熱海「貫一お宮像」にフェミ圧力で「暴力肯定・助長の意図なし」プレート。煽るテレ朝のマッチポンプ

★熱海「貫一お宮像」に
 「暴力肯定・助長の意図なし」プレート

 NEWSポストセブン 2016年11月18日 7時0分
 
http://news.livedoor.com/article/detail/12298785/
「来年の今月今夜、
 この月を僕の涙で曇らせてみせる」

舞台やドラマでお馴染みのこのセリフ。
言わずと知れた『金色夜叉』の名シーンだ。
作品の舞台である静岡県熱海市の海岸には
その場面を再現した主人公・貫一と許嫁だった
お宮の銅像があり、観光名所となっている。
最近、この銅像に異変が起きた。
フリーライターの清水典之氏が報告する。

 * * *
観光地・熱海を象徴する存在とも言える貫一お宮の像に、
今年3月、1枚の金属プレートが設置された。
この縦10cm×横40cmという、
小さなプレートが物議を醸している。

 そこには日本語と英語で、
「物語を忠実に再現したもので、
 決して暴力を肯定したり助長するものではありません」
と書かれている。

貫一がお宮を足蹴にするシーンを銅像で再現した
ことについて、“弁解”しているのだ。


 それが『金色夜叉』の名場面(*)
と知る者からすれば、
違和感を持つのが普通である。
30年以上前(1985年)に建立された像に、
なぜ今さらこんな弁解が必要になったのか。

【*『金色夜叉』の主人公・間貫一は貧乏学生だった。
 許嫁だった鴫沢宮(お宮)はある時、
 大富豪に見初められ貫一と別れることに。
 お宮の旅先である熱海まで追いかけ、問い詰める貫一。
 貫一は、「来年の今月今夜、この月を僕の涙で
 曇らせてみせる」
 「月が曇ったなら、何処かでお前を恨んで、
 今夜のように泣いていると思ってくれ」と言い、
 許しを請うお宮を足蹴にして去る。
 物語の山場であるその場面を再現したのが
 「貫一お宮の像」である。】

 今年9月2日放送の
「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日)が
この問題を取り上げた。

番組では、熱海市が東京五輪を見据え、
外国人観光客に女性蔑視と受け取られないよう、
理解を求めるために設置したと説明。

 それに対し、
出演者の一人でコメンテーターの玉川徹氏は、
『日本も100年前は男性がこうやって
 女性に暴力を振るうような国でした』って
 入れればいいんじゃないですか
と語った。
さらに、
日本在住54年のC・W・ニコル氏のコメントとして、
男性が女性を蹴ることは許せない。
 たとえ、文学作品の一部だとしても許せない。
 撤去したほうがいい
という、
極端とも思える意見も伝えていた。

 しかし、こうした意見を受け入れると、
スペイン内戦を描いたピカソの「ゲルニカ」を展示するには、
「この作品は戦争を助長するものではありません。
 昔はこうして殺し合うのが当たり前でした」
などという注釈が必要になる。
女性が殺人の被害者になるようなテレビドラマも、
女性への虐待を助長するとして、放送禁止である。


◆市長宛てに「恥ずかしい」と強い抗議

 改めて、プレート設置の経緯を知るため、
熱海市の担当部署を訪ねた。

「数年前からメールや手紙で
 『(貫一お宮の像が)女性への暴力を容認している
  と誤解を招くのでは』といったご意見が複数寄せられ、
 市議会議員からも外国人観光客への対応について
 指摘されました。

 そうした中に、ある女性の大学教授から
 市長宛ての強い抗議のメールがあった。
 『こんな像があったら、
  恥ずかしくて熱海には外国からの
  お客様を連れて行けない』

 という内容で、それが直接のきっかけになった
 と思います。
 そうは言っても像は熱海の財産で、
 市民も慣れ親しんでいる。撤去するとなれば
 別の大きな問題になります。
 説明のプレートを設けるのが、市ができる
 ギリギリのラインでした」

 (都市整備課公園緑地室)

 熱海市では毎年、貫一が涙で月を曇らせる
“今月今夜”の1月17日に、原作者の尾崎紅葉を偲ぶ
「紅葉祭」を開催し、熱海芸妓組合の芸者らが
名場面の寸劇を披露しているという。
多くの熱海市民は『金色夜叉』の舞台であることを
誇りに思っているのだ。

