【朝日】君が代とは別の「第二の国歌」があれば理想だ byフランクフルト学派
「第二の国歌」があれば理想だ
野球観戦に耳栓は持って行きたくない
三島憲一 朝日新聞 WEBRONZA
2016年04月04日
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016033100010.html
成熟度を示す球場の観客
ときどきプロ野球の試合を観戦に行く。
多くの球場では試合開始直前に
「君が代」が演奏され、
スタンドの観客も一緒に歌う。
たいていの方は口パクのようだが、
演奏前に「ご起立ください」とのアナウンスがある。
小生はもちろん立たない。
野球と「君が代」となんの関係があるのだろう。
歌うと贔屓のチームが勝つなら歌ってもいいが。
われわれの子供の頃は、
大会社につとめている
エリート・サラリーマンたちでも
「君が代」を
「ああ、相撲の歌か」と言って笑っていた。
しかし、
日本の市民の成熟度を示すのは、
10人にひとりぐらいだろうか、あるいは、
もっと少ないか、
ひょっとしてもっと多いかもしれないが、
やはり起立の要請に応じない観客が結構いることだ。
ビールを飲みながら座ったまま
雑談を続けている女性同士の観客もいる。
いや、成熟度を最もよく示すのは、
そういう観客に
「なんで、あんた立たないんだ!」
「国賊か!」「中国の手先か!」などとなじる人を
見かけたことがないことだ。
起立しない側も身構えずに、スマホで他の球場の
スタメンをチェックしながら、質の悪いスピーカーから
流れる音楽が終わるまで気楽に座りっぱなしで
いられることだ。
いろいろな考えの人がいることを
皆さん、直観的に知っているのだ。
うるさく言えば、価値観の多様化である。
あるいは、皆さん、早く儀式を終わらせて、
そのために高い入場料を払っている試合に
入りたいだけのことかもしれない。
これも価値観だ。
昔は、演奏そのものも「起立」もなかった。
多分アメリカの球場の慣行を真似たのだろうが、
いつの頃からか、すべてのスタジアムではないが、
「相撲の歌」だったのが、
「野球の歌」になってしまった。
もちろんこの流れにはある種の力が働いていよう。
そして、「国賊か!」という叫びが ・・・続きを読む
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タイトルからして、
「君が代」を無くせ!と声を荒げると
今までの状況からして反発が大きいので
「第二国歌」を作って、
皆が”心置きなく”歌えるようにしたらと、
屁理屈をこねくり回して懐柔しようとしてる?
これを書いたのは、
三島憲一大阪大学名誉教授ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E6%86%B2%E4%B8%80

1944年、東京生まれ。
1947年に米軍から要請を受けたカトリック修道会の
一つであるイエズス会が開設したミッションスクールの
【栄光学園】で、日本のリーダーとなるべく教育を受けた。

http://ekh.jp/70th/
そして、
GHQとイエズス会の思惑通りにお育ちになり
集団的自衛権を認める安保法制の廃案を
要求する学者の会の一人となる。
三島名誉教授は、
「日本におけるフランクフルト学派研究の
第一人者」なのです。
他にも、このサイト上で
こんなご意見を投稿しています。
●菅直人氏の退陣を惜しむ
2011年08月22日
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2011082100005.html
菅直人氏は規範的現実主義を体現していた
●石橋湛山に学ぼう
――弱腰外交の強みとは
2013年01月19日
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2013011800005.html
さて、フランクフルト学派とは・・・
●フランクフルト学派
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20091023/1256254671
フランクフルト学派は西欧マルクス主義、
