韓流研究室

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蓮舫問題はなぜこじれたか・・・王貞治さんとの違い

★蓮舫問題はなぜこじれたか



★蓮舫さん
 「日本は台湾を国として承認してないのに、
 メディアが二重国籍と使うのにびっくりしてる」

 はちま起稿
 http://blog.esuteru.com/archives/20001967.html
 





民進党や左翼メディアは蓮舫議員の問題を
「差別」問題にすり替えようと必死なのだが
先日、2ちゃんねるに
「王貞治って在日なのに叩かれてないよな」
http://gogono.blog.jp/archives/52321851.html
と言うスレッドが立っていた。

蓮舫さんと同じハーフの王さんが
「国民的ヒーロー」というだけではないと思う。

王さんの人徳なのだろうと思う。

★王貞治と蓮舫の「中華民国籍」の秘密
 アゴラ 2016年08月31日
 http://agora-web.jp/archives/2021159.html
(引用開始)
ところで、蓮舫さんの国籍について、
「台湾国籍」と「中華民国籍」というふたつの表現が
メディアである。

そして、この問題で誰しもが思い出すのは、
日本の国民的英雄である王貞治さんだ。
この王さんのケースと蓮舫さんのケースを比較すると、
台湾についてのいろんな問題が浮かび上がってくる。

王さんは中華民国籍だ。
ただし、台湾とは関係ない。
1940年(昭和15年)に、東京の現墨田区で、
中華民国籍(浙江省浙江省麗水市青田県)出身で
1922年(大正11年)に渡日した、王仕福さんと、
富山県氷見市出身の(旧姓: 當住)登美さんの
次男として生まれた。

ただし、
このとき難しい時代で入籍していなかったので、
戦後に入籍するまでは、お母さんの戸籍に入って
日本国籍だったとも言われている。

お父さんの故郷はその後、
中華人民共和国政府が支配するところとなったが、
お父さんは国民政府寄りで、中華民国籍を維持した。
このために、王さんも中華民国籍だった。

そして、王さんも台湾で「棒球英雄」として
もてはやされ、たびたび、台湾を訪れて
国民的英雄とされた。

しかし、日中国交回復で微妙な立場に立たされる
ことになり、日本人女性と結婚もしたのだが、
国籍の変更はしなかっただ。

こういう立場なので、
王さんを「台湾人」とか「台湾国籍」というのは
いかにもおかしいので、
まさに「中華民国籍」なのだ。

どうして、帰化しなかったかといえば、
真相は不明だが、
お父さんの気持ちを尊重していいたといわれる。
ただ、もしかすると、台湾では兵役義務があり、
国籍離脱を制限していたから、
それも関係してたかも知れない。

また、国民栄誉賞を受けたときは、
日本人でないのになぜと論争になった。

ただ、王さんは国籍はともかく、
野球人としては、日本人という意識でいるようだ。
WBCの監督として海外遠征したとき、海外メディアから、
「あなたは日本人ですか?」と質問された際
(日本のマスコミは自己規制して聞かないからおかしい)、
王は
「父は中国人だが、母は日本人です。
 私は生まれたときより日本で育ち、
 日本の教育を受け、
 日本のプロ野球人として人生を送ってきました。
 疑うことなく日本人です」
と答えている(wikiより)。

王さんとしては、当時の規定で、
早実高校時代に国体に出れなかったという
残念な経験はあるが、
日本、台湾のどちらでも国民的英雄とされ、
世界の華人のなかの偉人としても尊敬され、
また、
そういう三つの立場を気持ちよく説明しているし、
だからこそ、日本人、台湾人、中国人、
(民族としての)華人のいずれもから好感を持たれている。


さて、蓮舫さんの場合はどうかというと、
国籍の問題を論じるなら、やはり中華民国籍だった
というべきで、台湾籍というのもおかしい。
台湾では現在の与党である民進党は独立を綱領に
掲げたままだし、正名運動といって、企業など
さまざまな組織などの名から中国というのを追放しよう
という動きがある。

(引用ここまで)



王貞治さんの父・王仕福さんは
中国浙江省青田県四都の小村に生まれ、
戦前に日本に渡ってきた。
幼い頃に父親が自殺し、母に捨てられた。
1922年に親戚のつてを頼って日本に渡って来た。
1931年の朝鮮排華事件の際には
日本内地でも朝鮮人との衝突が起きたそうだから
とても苦労した事は想像できる。

関東大震災の後、本国に強制送還されているから
旧外国人登録証を持たない密航だったのかも・・・
その後、密入国に成功し再来日をした。

王仕福さんは
「五十番」というラーメン屋を開店し
(旧姓: 當住)登美さんと結婚し、
生まれた子供達は、登美さんの戸籍に入る
差別を受けたから日本国籍にしたと記述する
サイトもあるけれど
仕福さんが密入国して来ているのだから
登美さんと事実上結婚していたとしても
仕福さん本人の戸籍が存在しない事が
登美さんの戸籍に一旦入れた原因ではないかしら?

