韓流研究室

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上野千鶴子「平等に貧しくなろう」が物議

★上野千鶴子「みんなで貧しく」が物議
  「バブルを満喫してきた世代が
   何言ってるの?」

 キャリコネニュース 2017年02月13日
 
http://blogos.com/article/209990/


★上野千鶴子氏の発言を読んで思ったこと。
Huffingtonpost 2017年02月13日
 http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-mochizuki/chizuko-ueno-government_b_14716704.html


★平等に貧乏になる日本  
 上野千鶴子氏の中日新聞の意見に思う

 夜明け前の独り言 弁護士 水口洋介
 http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2017/02/post-6557.html?optimized=0




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Twitter上でも、かなり物議を醸していた
東京大学名誉教授、フェミ学者・上野千鶴子の記事。
バブル崩壊以降の人達と
リベラル系の意見のリンクを貼った。

弁護士の水野氏が言うように
欧米の流れを見れば
「このような日本経済が下降線をたどるときに、
 大量の移民を入れれば、外国人・移民と
 職をめぐって競争となり、
 そうなれば日本人お得意の「右ばね」が働き、
 日本社会での「人種差別」が横行し、
 欧州のような「右翼民族主義勢力」が台頭する
 ことは不可避でしょう。

 もちろん、これとたたかうリベラル派や
 社会民主主義勢力も必ずいますが、
 これがけっして日本では多数派にならないことは、
 明治維新以後の現代までの歴史を見れば明らかです。

 今後、今の若い日本人が、
 自由と平等、平和と民主主義を愛して、
 外国人に対する人種差別を憎み、
 右翼とたたかう自立した「市民」

 変貌するなんてことはありえないでしょう。
 逆に右翼の先頭にたちそうだし。
 (中略)
 みんなそろって政策的に平等に貧乏になるなんて、
 上野千鶴子氏の予測するような綺麗事では
 絶対すまないでしょう。
 「貧乏」になるときは、社会の混乱と人々の
 不幸せが大量に起こる時代なんだよね。





「みんな平等に、
 緩やかに貧しくなっていけばいい」


この言葉、同志社大学の「紫オバサン」こと
逆神経済予想をしている浜矩子教授のアベノミクス批判
「成長なんてのは発展途上国に任せて
 日本はゆっくり老いていけばいい。
 今更、成長なんて下品だ。」というような理論と
そっくりな言葉!


★浜矩子「老いらく国家」を批判する
 http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120420/1334880799


★浜矩子語録(113) くたばれ!成長戦略
 2011年03月16日
 http://blog.goo.ne.jp/n-mayuzumi/e/afc82e967d0f9b4de0abe02c6168fee6


上野千鶴子が言いたいのは、
浜矩子と同様に、
「貧乏」になるのが嫌だったら社会主義を受け入れて
国家じゃなく、「市民」革命によって社会を変えようぜ!
というのが本質じゃないかな?

その一方で、欧米のリベラルメディアは
「日本は移民を受け入れないから衰退する。」
と、移民を受け入れろと再三圧力を掛ける。

まあ、上野氏が言うように
「日本人には耐えられない」だろう。けど・・・




私が一番腹が立ったのは、
「泣いてもわめいても子どもは増えません」

昔、ウーマンリブ旋風が吹き荒れ
女性の解放、女性の権利、女性の自立。
私が若い頃は、「結婚か仕事か」
そう選択を迫りながら、メディアも揃って
専業主婦はバカだという風潮を創る。

その後、結婚してから仕事を続けていくには
福島瑞穂著の【産まない選択】
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女性に選択権がある「産むか産まないか」論

男性が何か言おうものなら
「富国強兵で、子供を産むことを強制された」
「我々は産む機械ではない!」などなど

そしてメディアは煽った。
アメリカで2000年頃に流行った
DINKS(ダブルインカムノーキッズ)
日本でも雑誌やドラマで再三取り上げ
共働きで、意図的に子供を持たないライフスタイル。
お互いに自由で贅沢で豊かな暮らしができると・・・


