韓流研究室

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解散したSEALDsは、何故普通の若者の共感を得られなかったのか

★SEALDs最後の会見 
 「これで終わりじゃない」

 朝日新聞デジタル 8月16日(火)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160816-00000043-asahi-soci

コメント欄より

>SEALDsが若者を代表してるみたいな
 マスコミの持ち上げ方、まじやめてほしい。









★シールズ 15日解散 
 政治に斬新な表現、若者の共感呼ぶ

 毎日新聞2016年8月13日
 
http://mainichi.jp/articles/20160814/k00/00m/040/040000c






SEALDsは、「元若者」の創りだした偶像でしたね・・・




http://blogos.com/article/182963/
”意外だったのは若者の4割が
 自民党に投票したということだ。
 マスコミが虚像を膨らませたシールズ・ブームが
 完全に否定された。
 若者はシールズにむしろ反発を覚えていたようだ。

 それが分かったことは大収穫で、嬉しい誤算だった。 ”





★SEALDs牛田、
 学校でSEALDsシャツ着てたら
 「あれマジなのか?」
 「ガチ左翼じゃん」と陰口叩かれる

 厳選!韓国情報 2016年08月04日
 http://gensen2ch.com/archives/64685175.html

























★戦争法廃止 「国民連合政府」実現へ 
 関心広げ高める運動つくりたい

 共産党下部組織「日本民主青年同盟」サイト
 2016年2月8日
 http://www.dylj.or.jp/minshin/1555/
1月24日、栃木の10~30代の青年でつくる
「Defenders of Due Democracy」
(D3=正当な民主主義の支持者)が宇都宮で行った
デモには約200人(主催者発表)が参加し、
自衛隊が米軍と共に海外で戦争し「殺し、殺される」
ことになる戦争法の廃止と、選挙の投票を呼びかけました。
デモのスピーチにはD3の創設メンバーの
七田千紗さん(16)が立ちました。

(引用ここまで)

日本共産党は、民青の若者を煽って利用し
選挙活動に動員していたのですが
高校に進学しなかった七田千紗さんや
受験勉強を止めてしまった五寸釘ほなみさんなど
下部組織の若者の人生を、
きちんと責任を取れるのだろうか????










SEALDsが
自主廃業しなければならなかった理由は・・・


★SEALDs、
 政治資金規正法違反の疑惑浮上…
 違法な手段で寄付募集や政治活動か

 http://biz-journal.jp/2016/06/post_15643.html









★日本の市民運動、
 安易な「同情」の危うさ 
 戦後を代表する政治学者が語った
 現代への警句

 8月15日で没後20年、丸山眞男が残した言葉
 https://www.buzzfeed.com/satoruishido/maruyama-masao-8-15?utm_content=buffer77934&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer&utm_term=.sllXmzK2p#.mrr2pZjxe
時は、1960年5月27日夜。
日米安保に反対する多くの市民が、
国会前デモに参加していた。
この日、デモ隊の歌声は永田町に響き渡っていたという。

丸山は歌声を聞きながら、座談会の収録に臨んだ。
丸山自身、デモに参加して、スピーチもしたが、
場の熱気とはどこか一線を引いていた。
むしろ、熱狂の中にある、危うさを見ていたように思える。

例えば、こんな風に。

座談会に参加した中国文学者、竹内好は
「破壊された民主主義を立て直すことによって、
 こちらのものにする」を共通の目標に、
政治要求の近いものが組むべきだと発言する。


2015年の安保法反対を訴えた国会前デモ以降、
この手の発言はあちこちで聞こえてくる。
パターンは同じだ。
立憲主義の破壊、反アベ政治を一致点に
分裂せずに共闘しなければいけない……。

保守派もまた改憲という大目標に向かって、
反護憲で組もうとする…

丸山は竹内に一定の共感を示しつつ、
組む」ことの意味について、
根本から疑問を投げかける。


「組むというので、いつも気になるのは、
本来人間は同じであるべきだという前提が、
どうしても強過ぎるんだ。

つまりお互にみんな一人一人違っているんだ、
どうせ違っているんだ」という感覚に乏しい。

だからこそ、組むときに必要なのは
「徹底して、
 違ったもの同士が組んでいくという覚悟」だ。
同じではないから、意見が違えば別れたらいいし、
明日わかれてたとしても、
状況が変わった明後日なら組めるかもしれないからだ。

同じであることを求め、
細かい方針の違いを突きあい、
批判合戦になる。

こんなありがちな分裂劇より、
はるかにマシな考え方に聞こえる。

(中略)
■市民が政治の「プロ」 
 それは歓迎すべきことなのか?


「集団、共同体等に逃避することで、
 自己の不安、孤立感を癒そうとする
 要求が出てくる。
 そして、
 これがまたファシズムの培養素に
 なっているんです」

 (丸山眞男座談4巻)

丸山は、人が何か一色に染まることへの
危機感を常に持っていた。
それは集団だけでなく、個人においてもだろう。

政治は「職業政治家」や活動家による特殊なものでなく、
普通に職業を持ち、生活がある人が
「にもかかわらず」寸暇を割いてやるものだ、
と丸山は考えている。

彼自身の言葉でいえば、
パートタイムもしくはアマチュアの政治参加がいい。
その対極にある
生活もすべて政治活動に捧げるような、
フルタイムの「市民」、プロ化を理想とするかのような
左派の「市民」像に、激しい違和感を口にしている。


「完全な市民」は、
自我と何らかの権威や共同体といった
「自分をまるごとつつんでくれるものと、
 直接的、非合理的に合体して、
 自分の中にある不安とか、孤立感、挫
 折感を解消しよう」としている。

自分の中にある孤立感や不安を解消しようと、
集団に逃げ込み、その癒しを求める。

丸山はこれを「ファシズムの培養素」と呼び、
危うさに注意を促す。
集団の中にこそ、多数性の暴力が潜んでいないか。
丸山はそう問いかける。

(引用ここまで)







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