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琉球新報「政府の国連撤回要求は琉球巡る歴史認識に隔たり 」

★「沖縄の人々は先住民族」の撤回要求 
 国連勧告で外務副大臣 
 琉球巡る歴史認識に隔たり

 琉球新報 2016年4月28日 05:05
 
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-268568.html
【東京】沖縄の人々を「先住民族」とし、
日本政府に琉球・沖縄の言語や文化、歴史の
保護などを求めた国連勧告
について、
木原誠二外務副大臣は27日の衆院内閣委員会で
「事実上の撤回、修正を働き掛けたい」
と述べた。国連は、琉球王国があった事実を基に
勧告しているが、日本政府はこれまでその判断を
回避してきた。
琉球・沖縄を巡る政府と国連の歴史認識などに
隔たりが大きいことがあらためて浮き彫りとなった。

宮崎政久氏(自民)の質問に答えた。

 国連は2008年に沖縄の人々を「先住民族」と
公式に認め、過去4回勧告を出した。
14年8月には国連人種差別撤廃委員会が
沖縄の人々の権利を保護するよう勧告する
「最終見解」を発表し、法制を改正しての
土地や天然資源に対する権利の保障措置
を求めている。


 10年には
「沖縄における軍事基地の不均衡な集中は
 住民に否定的な影響がある」とし、
「現代的形式の差別」と断じた。


 対して日本政府は、
日本にアイヌ民族以外に少数民族は存在せず、
沖縄の人々は日本民族で、人種差別撤廃条約
の適用対象にならないと主張している。

 同日の委員会で宮崎氏は国連勧告を
「県民もほとんど知らない状況で
 勝手に先住民族として扱われている」
と強調し、
政府に
「責任を持って抗議をしてほしい。
 民族分断工作と言ってもいいようなことを
 放置しないでほしい」と述べ、
国連への働き掛けを求めた。

 これに対して、木原氏は
豊見城市議会が国連勧告撤回を求める
意見書を賛成多数で採択したことに触れ
「これまでも政府の立場と異なる意見、
 わが国の実情を正確に反映していない
 勧告、意見については事実上の撤回、
 修正をするように働き掛けており、
 これからもしっかり行っていきたい」
などと述べた。

議論のすり替え

島袋純琉球大教授の話 
国連宣言での「先住民族」は、
抑圧されている人たちの人権を保障するという概念で、
国連人種差別撤廃委員会の勧告は
構造的差別を受けている沖縄県民の人権を
保障するというものだ。

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本土と同じ血筋や言語だから先住民族ではない
とし、撤回を求めるとする国会のやりとりは
的外れで、議論のすり替えだ。

沖縄には民族分断をする危険な人たちがいる
とのレッテル貼りの意図があるのではないか。
仮に国連に抗議をしても沖縄の権利を奪う
意図があるのかと思われるだけだ。

(引用ここまで)




★琉球王国は独立国ではなかった?
 http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-94c2.html
(引用開始)
琉球民族独立総合研究学会代表の
友知政樹研究理事
が、わざわざ
スコットランドまで行って、こんなことを
ガーディアン紙に言っています。

中国に対して危険ではないのか、
という質問に答えて

沖縄は既に、日本によって
 もっとずっとひどく侵略されているようなものだ。
 中国は琉球王国だった何世紀もの間、
 一度も我々を侵略しなかった


この
中国に対する底抜けの無防備ぶりと、
あまりに対照的な日本に対する底知れぬ
「憎悪」は一体なんなのでしょうか。

(中略)
「琉球」と書いて、ふと、
この「独立」を唱える人たちが
「沖縄」を使用しないのにはきっと
訳があるのかな、と思いました。

あまり区別されていないようですが、
「琉球」と「沖縄」はちょっと違います。

「琉球」は中国呼称による国号で、
「沖縄」は日本語呼称です。


「琉球」という呼称を自主独立のシンボルの
ように言う人がいますが、
事実は「朝鮮」と一緒で、
中華帝国の華夷秩序(※欄外参照)に属していた
琉球王国が、中華帝国皇帝から賜った国名が
「琉球」です。


