韓流研究室

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天皇陛下とムハンマド副皇太子殿下の皇居会見写真にみる美意識

★海外「これが日本との差だ!」
 皇居で行われたご会見の光景に
 アラブ社会が衝撃

 パンドラの憂鬱 
 
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2054.html
天皇陛下は1日午前、
公式実務訪問賓客として来日中の、
サウジアラビアのムハンマド副皇太子殿下と
御所でご会見されました。

副皇太子殿下が天皇陛下にサウジアラビアご訪問を
お求めになるなど、
会見は終始穏やかな雰囲気で行われたそうです。

このご会見については
アラブ諸国でも報道されているのですが、
現地の人々に衝撃を与えているのは、
ご会見の様子を撮影した一枚の写真。
陛下と殿下、そして通訳の方の椅子と、
花瓶の置かれたテーブルのみという、
空間の究極的なシンプルさに、
多くの方が感銘を受けています。
寄せられた反応の一部をご紹介しますので、ごらんください。

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(全文はリンク先で)







皇居宮殿・竹の間ですね。
ニュース報道された写真はコチラ↓

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明治時代に建てられた和洋折衷の明治宮殿は、
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第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)
5月25日の空襲で焼失した。
戦後暫くの間、焼失した宮殿の再建は行われなかった。
この理由について、昭和天皇の侍従長を務めた
入江相政は、自らの著書で
『お上(昭和天皇)は戦争終了後、
 「国民が戦災の為に住む家も無く、暮らしもままならぬ時に、
 新しい宮殿を造ることは出来ぬ」と、
 国民の生活向上を最優先とすべしという考えから、
 戦災で消失した宮殿などの再建に待ったをかけていた』
旨のことを記している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%AE%AE%E6%AE%BF

新宮殿は明治宮殿跡地に1964年(昭和39年)着工し、
1968年(昭和43年)10月竣工。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%B1%85

基本設計は、吉村順三氏


★吉村順三と皇居新宮殿
 http://d.hatena.ne.jp/FumioOKURA/20100919


★建築家・吉村順三の「ことば」
 http://blog.goo.ne.jp/umikiyo/e/58129b78b07d0237aa75ef17c845ea1d
朝日ジャーナル寄稿文
<建築と設計ー私はなぜ新宮殿の設計から手を引くか>


1960年、吉村順三は、「皇居新宮殿」の設計者に選定され
「基本設計」を完成させたが、「実施設計」の段階に入ってから
宮内庁が、後は宮内庁営繕部が行う、として、
基本設計者の設計の趣旨が変形されていったため
吉村は設計者の立場を明確にするために辞任した。

吉村順三の芸大時代の教え子、
永橋為成中央設計事務所元代表取締役の著書によると

 シンプルにして日本の宮殿に相応しい雰囲気を
 醸し出そうとする吉村にとって、
 ヨーロッパ流の飾り立てた宮殿という考えを
 よしとすることはできなかった、という。


「建築設計の仕事は大ぜいの人々の協力のもとに
 終始一環、ひとりの設計者の責任において
 おこなうことが正しいと、私は信じている。
 ことに、宮殿といったような、
 芸術的性格をもっとも必要とする建物においては、
 この原則は必ず守られなければならないと思う。

 なぜならば、宮殿は、真の創作でなければならず、
 またすべての創作は、これを創造するものが、
 一貫した誠意と熱情をかたむけて、
 最後まで仕事をすすめていかなければ
 ならないからである。」(朝日ジャーナル)




★デザイン|ジャパニーズ・アイデンティティー 
 建築からみる日本の主体性

 http://cragycloud.com/blog-entry-800.html
(引用開始)
2)装飾を廃した簡潔性

日本建築の素材は、その多くが木材である。
自然の恵みのひとつである木材という比較的
シンプルな素材を用いて、それをあまり加工せずに
特性を活かして使用している。
装飾はほとんど施さずに、
簡潔性(シンプル)故の美しさが特徴である。


