「慰安婦」の次は、「朝鮮人坑夫」か? - 鄭 大均

★「慰安婦」の次は、
 「朝鮮人坑夫」か? - 鄭 大均

 一般社団法人日本戦略研究フォーラム
 平成29年(2017年)01月17日
 
http://blogos.com/article/206036/
首都大学東京名誉教授 鄭 大均

「慰安婦」問題ほど、
大きなニュースにはならないだろうが、
今年は「朝鮮人坑夫」も話題になるはずだ。

 まずは、最近韓国で刊行された児童用の絵本
尹ムニョン作
『軍艦島――恥ずかしい世界文化遺産』
(ウリ教育、2016年)にある次の記述をご覧頂きたい。

戦争を引き起こして狂気の沙汰であった日本は、
 朝鮮半島から幼い少年たちまで強制的に
 日本に連行したのです。
 …目的地も告げられずセドリ[少年の名前]が
 連れて行かれた場所は、まさに地獄の島「軍艦島」でした。
 幼い少年たちは地下千メートルにまで降りて、
 日本が戦争の資源として使う石炭を掘らなければ
 ならなかったのです。45度を超える蒸し風呂のような
 暑さの中に閉じ込めて、小さいおにぎりだけを与えて、
 毎日12時間も働かせました。

 幼い少年たちは、まさに死の恐怖の中で
 日々を耐えなければなりませんでした。
 すし詰めのような少年たちの宿には、
 大きなねずみたちが忍び込み、
 夜通し飛び跳ねる音が絶えませんでした。

 重労働の末、雑巾のようにくたくたになった
 身体に鞭打って、トンネルから出たセドリは、
 いつものように母親を呼びます。
 漆黒の海を見ても、お母さんが見え、
 夜の空を見ても、そこにお母さんが見えます。

 『お母さ~ん!』

 暗闇に向かって叫んでみても、
 うなる波が叫び声を消してしまうのです

 
「軍艦島」とは、長崎港の南西海上にある端島という
小さな島の別名である。
端島は明治から昭和にかけて海底炭坑によって栄え、
日本で最初に鉄筋コンクリートのアパートが
建てられたのはこの島だという。
朝鮮人坑夫も早くから働いていて、戦時期には
600人以上の朝鮮人労働者がいたが、
それはしかし青壮年たちであって、
絵本に登場するセドリのような朝鮮人少年が
この島にいたとしたら、
それは小学校に通う朝鮮人子弟であった


 ところで、この絵本のあるページには、
少年たちが収容される鉄格子の檻の外壁に
ハングルで「お母さん、会いたいよ」
「お腹が空いたよ!ふるさとに帰りたいよ」
と書かれている。


しかし、この落書き風の文字、よく見ると、
以前、豊洲(とよす)炭鉱朝鮮人徴用工の寮の
壁にあったという落書きにそっくりではないか。

豊洲炭鉱といえば福岡県だから、
長崎県端島に瓜二つの落書きがあるのも
おかしいし、そもそもこの島に、
少年たちを収容する鉄格子の檻など存在しなかった。


それにその落書き、
ある在日作家が1965年に発見したというが、
どうやら発見者自身の造作であったらしい
金光烈
 『足で見た筑豊 地朝鮮人炭鉱労働の記録』
 明石書店、2004年)


 こんなでたらめな「悪の国家」を創造して、
それを子供たちに読ませる。
この尹ムニョンという作家、
なんとも罪深い男と言わねばならないが、
それにしても、何故
炭坑に朝鮮人の少年坑夫が登場するのだろうか。

戦時期の日本の炭坑に
あどけない朝鮮人少年坑夫など存在しなかったことは
関係者なら、誰でも知っている。
にもかかわらず、絵本の主人公が少年になったのは、
この絵本の出た2016年という時代に関係している。