 熱海市の担当者によれば、
女性蔑視の像だと抗議をしてきたのはみな日本人で
外国人からの抗議はこれまで1件もないという。


 貫一お宮の像の観光ガイドで、毎日のように
外国人観光客と接している観光ボランティアの
田中明博氏に外国人の反応を聞いた。

「像に立ち寄る外国人観光客は
 台湾や中国からのお客さんがほとんどです。
 像の説明をすると皆さん納得されますし
 ポーズを真似て記念写真を撮ることも多い。
 カップルの場合、
 だいたい8割は女性が男性を足蹴にしています(笑)。
 問題視した人は今まで誰もいません。
 (プレート設置を取り上げた)番組は見ていませんが、
 実情も知らずに無責任なことを
 言っていたんじゃないでしょうか」


「外国人ならこう思うに違いない」
と勝手に忖度した日本人が騒ぐという、
よくある構図が透けて見える。



◆銅像は日本人に愛された証し

 そもそも『金色夜叉』は、1897年(明治30年)から
読売新聞で連載され、当時から非常に人気が高かった
作品だ。「前編」「中編」「後編」「続金色夜叉」「続続金色夜叉」
「新続金色夜叉」と6編まで続き、
書籍も大ベストセラーになった。
作者の尾崎紅葉が執筆中に35歳の若さで急逝したため
未完に終わったが、昭和に入ってからも繰り返し
舞台化・映画化されている。

 風俗史家の下川耿史氏はこう話す。

「明治時代から日本にはびこり始めた
 拝金主義に対するアンチテーゼを描いた作品で、
 作中のシーンが銅像になったこと自体が、
 日本人に愛された証しと言えます。
 それを撤去しろとはいかがなものか」


また、こうした圧力は別の面からも問題がある。
女性の人権を守れと言いながら、表現や言論の自由を
弾圧しているに等しく、批判している人々に
そうした自覚はあるのだろうか。


 貫一お宮の像が「女性蔑視」に見える人には、
『金色夜叉』の一読をぜひお勧めしたい。


【PROFILE】清水典之/しみず・みちゆき。
1966年愛知県生まれ。大阪大学工学部造船学科卒業。
1991年よりフリーランス。
著書に『「脱・石油社会」日本は逆襲する』(光文社刊)。

※SAPIO2016年12月号


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テレ朝「羽鳥慎一モーニングショー」(2016/9/2)
意外 熱海名所「貫一お宮像」男尊女卑?
外国人見た ここが変
 

静岡県熱海市は街のシンボル「寛一お宮像」に
外国人に理解してもらうための英語の解説文を設置。

英語の説明文
「2人の心のすれ違い、愛情、悲しみが詰まった
 象徴的な場面であるため、
 物語を忠実に再現視したもので、
 決して暴力を肯定したり助長したりするものではありません





★金色夜叉 あらすじ
 http://shakaigaku.exblog.jp/22161747/


★カンタンに読める!
 現代版金色夜叉

 http://konjiki.choice8989.info/
■固く古めかしい文体をカンタンに

金色夜叉は雅俗折衷文という文体で書かれています。
地の文は文語体で、会話文は口語体で記されており
これが華麗な世界観を形成しています。
しかし、古文のようで難解な言い回しが多いため、
原文をちょっと読んでみたけどちんぷんかんぷんに
なってしまい、読むのを放棄する人が多いようです。


■裏切られた男の復讐劇

間貫一(はざまかんいち)とお宮(おみや・
鴫沢宮・しぎさわみや)は許婚であったが、
結婚間際になってお宮は突如
資産家の富山唯継(とみやまただつぐ)に嫁ぐ。
怒る貫一はお宮を問い質すものの、
お宮ははっきりとした理由を言わず、貫一は逆上する。
復讐を誓った貫一は高利貸しになり、
お宮に近づくのだが…

■将来の婿・貫一
 http://konjiki.choice8989.info/main/zempen3.html

■測らざる意識の差
また、お宮も貫一のことを悪く思ってはいなかった。
とはいえ、おそらく貫一がお宮を慕う気持ちの
半分もなかったであろう。
彼女は自分が美人であることをよく知っていた。
世間の女性で自分の器量を知らない女なんていない。
知り過ぎるくらいに知っているので悩むのである。
それゆえ、お宮は自分の美貌がどれほどの
価値なのかも、ちゃんと判っていた。
自身の美貌からすれば、小金持ちに毛が生えた
程度の資産を相続して、そのへんに転がっている程度の
大学院卒を夫にする程度では、釣り合いが取れない。
全然満足できやしないのだ。