知識人向けのマルクス主義といわれ、
1923年ドイツのフランクフルト大学内に設立された
「社会研究所」が起点となっています。
(略)
フランクフルト学派はロシア革命後に
ヨーロッパ革命が敗北していき、
プロレタリアートが革命の主体となっていない
現実をみて、古いマルクス・レーニン主義は
自覚しないままに権力奪取に成功してしまった。
革命意識に鋭く目覚めた一団の「前衛」たちが
文化破壊の状況のロシアを突破して革命に成功した。
人間を疎外している文化を破壊しなければ
共産主義に到達できない。
革命の主導者は阻害された労働者ではなく、
知識人でなければならない。
批判理論を駆使し、諸学問を学際的に統合し、
資本主義社会の構造を批判の対象として
構造化できるのは知識人だと考えるようになりました。
(ルカーチの理論)
(中略)
このフランクフルト学派は戦後、GHQによって
日本を席巻します。
近年公開された米国の史料でCIAの前身である
OSSはフランクフルト学派の巣窟であったことが
わかっています。
占領政策はコミンテルンの要領とは異なっており、
ルカーチの理論に基づいています。
OSSの史料にはマルキストの日本人学者や
アジア専門家が多く名を連ねています。
この人たちもGHQの占領政策にかかわり、
公職追放によって空席となった大学や教育機関、
研究機関、行政に潜入していきました。
(中略)
日教組の変態教育も「古い性道徳からの脱却」
というフランクフルト学派の影響を強く受けています。
「憲法愛国主義」というのを
聞いたことがあるでしょうか。
国家観がなく憲法を最上に頂くものです。
フランクフルト学派第二世代、
ハーバマスによるものです。
これに侵されている人の特徴は「強制」という言葉
に反応することです。
国歌斉唱時の起立も自由意志と叫びます。
これはハーバマスのコミュニケーション論的理性
という「強制なき合意」「支配なき融和」が
もとになっています。
フランクフルト学派は
日本を破壊し、革命を導くというテロ的思想であり、
これが日本の中枢に入り込み、教育やメディアを
支配しています。
このイデオロギーの洗礼をまともに浴びたのが
団塊の世代です。
(全文はリンク先で)
●日本を滅ぼす!「フランクフルト学派」
http://blogs.yahoo.co.jp/pinknosyacho/20352864.html
フランクフルト学派とは
別名『白色共産革命』とも言う。
今の日本はこれに侵されている。
『白色共産革命』は、
『赤色共産革命』の武力革命では
「その国の伝統・文化で
最終的にナショナリズムが昂(たかま)り
失敗する」と結論付けたマルクスの弟子
ルカーチが、1923年フランクフルト大学で
『マルクス思想研究所』を旗揚げした。
のちに語感を和らげ〈社会研究所〉と改名した。
これが「フランクフルト学派」の前身である。
そして彼らは1933年イデオロギーごと
アメリカへ移住し、コロンビア大学で
新フランクフルト学派を設立した。
何故移動したか?
彼らがドイツで旗揚げしたときは、
ユダヤ人が世界史上初めて政権を取り、
日本国憲法の基となった
ヴァイマール憲法(1919)施行下であった。
このヴァイマール憲法は、
後にケッペルス独宣伝相が公布文書で
「人間の純度を落とすことにより
現存する国家を
内部から蝕んでいこうとするものである」
と喝破した通り、偽善に満ちたものである。
ユダヤ人が長期政権狙った「人間獣化計画」
であることに気付いた賢明なドイツ国民が、
ユダヤ排斥に動き、ナチズムが勃興し
ヒットラーが出現した。
その事に身の危険を感じたからである。
「革命を成功させるには、
長い年月を費やしても
古い価値(伝統・文化)を根絶させ、
新しい価値を創造し
中産階級に刷り込む
『文化テロリズム』を
実践することである」
とした『フランクフルト学派』思想である。
その文化闘争の武器に『批判理論』を編み出した。
(引用ここまで)
上記のブログが解説しているように、
欧米の知識層向け『白色共産革命』思想
によるフランクフルト会派。
その第一人者が、三島憲一氏ですから、
彼の行動パターンも論説も、
上記の2つのブログの解説にピッタリと嵌る!
