韓流研究室

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おや?池田信男氏がTwitter「教科書の天皇記述は江戸以降で良い」を削除している

今回の教科書改定について、
元号廃止論者の池田信夫氏が
”幕府”だって後から付けた名称なので
「教科書の天皇記述も江戸以降で充分」
「500年以上、誰も知らなかったのだから」
と、Twitterで呟いていたので、
時間があったら、この件についてBlogで取り上げよう
と思っていたら・・・批判を浴びた後、削除している。

池田氏は、以前から・・・このような歴史観。

★天皇はなぜ生き残ったか
 池田信夫Blog 2014年06月08日 
 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51900581.html




確かに、中世の武家社会以降
天皇の「権力」体制は崩壊しているが・・・
「江戸時代のミカドは政治的影響力のない
 公家の一つだった。
 当時の天皇家は貧乏で、即位の式典どころか
 葬式のできない天皇もあった。」

所領地や財政を軍事政権に握られ
財政難であったことは確かだが
”政治的影響力のない公家の一つ"というのも乱暴だし
「古事記」や「日本書紀」など古代史を
教科書から外して、無視しても良いという呟きは
如何なものだろうか?

★室町時代の天皇
 http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/nob/nobu5.htm


★室町時代の天皇
 http://blogs.yahoo.co.jp/sitiyu33/1116950.html


★洞院公賢
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E9%99%A2%E5%85%AC%E8%B3%A2


★106代 ・ 正親町天皇 深草十二帝陵⑩
 http://blogs.yahoo.co.jp/masatake_ko/45978042.html




戦国時代の武将たちは「帝」を
単なる公家の一つだと思っていただろうか?

★信長の名前と官位
 http://www1.clovernet.ne.jp/kurohoro/his/oda/name/


織田信長は、
1568年の従五位下叙任から、
死後の法名「摠見院殿大相国一品泰巌大居士」
死後従一位太政大臣に叙せられる。
武将にとって、
朝廷から賜る官位は無意味ではないでしょう?




京都御所には、
天皇のみが通る事が出来た建礼門から
東へ数メートル程行った所に
粽屋・川端道喜専用の通用口「道喜門」が現存している。
doukith.jpg

天文5年(1536年)、
京都御所の修繕を織田信長が命じた際に
初代川端道喜は工事を監督する工事奉行として任につき
資材搬入の勝手口として塀をくり抜いて作ったのが
この「道喜門」。

京の老舗【道喜】、創業は室町時代の1503年。
11年も続いた応仁の乱で都は荒れ果て、
朝廷も財政難で困窮状態。
後柏原天皇(104代天皇)に、毎朝『御朝物』を献上した。
明治天皇が東京に移る明治2年まで、300年以上も続いた。
江戸時代に入ると朝廷の財政も安定していくのですが
それでも朝食の前には、道喜の餅を眺めるという
『朝餉の儀(あさがれいのぎ)』という儀式として
明治まで残っていたのだそうです。

この店の歴史はコチラから
http://blog.livedoor.jp/wagashibuyer/archives/26855555.html
https://www1.doshisha.ac.jp/~prj-0604/pc/kawabata.html

安永9年(1780年)刊の秋里籬島著・竹原春朝画の
『京名所図会』(6巻11冊)にも
  doukiphoto.jpg
 (内裏之図 『都名所図会』の巻頭)

  douki_360_4.jpg
「道喜門は描かれている。

幕末の公武合体を描いた有吉佐和子の長編小説
【和宮様御留】の中にも、祇園会の道喜の献上品
「御菱葩」が描かれていますが、この花びら餅は
裏千家の新年大茶会にも納品されています。
有吉佐和子は、執筆にあたって15代道喜夫人からも
御所との関係をいろいろと教わったのだそうです。




京都には、皇室の菩提所として有名な
御寺・泉涌寺がございます。
御由緒には
http://www.mitera.org/outline.php
”仁治3年(1242)正月、四条天皇崩御の際は、
 当山で御葬儀が営まれ、山稜が当寺に造営された。
 その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇の、
 続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る
 歴代天皇・皇后の御葬儀は当山で執り行われ、
 山稜が境内に設けられて「月輪陵(つきのわのみさぎ)」
 と名づけられた。こうして当山は皇室の御香華院として、
 長く篤い信仰を集めることとなる。
 泉涌寺が「御寺(みてら)」と呼ばれる所以である。”

★驚きの内部ー月輪陵・後月輪陵・続編-
 http://blog.goo.ne.jp/ayaka-r0301/e/2db3204a14357ba68f915b39990885d4





公武合体といえば、皇女和宮が有名ですが
徳川家康が、孫の和子を入内させ
かつての藤原一族のように
天皇の外戚になろうとしたことも見逃せません。

★徳川和子
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%92%8C%E5%AD%90

★第108代 後水尾天皇の后( きさき )
 東福門院・徳川和子

 http://blogs.yahoo.co.jp/masatake_ko/45988264.html




★聖徳太子の発明?
 「天皇と日本」-天寿国繍帳の信憑性-

 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/tennoutonihon.html


★天寿國繍帳 銘文
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/tenjukoku/tenjukoku_frgen.htm