戦後、家族全員で「中国籍」に登録した。
これは、まだ、国籍選択というより
戦前、日本に来た朝鮮半島の人達が「朝鮮籍」で
登録されたのと同じ、登録上の「中国籍」

その後、昭和36年に、巨人が海外キャンプを
張るためにパスポートが必要になった。
仕福さんは中国浙江省出身だったが、
当時、
日本と国交があった中華民国(台湾)国籍を選んだ。

読売新聞のシリーズ企画 『時代の証言者』で、
王貞治さんは、父親の言葉を紹介している。
終戦後、GHQによって戦勝国民とみなされた
三国(中国・台湾・朝鮮)人には優先配給があった。
同級生は、配給不足で常にお腹を空かせ裸足・・・
自分にはシャツや靴も手に入る状態。
中国出身の同胞達は、ここぞとばかりに
日本人を馬鹿にして、騙して儲けたりする風潮に
仕福さんは
「日本に来て、日本で働かせて貰って来た
 恩を忘れている」
と怒っていたそうだ。
そして、子供達に
「お前たちは、絶対にあんな事はしてはいけない」
と、諭したと・・・当時の模様を証言している。

仕福さんは、二人の息子に
1人は医者に、1人は電気技師にさせて
「いつか祖国の役に立つ人間になって欲しい」と
言っていたそうだ。
(お兄さんの王鐡城さんは医者になり
 市立病院の外科部長もしていたそうだ。)

王さん一家は、お父さんの人徳もさることながら
子供達の躾もしっかりしていて挨拶もきちんとできるので、
王貞治さんが有名になる前から
ご近所には家族全員が慕われていたそうだ。


★王貞治の軌跡 
 僕らが野球少年だった頃

 墨田区
 http://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/tenzi/h12/ou.html


★「日本に来て、日本に生かされている」
 王貞治氏父の教えとは

 http://www.news-postseven.com/archives/20150111_297194.html


★王鉄城さん 
 http://abovecomm.com/%e4%ba%ba%e9%96%93%e4%b8%87%e6%ad%b3%e3%80%80%e5%b7%9d%e6%9d%91%e4%ba%8c%e9%83%8e/post_11/


★「百年目の帰郷ー王貞治と父・仕福」
 http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20140730
(引用開始)
「他人に迷惑をかけられても、
 他人に迷惑をかけるな」
「他人の喜ぶことは進んでやれ」

戦前、中国の貧しい農村から来日した父・王仕福は
つねに周囲の日本人社会との融和を図り、
折あるごとに子供たちにそう言い聞かせ、
王の身にもその教えが知らぬ間にしみついていた。

試合終了後、
七五六号を祝福するセレモニーが始まった。
父・仕福と母・登美を登場させることは
あらかじめ予定されていた段取りでないことは、
仕福と登美の地味な普段着姿が証明している。
仕福は「そんな晴れがましいことは…」と
いったんは躊躇している。
「いつも息子がお世話になっています」
「悪いことがあったら叱ってやって下さい」

二人は巨人の関係者と顔を合わせると、
そう言って頭を下げるのが常だったが、
この日も周囲にありがとうございます
言葉を繰り返していた。

仕福は戦前、中国の貧しい農村を出て
日本に新天地を求め、日本人・登美と結婚し、
苦労の末に中華料理店を成功させた。
登美との間に鉄城、幸江、順子、貞治という
四人の子供を持つと、
「二人の息子のうち一人を医者に、
 一人を電気技師にさせ、
 いずれ中国に連れて帰って
 故郷の村の建設に役立たせたい

