韓流研究室

ARTICLE PAGE

韓国で15年ぶりに発生したコレラ(韓国のコレラ史)

★【萬物相】韓国で15年ぶりに
 発生したコレラ

 朝鮮日報日本語版 8月26日(金)11時19分配信
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160826-00001093-chosun-kr
 1946年初夏、韓国南東部の釜山から
コレラが全国に広がった。6130人が感染し、
半分以上の約3300人が死亡した。

隔離病棟がなかったため、患者たちは学校の講堂に
収容された。猛烈な下痢で脱水症状が起きても
輸液が行われず、ひたすら横になって過ごした。
当時、コレラは「虎列剌」と呼ばれた。
トラにかみちぎられるような苦しい病気という意味だ。
感染を恐れた家族たちは会いにこなかった。
患者たちは恐怖の中、徹底して見捨てられた。
それが70年前のことだ。

(中略)

 先日、韓国で「国産」コレラの発生が
15年ぶりに確認された。
この間は、海外に出かけた人が感染するケースが
時おりあっただけだった。
患者は韓国南海岸を旅行中、
コレラ菌に汚染された海産物を食べて感染したようだ。
猛暑で海水温度が例年より6度も高くなり、
菌の繁殖が盛んになったと分析されている。
コレラは米のとぎ汁のような下痢を起こし、
腐った魚のような悪臭を放つ。
予防するにはできるだけ加熱した食品を食べ、
手洗いを頻繁にする必要がある。
ワクチンはあるが、免疫効果が低く推奨しない。

 体感温度が人の体温を上回る猛暑が続いている。
韓半島(朝鮮半島)がいずれ亜熱帯気候になるという
言葉を実感する。気温が上がり、昔の感染症や
寄生虫が続々と「帰還」している。
蚊やダニ、トコジラミがふ化して成虫になるまでの
期間も短くなっている。
これらの虫が媒介する感染症であるデング熱や
マラリア、ツツガムシ病の発生は毎年増えている。
食中毒の原因となるサルモネラ菌の感染率は、
気温が1度上がるごとに最大で10%上昇する。

韓国でのコレラ発生は、
猛暑がもたらす感染症との闘いに気を引き締めろ
というシグナルなのだ。

(引用ここまで)


★【社説】韓国政府のコレラ対策、
 MERSの失敗を繰り返すな

 朝鮮日報日本語版 8月26日(金)
 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/08/26/2016082601090.html
今回最初に感染が確認された光州広域市に住む
59歳の男性会社員は、今月7-8日に慶尚南道巨済に
旅行に行き、現地の複数の食堂で刺し身など
生の魚介類を食べていた。
2人目の患者は巨済に住む73歳の女性で、
知人が沖合で釣り冷凍保管していた太刀魚を14日に
刺し身で食べたという。
2人はいずれも巨済で感染したとみられるが、
感染経路は異なっているため、
コレラ菌は複数の場所に潜伏している可能性が高い。

 今後重要になるのは国(疾病管理本部)が
直ちに感染源を特定し、2人から検出された
コレラ菌がどこで発生したのか明確にすることだ。
コレラは菌に汚染された魚介類や水を
摂取したときに感染する。

巨済周辺に流通する魚介類や周辺の海水が
コレラ菌に汚染されている可能性を見据え

国は早急に対策を取りまとめねばならない。

(引用ここまで)



★またもやコレラ騒ぎ
 2016-08-25
 http://ameblo.jp/sincerelee/entry-12193577019.html
(引用開始)
国内コレラ患者は、
1980年に145人、1991年113人、1995年に68人が
発生した。以来、年間10人以内が申告されたが、
2001年、慶尚道地域を中心とした全国的な流行で
162人(確定者142人)が報告された

(引用ここまで)



終戦後、アメリカ軍の計画帰還により
一般の日本人居留民は1946年3月には
南鮮から引揚を完了しています。
コレラが大流行するのは、その2か月後の5月から・・・

シンシアリーさんが紹介した韓国メディアの
「国内コレラ発生状況」
戦後の韓国のコレラ発生は1980年からではなく
日本の資料には1963年からあるのだが・・・
実に詳しい報告書がネット上にUPされている。
韓国では、その様な情報は検索できないのかな?


★韓国におけるコレラの流行
 (特に初期の防疫について)

 昭和38年(1963年)12月20日
 http://journal.kansensho.or.jp/kansensho/backnumber/fulltext/37/343-346.pdf
1.流行の発端
韓国政府の発表によれば,1946年の大流行
(患者15,644,死者10,181)以来17年振りに
釜山にコレラの発生が確認された
のは
9月21日であった.
初発は釜山市西区甘川洞のスラム街と推定されている.
すなわち,14日,甘川洞で集団下痢症が発生し,
怪疾として新聞も取り上げているところから,
かなりの規模であつたと思われるが
16日町内会長が市当局に届出し,19日,これらの患者の
中の6名が赤十字病院に収容された.
当初,食中毒ないし農薬中毒と推定されていたが,
釜山大学における細菌学的検査の結果,21日に6名中
2名からコレラ菌が検出され,更にソールにおける
国立防疫研究所においても確認され,22日に至り,
El-Tor型コレラ,小川型と決定されたのである.
更に22日にはソールにおいて7名が届出られ,
23日,この中1名が細菌学的に確認された.