ちなみに装飾性が特徴の日本建築も有るが、
それらは中国の影響が強くあり日本の美の特性とは
若干異なっている。
したがって、装飾を廃した簡潔性こそ
日本の美の本来の姿であると思われる。


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(全文はリンク先で)




★日本人の美意識に関する基礎的研究
 「美」の概念としての
 「あいまい」に関する研究

 高橋 浩伸/九州芸術工科大学大学院  
 大井尚行/九州大学
 http://homepage3.nifty.com/naoyuki_oi/Research/biishiki_DRA35.pdf
(引用開始)
一般に日本人の美の概念としては、「わびさび」や「幽玄」、
「いき」等が知られている3)。
これらは、中世以降に成立したものであり、
それ以前の「美」の概念としては、
汚れのないものを指して言う「きよし」や
清らかなるものを指す「キヨラ(清)」
などがあげられる。

(中略)
1-5.日本人の既存の「美」の概念
 高階18)によれば、
日本語で言う「美しい」という言葉が、
今日の我々が使っているような意味を
持つようになったのは、おおむね室町時代以降だという。
 上代(およそ奈良時代まで)においては
ひらがなでの「うつくしい」という言葉が、
親しい人への愛情や、小さいもの、可憐なものに
対する愛情を表す言葉であり、
やがて美的性質一般を意味するものに昇華して
いったということは、
日本人の美意識が、自分より小さいもの、弱いもの、
保護してやらなければならないものに対して
向けられていた18)といえる。
また、
上代の人々は美しいものを「きよし」と呼んでいた18)。
上代の日本人の「美」を表す概念は、
クハシ(細)、キヨラ(清)、ウツクシ(細小)、キレイ(清潔)
と変化しており、清なるもの、潔なるもの、
細かなるものに同調していた18)と考えられている。


 中古(平安時代)には、「みやび」や「」や「をかし」、
「なまめかし」等の「美」の概念が成立する。
そして中世(鎌倉・室町時代)には、「わび・さび」や
「幽玄」といった「美」の概念が成立する。

近世(江戸時代)には、「いき」等の「美」の概念が成立する。
さらに近代(明治以降)になると、これまでの日本人の
「美」の概念と異なる、
西欧的な「比例(proportion)」や「調和(harmony)」や
「対称(symmetry)」「均衡(balance)」といった「美」に、
多くの人々の目が向けられた。
しかし、
逆に欧米人たちによる、日本の「美」の再発見がなされ、
その中でブルーノ・タウト19)は日本芸術の特徴として、
「単純さ」という概念をあげ
伊勢神宮や桂離宮を絶賛している。
またドナルド・キーン5)は、日本人の美意識として
「 暗示または余情」や「いびつさ、ないし不規則性」、
「簡潔」、それに「ほろびやすさ」などの
「美」の概念をあげている。

(引用ここまで)


■きよら(清ら)   
 https://kotobank.jp/word/%E6%B8%85%E3%82%89-479992
 清く美しいこと。気品があって美しいこと。また、そのさま。
 平安時代には「きよげ」よりも上の
 第一流の美をさして用いた。

 (1)美麗さ、豪華、
 (2)匂うように 美しいさま、輝くような美しさ。

■けう‐ら【▽清ら】
 http://dictionary.goo.ne.jp/jn/67247/meaning/m0u/
[形動ナリ]《「きよら」の音変化か》
けがれなく美しいさま。きょうら
「かの都の人は、いと―に、老いをせずなむ」〈竹取〉


★沖縄の「ちゅら」
 http://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2007/12/cyura_6b85.html
(引用開始)
「ちゅら」に対応してるのは「きよら」だろう。
「きよらか」の「きよら」だ。「き」が「ち」になって、
「よ」が「ゆ」になると、「ちゆら」だけど、
それがちぢまれば「ちゅら」になる。
だとすると、ことばの対応としては、
漢字をあてるんなら「清ら」になるけど、
「ちゅら」の意味はいまの「きよらか」とは
ちょっとちがってるから、
意味からすれば「美ら」なんだろうな。