という夢をいだくようになった。
だが、それは果たせず、代わりに戦後になってから
自分一人で何度か帰郷していた。
1977年の帰郷の際、小さいけれど、
しかし自分の人生を総決算する意味を持つ、
ある「事業」に着手していた。
そして翌年の帰郷の際に「事業」の完成を見る。
その「事業」の存在はなぜか、
王だけではなく家族の誰に対しても秘密にされ、
数年後、仕福はその秘密を一人抱え込んで
この世を去る。
その「事業」は発見されれば、
王の人生を左右しかねない可能性を含んでいる。

(中略)
仕福は
学校教育というものを一日足りとも受けておらず、
自分の名前などを除けば文字を書けなかったので、
自ら自分の歴史を記すことは不可能だった。

来日してから日本語を覚えたら、
死ぬまで中国語訛が抜けずにたどたどしく、
表現力にも乏しい日本語に終わった。
「もっと日本語が上手ならば、
 いろいろと胸の内を吐露できたんでしょうけれど」
と家族は残念がる。

父の自殺、幼い弟の病死、小さな村での孤独で
貧しい一人暮らし…
故郷には忌むべき過去が詰まっている。
しかも、門出を祝福され、惜しまれつつ故郷を
跡にしたのではない。
故郷を捨て、故郷と訣別したのだ。
仕福にとって故郷とは過去そのものだ


仕福は故郷に住む親戚の住所を残さなかった。
どのように行けばいいのかも、家族に詳しく教えなかった。
電話番号も……いや、仕福が生きていた時代、
中国の貧しい農村に電話などあろうはずがなかった。
今でさえ。あるかどうかはあやしいだろう。
故郷の光景を写した写真は一枚もない。
至福の死後、唯一残った至福の故郷の痕跡は、
「中国浙江省青田県四都」という地名だけだった。
しかし、その名は日本で手に入る一般の地図の上に
見つけることはできない。
至福の故郷はまるで、至福の死とともに忽然と
この世界から消えた幻の村のようだった。

(引用ここまで)



王仕福さんの、故郷での”事業”とは?
★増加する中国新移民の送出プロセスと
 ネットワークの解明

 立命館大学学外研究成果報告書
 http://www.ritsumei.ac.jp/r-kenkyu/1/2011/11-01_jinbun/2011_gakugai_ogi-hirofumi.pdf
(引用開始)
浙江省東部温州市と青田県は華僑や
中国新移民を輩出する僑郷として知られている。
戦前、日本へ来た温州人は日傘、青田人は青田石の
彫石細工を日本各地で売り歩いていた。
青田人は日本だけでなく、鉄路を利用してロシアを経て
遠くヨーロッパまで青田石の彫石細工を担いで行商した。
また、カバンにネックレスなどの装飾品や雑貨品、
玩具を詰め、遠くブラジルにもカバン行商に出かけ、
ブラジルでの青田華僑移民の先駆けになっている。
現在、世界に拡がる浙江省出身の華僑・華人の80%は
温州と隣接する麗水市の青田のいわゆる浙南地地域
からである。
麗水市青田県はもともと土壌が痩せ、田畑も分散し、
全県の平地面積はわずか5.3%を占めるだけで、
「九山半水半田」という形容が正に言い得ている。

この貧しく狭い土地から人々は華僑として
日本、ロシア、欧米などの海外を目指したのである。
(中略)
日本へは1920 年代、青田と温州から五千人以上の
人々が渡航したが、関東大震災で様々な被害に遭い、
その多くが帰国した。
その後、再来日したものを含めて、新中国成立以前の
在日青田華僑は減少して三千余人となった。

当時、海外の青田華僑は約一万七千人と言われていた。
では、なぜ出稼ぎブームが起きたのであろうか。
当時、青田・瑞安・永嘉の各山村は極端に貧しく
そのことが大きな出国要因となった。
日本もまた第一次世界大戦による経済特需により、
多くの安価な労働力を必要としたことも
引き寄せ要因となった。
そして、一衣帯水という地理的な要因や渡航費
(13 元-15 元)の安さ
も出稼ぎブームに拍車をかけた。
その多くは上海から船に乗り、日本に渡った。
一部は山東省の煙台から朝鮮の仁川に行き、
青田石を売りながら釜山に陸路向い、
釜山から船で日本に渡った。
しかしながら、日本で起きた関東大震災による
様々な被害によって、青田人の多くが帰国を
余儀なくされた。
そのため、日本に残留した青田人や温州人は
少数に止まった。
この結果、日本への移民熱は冷め、青田から日本への
移民の流れは欧州へと向かうことになり、
日本と青田とのネットワークは弱体化し、それは今日に
至っている。
なお、現在日本に定住する青田華僑は1,200 人、
その多くが東京に居住している。
在日青田華僑の数は、アアジアでは最も多い数である。
その後、再来日したものを含めて、
新中国成立以前の在日青田華僑は三千余人となった。
彼らの多くが、建設現場や工場の労働者として働いた。
過酷な労働であったが、
本国の中学教員よりも稼ぎは多かった。