この朝貢・冊封体制下に沖縄があったことが
中国が、いまだに沖縄をかつての版図であった
と考える遠因となっています。

(中略)
「沖縄」という国語呼称が定着したのは、
正式に明治期に日本国に編入されて
県名となってからです。

これがいわゆる「琉球処分」ですが、
それは形式的には琉球王国の解体でしたが、
沖縄にのみ適用されたわけではなく、
廃藩置県のひとこまにすぎません。


これを先日NHKが、
「独立を求める琉球と、
 それを暴力的に押しつぶした日本」

というステレオタイプな描き方をして
波紋を呼びました
(中略)
NHKは、
マルクス主義歴史観に沿って、
「武器なき平和な島を武力で滅亡させた日本」
という図式を描きたいようですが、
中華帝国の都合によって切り捨てられ、
日本のひとつの「地方」として近代化の道を
辿ったのです。

このように琉球王国は、
朝貢体制下の属国であったに過ぎず、
近世においては二主に仕える二股国家だったのです。

(全文はリンク先で)

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★全方位で警戒せよ!
 ついに、沖縄から発信された
 琉球独立運動!

 沖縄対策本部 2013年05月04日
 http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokka/e/5e9e4128cd1bdfda23560c01bd7ae04e




沖縄を巡る歴史認識の隔たりを感じるのは
コチラも同じです。

”17世紀の琉球王府の大政治家であった
 羽地朝秀[はねじ・ちょうしゅう]は、
 琉球語が日本語と類縁関係にあることを
 例証したうえで、それを踏まえて
 日琉同祖論を唱え、琉球の古代的社会から
 近世的社会構造へ転換させる
 改革イデオロギーの武器とした。”

という歴史もあるそうですし

http://www.okinawa100.info/100/post-1.html

■東京オリンピックの聖火ランナーを迎える
 沖縄の人々。

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★9月7日 オリンピック東京大会の聖火、
 沖縄に到着(1964年)

 http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2014/09/971964.html


★オリンピック東京大会沖縄聖火リレー
 ― 1960年代前半の沖縄における
   復帰志向をめぐって

 http://www.archives.pref.okinawa.jp/press/kiyou/kiyou09/kiyou09_03.pdf
(引用開始)
9月7日正午、
聖火を乗せた飛行機「シティ・オブ・トウキョウ」号が、
台北から那覇空港に到着した。
24時間遅れの沖縄入りとなったこの聖火が
沖縄島を駆け巡る聖火リレーを住民は熱狂して迎え、
沖縄が祝祭的時間に酔った5日間が始まった。
与謝野事務総長は聖火を出迎えるための
沖縄入りに際して
沖縄は日本の国土であるから、
 聖火の日本最初の上陸地点である。

 と同時に、また本土とまったく同じというわけ
 にもいかないので、外国コースの終着点でもある」

と述べた20。
沖縄のメディアは与謝野のコメントの後段ではなく、
「沖縄が日本国内の出発点」という言葉に
フォーカスをあてた。

日本の沖縄、日本の土= 「沖縄の地」を踏む聖火、
米軍占領下に住む「日本人」たる沖縄人の手から
本土へ、平和と友好の祭典オリンピックの聖火トーチが
手渡されるというストーリーを、沖縄の人々が欲している
かのように。

日本のメディアも聖火の沖縄入りを大きくとりあげ、
その中には沖縄があたかも「復帰」したかのような
喜びにわきかえった、と伝えるものもあった21。

(中略)
リレー走者の若者たちの胸にも、
TOKYO1964五輪のロゴと組み合わされた
日の丸のゼッケンが輝き、走者を見つめる住民も
同じ日の丸の小旗を握りしめ、
「祖国との一体感」に浸った。

(中略)
日本人として日の丸を共有したいという
民族主義と世界平和の理念が共存するかの
ような感覚は、沖縄の住民を陶酔させるに
充分だっただろう。

(中略)
2-2 祖国との一体感
(略)
この間、聖火リレーの沿道は
日の丸で溢れかえった。
琉球新報は
「聖火を日の丸で迎えよう運動」を提唱し
商店街などがこれに同調した。
リレー中継地点や学校前、家庭でも「国旗」を掲揚しよう
との気運が盛り上がり、これには集落や学校、婦人会や
青年会の単位で動員がなされていた。