で、あらためて船津好明[ふなつ よしあき]
『美しい沖縄の方言[ことば]1』(技興社)をみてみたら、
「ちゅら」には「清ら」って漢字があててあった。
(中略)
ところで「きよら」っていうのは
いまでもつかわれないことはない。
っていっても文語だけど。
たとえばシューベルトとかの《野バラ》の歌詞の
翻訳できよらに咲けるってとこがある。
この「きよら」は平安時代にはかんたんにいえば
「うつくしい」っていう意味でつかわれた。
だから「ちゅら」は
この意味をだいたいのこしてるってことになる。

(引用ここまで)


★「しけしき」の語義
 http://www.dai3gen.net/sikesiki.htm
神武記に「しけしき小屋」という句がある。
神武天皇とイスケヨリヒメが結ばれた場所である。
岩波古事記頭注では
「穢ないとか、荒れたとかの意ではあるまいか」としている。
そうであろうか。
(略)
『沖縄古語辞典』を調べてみると
「シケ、聖所。神の在所。
 対馬、穢れを嫌い、人の住むことの許されない
 聖所をシゲという(・・)がこれと関わるか。」
とある。
(「グスク」の項を参照すると
 「シケ」には「シキ」という語形もあるらしい。)

(中略)
「対馬にはシゲと称する聖地(神山)が多く、
 しかも山岳信仰が強く、
 神社の神体が山そのものである場合が多かった。
 愛野の重(シゲ)尾のシゲはこのようなところより
 きているのではないだろうか。」
とある。

(中略)
「しけしき小屋」の「しけしき」が語形の揺れた同語
「しき」と「しけ」を重ねたものか、
「しけし」に「き」が付いたものか判断できないが、
意味としては琉球語を参照した
「聖なる場所」が大変魅力的な解である。

この句の前には「葦原の」が付いており
「葦原のしけしき小屋」となっている。
アイヌ語 siki が「大きい萱、本当の萱、おにがや、荻」
を意味することから、
「葦原の」が「しけ(しき)」に対する枕詞的機能を
果たしているのかもしれない。


(引用ここまで)


★縄文人の奥歯からDNAを抽出して
 核ゲノムの配列を決定

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4391.html
三貫地縄文人のゲノム塩基配列を、
東ユーラシアのさまざまな人類集団の全ゲノムSNPデータ
と比較したところ、
ヤマト人は、縄文人と東アジア北方の集団との中間に
位置しており、日本列島3集団および北京の中国人と
比較した場合、
全体の遺伝的多様性をもっとも大きく示す第1主成分では、
三貫地縄文人はアイヌ人ともっと近く、
そのあとはオキナワ人、ヤマト人、中国人の順となる一方で、
第2主成分でみると、三貫地縄文人は
オキナワ人やヤマト人に近くなっていたという。

(引用ここまで)




★日本人と日本文化 
 司馬遼太郎・ドナルド・キーン

 http://blog.goo.ne.jp/tetsu814-august/e/0b4cb68cb33b0d09878a19efd42a8bcb
日本文化のスタートは平安時代としながら、
現代の日本文化の起源はほとんどが
室町時代という。
お茶、お花、建築、能狂言、鑑賞に堪えうる舞踊、
そして侍や庶民にも物事を記録するということが
身に付いたのも室町末期。
日本語も狂言で使われた言葉が標準語の京都言葉になり
津軽や種子島、ものによっては沖縄まで伝わった。
標準語が決まったので記録もしやすくなったというのである。

(中略)
西洋文化ではレンブラントが描いた絵があったとして、
描いた当時と同じ色彩であればそれが最高である
という感覚。アラブではそうではないという。
バーラック(baroque)という感覚があって
時代とともに物につく宝という意味、
これは日本とにている。