(引用ここまで)


★韓国におけるコレラ—その現状と影響度
 厚生省検疫課 1969/11/10
 http://medicalfinder.jp/doi/abs/10.11477/mf.1402202877




日韓併合時、朝鮮総督府も
朝鮮半島のコレラ対策に苦慮していた。


★植民地朝鮮におけるこれらの大流行と
 防疫対策の変化
 -1919年と1920年の流行を中心に-

 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/52461/1/acb008002.pdf


★95年前のコレラも迷信との戦いだった
 韓国型隔離拒否事情について

 minaQのつぶやき 2015/6/28(日)  
 http://blogs.yahoo.co.jp/illuminann/13376114.html
95年前にも、コレラの蔓延時にも
"担架に乗ってください""乗らない"で言い争い


韓国人は隔離が嫌い、
防疫の歴史も繰り返されるのだろうか

コレラで1万人が死亡した1920年、韓半島。
当時、全羅南道の防疫担当者は
'警務彙報'(日帝、朝鮮統監府の警務総監部で
発行した月刊誌)にこのような記録を残した。

"私たちは病気との戦争のほかに
 (住民の)迷信
 戦争をしなければならなかった。"


(中略)
 soutokufuimg_1_m.jpg
▲韓半島全域にコレラが流行した1920年頃に
 仁川(インチョン)で、住民らに対し、
 予防接種を実施する姿。
 中で黒い制服を着た衛生警察が接種を見守っている。


95年前にも防疫作業をめぐって、似たような風景が
演出された。 1920年8月16日午後6時頃、
京城(京城・ソウルの旧名)鍾路4チョンモク(現鍾路4街)
交番の前。警官と1人の男性が対立した。
彼らの傍には担架を持った人夫があった。

警官が話した。
"ここから歩いて病菌が広がったらだめだ、
 担架に乗ってください。"

すると、男性が答えた。
"私の体がこんなにいいが、
 歩いたら行っても担架は乗らないよ!"

担架に乗り切るのを拒否した男性は鍾路区仁義洞に
住んでいた)チェ・ヨンテクさん(当時47歳)。
一週間前の下痢病で苦労していた妻を失った人だった。
妻を検死(檢屍した警察はチェ氏の検体も持っていった。
チェ氏の妻がコレラ患者である可能性があったためだ。

当時、韓半島は致死率50%に達するコレラで
頭を抱えていた。

警察は、チェさんが保菌者と主張し、
隔離病院である順化院にスカウトしたが、
口論は簡単に終わっていない。

交番の前で騒動が起きると、近隣の住民
100人余りが集まった。 住民たちは叫んだ。

"死んでも担架には乗らないでください!"、
"朝鮮人は勝手に死んでも大丈夫ということか!
 元気な人をつかまえてコレラの穴に
 入れようとする警官を殴って殺しなさい!、
 交番を壊しなさい。"


警官は事態を沈静させるため、
チェ氏を帰宅させしようとした。 すると、チェ氏は
"今、数百人の群衆が集まっていて
 怖くて帰らせておいて夜になると密かに
 連れていこうとするじゃないのか"
と問いただした。

群衆は調子を合わせて
"正しい。 本当にそうだ!
 それではこの席で連れて行かないという
 誓約書を書いてみなさい"と叫んだ。
警官たちはあわてて何もせずに立っているだけだった。

※もちろん警官は朝鮮人ばっかりでした

東大門(トンデムン)警察署では10人余りの警官を
追加で派遣した。
すると、群衆は興奮して石を投げて交番のガラス窓を
破って、警官1人は頭を怪我した。
警官らは刀を抜いて群衆を落ち着かせた後、
チェ氏を帰宅させた。
暴動はしばらく後になっておさまった。
しかし、警官と市民の衝突はその月の17日、19日も
続いた。 政府は群衆を解散させるために騎馬(騎馬)
巡邏隊まで動員しなければならなかった。

チェ氏は結局、順化院に引きずられていったが、
ついに検診を拒否した。 彼が本当にコレラの保菌者
だったのかは今も確認する術がない。

※順化院、半島初の医療施設、
 病人が出れば巫宗に頼り、死ねば山に捨てに
 行くのが習慣だった朝鮮人には不思議だったらしい

(中略)
100年前にも感染病の原因と治療法をめぐって
根拠のないうわさが広まった。

朝鮮総督府の'大正9年虎列刺(コレラ)病消毒規則'(1921年)
によると、
多くの朝鮮人たちは伝染病が鬼や悪魔の呪いだ
と思っていた。 さらに、コレラ菌が引き起こす
消化系の伝染病である'コレラ病'を
'体の中にネズミが入って生じる病気'と思ったりした。

