韓流研究室

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台湾のドキュメンタリー映画「湾生回家」、来月日本公開

★台湾を統治してきた日本に対し、
 台湾人はどのような思いを抱いているのか

 AbemaTIMES 10月6日(木)17時46分配信
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161006-00010003-abemav-movi
「湾生」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
「湾生」とは、
日本が統治していた時代の台湾で生まれ、
その後日本へと引き揚げた日本人
のことを
指す言葉である。

ドキュメンタリー映画「湾生回家」
台湾で昨年公開、観客動員数16万人以上という
大ヒットとなったという。
映画では戦後、台湾を離れ日本で生きてきた
湾生たちがかつての生まれ故郷を訪れる様子を追っている。

「湾生回家」の日本側プロデューサーを務めた
内藤諭さんは取材をしていく中で、
「湾生の方たちにとって台湾は故郷。
 嬉しそうにしていた」
と述べる。

また上映した際のことを
「目を真っ赤にして出てくるお客さんが多かった。
 若い人たちが多かったのが意外だった

と振り返る。

その理由について、
「台湾での歴史教育では
 日本に対し空白の時間がある一方、
 台湾に日本が残した文化は
 身近な生活にたくさんある」
とした上で、
そうした不思議な謎を映画の撮影を機に解き明かし、
 見極めたいという想いがあった

と語るホァン・ミンチェン監督。
「観客にも日本と台湾についてもっと知りたい
 という想いがあったことが大ヒットに繋がった
 要因の1つだと思う」
と述べる。

台湾を統治してきた日本に対し、
台湾人はどのような思いを抱いているのか。
リャオ・カオレンさんは
日本は台湾を50年間統治して
 インフラを整備した。
 台湾の治安を改善し産業を発展させた点は
 はっきりしている
と述べる一方、

領土を広げるため東アジアを武力で征服した
負の面を指摘する。

内藤さんは
「なぜ台湾人は日本のことが好きなのか」という
疑問を持って撮影に挑んだそうだ。
「湾生の方たちの台湾への愛が
 戦後ずっとあるから、
 台湾の人たちも未だに日本に対して
 友好的な気持ちをずっと継続して
 持っていただけるのかなと思いました」

そのような考えに内藤さんは行き着いたという。

この映画で日本人に台湾との歴史、
 そして自分というものを考えてほしい

とホァン監督は語る。

映画は来月12日、東京岩波ホールにて公開。

(引用ここまで)


★「湾生回家」オフィシャルサイト
 http://www.wansei.com/index.html


静岡県では上映予定が無いので残念・・・
来月、岩波ホールに観に行く事にする!





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★ドキュメンタリー映画
 『湾生回家』が5月に公開へ

  Publication Date: March 20, 2015
 http://taiwantoday.tw/ct.asp?xItem=228544&ctNode=1895
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「湾生」とは、日本占領時代に
台湾で生まれた日本人のこと。
彼らは台湾で教育を受け、成長し、
台湾を故郷としていたが、
日本が第二次世界大戦に敗れると
日本に「送還」された。
しかし、日本に「帰国」すると、
本国の日本人は彼らを「二等国民」と差別して、
湾生」と呼んだのである。


ドキュメンタリー映画
『湾生回家(故郷-湾生帰郷物語)』は
女性の田中実加監督が、今では高齢者となった
多くの「湾生」の人たちが苦労して台湾東部の
花蓮県を訪ね、当時の隣人や遊び仲間、恋人を
探す過程を記録したもの。

(続きはリンク先で)




★【台湾の反応】
 台湾で生まれた日本人たちのドキュメンタリー
 『灣生回家(湾生の帰郷)』が台湾で話題に!!

