西日本新聞「金嬉老事件は在日コリアンの差別の象徴だった」

★見つめ直す「差別と人権」
 西日本新聞 2016年12月25日 10時30分
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/editorialist/article/297831
 シニア世代の多くの人に、
鮮烈な記憶を残した在日コリアンがいる。

 金嬉老(キムヒロ)元受刑者(故人)である。
日本語読みで「きん・きろう」といった方が通りがいい。
1968年、ライフルを手に静岡県の旅館に
人質を取って籠城した人物だ。


 要求は一つだった。
街中で在日の人々に差別発言を放った警察官の謝罪である。

 彼の幼少時からの差別体験
現場からテレビ中継を通じて全国に伝えられた。
言語道断の事件であることは前提に
在日コリアンの人権意識を覚醒させた出来事として
歴史に刻まれている。

 在日運動家たちは、当時活発になっていた
部落解放運動にも大きな影響を受けていた。
在日コリアン人権協会の創設者は
「私たちにはそれまで、
 差別と闘うという概念がなかった」と言う。
被差別部落の人々は
大正時代に始めた差別との闘いから、
「人間の尊厳」を取り戻す運動を
在日の人々に伝授していった。

 差別される側に共通するのは
「初めはなぜ差別をされるのか分からなかった」
という事実である。
極貧生活で識字率が低い時代があった。
歴史を学び、差別の不条理を知ったとき、
初めて立ち上がることができる。
私が知る障害者団体も彼らの運動に学び、
「共に生きる社会」の実現を強く訴えた。

 運動はときに
「激しく行き過ぎ」と社会の批判を浴びた。

当事者は折に触れ反省した。
金嬉老事件は論外としても
多少手荒な訴えをしなければ苦境は理解されなかった
事情も見逃せない。

運動は外国人登録証への指紋押なつ全廃や
公共施設のバリアフリー化など大きな成果を上げた。

 にもかかわらず
今年は新たにヘイトスピーチ(憎悪表現)対策法、
部落差別解消推進法、障害者差別解消法が施行された。
人権を守る社会は成熟してはいなかったのか。

 「現代」を一皮めくればインターネット上などで
差別言動がはびこっている。
「差別と人権」にこだわってきた
記者の一人として自戒した1年である。


=2016/12/25付 西日本新聞朝刊=


★金嬉老事件
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AC%89%E8%80%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6


★金嬉老事件
 http://yabusaka.moo.jp/kimuhiro.htm


★金嬉老事件(下) 
 韓国送還後に殺人未遂事件

 http://www.sankei.com/region/news/151209/rgn1512090066-n1.html


★寸又峡温泉にいってみた
 http://iyasaaca.exblog.jp/8034970/


★また曹渓宗か・・
 http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/46994289.html


★まだ金嬉老を持ち出す韓国
 シンシアリーのブログ 2014-03-31
 http://ameblo.jp/sincerelee/entry-11809025507.html




この記事を書いた
西日本新聞の記者は何歳なのかな?
この事件を知らない世代が増えたからって
金嬉老事件を持ち出すのは、逆効果じゃないかな。

私が子供の頃に地元で起きた事件・・・
この事件を取り上げる度に
リアルタイムで事件をTVで観てきた父は、
「自分の犯罪を正当化する為に
 ”差別”を利用しているだけじゃないか!」

と、よく怒っていた。

金嬉老、本名は権嬉老である。
金姓は、彼の母親の再婚相手の姓
権嬉老は、金嬉老の名前の他に7つの名前を使用し
戦後は。
彼に殺されたうちの一人は、まだ18歳だった。

権嬉老は、金嬉老の名前の他に7つの名前を使用。
15歳で窃盗で捕まり、少年院で終戦を迎えた。
戦後は窃盗、詐欺、強盗などを繰り替えし、
行ってもいないのに
”この頃、特攻隊の制服で、
 白い絹のマフラーを巻いて歩き回っていたという。”