(中略)
神道によると人間が生きているこの世界は
一番いいところ、
死んでからは黄泉の国という穢れわしい
汚れの多い所に行く。
仏教ではこの世は娑婆であり穢れ多いところであって
死んでから清い浄土へ行く。
儒教ではこの世以外に世の中はない。
日本人はこの全く矛盾した三つの宗教を
同時に信じている、と指摘するのはキーン。
司馬は神道が日本人の基礎であり、
お皿のような入れ物で、その入れ物に
仏教や儒教という食べ物をのせていると表現。
神道には教義もなく、
神様のいる場所は清めておくというだけであると言う。


(引用ここまで)


★引き算の美学にある潔さと美しさ
 http://shigematsutakashi.com/diary/2111/




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美の感性は、
気候風土や民族の歴史が影響する。
他国が、好み、長年育んできた文化を
「あの起源は我々のものだ。」と言うのも愚かだ。
受容した文化様式のルーツであっても
好まれずに廃れてしまったのでは
美意識が違ったのだろう・・・
http://www.focus-asia.com/socioeconomy/photonews/424172/

日本人は、
清浄を意味する白砂を敷き詰めた「無塵の庭」を
http://www.geocities.jp/sankyo_niwaishi/zen_gardens.html
最上級の美・「きよら(清ら)」と感じたのでは? 
しかし
「自国の文化が最も優れている」とか言うのも
無粋だ。美しくない。

独仏の国境・アルザス地方で育ったシュヴァイツァー博士

http://homepage2.nifty.com/tori-hide/xmasday57.htm
彼は、ドイツとフランスの二つの言語を比較して、
面白いことをいっている。
 フランス語は論理的
 ドイツ語は音楽的


フランスは平野の国だ。
人は危険が近づくのを目でみようとする。
だから、目が発達し、美術が発達したと説いている。
フランス語は、見晴らしのよい平野のように
明晰な言葉になったとしている。
外交文書でフランス語版を正本とするのは、
誤読のしようがないためだ。
これに対してドイツは、森の国だ。
南ドイツの黒森(Schwarzwald)で木に登ったリスは、
そのまま地上に降りることなく北海まで行けるらしい。
見通しのきかない森で危険を察知するのは、耳による。
そこで、ドイツ人は耳が発達して、
音楽に秀でた民族となった。
ドイツ語は、森の中の迷路のように不明解だ。
しかし、
音楽的な響きは素晴らしいと彼は言っている.。

虫の音や雨音を
日本人は人の声と同様に言語脳(左脳)で
聞いているのだそうだ。
この特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけで
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=156169
西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に
音楽脳で処理する。
中国人や韓国人も西洋型を示すそうだ。
さらに興味深いことは、
日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型となり、
外国人でも日本語を母語として育つと
日本人型になってしまう、というのである。


★日本人の脳と日本の美意識
 http://www.machie-rusya.com/2012/08/22/日本人の脳と日本の美意識/


★『日本人にとって美しさとは何か』
 高階秀爾著
 http://www.sankei.com/life/news/151011/lif1510110025-n1.html



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Comments 2

F.Y

母音主義の日本人・ポリネシア人

リンク記事の角田忠信氏は、「日本人(とポリネシア人)の脳は母音主義」と
おっしゃっていますね。
http://cds190.exblog.jp/20809261/

人間が無意識に発する声は、世界共通して母音表現なんですよね。
「アー(ア)」「オー(オ)」「ウー(ウ)」「ハー(ア)」のように。
つまり、素直な声は日本語と同じ。

最近日本語の歌詞が海外で人気だそうですが、意味が分からなくても
母音が心に素直に響くのかもしれませんね。

2016-09-05 (Mon) 21:42 | EDIT | REPLY |   

弓取り

No title

>日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型となり、外国人でも日本語を母語として育つと日本人型になってしまう、というのである。

興味深い説です。音ですね。言葉ですね。語らいですね。
家庭は文化を構成して根っことなる最小単位。大事にしたいものです。

2016-09-07 (Wed) 23:16 | EDIT | REPLY |   

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