戦後の沖縄でこれほどまでに日の丸が
誇示されたのはこの時が初めてだろう。
米軍は1945年の沖縄上陸直後に日本国旗の掲揚と
国歌の斉唱演奏を禁止した。
1949年の集成刑法では、日本国旗だけでなく
米国旗以外の国旗の掲揚まで禁じるが、
講和条約発効の1952年に個人の家屋や政治的な意味
をもたない私的な会合における日の丸の掲揚を認め、
1961年には池田・ケネディ会談を受けて、
法定の祝祭日に限り公共建物にも日の丸掲揚を許した。
これらの規制は1969年に撤廃されるが、
沖縄教職員会を中心に
「日の丸を掲げよう」運動が続いていた1964年当時
沖縄の米軍には日の丸掲揚を反米的な危険な
兆候として警戒する見方が根強かった。


(全文はリンク先で)


■沖縄の祖国復帰運動 
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■祖国復帰を祝う沖縄
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★アメリカ合衆国による沖縄統治
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%B5%B1%E6%B2%BB
アメリカは当初、琉球人は
日本帝国主義に支配された異民族であると認識し、
日本本土の一部でなく、日本が武力で制圧した
島だと考えた。

また沖縄人は自ら政治、経済を行えないという
先入観から、沖縄人の自治能力を過小に評価
していた為、沖縄における民主化に対して
消極的であった。
そのためにまず、民主主義の基礎を築くことにし、
市町村長、市町村議会の選挙を実施した[11]。
沖縄諮詢会設立においては、
日本軍と帝国主義者と関係にあった人物は
諮詢会員の選考から除外された[12]。
1947年(昭和22年)には
幾つかの政党が結成されたが、
軍政府は「政党の行動制限」を設け、
軍政府の政策に批判・阻止する政党には
厳しい罰則が加えられた[13]。



★沖縄に見る教育の復興
 http://jica-ri.jica.go.jp/IFIC_and_JBICI-Studies/jica-ri/publication/archives/jica/field/pdf/200503_edu_02a.pdf


★戦後初期における
 教育・教科書の研究

 広島大学大学院教育学研究科
 http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/18318/20141218100839378846/AA11618725_55_143.pdf


★沖縄の奄美差別
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%AE%E5%A5%84%E7%BE%8E%E5%B7%AE%E5%88%A5
戦後アメリカは、沖縄県と鹿児島県奄美群島を
日本より分割し軍政下に置いた。
このため両者の経済は癒着し、本土との流通を
閉ざされ経済が疲弊した奄美群島の住民は、
経済活動の中心地となった沖縄本島に
職を求め移住するということが多くなった。
しかし、奄美群島は沖縄県より早い1953年には
日本に復帰し、それ以後、沖縄県が返還される
1972年までの約20年間にわたり、
移住していた6万余人に及ぶ奄美群島出身者は、
「在沖奄美人」と称されて様々な社会的制約を
うけることとなった。


(中略)
当時の
沖縄タイムスなど在琉マスコミもこれを容認し、
さらに奄美群島出身者を敵視する報道を行った。

これらは日本本土の国会でも問題となったが、
沖縄県がアメリカ統治下のため、それ以上の干渉が
出来なかった。

沖縄返還により、以上の奄美群島出身者に対する
制度的差別は撤廃された。
(引用ここまで)


★沖縄の知られざる差別
  (青い海1972年・春季号より)  
 復帰を前にした今、沖縄は
 在沖奄美出身者の差別を
 どう受止めるべきか――

 http://keybow.co/itimura/itimura1.html
市村彦二(琉球新報社員)        
【いちむらひこじ】 経歴:昭和2年奄美大島生まれ。
 琉球新報社編集局長。同社専務取締役。
 沖縄テレビ取締役。那覇市社会教育委員

(引用開始)
ところで、沖縄の人たちがあまり知っていない
在沖縄奄美人の一面 琉球政府による奄美出身者
の差別待遇がある。
日頃、民主主義を唱え堂々たる論陣を張る政党や
各界の指導者も、その実状を十分知りながら、
どうしたわけかこの問題については「われ関せず」
とばかり逃げてきた――

少なくとも在沖奄美出身者にはそうしか
受けとれなかった。

日本政府に向かって差別反対を訴える沖縄が、
その地において日本人である奄美出身者を
差別待遇してきたのである。
事情を知る人たちが矛盾を感じないはずはない。

「琉球人」になった人は勿論「半永住者」も、
個人的にはこのことをあまり口にしたがらない。
もの言えば何とやらであるが、在沖奄美連合会は
組織としてこの問題をとりあげ、何回となく
琉球政府や民政府、果は母県の鹿児島県から
日本政府や国会にまで陳情をくり返したのである。