殺人、籠城事件を犯すまでに前科7犯、
20年間の内15年以上刑務所暮らし・・・。


”事件前、金は手形を担保にして知人から
 18万円を借金した。この借金は中古車で弁償したが、
 手形は金の元には戻らず、ある暴力団幹部の
 手に渡った。これは射殺されたSのことである。
 これ以後、金はSから脅され続けた。
 まずSたちは手形をたてに、金から35万円を取り立て
 ようと図る。金は九州~青森を逃げ回ったが、
 横浜にいるところをS一派に発見される。
 そこで金はSに「返済」を約束し、
 8月20日に「みんくす」でおちあうことにした。

 事件当日、まずSと他2人が「みんくす」に到着、
 続いて金も訪れた。金はここでSに
 「朝公がちょうたれたことをこくな」と罵られ、
 そのSと子分Oの2人をライフル銃で撃ったのである。”



★「初の劇場型犯罪」金嬉老事件、
 現場はいま 寸又峡温

 朝日新聞 大内悟史 2016年1月13日
 http://www.asahi.com/articles/ASHDX5FDPHDXUTPB00M.html
(引用開始)
籠城中には、記者会見やテレビへの電話出演もした。
警察官の朝鮮人差別を告発するために
 事件を起こした
などと主張し、
生い立ちを語った。
事件は同時進行で報道され、
「日本初の劇場型犯罪」とも言われる。
5日目の午後、記者団に紛れた捜査員がとびかかり、
金は逮捕された。

■「事件で有名になったのは事実」

 当時大学生だった在日本大韓民国民団
県地方本部議長の金勇(67)は、
県内に里帰りしていた時にテレビでヘリコプターからの
現場映像を見て、驚いた。
県内の民団幹部は寸又峡で金を説得したが、
事件後は多くを語らなかったという。
差別されている在日の気持ちを代弁してくれた
 という声も一部にあった。
 ただ、犯罪という形で主張したり
 正当化したりするのを擁護はできない
と話す。
 
(引用ここまで)




差別を利用したのは金嬉老本人だけでなく
一部の在日コリアンの人々と、日本の左翼活動家。
日高六郎(東大教授)、伊藤成彦(中大助教授)、
鈴木道彦(一橋助教授)、金達寿(作家)、角南俊輔(弁護士)、
斉藤浩二(弁護士)、山根二郎(弁護士)などの
いわゆる「良心的文化人」達。



★金嬉老と在日差別
 http://www.tamanegiya.com/kako/kinnkirou19.9.12.html
金嬉老の籠る静岡県寸又峡の「ふじみ屋旅館」まで
応援にのこのこと出かけていったのは、
伊藤成彦、金達寿、角南俊輔、斉藤浩二、山根二郎の
諸氏だったようです。

 金嬉老と会い、その発言にころっと騙されて、
泣いたバカもいたそうです。

 学生運動については金嬉老の
「警官と戦う学生の心の中に
 ダイヤモンドを見つけました」

という言葉に感激した伊藤成彦氏は
「いや、私は、金さん、
 あなたの心の中にダイヤモンドを見つけました

という言葉を吐いたそうです。

「曽我(注=金嬉老が清水で殺した相手)が、
 私の家に踏み込んで私をなぐり、
 アサ公とののしった時、
 私は心の中ですでに彼を殺していました」

「私は十五歳のときから、警察が自分の家となりました。
 しかし、その家はあまり住み心地のいい家では
 ありませんでした」


これらの言葉は、普通の人が聞けば、
「寝ぼけたこと、アホ言っとるな。
 お前がみんな悪いんだろうに」となるのに、
伊藤成彦氏は「あなたは立派な文学者だ
と叫んだそうです。


 このバカどもは、下記の金嬉老の母親、
朴得淑さんの言葉をどう聞くのであろうか。

「あれは、ふだん朝鮮人といわれても
 ハラは立てないが、ムシの居所が悪いと、
 カッとくるね。それだけの話よ。
 だけど、息子は、捕われになっても、
 まだ生きてるからいい。
 しかし、あれが殺した二人の遺族を思うと、
 私、何もいえない。私は息子にいいたかった。
 死ぬのなら早く死ねばよかった」