(中略)
才覚さえあれば男が立身出世することは
思いのままである。
同様に女は、色気をもって富を得ることができる
と彼女は信じていたのだ。

そして彼女は色気で富を得た人たちの何人かを
見たが、その容貌は自分ほどではないことも
把握していた。
なんたって、お宮は行く先々で美貌を称えられる
くらいの美しさだったのだから。
(中略)
彼女はここに来て初めて、自身の美しさが
少なくとも高級官僚以上の地位ある男性を
夫にするに値する
と確信を得たのである。


もしもあの教授と結婚していたら、あるいは四十歳の
院長と一緒になっていたら、
彼女の栄誉ある地位は、大学院卒を婿にして
鴫沢家の跡継ぎをするレベルのものではないだろう。

一旦胸に宿った希望は年々大きくなり、
彼女は昼でも始終夢を見ていた。
今にも貴い人か裕福な人か、はたまた名のある人が
自分を見つけ出して、玉の輿を担いで迎えに来てくれる
であろう天命が、必ずやって来ることを信じて
疑いもしなかったのである。


お宮がそこまで貫一を深く慕っていなかったのは、
全てはこういうことなのだ。
それでも決して彼を嫌っていたわけではない。
彼と一緒にいれば、さすがに楽しいなとは思っていた。
このように決定的に存在するようでいて、
薄らぼんやりあるのかないのかはっきりしない
幸運を望みながら、お宮は貫一に愛情を持っていた。
そして貫一は、お宮が自分を愛する以外に
誰のことも想っていないのだと思い込んでいたのだ。

(引用ここまで)


■貫一の純真、お宮の不純
 http://konjiki.choice8989.info/main/zempen5_2.html

■二人目の男
 http://konjiki.choice8989.info/main/zempen7_3.html

■貫一の詰問
 http://konjiki.choice8989.info/main/zempen8.html

■今月今夜のこの月を
 http://konjiki.choice8989.info/main/zempen8_2.html

■別れ
 http://konjiki.choice8989.info/main/zempen8_3.html




作品の全てを読めば
自分の美貌を利用して玉の輿に乗り
栄誉を掴みたい野心と貫一の純愛に揺れる鴫沢宮と
育てて貰った恩に報いようと必死で勉学に励み
鴫沢家を継ぎ、許嫁のお宮を幸せにしようと
一心に愛情を注ぐ純粋無垢な間貫一の関係があって
熱海での、狂おしい愛憎劇に向かうのだよ。

この激しい愛憎の修羅場があってこそ、
宮の計画である「愛のない結婚」を敢えて選んだ意味と
愛しき女性を失う憤(いかり)に贖いながら恨んでしまう
男と女の狂おしい情念と、熱海の
”渺々たる海の端の白く頽(くづ)れて波と
 打寄せたる、艶にあはれを尽せる風情”

という耽美な表現が活きてくるのだ。

紅葉が未完のまま35歳の若さで夭折してしまったから
宮が「遺(いひのこ)した事」を貫一に打ち明ける事も出来ず
貫一は「裏切られた」と苦しんだまま、作者は亡くなり
二人の想いはすれ違ったまま、永遠に時が止まってしまう
それはそれで、本当の悲劇なのだ。

このシーンで、宮が貫一に縋りつきながらも
理由も語らずに・・・嫁いだ後の貫一を心配する態度に
貫一の戸惑いと憎悪と狂気が頂点に達してしまう悲劇。
でも、愛情を捨て切れない貫一は
蹴り飛ばして転がった宮の足から流れ出る血を見て
「怪我をしたのか・・・」と心配してしまう。
そんな男心に、尚も、話があるから一緒に来てと
貫一の足に縋りつきながら嗚咽する宮。
悩んだ挙句の、宮の計画を話せぬまま
今度こそ、今度こその、決別。
宮を振り払って、大学も辞め何もかも捨てて出奔する。

優しく純粋で勤勉な男が、愛と金を天秤にかけた女に
翻弄され、裏切られ、苦しみ、嘆き、人生を狂わされ、
拝金主義のシンボル、悪魔の「高利貸」となって復讐の鬼となる、
これぞ、金色夜叉!