上野千鶴子氏は、「おひとりさま」を奨励。
そして・・・異様に日本男性を敵視する。
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上野氏は「非婚」奨励をしていた。
著書『ジェンダー・フリーは止まらない』では、
「女は嫁に行くのが一番だと私は信じています」
といった個人的信条を犯罪として取り締まるべきだ
と主張。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=165104&id=10178621

そして、自分の老後について本を出す。

★負け犬の皮をかぶった勝利宣言
 「おひとりさまの老後」

 http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2009/02/post-cf9d.html
上野千鶴子というファンタジー。

 題名にだまされてはいけない。
これは「千鶴子ヴィジョン」から見た
老後のお花畑なんだ。
しっかり年金をもらって、悠々自適の
セカンドライフを謳歌できる、
いわゆる逃げ切り世代へのエール本
なのだ。


 お花畑では、男は役立たずなお荷物に過ぎないし、
子や親族は資産を自由に使えなくする邪魔な存在
となる。そんなものは放っておいて、
「おひとりさま」になれという。
どうせ老後は、夫に先立たれ/離婚するし、
子どもはアテにならない。
結局「ひとり」になるのなら、最初から「ひとり」を
想定したライフスタイルがいいのだと。
(中略)
これは、彼女がそうありたいと願う空想であり、
自己正当化のためのセルフエビデンスなんだ。

 たとえば、
アタシが父親と一緒に暮らせない理由は、
「親孝行な娘」を演じられないからだし、
アタシが母親を介護したのは、義理介護
――ホンネに裏書された「主張」が垣間見える。
でなければ、ひとりがいちばんなんだけど、
寂しいとき相手してくれる人はキープしたい、
という「ホンネ」はそのまま吐露される


 あるいは、
邪魔な家族から離れろとけしかけておきながら
やっぱり盆暮れの風は沁みるらしい。
「大晦日ファミリー」といって、友人どうしで集まって
鍋をすることを企画し、
「気分はほんとうに家族のようだ」と無邪気に持ち上げる。
彼女にとって家族は「ごっこ」したり
「気分」で味わうものらしい。

 そして、「独身・子なし」と自分を「負け犬」呼ばわり
する一方で、結局、女の老後は「ひとり」になるという
(あるいは、「ひとり」になれという)。
だから、最初からひとりを意識して、
「確信犯で(原文ママ)家族をつくらなかった」わたしって、
なんてリスクヘッジなのー
という勝利宣言
すら聞こえてくる。

(引用ここまで)


どちらの側からも批判され、
彼女のファンからは称賛もされ・・

★上野千鶴子の
 呆れたSEALDsメンバー批判

 http://www.targma.jp/vivanonlife/2015/08/post7505/


★女性問題に偏見もつことで
 定評のある大学教授・上野千鶴子。
 ツイッターでの印象は?

 http://korekarasusumu.sakura.ne.jp/iroirodori/season/1618.html


★アジア女性基金妨害した
 上野千鶴子の後悔

 続・慰安婦騒動を考える
 http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2015/05/blog-post_9.html


★韓国「左翼ナショナリズム」を批判できない
 上野千鶴子ちゃん、
 週刊金曜日~朴裕河「帝国の慰安婦」。

 http://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2015/11/27/045204




上野千鶴子氏は、元京都大学全共闘活動家。
1967年10月8日の第1次羽田事件(佐藤栄作首相の
南ベトナム訪問阻止運動)デモで、機動隊図書突した際に
死亡した山崎博昭という学生活動家とは京大の同期生。
http://blogs.yahoo.co.jp/kugayama322/64478269.html

「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える
 国際ネットワーク」
いわゆる「のりこえネット」の共同代表

慰安婦問題の解決をめざす会に所属する
マルクス主義フェミニスト。

この世代の、社会主義の女性文化人は
田嶋陽子といい・・・
何故そこまで日本男性を敵視するのだろう?