★天皇弥栄(すめらぎ いやさか)  
 慶應義塾大学講師 竹田 恒泰
 http://www.hokkaidojingu.or.jp/sizume/column/takeda6.html




★国学
 http://www.geocities.co.jp/HiTeens/8761/japan14.htm


★本居宣長研究ノート
 「大和心とは」

 http://www.norinaga.jp/index.php


敷島の 大和心を 人問はば
朝日に匂ふ 山桜花

  ~本居宣長
 http://blog.livedoor.jp/rh1-manyo/archives/27448909.html


★古事記の魅力④ 
 ~桜、生命の再生、もののあわれ~
 http://wanosuteki.jp/post_10615 


★shinzeiの晴耕雨読日誌(901)
 江戸時代、天皇権威復活大作戦

 http://shinzei-co-led.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/shinzei-ec1e.html




今年の1月、池田信夫氏は
「もう元号を使うのはやめよう 」と呼びかけます。
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4647.html


そして、今回は・・・
「教科書の天皇の記述は江戸以降で充分だ」
と呟いていました。

子供達が、自国の歴史に触れる扉
親が歴史好きでない限り、教科書となります。
大人になっても、
自国の歴史への知的好奇心を失わずに学ぶためには
歴史への興味の扉は、出来うる限り開かれていなければ
ならないと思うのです。

先日、朝日新聞の読者欄に投稿された
「元号」に関する記事。
17歳の高校生の投稿文に、日本の未来を託したくなる。

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Comments 4

八目山人

No title

岐阜県人です。
立派な17歳がいて誇らしい。わたしはこんな立派な意見を言えません。
読んでいるのは産経です。
坪井君は朝日を読んでいて こういう考えになったのかな?

2017-02-18 (Sat) 08:07 | EDIT | REPLY |   

名無しビジネス #-

No title

日本人のほとんどは天皇の存在すらしらなかったし,

嘘ですよ。
1775年に日本を訪れた
ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』平凡社東洋文庫(1994)でも読んでください

「国民の内裏に対する尊敬の念は、神そのものに対する崇敬の念に近い」

藤原の嫁送り→征夷大将軍→戦国時代の上洛争い→秀吉の関白→征夷大将軍→公武合体→明治維新→天皇は国民統合の象徴・国会に指名された人物を総理大臣として任命・法案の署名

何故全て天皇の錦の旗を時の権力者は維持しようとしてた?

誰も尊敬をしてない血族からの権力の裏書きを何故求めていた?

江戸時代に日本を訪れた外国人の著書は彼らの思想もありますがかなり客観的で理解が深まります。

日本が先進国の仲間入りする頃には黄禍思想などの日本への偏見が含んだ偏ったものがいきなり増えます。

偏見が最もなく、客観的かつ正確なものが江戸時代の訪日外国人の著書です。

『天皇は国民に知られるようになったのは明治から』という主張をしている人びとはイデオロギーに支配されています。

2017-02-18 (Sat) 12:19 | EDIT | REPLY |   

弓取り

長いものには巻かれろ?

池田氏が西暦を唯一合理的と見なすとすれば、正しい判断とは思えません。和暦では元号を覚えにくいとか、細切れで計算しにくいとかはわかりますが。

西暦だって、ひとつの宗教的な根拠を持つ暦には違いない。王権神授思想とか、権威と権力の分化は西洋にもありますもんね。
国境が定まらず、王朝の入れ替りもあることが前提にあるから、和暦のような元号を使えなかったのではないか。

池田氏が西洋史観に優位性を感じての主張なら、ちと情けないです。英語の幼児教育強化や公用語化とかも推進しそうですね。


>京の老舗【道喜】
 素晴らしいですね。
 この凄さを実感するのには和暦がいいか、西暦がいいか。

2017-02-19 (Sun) 00:24 | EDIT | REPLY |   

西

政治の中心は、あくまで「天皇」だった

確かに、庶民レベルでは「天皇」を知らない者もいたのかもしれない。あまり人との交流が無かった者もいただろうから。

しかし、だからといって、「天皇」が政治に関係が無かったように主張するのはおかしな話で、少なくとも「国」という考えが出来上がってからは、政治の中心は「天皇」であった事が、平安京、武家の時代などからも分かる事だろう(摂関政治以降の征夷大将軍を任ぜられた武士は、幕府を開いて領地を統治する権限を与えられるのと同時に、朝廷(宮中)への参内なども義務付けられていたのだが)。

元号も、政変や天変地異などが起これば、変更していたが、これも気まぐれに変更していたわけでは無く、神への祈祷などによって決めていた所が多い。

元号に宗教色があるように思えない面も無くは無いが、西暦も宗教色が強く残るもので、「世紀」といった、機械的な区切りよりも、神仏習合を表した国体に相応しい存在であろう。

2017-02-20 (Mon) 00:57 | EDIT | REPLY |   

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