(引用ここまで)




中核派の機関紙「かけはし」には当時の様子を
★日韓連帯闘争の契機の
 ひとつだった金嬉老事件
 
 かけはし98.9.27号より
 http://www.jrcl.net/web/framek32.html
(引用開始)
日本の運動への大きな衝撃

 当時、この事件は大きな衝撃をもって受け取られた。
ある刑事の「てめえら、朝公(あさこう)がなんだ~」
と暴言をはいたのを謝罪しろというのが
金嬉老さんの要求の一つであった。
その刑事と県警本部長がNHKテレビを通じて謝罪した。
長い間、差別を受けてきた在日朝鮮人にしてみれば、
「胸がスーッとした」「よく言ってくれた」と
声援を送る声が多かった。
金達寿(作家)さんや岡村昭彦(ピューリツアー賞を
もらった報道写真家)さんが被告の特別補佐人として
認められ裁判が進められた


 日本人の中でも、金嬉老さんの訴えを
どう日本人の立場で考えていくのかということで、
公判対策委員会などが作られた。
さらに、旧来の日朝友好運動から、入管体制を
問題にする新たな日韓連帯運動も起きていった。

そして、
当時の華僑青年闘争委員会という
在日中国人青年の急進的運動とも
連携していくようになった。


 それから、反戦自衛官小西誠さんの決起もあり、
全国反戦・東京入管闘・関東叛軍と3つの戦線
共闘して首都の闘争を組むようになっていった。
70年7・7の華青闘の糾弾(日本人を主体とする集会の
つくり方への批判)もあり、日本の歴史の見直し、
主体的な運動の総括などが急進的諸党派にせまられた。
 この当時、東京入管闘の中で、華青闘の糾弾
最も真摯に応えようとしたのは第四インターと中核派であった。
第四インターはベトナム革命と合流する
極東解放革命(韓国における反独裁革命と
北朝鮮における反官僚政治革命としての統一朝鮮革命と
沖縄・日本の反帝社会主義革命を結合する)戦略を提起し、
華青闘の糾弾には被抑圧民族無条件防衛の立場を
明らかにした。


(続きはリンク先で)




金嬉老事件を利用した左翼過激派達が、
ベトナム革命と合流する極東解放革命
(韓国における反独裁革命と北朝鮮における
反官僚政治革命としての統一朝鮮革命
沖縄・日本の反帝社会主義革命を結合する戦略・・・

今も昔も変わらない過激派の夢見る「革命」
その目的のためには、
犯罪者さえも祭り上げて利用する。

父が生前、よく言っていた言葉。
「もしも、金嬉老が日本人だったら・・・
 アイツ等(マスコミ)は、犯人に同情なんかせず
 殺人鬼だの極悪犯だの報道したんだろうになあ、
 ご都合主義の連中だよ。」









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不謹慎極まりない記事ですよね 流石サヨク新聞紙 自分たち以外はみな悪の精神が如実に現れてますね 本当に変わりませんね差別の皮をかぶるのは

金嬉老は在日のxxの象徴だった。

金嬉老事件は在日の本性の象徴だった。

>長い間、差別を受けてきた在日朝鮮人にしてみれば、「胸がスーッとした」「よく言ってくれた」と声援を送る声が多かった。

いち日本人としては、
人殺しの振る舞いと、思いつきの自己正当化のセリフに溜飲を下げる在日コリアンの本性を見た思いです。

もちろん、そうでない在日もいたでしょうけどね。私としては、とても相殺はしがたいです。死者が出ているんですから。
そして、特定の思想の人たちが、金嬉老が在日の差別の象徴だと位置付けるようなら、(新聞記者がそういうニュアンスで報道するのなら)その後、殺人事件を犯した在日も誇らしく放送すればいいことです。
要は、「金嬉老事件」をアイコン化して、日本人の首につきつける匕首にしていると思います。
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  • 韓流に嵌った母と義母の為に
    韓国情報を調べていたら・・・
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    怪しい罠に気付いてしまった。
    韓流の闇と、利権や陰謀
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