★上野千鶴子と1968
 http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-519a.html
「映画祭1968」で講演したゲストの中で、
上野千鶴子氏の話がとりわけおもしろかった。
(中略)
彼女はまず自分が成人式を京大のバリケードの中で
祝ったことを語った。バリバリの全共闘だったわけだ。
しかしその運動の中で、女性は二流戦士か、
救援の天使か性欲処理の対象でしかなく、
抑圧された存在だったという。
全共闘は大学や学生の自由を求めて闘っていたが、
その運動が女性の自由を抑圧していたという構造だ。


日本のウーマン・リブは、その反省を経て、
1970年に田中美津の「便所からの解放」という
ビラから始まった。
すなわちこれまで男にとって女は、母性のやさしさ=母か、
性欲処理機=便所か、という二つの存在としてあった
ことからの解放だ。

ちなみに「便所」というのは、戦時中皇軍兵士が
慰安婦を指す隠語であった。
これが全共闘の男たちまで続いていたとは。
(引用ここまで)




上野氏は
2015.年4.月23日の朝日新聞(夕)連載で
当時(60年代末期)の学生運動について
『そのころ、バリケードの中はフリーセックスの時代』
と書いているそうだ。

彼女自身も2015年のTwitterで
「ブルータス、おまえもか。
 反安保法制闘争のなかにもある
 マッチョイズムを耳にした。
 学生運動のマッチョイズムへの反発から始まった
 リブの歴史と同時代を生きてきたフェミニストの
 一人
としては黙っていられない。」

と呟いている。

以前、他の人のブログで
「学生運動」の思い出を語る書き込みがあって
京大の全学連リーダーが、総括と称して
皆の前で、同士の女子学生の下着を剝ぎ取ったり
していたけど、アイツは今どうしているのかなぁ
と・・・



★全共闘
 http://kenjya.org/kokunai7.html
●左翼活動をしていた人から当時の話を聞くと、
 めちゃくちゃ。女子大へオルグ(宣伝・勧誘)に行って、
 「よし革命のためだ!」とかって、みんなヤッちゃうとか。
 津田塾は入れ食いだったとか、
 酔うにつけめちゃくちゃな話が出てくる。
          《福田和也 「無礼講」》

●永田洋子のトラウマもそこなのだ。
 彼女は最初の頃に「革命のため」といって
 半ば強姦されている。
 連合赤軍の政治指導者は、
 「オレとセックスしないということは、
  お前は政治意識が低い」と言って
 関係を迫るわけである。むちゃくちゃだが、
 当時の左翼の間では、そういう理屈が通っていた。


●でもね、当時の左翼男は楽だったんじゃないの?
 「革命のため」とか言えば、女の子を口説けたんだから。
           《坪内祐三  〃  》

(引用ここまで)


サヨク活動家だった映画監督の崔洋一
『マルコポーロ』1993年9月号で

「一時流行ったんだな。
 左翼少女を口説くときは
 日帝三十六年史で落とせというのが。」

自慢していたらしい

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai




★「自らの分身を、彼女は殺した」  
 永田洋子死刑囚の死について

 http://nikkosunadokei.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-832a.html
「彼ら京浜安保共闘はその後、
 観念に手足をつけたようなマッチョ
 『赤軍派』と合体し、『連合赤軍』となる。
 そして合体相手の自称革命家の男たち
 に認められたい一心で、永田は完璧に、
 政治的に革命的に振舞おうとした。

 そんな<どこにもいない女>として生きようとした。
 彼女はおのれ以上に
 「ここにいる女」の匂いを漂わせる
 8カ月の身重の女を、
 アクセサリーに執着する女を
 粛清せねばならなかったのだ。