 琉球政府は、そのつど法的にそうなっているから
とか、転籍すれば差別はなくなるとか、
民政府のしたことだからと逃げてきたが、
果して琉球政府に責任はなかったのかどうか、
民政府にその不合理を説き、改善に努めてきたか
どうか 問題はそこにある。
沖縄の人は日本政府に対し、
沖縄県民の痛みをわかって欲しい、
小指の痛みでもそれは全身の痛みである
――と訴えている。正にその通りである。
しかし、その沖縄は、奄美出身者の苦しみを
自分自身の苦しみとして受けとめようとはしなかった。

在沖奄美出身者に対する琉球政府のそれは、
冷たい仕打ちとしか受けとれをかったし、
政府も政党もそれを避けて通った
としかいいようがない。

(全文はリンク先で)


★奄美復帰55周年 
 差別と被差別は合わせ鏡

 狼魔人日記 2008-12-28
 http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/e4a1b8a068f5b8567fb3bbee633aa321
(引用開始)
差別を声高に叫ぶ人間が、
本人は意識していなくとも、
実は差別主義者である場合が多い。


「差別された」と叫ぶ人間が
実は差別主義者であり、
彼らがいう差別とは
己を映す合わせ鏡のようなものである。

沖縄で差別を叫ぶ人間は、
その一方で離島出身者を差別したり
本島内でも北部出身者をヤンバラーと差別したり、
台湾人やフィリピン人をタイワナー、フィリピナー
と差別的意味合いを込めて呼ぶ。

最近では見られないが、
米軍占領時代は、奄美大島出身者を
オオシマーと侮蔑の意味を込めて呼んでいた。

(続きはリンク先で)


何だか・・・沖縄の問題は
とても複雑な歴史が有りますね・・・
「差別」を声高に叫ぶ人達が
ヤンキー ゴー ホームは差別じゃない
という発想と似ています。

このやり取りが典型的ですね。








さて、【琉球】という名称は1429年に
沖縄が三山統一して、中華の朝貢・冊封体制下の
【琉球國(ウチナークチでルーチュクク)】となり
中華の皇帝から賜った国名です。
それ以前は、どのような名称だったのだろう?

遣唐使船に乗って唐国に留学した鑑真の記録
(鑑真の在唐時からの弟子であった思託から
 資料の提供を受けて淡海真人三船が撰修した
 といわれる)『唐大和上東征伝』には、
奈良時代の753年、第10回遣唐使船にて
鑑真が本土に着く前に
「阿児奈波島に立ち寄った」記録があります。

”廿一日戊午、第一、第二の両舟同じく
 阿児奈波嶋(沖縄島)に到りて、
 多彌ガ島西南に在り。
 第三の舟は昨夜すでに同所に泊る。”

http://www7a.biglobe.ne.jp/~yurusu240/ganjin.htm

この記述は、
遣唐船が意図して立ち寄ったのではなく
それ以前から存在していた南島路に迷い込んで
”復路は風向きから、
 まれに奄美などの南西諸島に流された。
 幸いなことに、
 ここには、水先案内する「遣南島使航路」が存在した。”

という説もありまして・・・
http://homepage3.nifty.com/ayumi_ho/ganzinraizitu/nantouro.htm
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続日本書紀には
”天平勝宝六年(754)三月癸丑(17) 大宰府言。
 遣使尋訪入唐第一船。其消息云。
 第一船、挙帆指奄美嶋発去。未知其着処。”

と、奄美は「奄美」という記述があるので
当時の沖縄の人々は「阿児奈波島」と呼んでした
のだろう・・・というのが「沖縄」名称の由来です。
http://homepage3.nifty.com/ayumi_ho/ganzinraizitu/nennpyo.htm


その「阿児奈波嶋」で何が起きているかというと

★阿児奈波-2東よりを
 2016/2/24(水)
 http://blogs.yahoo.co.jp/ai159409/55762300.html
(引用開始)
伊計島大橋を渡って・・・戻って、
東海岸を北上します  
で・のこのこへのこへ
フェンスに美観破壊?のようなものが、
貼り付られれてます

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(全文はリンク先で)

「JR東労組上野支部」 (革マル派)
「婦人民主クラブ都庁支部」 (中核派)
「湘南YWCA」 (キリスト教系団体)
 
これのどこが
【オール沖縄】なのでしょう???



★【拡散】中国の「沖縄占領憲法」
 彼らは本気で沖縄を狙っています

 ぼやきくっくり  2012.03.31
 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1169.html



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