熱海の夜のシーンは
その重大なとなる愛の不条理に狂う心理描写。

これに対して
テレビ朝日の玉川徹氏は、
「『日本も100年前は男性がこうやって
 女性に暴力を振るうような国でした』って
 入れればいいんじゃないですか」


C・W・ニコル氏は、
「男性が女性を蹴ることは許せない。
 たとえ、文学作品の一部だとしても許せない。」


どこぞの女性大学教授は
『こんな像があったら、
 恥ずかしくて熱海には外国からの
 お客様を連れて行けない』


これこそ、ポリコレ棒振り回し!

熱海市は
「物語を忠実に再現したもので、
 決して暴力を肯定したり助長するものではありません」

ではなく、尾崎紅葉が訴えたかった
愚かなる拝金主義へのアンチテーゼをきちんと説明してから
足蹴にするまでに至った男の葛藤を説明すれば?
男性が女性を蹴ることを良しとしない事は
貫一自身が、一番分かっていての事なのだから。
亡き父の、
いやしくも武家の家柄の生まれなのだから
貧しい我が身はともかく、息子・貫一こそは
世間に侮られるようではならないという父の遺志と
父に恩を受けたからと、15歳の孤児・寛一を引き取って
大事に育ててくれた鴫沢家の夫妻に
一生かけてその恩に報いようと
懸命に勉学に勤しんだ、真面目な貫一だったのだから。

こうした文学表現にまで、「正義のフェミニズム」
ポリコレ棒を振りかざして女性蔑視の像だから
「撤去せよ」とはねぇ・・・
しかも
『こんな像があったら、
 恥ずかしくて熱海には外国からの
 お客様を連れて行けない』

という抗議って・・・・
これが大学教授とは、情けないったらありゃしない。



それにしても、
『金色夜叉』現代語訳では味気ないなぁ。
という事で、雅俗折衷文をお楽しみください。


★金色夜叉
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000091/files/522_19603.html
彼は危きを拯はんとする如く犇と宮に取着きて
匂滴るる頸元に沸ゆる涙を濺つつ、蘆の枯葉の風に
揉るるやうに身を顫はせり。
宮も離れじと抱緊めて諸共に顫つつ、
貫一が臂を咬かみて咽泣に泣けり。
「嗚呼、私はどうしたら可からう! 
 若し私が彼方へ嫁いつたら、
 貫一さんはどうするの、それを聞かして下さいな」
木を裂く如く貫一は宮を突放して、
「それぢや断然お前は嫁く気だね! 
 これまでに僕が言つても聴いてくれんのだね。
 ちええ、膓の腐つた女! 姦婦!!」

その声とともに貫一は脚を挙げて宮の弱腰を
はたと蹴たり。

※原文は(「足へん+易」の”けたり”)
地響して横様に転びしが、なかなか声をも立てず
苦痛を忍びて、彼はそのまま砂の上に泣伏したり。
貫一は猛獣などを撃ちたるやうに、彼の身動も得為せず
弱々と僵たるを、なほ憎さげに見遣みやりつつ、
「宮、おのれ、おのれ姦婦、やい! 
 貴様のな、心変をしたばかりに間貫一の
 男一匹はな、失望の極発狂して、
 大事の一生を誤つて了ふのだ。
 学問も何ももう廃めだ。この恨の為に貫一は
 生きながら悪魔になつて
 貴様のやうな畜生の肉を啖くらつて遣る覚悟だ。
 富山の令……令夫……令夫人! 
 もう一生お目には掛らんから、その顔を挙げて、
 真人間で居る内の貫一の面を好く見て置かないかい。
 長々の御恩に預つた翁さん姨さんには
 一目会つて段々の御礼を申上げなければ済まんので
 ありますけれど、仔細あつて貫一はこのまま
 長の御暇を致しますから、随分お達者で御機嫌よろしう……
 宮さん、お前から好くさう言つておくれ、よ、
 若もし貫一はどうしたとお訊ねなすつたら、
 あの大馬鹿者は一月十七日の晩に気が違つて、
 熱海の浜辺から行方知れずになつて了つたと……