 2014-10-20 10:23:43
 http://blog.goo.ne.jp/ajiakairo/e/f3077962c7dbce1677aa8101dc1dbfeb
「日本が間に合わなかった記録、
 そして、台湾が忘れた記録」…
第二次世界大戦後、台湾に在住していた
40万人あまりの日本人が日本へ送還されたが、
そのうちのおよそ半数は、
台湾で生まれた日本人、
いわゆる「湾生」と呼ばれる人たちだ。

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台湾と日本の血を引く作家、
田中実加(台湾名:陳宣儒)さんは、
12年の歳月をかけて200名の
「湾生」のルーツを追い続けてきた


18日、その経緯を描いた書籍
「湾生回家(湾生の帰郷という意味)」の発表会が
花蓮市内の門諾醫院で行われ、同日夜には、
花蓮文創園區で、同名のドキュメンタリー映像作品も
初公開され、多くの人たちが、涙ながらに映像を鑑賞し、
湾生の物語に聞き入った。

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ドキュメンタリー作品は、4年前、田中さんが花蓮で
自己の人生を探す湾生をサポートした経過を
記録したもの。
田中さんは、1910年、日本からの大量の移民が
はじめて台湾に移植し、日本人村「吉野村」を建設したが、
それが現在の花蓮県吉安郷に当たる。
その縁から、花蓮を、台湾各地で巡回上映会を
予定しているドキュメンタリー作品の初公開場所に選んだ
と説明。
生前、田中さんの家で働いていた
お手伝いさん夫婦も湾生で、
二人の台湾でのルーツを探すことを約束していた
田中さんは、画家としての仕事以外にも、
自宅を売り払ってドキュメンタリー作製のための
資金づくりをしてきたという。

10数年来、
田中さんは142名の湾生の出生記録を入手してきた。
田中さんは、湾生たちの感動は、やっと自分が生まれた
証明を探し当てたことから来るものであり、
この感動が、田中さんを励ます原動力でもあると語っている。

会場には、ドキュメンタリーの主人公のひとりである
松本洽盛さんも日本から駆けつけた。
松本さんは、水牛とよく遊んだ花蓮での少年時代を
なつかしく思い出す、
名前に使われている「洽」という字は、
台湾のお坊さんがつけてくれた字

台湾でこの文字を名前に使っている人と出会うと
親しみを覚えるといい、しみじみと、
台湾にはもう20回以上戻ってきているが
やっぱり台湾はいいところだと語った。

(続きはリンク先で)




★”麗しき故郷「台湾」に捧ぐ
 ー立石鐵臣展 湾生が描く
 美麗島の街並・
 そこに生きいる人々 府中市”

 2016-06-20
 http://ameblo.jp/yukimari-8121/theme-10065731385.html
(引用開始)
立石鐵臣(たていし てつおみ)氏
1905年、日本統治時代の台湾生まれの「湾生」
でいらっしゃいました。
たまねこさんは展示作品の中で、
氏が台湾から日本へ引き揚げる時の状況を描いた
作品に触れ、「胸を打たれた」と書いていらっしゃいました。

(中略)
キールン(yukimari注釈: 基隆)ノ波止場ヲ
 ウメツクシテ台湾人ノ見送リナリ。

 船ガ動キ出スヤ波止場ヨリ
 日本語ノ蛍ノ光ノ大合唱オコル。

 日本語ハ当時大ッピラニ使エナイ事情ニアッタ。

 カマウモノカノ表情デ心行クマデ歌ウ様子。

 ランチ二ソウ、ワガ船ヲ追イ、
 波止場ヲカナリ離レルヤ、日章旗ヲ出シテ振ル。

 日本ヘノ愛惜ト大陸渡来ノ同族ヘノ
 レジスタンスデモアロウ。

 
まさにドキュメンタリー映画
「湾生回家(日本語タイトル:湾生帰郷物語)」
出演されていた湾生の女性が話していたことと、
書籍版「海角七号」に書かれていた内容が一致しました。

敗戦して去りゆく日本人に対し、
別れを惜しみ見送る台湾人。
当時、国民党政権が
元日本人だった台湾人が日本語を使うことを禁じ
ていたにもかかわらず、
引き揚げ船が出港する時だけ、誰からともなく
「日本語の蛍の光」を歌ったと。