(中略)
そのなかで、青田県仁庄郷羅渓村出身で
裸一貫から身を起こし、中華料理店、遊技場店などの
経営で大成功した林三漁がいる。

林三漁は17 歳の時に来日し、日雇い労働者や
皮工場の職人などで蓄えた資金を利用し、
戦後の混乱期にビジネス発展のチャンスを得た

一方、日本東京華僑総会の理事や旅日華僑浙江
同郷会副会長(1946 年創立)を務めた。
無学であった林三漁は祖国の発展に人一倍関心を
寄せ、とりわけ学校の教育発展事業に対して、
多額の寄付を行った。
同じく青田県仁庄郷馮垟村出身の11 人兄弟姉妹の
王仕福も生活苦から故郷の村を離れ、
22 歳の時に来日し、様々な肉体労働をして、
生活を立てた。
関東大震災の後、強制送還されたが、
三年後密航という手段で再来日し、
工事現場などで働いた。

やがて、日本人の妻を娶り、日本に定住した。
その後、夫婦でラーメン店「五十番」を経営しながら、
世界のホームラン王の王貞治や医者の王鉄城を
育てたことでも知られている。
(『百年目の帰郷』:鈴木洋史,40-45)
王貞治は巨人軍の入団契約金を父仕福にプレゼントし、
仕福は初めての帰郷の際に故郷馮垟村に
水力発電設備を寄付した。

王仕福の帰郷は6回に止まったが、やはり僑情は絶ち難く、
林三漁同様、故郷に対する様々な寄付を行っている。


(引用ここまで)



王貞治さんが、お兄さんの通夜で
「兄貴にはかないませんが、
 王家の家訓をしっかりと守りながら
 生きていこうと思います」との言葉は有名。
王家の家訓とは『誠実』だという。

台湾生まれではない王貞治さんだが、
日本の野球少年のヒーローとしてだけでなく
「台湾の国民的英雄」としても生きる。
台湾との国交が途絶えても、王さんは
何度も訪台していた。

戦争や政治に翻弄され、
民族・祖国・国籍・生まれた国との問題を抱えながら
生きてこなければならなかった人達。


華僑の人達が、貧しさから故郷を離れ
世界各国に移民に出ても、成功したら
貧しかった故郷に寄付をする気持ちは解る。
それが郷土愛。

王貞治さんの父・仕福さんも同様だろう。
王貞治さんは、父の生き様や、
誠実に生きろという家訓を胸に抱きながら
パスポート取得のために選択した中華民国籍を
ただ単に国籍利用するためではなく
「台湾の英雄」という矜持を持ち続けた。

一方で、生まれた国の日本では堂々と
「父は中国人だが、母は日本人です。
 私は生まれたときより日本で育ち、
 日本の教育を受け、
 日本のプロ野球人として人生を送ってきました。
 疑うことなく日本人です」と言う。

この、王貞治さんの1本筋の通った移民2世で
日本人とのダブルとしての矜持が
日本でも台湾でも、愛される理由なのでは?



★王貞治さんの「里帰り」
 台北 2009/02/27
 http://webnews.asahi.co.jp/shikyoku/old/taipei/2009/20090220.html
(引用開始)
中華棒球協会(台湾野球協会)は王さんに、
台湾チームの最高顧問に就任するよう
要請しましたが、王さんは日本にも多くの
肩書きを持っているとして辞退。
しかし、少年野球の指導など台湾野球界の
振興には積極的に協力したいと応じていました。

(中略)
台湾プロ野球界は去年、八百長事件と経営不振で
2球団が解散し、危機的状況にあります。
記者会見でこのことにつついて聞かれた王さんは
「選手の真剣なプレーをファンは待ち望んでいる。
 選手が一生懸命なプレーを見せれば
 必ずファンは戻ってきてくれる」と話し、
台湾プロ野球界にエールを送っていました。

(引用ここまで)