この時代は、朝鮮人慰安婦が「少女像」として
脚光を浴びていた時代であり、
「朝鮮人少年坑夫」はその、「少年版」なのだろう。

 もっと大事なことがある。
何故作者は端島なんかを舞台にして、
絵本を作ったのだろうか。

実は「軍艦島」に韓国人が関心を持ち始めたのも、
時代精神の現れである。
端島は20世紀初頭に水力発電から電力に
切り替えて採炭を行った海底炭坑で、
最盛期には5267人が住み、
日本で最も人口密度の高い地域とも言われた。
しかし、この島は1974年の閉山後、無人島となり、
一部の関係者以外からは忘れ去られていたのだが、
2015年5月、UNESCOの諮問機関ICOMOS
(国際記念物遺跡会議)が端島を含む
幕末から明治期の重工業施設を中心とした
「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産に登録
するよう勧告すると、
韓国は官民を挙げてその阻止に動き始める

端島が「軍艦島」という名で有名になり、
児童のための絵本まで登場するようになったのは
そのような経緯によるものである。

 そしてこの端島、2017年には
更に有名になることは間違いない。
遺産登録に反対する韓国に譲歩して、
日本政府が強制労働を認め、
その事実を世界に知らせるパンフレットや
教育プログラムの運営などを約束したためで

その報告書の提出が
今年末までとされているからだ。

 しかし実はその前に、
この島は、韓国で大いに話題になり、
最近モヤモヤすることの多い韓国人に
カタルシスを与えてくれること間違いない。
映画監督・柳昇完がこの端島を舞台に、
徴用された朝鮮人坑夫400人が
命をかけて脱出を敢行するという
荒唐無稽なファンタジー『軍艦島』
公開予定があるからだ。

(引用ここまで) 







>これ日本のマスコミも拡散してきたが、
 朝鮮総連系の捏造だった。


★金光烈(キンコウレツ)
 http://books.rakuten.co.jp/rb/1640489/
1927年韓国慶尚北道生まれ。1943年渡日。
1955年立命館大学経済学部経済学科卒業。
1958年福岡市立千代小学校教員、
以後小中高校で教育活動

1969年以降、筑豊地方を中心に、同胞の消え行く
歴史の調査、掘り起こし、記録と紹介、
講演、現地案内活動等。
2003年現在、「青丘歴史文化研究会」代表、
国際交流団体「福間・慶州文化親善交流会」会長、
公民館講座「ハングル講座」講師、
福間町生涯学習「郷育推進会議」委員、
福間町生涯学習「郷育ガレッジ」講師
(本データはこの書籍が刊行された当時に
 掲載されていたものです)

昭和2年に韓国慶尚北道に生まれ、
昭和18年(1943年)16歳で渡日。
朝鮮人の戦時徴用は1944〜45年
昭和20年(1945年)に終戦
昭和30年(1955年)、28歳で立命館大学を卒業。
当時の立命館大学の学費
 r20141015-4.jpg
http://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=63
この他に、角帽は600円、学生服は6,000円

1954年(昭和29年)教員の初任給7800円
1955年(昭和30年) 白米10kg 845円
大工の手間賃(1日)730円だそうです。
http://chigasakiws.web.fc2.com/

因みに、昭和30年の4年制大学進学率は
男子13.1% 女性2.4% 男女進学率7.9%
http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kyoken/data/13.pdf
3年後に福岡市立千代小学校教員に就職。



★朝鮮通信使と津屋崎
 http://blog.goo.ne.jp/magpie03/e/2e855140076a1a16ee8888677ce1725b
福津市津屋崎1丁目の津屋崎海水浴場の
東外れば歩いとったら、『朝鮮通信使』の石碑
(略)
2009年3月11日に設置されとる。
玄界灘に浮かぶ福岡県新宮町の相島が、
朝鮮通信使との交流の島だという歴史を
伝えたいのなら、相島に設置するのが当然だな。
相島にではなく、
なぜ津屋崎に設置するのか説明はない。
(略)
石碑は御影石製で、縦約80㌢、横約160㌢、
高さ約60㌢。
『福津・慶州文化親善交流協会』(金光烈会長が、
二千七年の『朝鮮通信使四百周年』に当たり
約110万円で制作
設置場所は福津市の許可を得たとされとる。
(引用ここまで)




朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報の
日本のサヨク学者の台詞とソックリな記事

★〈本の紹介〉金光烈著
 「内鮮融和」美談の真実
 ー戦時期筑豊・貝島炭礦
 朝鮮人強制労働の実態」

 2013.04.26
 http://chosonsinbo.com/jp/2013/04/0426ib/
歴史の事実から目を背けるな

齢86の金光烈さんの著書、
「内鮮融和」美談の真実―戦時期筑豊・
 貝島炭礦朝鮮人強制労働の実態―が
緑蔭書房から出版された。

心血を注いだ著者渾身の労作である。
(中略)
(朝鮮)解放前、大之浦炭礦には
悪名高い麻生炭鉱と共に、群を抜いて
多くの朝鮮人が強制動員され強制労働を
強いられていた。
この文書が世に出るまで大之浦炭礦は
「温情主義」、「内鮮融和」を社是として
特に朝鮮人には気を配って温情を施していた
炭礦と見られてきた。

だが「内鮮融和」の本質は、
朝鮮人の「内地化」、「日本人化」、「皇民化」、
すなわち朝鮮人の同化にあった。
貝島炭礦に言いくるめられ、飼いならされた
その一部の朝鮮人が、
朝鮮人の「内地化」に功績があったとして
俵口和一郎(貝島大之浦第八坑主任)に
「頌徳碑」を、温情を施してくれたとして
会社に「謝恩碑」を建立した。

虐げられていた朝鮮人が坑長に「頌徳碑」、
炭鉱会社に「謝恩碑」を建立したことは
聞いたことがない

(中略)
冒頭、本書が「出版された」とした。
それはひとえに、
立教大学の山田昭次名誉教授
大谷大学の故鄭早苗教授たちの
尽力があったからである。

最近、「戦後五十年国会決議」に反対する輩が
総結集し始め、日本人の歴史認識を自虐史観と
罵倒する連中が跋扈している。
結果、日本(人読者)が右傾化して、
こうした本は売れなくなっている。

(引用ここまで)




立教大学の山田昭次名誉教授といえば

2006年4月25日の
在日本韓国YMCA100周年を応援したり
http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/100/100sandounin.htm

2009年6月には
「抵抗の灯は消せない!
 新たな『皇民化教育』にどう立ち向かうか?」

(主催 河原井さん根津さんらの
 「君が代」解雇をさせない会)という集会で
yamada1bb723a3fa2e637a0bea09936ad0bc0a.jpg
関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する講演
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/314791c34195584e757366e4bd394d14

2012年8月15日には、反天連のデモ
『排外主義と天皇制を問う 8.15反「靖国」行動』の
デモ前集会に、在日本韓国YMCA会館9Fで
「日本の加害性の認識が政府には足りない」
「村山・河野談話はむしろ生ぬるく、
 加害責任をボカしているという点において評価できぬ」
「天皇制国家(封建的な搾取王朝である、という解釈)
 の加害性を再認識せよ」

という講演をしたり

http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/20120816/1345107476



朝日新聞国際報道部・守真弓記者


★アサヒる(-@∀@)守真弓記者
 反日はどこからくるの
 http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/43412871.html

 


朝日新聞編集委員・北野 隆一氏




★筑豊の炭鉱史跡と朝鮮人追悼碑
 http://www.pacohama.sakura.ne.jp/kyosei/tikuhou.html
田川市石炭資料館の近くの旧炭車修理工場跡の
丘に韓国人徴用犠牲者慰霊碑がある。
この碑は在日韓国民団田川支部
韓国人徴用犠牲者慰霊碑建立委員会によって
一九八八年四月に建てられたものである。
(中略)
田川市の川宮にある法光寺にも
「朝鮮人炭坑殉職者の碑」がある。
この碑は一九七五年に寺、檀家、
朝鮮総連田川支部によって建てられたものである。




★朝対委と挺対協 
 韓国治安機関幹部
 「92年に南北政府が約束してから」

 続・慰安婦騒動を考える 2017/01/08
 http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2017/01/92.html
朝対委と挺対協の繋がりに関する産経新聞の
加藤達也記者のレポート。
加藤記者は、韓国の治安機関の幹部から
1992年の南北首相級会談で
北朝鮮と韓国政府が慰安婦問題で共闘する
ことに合意した

(記事の書き方が分かりにくく、
 北朝鮮と挺対協が話し合ったという風にも読めるが)
という証言を得た。
後に2000年の女性国際戦犯法廷で両国の代表団が
協力することになるが、それに先立つこと8年である。

