ロンディニウム!サザーク区の墓地遺跡から古代中国の人骨2体を発掘

イギリス・ロンドンの名前の起源となっている
紀元前にブリテン島に侵入していたローマ人が、
紀元後1世紀頃に造った砦・ロンディニウム。
サザーク区にある2-4世紀の古代ローマの墓地から
中国人の白骨2体が発掘された。


★A meeting of two ancient empires:
 How did two Chinese skeletons find
 their way into a Roman cemetery in London?

  DailyMail  2016年9月23日
 
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3803648/A-meeting-two-ancient-empires-Chinese-skeletons-Roman-cemetery-promise-rewrite-history.html
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ミシガン州立大学の法医学の専門家は、
22の頭蓋骨をDNA分析した結果
少なくとも 4 体の白骨はアフリカから
2体の白骨がアジアからやってきたことを示唆している。



★西暦43年、古代ローマ帝国が
 ブリタニアにロンドン(ロンディニウム)
 を造った(イギリス)。

 http://www.europe-z2.com/kodai/ad0043gb_n.html


★初期ロンドン住民の骨から
 複数民族の遺伝子、
 英博物館調査で判明

 AFP 2015年11月24日
 http://www.afpbb.com/articles/-/3067848


★古代ローマ期の英国に
 中東から来た男、剣闘士か

 遺骨のDNAを分析、古代ローマの国際色を物語る
 2016.01.22
 http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/012100022/




★遺伝子解析で
 歴史を研究する試み相次ぐ
 ローマ帝国、後漢、シルクロード、
 三国志、曹操

 2010-03-24
 http://ameblo.jp/kawai-n1/entry-10489792851.html
シルクロードをはるばるローマまでやってきた東アジア人
1つは、やや古いニュースだが、こちらもイタリアの話。
イタリア南部バリ県の古代ローマ時代の共同墓地跡で
見つかった人骨から抽出したDNAに、
東アジア系の特徴を持つ例が見つかったという
カナダ、マクマスター大の研究チームの2月初めの発表である。
(中略)
DNA鑑定で東アジア系と確認された人骨は、
1~2世紀の男性のものだという。
年代は副葬品から推定されたようだ。このとおりで、
中国人だったとすれば、後漢時代の人物となる。

ローマ人の中に埋葬された身分の低い東アジア人の素性は

共同墓地から発掘された遺体は、全部で約70体もあった。
しかしそのうちの1体が、形態的に古代ローマ人と異なる
特徴が見いだせたのだろう。
(中略)
後漢時代らしいこの人物は「大使級」の役人ではなかったらしい。
というのは、この男性の墓に供えられた副葬品は貧弱で、
食料を入れたつぼ以外はなかったからだ。
身分の低い人物――となると、後漢政権からローマに送られた
生口(奴隷)だったのだろうか。


(引用ここまで)


★村民3分の2に白人遺伝子 
 古代ローマ帝国軍の末裔か=甘粛省

 大紀元 2010年12月2日
 http://www.epochtimes.jp/jp/2010/12/html/d46535.html
中国甘粛省驪靬(れいけん)村の村民は
背が高く彫りの深い顔立ちで、青い目に茶色の
髪の毛をしている。それだけではない。
このほど、同村の村民のDNA鑑定を行ったところ、
約3分の2の村民が白人遺伝子を持っていることが判明した。
11月26日付の英紙デイリー・メールが伝えた。
(中略)
紀元前53年、ローマ軍はパルティア軍とぶつかった
カルラエの戦いに敗れ、第一軍隊がローマに戻らず
神秘的に失踪したと伝えられている。
ダブス教授は、
失踪したローマ軍は東へ進む際に匈奴に捕まり、
紀元前36年に驪靬村に定住したとの説を50年代に
発表したが、注目されなかった。
2006年に中国で報道されたことで「末裔説」が
やっと脚光を浴びることになった。
(続きはリンク先で)




今回の、ロンディニウムの墓で発見された
古代中国人の人骨発掘のニュース。
実は、日本にも関係がある!


★帝政ローマ、
 ペルシャと日本の古代がつながる

 2016年06月01日
 http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/4635492.html
天理大付属天理参考館(天理市)所蔵のガラス製品
円形切子碗(きりこわん):
 高さ6・5センチ、口径9・7センチ、厚さ3・5ミリ。
 表面の切り子細工は大半が円形だが、底部は方形に
 カットされている。 」が、
1~4世紀の帝政ローマ圏で作られた可能性があることが
参考館などの科学分析で分かった。
(中略)
参考館は
「宝物のルーツがローマである可能性がある」という。
参考館と東京理科大の阿部善也講師が2015年、
最新の蛍光エックス線分析でガラスの組成を調査。
鉄分が少ないなど1~4世紀の帝政ローマ圏の
地中海域で使われたガラスの成分と一致した。

参考館によると、切り子ガラスは
帝政ローマ圏で技術が発展し、3世紀に興った
東方のササン朝ペルシャに伝わったと考えられている。


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正倉院御物白瑠璃碗と同じものは、伝安閑天皇陵からも
出土していて、同型の碗は朝鮮半島では出土せず
唐代にペルシアの文物が大流行し、長安にペルシャ人が
住み着いた中国でさえ2つしか出土していない
しかも、2つの白瑠璃碗は、その瓜二つの出来映えから、
同時期に、同じ工房で制作され、同時に渡ってきた
と考えられている。
(中略)
これ以前にも、日本書記にすでに6世紀の末の
欽明天皇の時代に、日本に着たペルシャ系の
人名が記録されている。
『日本書紀』には
「孝徳天皇の白雉五年(AD654)四月の条、
 「吐火羅國 男二人女二人 舎衞女一人 
  被風 流來 于日向」
とあり、
これはトカラ国(現アフガニスタン吐火羅國=覩貨邏國)の
男2人、女二人、舎衞の女一人が風にあって
ヒムカ(ひゅうが日向)に漂着した〉とある。
当時、ペルシャ人の高貴な一団が日本に来ていたのは
事実で、以前から、貴重なローマ由来の宝物が、
彼らの手で直接日本に運び込まれたのでは
と推理されていたが、最新の科学分析で、
ほぼ事実と解明された。

(全文はリンク先で)


★ 白瑠璃の椀とペルシア
 http://mphot.exblog.jp/3952630/
 c0067690_51413.jpg



吐火羅人っぽい、
平井堅さんのDNAを解析してみたいわぁ。

 h20120707_kashouryoku_21.jpg

シルクロード、恐るべし・・・



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