 
宮はやにはに蹶起て、立たんと為れば脚の痛みに
脆も倒れて効無きを、漸やく這寄りて
貫一の脚に縋付き、声と涙とを争ひて、
「貫一さん、ま……ま……待つて下さい。
 貴方あなたこれから何ど……何処どこへ行くのよ」
貫一はさすがに驚けり、宮が衣の披けて雪可羞しく
露せる膝頭は、夥く血に染みて顫ふなりき。

「や、怪我をしたか」
寄らんとするを宮は支へて、
「ええ、こんな事はかまはないから、
 貴方は何処へ行くのよ、話があるから
 今夜は一所に帰つて下さい、
 よう、貫一さん、後生だから」


(続きはリンク先で)


★金色夜叉
 松岡正剛の先夜千読
 http://1000ya.isis.ne.jp/0891.html
こうして紅葉は明治32年、連載を再々開するのだが、
今度は自分の体調がおもわしくなく、ときどき中断、
34歳のときもなお連載の再々再開に挑むものの、
ついに病魔に耐えられず、
35歳で紅葉自身が死んでしまうのである。胃癌だった。
(中略)
だから『金色夜叉』は未完であって、
かつ紅葉の遺作となった作品なのである。

 それなのにその評判は
紅葉の死後もいっこうに衰えず、知っての通りの
新派の名題の名作舞台となって、
貫一お宮の熱海の場面は映画にも歌謡曲にも
コントにも記念像にもなっていった。
 ところがそうなればなったで、
今度は肝心の原作『金色夜叉』が遠のいて、
この作品をちゃんと読む者が少なくなってきた。
よくあることである。
いまは『金色夜叉』を手にとる者さえいない。

 
けれども、『金色夜叉』の仕組みこそは
紅葉畢生の大実験だったのである。
前々年に書いた『多情多恨』を紅葉は口語体で書いた。
それも当時の文学としての大実験だったのだが、
それに苦しんだ。
内容が新しいからといって三味線を捨てて
エレキギターにしたようなもの、
そこを脱出するために紅葉は
あえて卑俗な設定を試みて、これを若いころから
磨き上げたきた華麗な擬古文体で織り成すことにした。
たった一行でも手を抜けば、たちまち物語は
卑俗なものになる。

そこを絶対に綴れ錦の文体で彫りこんだ。
それが『金色夜叉』なのである。

(中略)
冒頭、すでにこう始まっている。
「未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、
 真直(まっすぐ)に長く東より西に横たはる大道は
 掃きたるやうに物の影を留めず、
 いと寂しくも往来(ゆきき)の絶えたるに、
 例ならず繁き車輪(くるま)の輾(きしみ)は、
 或は忙しかりし‥‥」。


(中略)
とくに紅葉が影響をうけたのが江戸文芸に
造詣の深かった淡島寒月
(この人物こそ明治文学の鍵を握るキーパーソンだが)、
紅葉は寒月に言われて初めて西鶴を読んだ。
紅葉は黄表紙などの戯作には通じていたが、
それ以前の江戸文学は初めてだったのである。
なかでも『好色一代女』に驚いた。
これをどうしたら逍遥のシャレた近代感覚と
合わせられるのか。すぐにそう思った。
(中略)
『金色夜叉』の筋書はもはや書くまい。
圧巻はなんといっても
雅俗混淆文体の絢爛の駆使にある。
それは読んでもらう以外はなく、
とくに目で文字を眺め、そのままに
その音と律動を声を出して酔うごとく感じるのがいい。


(続きはリンク先で)


★『父系図』坪内祐三
 淡島椿岳・淡島寒月

 http://yomimonoweb.jp/tsubouchiyuzo/p1_6.html
(引用開始)
雅俗混淆体は別名「西鶴調雅俗混淆体」とも呼ばれる。
つまり井原西鶴に学び、その影響を受けた文体だ。

今でこそ井原西鶴は江戸時代を代表する
大作家として知られるが、江戸の終わりから
明治の初めにかけては忘れられた作家だった。

その西鶴を「発見」し再評価したのが
淡島椿岳の息子、寒月だった。
(中略)
当時、明治初年の横浜は東京以上にハイカラだった。
異国のようだった。
(略)
「この時分の西洋崇拝は非常なもの」
だったと寒月は言う。
西洋に行きたいと本気で思った。
しかしその先の省察が寒月ならではだ。