韓国政府と北朝鮮政府が共闘に合意した後、
その年の内に東京で朝対委と挺対協が初めて合流した
という
日本の市民グループが南北の活動家の
仲介役を果たした
というのは、
これまでにも指摘されている)。

「韓国当局が朝対委を
 『朝鮮労働党統一戦線部(当時)の偽装部署である
 と断定していたにもかかわらず、
 活動の勢いが止められない」


(続きはリンク先で)




★未来への責任(130)
 戦後補償解決済みは通用しない

 2013年07月19日発行 1289号
 http://www.mdsweb.jp/doc/1289/1289_06m.html
6月22日福岡県久留米市で、
韓国の強制動員被害者遺族の
崔洛勛(チェ・ナッ クン)さんと
太平洋戦争被害者補償推進協議会の
李熙子(イ・ヒジャ)さんを迎え
証言集会が開かれた。
太平洋戦争 が終わって68年、朝鮮半島から
強制動員された犠牲者の遺族は
何の補償もないまま放置されてきた。
(中略)
調査をしてきた角南圭祐さんが報告した。
手がかりは写真の表に記された「第一共和訓練隊員」と
記念撮影の日付 け、後ろの建物。
朝鮮人強制連行に詳しい横川輝雄さん、林えいだいさん、
金光烈(キム・グヮンニョル)さん
地元のお年寄りに聞いて回った。
確かなことは見つからないが、
新たな予測は生まれた。

(中略)
グングン裁判の要求実現を支援する会 木村章子




★なぜ90年代に
 慰安婦問題が出てきたのか

 池田信夫blog 2014年08月21日
 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51909041.html




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いつもの西早稲田の在日キリスト教会ですね。
http://gaikikyo.jp/modules/pico5/index.php?content_id=16
<2日目(8月2日)>
●田川市石炭歴史博物館
 朝、在日大韓小倉教会の朱文洪(チュ・ムンホン)牧師、川本良明牧師の運転する車にそれぞれ分乗し、北九州・筑豊炭鉱跡地域の現場研修へと出かけた。最初に訪問したのは、田川市石炭歴史博物館である。館内の展示を見た後、敷地内の端に位置する韓国人徴用犠牲者慰霊碑で黙祷を捧げた。案内役を担われた川本牧師が自身の経験から語ってくださった話が大変に印象深かった。

●日向墓地
 次に向かったのは、強制連行され、筑豊炭鉱で鉱夫として働いた朝鮮人の遺骨の眠る日向墓地であった。隣に位置する日本人のペットの墓よりもずっと小さく「みすぼらしい」墓石が並んでいる。筑豊の問題に長らく取り組み続けた犬養光博牧師が繰り返し語っていた「死人権」、つまり「死んだ者の権利」という問題が印象的であった。大変な無念さの中で死んでいった人びとから、現在を問われているような気がした。

●小田山墓地
 そのあと参加者は、小田山墓地へと向かった。1945年9月、日本の敗戦と同時に訪れた解放の中、故郷である朝鮮へ帰ろうと乗り込んだ船が台風によって沈没し命を落とした多くの朝鮮人が眠っている墓地である。そこには若松の海岸に流れ着いた約80体の遺体が埋葬されている。無窮花(ムグンファ)の木が新たに植えられていた。墓地に添えられている碑文には、強制連行された人びとが亡くなったにもかかわらず、謝罪の言葉は入っていない。

●永生園
 小田山墓地から向かったのは、門司の城山霊園内に位置する永生園である。強制連行されたまま亡くなった名もなき朝鮮人の遺骨も安置されている。遺骨収集の取り組みによって、家族のもとに帰っていた遺骨もあるが、依然として永生園に眠り続けている遺骨も多い。在日大韓小倉教会の金貞子(キム・チョンジャ)長老が案内をしてくださった。黙祷を捧げ、永生園を後にした。
プロフィール

あや

  • Author:あや
  • 韓流に嵌った母と義母の為に
    韓国情報を調べていたら・・・
    韓流ブームに仕掛けられた
    怪しい罠に気付いてしまった。
    韓流の闇と、利権や陰謀
    仕掛け人を徹底研究!
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