 そう、彼女は男並みを目指すには
 『女』でありすぎたのよ」


 この文は、ウーマンリブの中心的活動家だった
田中美津のコラム
「永田洋子死刑囚の死に女でありすぎた彼女」
(2月25日・朝日新聞夕刊)の最後の部分だ。
(中略)
殺された遠山美枝子さん、金子みちよさんの領域
つまり、消費社会的な感性が当時、
世の中で始まろうとしていた。
『「彼女たち」・・』では、例えば、1970年冬、
都内の路上で、くるぶしまで届くマキシコートにひざ上の
超ミニスカート、それにトンボメガネに「アンアン」を抱えて
逮捕されたファッショナブルな美人過激派女学生が
新聞ダネになっていたことを挙げている。

それがそうした感性の象徴かもしれない。

(引用ここまで)




瀬戸内寂聴、上野千鶴子、辛淑玉、浜矩子、田嶋陽子・・・
そして永田陽子

彼女達に違和感を感じるのは、
彼女達の言葉の中に、何か「怨念」めいた空気
漂っているからだ。

自らの体験が憎悪の根源となり
その闇を正当化するために「正義」を語り
それが「社会運動」に駆り立てているような空気。

この人達が、違う青春時代を過ごしたならば
別の「寛容さ」も持ち合わせた生き方も
出来たのかもしれないと・・・

けれど・・・こうした女性達が音頭を取って
「女性の生き方」を提唱してきた。



上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」
書評を読みながら、
「アタシが父親と一緒に暮らせない理由は、
「親孝行な娘」を演じられないからだし、
 アタシが母親を介護したのは、義理介護」

「邪魔な家族から離れろとけしかけておきながら、
 やっぱり盆暮れの風は沁みるらしい。」



私の父は、典型的な「頑固で不器用で寡黙な日本男子」
若い頃は反発もしたし、理解しようともしなかった。
認知症で弱りゆく父を、毎日、3年間
濃密に介護したお蔭で、父の人生を理解できた。

次男坊に生まれた父は、祖母から再三
「お前は、いずれ家を出て独立しなきゃならん。
 だから、独り立ちできるように
 学問に精出すか、手に職を付けるか
 自分一人で生きていく道を探さにゃいかんよ!」

と、何時も言われて育ったのだと伯母が言っていた。

長男の一郎さんが戦死すると
「これからは、お前が家を守って欲しい」と・・・

父の一周忌の後、伯母は仏壇の前で泣きながら
「あの子は、やりたい事も色々有っただろうけれど
 お母さんの言葉に黙って頷いてね・・・
 それから、死ぬまで、一郎兄さんの代わりに
 長男を務めてくれたんだよ。
 この家を守るために、犠牲になってくれたのよ。」

伯母が離婚して、再婚相手が連れ子を拒んだ時
父は黙って、姉の子供を引き取って育てた。
弟や妹たちを進学させ、結婚させるまで
給料も全て「家」に入れて、独立させた。

母の実家で、家長の伯父が亡くなると
母方の祖母と伯母と幼い子供達のために
父は黙って、母の実家の広大な田んぼの
田植えから稲刈りまで、亡くなった義兄の代わりもした。
公務員をしながら・・・
父は恨みがましい事は一言も口にしなかった。
「犠牲になった」なんて、一言たりとも言わなかった。

仕事も頑張って、自分で懸命に勉強して
退職後に叙勲を受ける事も出来た。

そんな父が、亡くなる2日前に
看護師さんに
「毎日来てくれる奥さんに感謝しなきゃ、後悔しますよ」
と促されて、照れくさそうに、小声で、振り絞るように
「ありがとう・・・」と呟いた。

母は幸せ者だ。
その場面を間近で見ることが出来た私も
本当に、幸せ者だ。
兄弟の中で私だけが、長く連れ添った両親の真の姿を
目にする機会を与えられた私は、本当に幸せ者だ。