自分は日本のことを知らなすぎる。
西洋に行って日本について説明出来なかったら
恥ずかしい。

そこで彼は日本のことを学ばなければと決意する
(それはいわゆる「日本への回帰」とは全然違う)。
しかも刻苦勉励という形ではなく、
自分の好奇心に忠実に、楽しみながら勉強していく。
(中略)
西鶴は寒月にとってただの古典ではなかった。
新しかった。
井原西鶴が同時代にオランダ西鶴と呼ばれていた
ことは今では良く知られているが、
寒月は西鶴のそのハイカラに鋭く反応した。

(引用ここまで)




明治30年から 新聞に掲載された『金色夜叉』は、
明治38年12月に、アーサー・ロイドによって
英訳本『The Gold Demon』が初版されている。
1884年(明治17年)に聖公会の宣教師として来日し、
福沢諭吉の家で家庭教師をする。
その後、慶應義塾(現在の慶應義塾大学)と商船学校で
英語教授、一旦イギリスに戻り、再来日して立教大学の
総理に就任。
1903年(明治36年)に辞任した後、ラフカディオ・ハーンの
後任として、東京帝国大学で英語を教えたロイドは、
紅葉の仕掛けた雅俗折衷文を読み英訳したのである。

直訳だとかなりの困難を要したと思われるのだが・・・


 bb9f7a61.jpg
1906年(明治39年)6月、
東京帝国大学文科大学英文科の卒業生との記念写真
前列右から 上田敏 アーサー・ロイド 夏目漱石

熱海市に抗議した女性教授とやら
学者だったら
尾崎紅葉の原書とアーサー・ロイドの翻訳書と比較し
https://archive.org/details/golddemon00ozakiala
分析研究してから抗議してみやがれ!

原作も読まずに、DV男と勘違いしてしまう
無教養な日本人に呆れてしまう。

特に玉川徹!


”人この裏(うち)に立ちて
 寥々冥々(りようりようめいめい)たる四望の間に、
 争(いかで)か那(な)の世間あり、社会あり、都あり、
 町あることを想得べき、
 九重(きゆうちよう)の天、八際(はつさい)の地、
 始めて混沌(こんとん)の境(さかひ)を
 出(いで)たりといへども、
 万物未(いま)だ尽(ことごと)く化生(かせい)せず、
 風は試(こころ)みに吹き、星は新に輝ける一大荒原の、
 何等の旨意も、秩序も、趣味も無くて、
 唯濫(ただみだり)に
 ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)
 ひろく横(よこ)たはれるに過ぎざる哉かな。
 日の中うちは宛然さながら沸くが如く
 楽み、謳(うた)ひ、酔ゑひ、戯(たはむ)れ、
 歓(よろこ)び、笑ひ、語り、興ぜし人々よ、
 彼等は儚(はかな)くも夏果てし
 孑孑(ぼうふり)の形を歛をさめて、
 今将(いまはた)何処(いづ)くに如何(いか)にして
 在るかを疑はざらんとするも難(かた)からずや。”


★尾崎紅葉と言文一致の時代
 http://d.hatena.ne.jp/higonosuke/20091025






人権問題で「女性蔑視」を問題にするのであれば
男性蔑視も同様に問題にするべきでは?
男女同権なのだから・・・
お互いに尊重する社会が理想ではないの?






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無学無教養という恥

金色夜叉の当該場面というのは、色物には度々登場するシーンですし、「熱海」という土地を「色物」に定番の「旅館」の一場面にまで押し上げたのも、尾崎紅葉の文才があったからこそなのだなと思います。

そもそも、文学の世界で何を書いても、単純な誹謗中傷にあたる者でもない限り、自由ですし、それを「文学」という一つの「芸術品」にまで押し上げる事は、とても大変な作業だと思います。

あの場面で、貴一がお宮を蹴ったのも、それ以前からの二人の関係を理解できていれば、ある意味では「当然の行動(嫉妬)」であったと分かるはずです。

文学作品における登場人物の行動とは、無意味な行動ではなく、何らかの「心理」が表に出た行動であるわけですね。

それを、単細胞的な「男尊女卑」思想に結び付けるようでは、あまりにも無学無教養な人間であると言わざるを得ません。
プロフィール

あや

  • Author:あや
  • 韓流に嵌った母と義母の為に
    韓国情報を調べていたら・・・
    韓流ブームに仕掛けられた
    怪しい罠に気付いてしまった。
    韓流の闇と、利権や陰謀
    仕掛け人を徹底研究!
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