人たちは患者が痙攣を起こす時、ネズミを殺すと言って、
針で患者の体を刺して傷を刺したものや、
猫の形の餅を作って食べさせたりした。

患者が発生した家の近くのトイレに火をつけて
病魔を駆逐する人もいた。

警官が感染病患者を発見するたびに、
お金をもらえるという噂も出回った。

'一人当たり5ウォンを貰えるよ'という具体的な
金額まで提示された。 このため、防疫当局は
1920年8月20日付の東亜(トンア)日報に
次のような釈明を掲載した。
'警察署では病人を発見しても一銭でも
 金銭を与えることは決してない。
 …このようなうわさが来た理由は彼らが、
 防疫の目的をきちんと理解していないためだ。'


※当時の朝鮮はようやく貨幣経済社会が
 浸透しはじめた時期になる


(続きはリンク先で)




朝鮮総督府の涙ぐましい努力は続く・・・

★朝鮮総督府の牛痘政策と朝鮮人の反応
 朴 潤栽
 http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/kosh/2013-03-18/s001/s091/pdf/article.pdf
 「耳にするだけでも恐ろしい天然痘」。
1930 年代中頃、植民地朝鮮のある言論は
痘瘡をこのように表現した。
言葉だけでも恐怖感を抱かせる疾病が天然痘──
痘瘡であった。
痘瘡は伝染力が強い上に、致死率も高かった。
(中略)
日帝は朝鮮に進出するその初期から牛痘法を用いた。
その効果は確実で、本格的な植民地支配が始まっても
牛痘法は主要な医療政策として機能した。
本稿の目的は、朝鮮総督府が実施した牛痘政策
内容を検討しつつ、朝鮮人がその政策にどのように
反応したのかを探ることである。
いかに効果的な予防や治療法といえども
人々が馴染みのない施術に反感を抱くのは
自然なことであった。
さらに、朝鮮人にとって牛痘法は、ただ馴染みのない施術
というだけでなく、植民国家が実施する政策という点でも
特別であった。
日本人が朝鮮人を撲滅するために
牛痘という「毒物」を注射するという
風説さえも起こるほどだった。


(中略)
1 牛痘接種と持続的な痘瘡の発生
(1)朝鮮人の衛生思想と強制牛痘接種


(略)
だが、
植民地朝鮮において強制接種を行わなければ
ならなかった理由はもう一つあった。
それは、すなわち幼稚な衛生思想であった。
総督府によれば、朝鮮人は痘瘡を一生に一度は
必ず罹る疾病として思い込み、いかなる予防策も
講じようとはしなかった4。
痘瘡によって家族が死亡すると、
その死体を木の上に掛けておく慣習もあった。
甚だしくは、死体を長い間家の中に安置したまま、
親戚が集まって食卓を囲む風習さえあった5。

総督府は朝鮮人の衛生意識が低い状況下では、
自律や勧誘だけでは牛痘を広めることは不可能である
と考えていた。
強制力を用いなければ、
 到底普及が期待できない実情
であると考えられた。
このような事情から
警察が指揮する強制接種が始まった6。

(引用ここまで)


日本人は、植民地朝鮮で酷い事をしたと
よく言われるけれど・・・
天然痘のワクチン強制接種




う~~ん
日韓の歴史論争の根本的な原因は
以前、シンシアリーさんが指摘していた
韓国の「実質文盲率」
http://ameblo.jp/sincerelee/entry-11440561095.html
・町内会公告文を見て
 「町内会が誰の家で開かれるのか」が
 把握できる水準の、
 生活情報文書解読に脆弱な人(1段階)が
 全体の38%

 (2004年韓国教育人的資源指標)

これでは、当事者の証言が事実とは限らない・・・






日本は、コチラが心配・・・

★14日のジャスティン・ビーバーの
 幕張コンサートに行った方は要注意!
 はしか(麻疹)の恐ろしさと対策。

 http://matome.naver.jp/odai/2147212553748714801
【大規模コンサート 麻疹感染者】
千葉市の幕張メッセで8月14日に開かれた
コンサートに、麻疹(はしか)の感染者が
参加していたことが判明。
2次感染可能性を警告。

 患者は西宮市在住の19歳男性で、
 麻疹の予防接種歴がなく、
 発症10日以内に海外渡航歴があったという。
 このため輸入感染例と考えられるとしている。
 同居家族の3人も発症しており、
 いずれも予防接種歴はなかった。


潜伏期間(感染してから発病するまでの期間)は
8~12日程度




人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

Comments 0

Leave a reply