守るべき者がいるから強くなろうと思う。
未来に希望を描かなければと、強く思う。
「平等に貧しくなろう」なんて思わない。
かつて、貧しさの中で
協力し合い、知恵を絞り、家を地域を守り続けた
多くの人達の為にも。

彼らが多用する「平等」という言葉に、
ちっとも「平等」を感じない・・・
頭でっかちの口先ばかりの生き方をして
家族や子供は邪魔なリスクと
「確信犯で(原文ママ)家族をつくらなかった」
という上野千鶴子に
「泣いてもわめいても子どもは増えません」
なんて言われたくない!

私の娘達の未来を壊されたくない!



★誤解されてる!?
 天は人の上に人を造らずの後に
 福沢諭吉が学問のすすめに書いたこと。
 【自己啓発】

 https://matome.naver.jp/odai/2137759721075722801
福沢諭吉は、人の差は生まれつきにあるのではなく
【学問をしたか、しなかったか】
によるものであると言いたかった。

生まれたときは、平等だけど…

「われらは、同じ人であるのに、
 仕事や身分に違いが出るのはどうしてだろうか。
 同じであるのに違うのならば、
 違う部分があるのであり、
 その違う部分というものこそが、
 学ぶと学ばないとにあるのである。
 人の違いは、生まれつきにあるのでなくて、
 学問に励んだのか、
 学問に励まなかったのかにあるのだ。」

福沢諭吉は「学問のすすめ」で
学問の重要性を説いているが、この学問というのは
いわゆる机上の勉強に終止するものではなく、
世を渡るのも、商売の帳簿をつけるのも、
時代の情勢を見つめるのも「学問」としている。

「私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、
 それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こう
 という意志を持たない限り、
 私たちの未来は拓けません」


(引用ここまで)




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★おひとりさま願望強まる?
 「結婚したくない」新成人、過去最多に

 2015/01/14(水)
 http://girlschannel.net/topics/270917/ 




家族はリスクの上野千鶴子教授の「移民リスク」発言に
排外主義者だと激昂しているサヨクの皆さんですが
少子高齢化の日本の現実がコチラ


★「日本人」になる中国人増加
 政経ch 2017/02/14/ (火)
 http://fxya.blog129.fc2.com/blog-entry-33760.html





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Comments 1

銀の鈴

良いお話です

亡くなられたお父上のお話、心に沁みました。

かつての日本では、淡々と自分の境遇を受け入れ、黙々と頑張り、愚痴もこぼさず、決して誰かを恨んだりはせず、重い責任を背負い、身近な存在をただただ寡黙に慈しんできた、そういう生き方の人を、身近にいくらでも見出すことができました。

全共闘世代を中心とする、有名女性たちの発言に違和感を感じるのは、男女関係を含めて「あの頃は、そういう時代だった」せいもあるかとは思いますけど、何より、言ってる内容があまりにも《平板》だから、ではないかと。

人間とか、人生とか、世の中とかは、ゼロか100かではないし、決して単純明快なものでもない。努力が必ずしも報われるわけでもない。もっともっと、奥行き深く複雑微妙なものであり、その無限のグラデーションの中にこそ、キラリと光る真実があるのだと私は思いますがね。当然、人生に単純な「勝ち」だの「負け」だのもありません。

お名前の挙がっている方々は、ただただ、精神が幼いのかなぁ、と思うんです。悪いんですけど、ある意味、隣国の方々に思考の方向性が似ている。

手前勝手で饒舌で、つねに陽の当たる場所で生きてこられた割には、皆さん不満顔で「もっとよこせ」と要求がましい感じがします。ご指摘のように、「怨み」の感情が強すぎるのかな。でもそれって、要するに欲が深いってことでは…?

少なくとも、私の眼から見ますと、あまりお美しい態度には映りませんね。

2017-02-14 (Tue) 22:50 | EDIT | REPLY |   

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