パスポートが欲しいがためだけの
便宜上の国籍取得ではなく
最後まで、取得した国籍に矜持を示す姿勢。

一方で、
自己保身のために
「日本は台湾を国として承認してないのに、
 メディアが二重国籍と使うのにびっくりしてる」

と、父親の祖国を貶める蓮舫議員の姿勢・・・
これは、
「中華人民共和国」と「中華民国」の微妙な立場に
政治家として、致命的な発言だと思う。

まあ、旧民主党自体が
東日本大震災の慰霊式典で、日本に対して
並々ならぬ援助をして下さった台湾に対しての
冷酷な対応からも、これが民進党のスタンスなのだろうが
曲がりなりにも、蓮舫議員の父親の祖国である。
彼女の発言は「中華民国」に対する、最大の侮辱・・・
在日台湾人に対するヘイトスピーチでは?

彼女への批判は、二重国籍だったからではない。
経歴の詐称だ。
台湾のパスポートを返上していなかったのに
家庭では、お父様は中国語で会話していたと
過去に発言しているのに
「父が国籍離脱の手続きをしたけど
 中国語だったから解らなかった」などの
一連のが批判されているのだ。

最初にこの問題が浮上した時に
「意味が解らない」などと逃げないで、その後を重ねず
「国籍離脱の手続きをしていませんでした。
 ごめんなさい。」
と正直に告白していれば、ここまで拗れる事はなかった。

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王仕福さん、王貞治さんの生き方を見るにつけ
民族と祖国と国籍と生まれた故郷に対する誠実さ
一番大切なのだと感じる。

王仕福さんのような、戦前に移住して
苦労を重ねた「老華僑」に対し
簡単に日本に定住できるようになった戦後「新華僑」。
祖国や故郷に対する望郷の念も、
民族の誇りも忘れずに、日本で生きるために
苦労して編み出した、日本人と上手く融和する術は
戦後移住のニューカマーの人達には
伝わらないかもね・・・

蓮舫さんのお父様も、戦後移住だったよな。。。


★新華僑に圧倒される老華僑
 変貌する横浜中華街

 2011年09月08日
 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1483






山尾志桜里議員の、
地球7周分のガソリン代などの不正疑惑も
「弁護士が調査中」のまま・・・回答無し。
民進党はスットボケしていますが、
全く飽きていません!
私は、決して忘れていませんよ。

王家の家訓を見習いましょう!




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Comments 3

F・Y 

No title

王選手のお父様は、出自は中国大陸でも中華民国の国籍を選択。
お父様にしてみれば、共産党の国に生まれた覚えはないですものね。
そして王選手も中華民国籍。複雑ですね。
中華民国=台湾と言われても、台湾は王家のルーツの土地ではないわけで。
それでも台湾にも誠実に向き合っておられるのですね。

大陸出身の父が取得した中華民国籍を保持しているというのは、「大陸の故郷は共産党のものじゃない」という無言の意思表示のような気がします。


2016-09-13 (Tue) 15:38 | EDIT | REPLY |   

山葵

No title

Wikipediaには、王貞治氏が「王」家にとても誇りを持っていることがわかるエピソードも載ってますね。お互いを通名で呼び合う在日韓国人とは対照的です。

王貞治 - Wikipedia 家族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%B2%9E%E6%B2%BB#.E5.AE.B6.E6.97.8F
>3人の娘にはすべて「理」と付く名前をつけた。これは、いずれ嫁に行き、姓が変わってしまう娘(日本国籍を持つ男性と結婚した場合。中国では夫婦別姓である)だが、王の娘としていてほしい、里は王家だ、という意味をこめて「里」に「王」の偏をつけた「理」とした。

2016-09-13 (Tue) 23:39 | EDIT | REPLY |   

弓取り

親子二代 この違いはなに?

棒球英雄の父。
★「日本に来て、日本に生かされている」
祖国と出自に真摯に向き合うから出てくる立派な言葉だと思いました。
親の生き様から学ぶところは大きいということなのでしょう。

貧しい国の貧しい外来者も見倣ってほしいものです。謙虚さは美徳です。
もちろん、日本人も「日本に生まれて、日本の歴史と先人に生かされている」といったことを自覚すべきなのでしょうけれど。

それに引き替え、国籍不明のレンフォーさん。
どの「祖国」に対しても真摯に向き合っていないし、誇りも正しいこだわりもないみたいで、自由人などではなく、人間性が低くくて卑しいだけですね。

2016-09-13 (Tue) 23:52 | EDIT | REPLY |   

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