私はそれだけで、
自分の祖先に湾生がいないにもかかわらず、
涙が出てきてしまう。


(全文はリンク先で)


★立石鐵臣的引揚之路
 http://blog.udn.com/chenkwn/4596615
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吾愛台湾
吾愛台湾
吾愛台湾・・・







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台湾映画【KANO】も、
県内で上映していたのは2館だけで
父の介護もしていた頃、仕事帰りに
遠くの街まで大急ぎで車を走らせて
最終上映を観に行った。

日本では、全く無視されている
こうした併合期の日本と台湾の歴史を
台湾の方々から、冷静な視点で
負の部分だけではない事を教えていただく事に
感謝と尊敬の念が堪えない。


また、日本国内で台湾との繋がりを保つ
活動をしている方々がいる事も
日本の大手マスゴミは無視したまま・・


★映画『KANO』で知る併合期の台湾・朝鮮
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3479.html

★日本統治時代のお召し列車が復活へ
 http://nicogachan.net/watch.php?v=sm6082610

★デゴイチ、台湾で復活!
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1503.html

★日本統治時代の「ハヤシ百貨店」、
 台南で営業再開へ/台湾

 http://news.livedoor.com/article/detail/7554080/

★台湾、日本統治時代に建設の
 大観発電所運用80周年で記念式典

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3156.html





★元台湾高砂義勇隊の方々が
 三笠宮殿下に拝謁

 http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/31232202.html




呉善花さんの著作の中で、
併合中の朝鮮から日本に留学していた人達が
日本で、大学時代の同窓会に参加している
エピソード
が載っているのを読んだ事がある。
戦前は、台湾や朝鮮、そして中国からも
多くの留学生がやってきた時代である。
戦後、台湾の法曹界をリードしたのは
中央大学法科を卒業した人達だったそうだ。

韓国の不幸は、初代大統領の李承晩が、
日本の統治時代を体験していない事。
アメリカで、
アメリカ人妻とともにプロテスタントとして暮らし
日米開戦で、反日感情がむき出しになり
日系人が強制収容所に入れられると
赤化したプロテスタント牧師と共に反日活動に便乗。
戦前、日本がワシントンに贈った数々の桜に
「伐採してしまえ」という声が上がった時
(桜を守ってきた地元の人達からではない!)
李承晩は、それに便乗して
「ソメイヨシノは王桜が起源だ!
 あの桜は朝鮮産の桜なのだ」
とキャンペーンを行い
戦時中であるにもかかわらず、どこから手に入れたのか
「朝鮮の王桜」を母校に植栽する行事まで行った。
そして今では、在米韓国人達が
「ワシントンの桜を救ったのは李承晩」という捏造歴史を
喧伝している始末・・・

そんな人物が、戦後、韓国に帰って来て
初代大統領になって、勝手に李承晩ラインを引き
多くの日本漁船を拿捕し、日本人漁師達を拉致監禁した。


★日帝強占期の、今も使用中の
 残滓物が文化財?
 壊すnida!→困るnida!

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2644.html

★ソウル市「100年前の下水道管」を文化財指定
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3442.html
 
★中国山東省、19世紀末
 日本人設置の丈夫すぎる
 “マンホールの蓋”に驚愕

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3459.html

★東京駅開業100周年に、
 韓国ネット「ソウル駅にそっくり」

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3435.html

★日韓併合期の
 デパートの誕生と歴史、
 修学旅行コースにも脚光

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2627.html

★イ・グ皇太孫疑問死と
 特級戦犯天皇の土下座して謝罪

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2528.html

★韓国大使館、
 東京の一等地の開設に
 朝鮮人の敗戦利権とGHQと共産党

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2551.html

★サムスン創業者の長男は日本密航、
 次男は日本長期留学・・・
 兵役回避にみる日韓史

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3512.html



サッカー日韓共催W杯や、創られた韓流ブームで
私達は、今まで「近くて遠い韓国」を身近に知る。
その中で、彼らの「本音」も知ってしまう・・・

『植民地時代、全て日本に収奪された』
『日本人は悪い事ばかりした』


親日罪で財産を没収された人々や子孫達は
口を噤むか、自己保身で反日せざるを得ない。
台湾の人々のように、
戦後大陸から流れてきた国民党による反日ではなく
自ら、日本の併合の歴史を改竄してきた・・・

