
兵士を育てた。
各地に散った卒業生は後のベトナム戦争を戦った。
歯科医免許を持っていたため、医学教育にも当たった。


 和正さんが現地で結婚した後の1954年、
残留元日本兵の帰国が許可された。
だが、家族を伴うことは許されなかったため残留。
帰国する同僚に、故郷の父への歌を託した。

 《今さらに何をか言わん遅桜 故郷の風に散るぞうれしき

 「『今は何を言っても遅いが、故郷に戻りたい』
という望郷の思いを歌にした。
日本兵が協力していたことは当時は極秘。
理由を書けば検閲にひっかかる。それでも、
故郷を忘れていないということを伝えたかった」。
和正さんはそう話したという。
5年後に家族の同伴が認められて帰国した後は、
和正さんがベトナムの地を踏むことはなかった。
「病気が治ったら、また行きたい」。
病床でそう話した和正さんは、間もなく亡くなった。

(続きはリンク先で)




★祖父はベトナムに残った 
 残留日本兵1万人の戦後70年

 http://www.ebookjapan.jp/ebj/326611/
君ら(日本軍)は白人と戦った。我々も白人と戦う
ならば、我々と目的は同じじゃないか」。

旧日本陸軍第3航空軍・仏印分遣隊の元山久三1等兵は、
日本の降伏に納得せず、仲間数人と脱走、
ベトナム独立連盟(ベトミン)の幹部に勧誘され、
軍事学校の教員となった。
その孫娘、ホアン・ティ・タイン・ホアイさんは今、
2014年末、日本企業の支援でハノイに開設された
「日本国際眼科病院」の経営アドバイザーとして、
監督官庁とのやりとりや、日本人経営陣の方針を
現地職員に伝える役割を担っている--

 1945年の終戦時、日本に復員せず、
現地に残った残留日本兵は約1万人と推計されている。
残留兵とその家族たちは、
戦後70年をどう生き抜いてきたのか。
国際政治や経済情勢に翻弄されてきたその運命を追う。

(引用ここまで)


★石井卓雄
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%8D%93%E9%9B%84


★クァンガイ陸軍中学
 http://m-jiten.org/article/%83N%83%40%83%93%83K%83C%97%A4%8CR%8Em%8A%AF%8Aw%8DZ/




昨年、両陛下がフィリピンをご訪問された際に
私は実家の墓前で、祖父母と父と、
フィリピンで戦死した、父の兄「一郎さん」に報告をした。

現地で戦死し、ご遺骨がそのままの多くの人々、
自ら日本に戻らず、現地で骨を埋めた人々・・・

両陛下の「慰霊の旅」は、こうした人々の御霊を
祖国へと導いてくださっている気がする。

両陛下が帰国の途に着かれる時、
現地で亡くなった人々の御霊も、一緒に帰国を果たす・・・


昨年の両陛下のフィリピンご訪問の後、
一郎さんの御霊が、ようやく生まれ育った家に戻れたのだと
私は、そう確信している。
亡くなった父も、きっと、そう思っていると思う。

 一郎伯父さんが、
祖父母の御霊に、ようやく抱かれることが出来たのだと・・





当ブログの過去記事より

★天皇皇后両陛下の御心
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1129.html
(引用開始)
●皇后宮美智子さま 祈りの御歌
(略)
 語らざる 悲しみもてる 人あらん
 母国は青き 梅実る頃


これは皇后美智子様が≪旅の日に≫と題して平成十年にお読みになった
御歌(みうた)で、宮内庁によって次のような註が付けられています。

「英国で元捕囚の激しい抗議を受けた折、
 『虜囚』となったわが国の人々の上を思われて読まれた御歌」
と。

平成十年5月26日、
両陛下のお乗りになった馬車がバッキンガム宮殿に向かう途中、
イギリス人の下捕虜たちが「背向け」行為という非礼を
あえてしました。このことから皇后様は、
敗れたるゆえに、去る対戦時、虜囚となったわが国人は、
 悲しみも語りもしえず、いかに耐えていることであろう

とご心情をお寄せになりました。

この御歌を初めて新聞紙上で拝見したとき、
私はひじょうに大きな感動に打たれました。
皇后様のようなお立場の方が、これほどの透明な抒情と
憂国の至情を併せてお示しになるとは思いもよらなかったからです。
しかも、ご自身の内面の世界を詠われた「上の句」と、自然を捉えた
「下の句」が見事に調和し、その明転とでも申しましょうか、
闇から光に視線を転じるかのような、えも言われぬ美しさに
心底魅了されたのです。

長年フランス文学を研究する一方で、
深層から日本の文化・伝統を世界に伝えて
日本への理解を深めたいと念願して、
非力を振るってきましたが、
皇后陛下の限りない霊性世界の深さを、御歌の翻訳を
とおして少しでも伝えられるならばと考えて、ついにはパリに
五年あまり移り住んで、フランス語訳に取り組むこととなりました。

(続きはリンク先で)




敗れたるゆえに、
去る対戦時、虜囚となったわが国人は、
悲しみも語りもしえず、
いかに耐えていることであろう・・・


敗れたるゆえに、
終戦から現在に至るまで
近隣国だけでなく、国内の人々にまで
有らぬことまで非難され、憎しみをぶつけられ
辱めを受けていながらも、
ただ黙って、悲しみも語りもしえず、
いかに耐えてきたことだろう・・・


両陛下のご訪問の度に、
先の戦争での出来事に灯りが燈る。
忘れられた記憶が蘇る。

一昨年の終戦記念日の読売新聞コラムに、
「先の戦争で、独身のまま戦死した人々には
 供養を続ける子孫がいないので
 忘れ去られてしまうのではないか・・・」

という文章があった。

都会に出て放置されたままの先祖代々の墓や、
跡取りがおらず墓仕舞いをせざるを得ない人々、
はたまた、先祖の墓に入ることを拒否し、
個人墓や仲間同士の共同墓を造る人などなど・・・

祖国に、故郷に、帰りたいと願ったまま亡くなっていった
多くの御霊は何処に帰ればよいのだろう。

両陛下と共に戻られる御霊に、
祖国の、桃や早咲きの桜の花が出迎える。
日本は・・・変わり果ててしまったけれど
変わることなき風情の富士山が出迎える。

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天皇皇后両陛下がご帰国されたとき、
「お帰りなさい。」と呟こうと思う。

言霊に乗せて・・・



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