昔は、一緒にお花見をした記憶も、
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朝鮮総督府が敷いた鉄道で
国内旅行を楽しんだ記憶も、
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日本人が半島に持ち込んだ「運動会」の記憶さえも・・・
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何故、「玉入れ」の玉の事を
西日本方言「おじゃみ」が由来の「オジャミ」と
韓国語で言うのかも知ろうとしない。
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韓国が親日罪や反日教育を乗り越えて
日本のサヨクの
思想による偏向捏造歴史が無かったら
台湾の方々のように
冷静に「歴史」を見つめることが出来たなら

もっと、
違う関係を築くことが出来たのではと思う・・・

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このお爺さんは、殴り殺されてしまった・・・



★『台湾に生きている「日本」』
 と田中綱常

 http://arimayu.blogspot.jp/2013/08/blog-post_27.html


★台湾、日本統治時代の
 建物・鉄道を再活用 
 新たな“文化発信拠点“として蘇る

 2014年6月19日
 http://newsphere.jp/world-report/20140619-4/

★日本時代の「菊元百貨店」、
 台北市の文化資産調査対象に

 フォーカス台湾 2014年8月4日
 http://www.excite.co.jp/News/world_g/20140804/Jpcna_CNA_20140804_201408040003.html

★台南成功大学キャンパス
 に残る日本時代の足跡

 http://www.taipeinavi.com/special/5050316


本家・民進党の蔡英文総統就任後
中国から露骨に嫌がらせを受ける台湾



こんな状況の中で、中国政府を喜ばす
「台湾は中国の一部」などと
父親の祖国を裏切った蓮舫さんの
自己保身のための言い訳
それを擁護し宣伝した日本のマスゴミの
罪は重い・・・



吾愛台湾!



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Comments 1

山葵

特亜とは対照的な国民性

日韓併合時代の朝鮮を撮影した記録映像があります。撮影したのはアメリカ人なので、日帝のプロパガンダ映像ではありません。

1931年の京城(ソウル)-日本語字幕
https://www.youtube.com/watch?v=ih0VLGuP5MI

台湾と朝鮮だけでなく、満州も日本の満蒙開拓によって飛躍的に豊かになりました。

满洲国历史 - YouTube 再生リスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PLBB2DEB16FF7611E9

満州国は、日本人・満州人・漢人・モンゴル人・朝鮮人の「五族協和」を掲げていたわけですが、現在の中国東北部(旧満州)には、日本人以外の4族が1億人以上住んでいます。日本人は、農業に向かない朝鮮半島北部と満州は工業地帯として開発したのです。

中国東北部 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%9D%B1%E5%8C%97%E9%83%A8
>戦後、中華人民共和国の統治下に入った後は改革開放が始まるまで中国随一の工業地帯として同国の経済を支えた。

戦後の台湾と韓国の歴史には、似ているところがあります。台湾でも国民党独裁時代には、韓国と同じく虐殺事件が起きているのです。

二・二八事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>この事件によって、約280,000人もの本省人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。

また、台湾でも国民党独裁時代には反日教育が行われていました。民主化以降も、馬英九政権が反日的な内容の歴史教科書を作り、蔡英文政権がその歴史教科書の使用を中止していましたよね。

このような似ている歴史があるのに、台湾は親日、韓国は反日になったのは、国民性・民族気質の違いとしか言いようがありません。そもそも、虐殺から逃げてきて日本に密入国した在日コリアンが、反日で祖国マンセーというのがおかしいわけですし。

2016-10-12 (Wed) 00:18 | EDIT | REPLY |   

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