まあ、そんなに単純ではないのだろうけれど
ナチスが、この会派の社会研究所を迫害したのは
「裕福なユダヤ系の家庭出身」の知識人が
マルクス主義者を主張する集まりだったから・・・。
ホルクハイマーはスイス経由でアメリカに亡命。
それを追うように研究の本拠も、
フランクフルトからジュネーブ、さらにはNYへと
避難氏ながら浸透していく。
汗水流して土にまみれて働いたことも無い
富裕層の知識層『白色共産革命』者が、
貧しい労働者階級の『赤色共産革命』者達に
人間らしい労働とは何たるか、
格差社会を無くすためには富の分配だと
だから共産革命が必要なのだと指導する・・・
当時のドイツ国民が、ナチに傾いてしまった
過激なナショナリズムの一因かもしれない。
そう、年収12億円の古館伊知郎さんや
鳩山由紀夫お坊ちゃまのように
口先だけで「貧富の格差」を憂慮する姿勢を
見せる態度に反発するのと同じ構図ですね。
>われわれの子供の頃は、
大会社につとめている
エリート・サラリーマンたちでも
「君が代」を
「ああ、相撲の歌か」と言って笑っていた。
この言葉通り、戦後、
まだ多くの国民が貧しい生活をしている中で
三島憲一氏のご家庭は
GHQの思惑で開設されたミッションスクールに
お坊ちゃまを通わせることが可能な程に
恵まれた豊かな家庭だったのでしょう。
憲一お坊ちゃまの周りには、
大手会社に勤めるエリート意識の高いインテリ層が
「君が代」を嘲笑しながら生活していた。
先日、
舛添知事の東京第2韓国学校記事で紹介した
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4092.html
東京都北区滝野川で創業100余年の八巻畳店
四代目のご当主の
”畳の魅力を理解してくださったフランス人”
のエピソードの中から、大切なヒントがあるので
もう一度引用させていただきますね。
http://kitanet.easymyweb.jp/member/tatami/?c_id=39614
「実は畳(イ草)の香りって微妙でして、
土や草のある所で育ってない都会っ子は、
イ草の匂いは臭いと感じるようです。
そしてそのイ草の香り。
実はイ草本来の香りではありません。
イ草は植物で、そのもの単体で
あのような独特な香りを発しません。
ではあの香りは?
実はイ草を刈り取った後、
泥に漬けて乾燥させます。
これはイ草の退色(日焼け)を防いだり、
汚れなどを防止する役割もあります。
その工程を経て、
いわゆる「青畳の香り」になる訳です。
(略)
しかし今回、
この香りの良さは日本人の遺伝子だけでなく、
海外の方にも通用するのだと分かりました。
この方の妹さんはフランスの自宅に
畳を敷いているそうです。」
私は、
この、畳を注文したフランス人は
子供の頃に自然の中で育ったのではないかと思う。
自然に囲まれ、土に触れ、草木や虫に触れ
畑や庭のハーブを収穫して料理を作るお母さんと
土にまみれながら働くお父さんと
伝統の中で生きる祖父母のいる家庭・・・
そんな想像をしてしまう。
国や価値観は違っても
相手の文化を尊重できる思考は、
故郷の独自の気候の中で
その土地や、海鳴りや潮風などに触れて育った
伝統を守り育んできた風土で育った者に
共通する感性だと思う。
農家には農家の、漁師には漁師の、
国は違えど、自然の中でしっかりと踏ん張って
生きてきた者同士だから解る共感なのだと思う。
土臭い、泥臭い、潮臭い、魚臭い・・・
人工物に囲まれた都会っ子には臭くても
自然の中で育った私には、懐かしい香り。
相手の文化や伝統や人格を尊重するには
まず、自分の先祖が長い年月を掛けて創り上げた
文化や伝統を理解し、愛する事が大切だと思う。
自分を愛せない人間に他者を愛せるワケが無い・・・
自国の文化を卑下する人が、
真に相手の文化を尊重しているとは思えない。
形ばかり口先ばかりの、理論上の理解だ。
東北の”なまはげ”が、

ヨーロッパの古来からある伝統行事と共通するのも

自然の中で生み出された共通する
原始宗教観が基層にあるからだと思う。
だから、原始宗教は共通している。
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3853.html
キリスト教が生まれる、ずっと前からある
ムラという集団の中で、厳しい暗黒の冬の最中
集団が生き残っていくための知恵を
長老が受け継ぎ、若者の手によって幼子に教える。
「悪い子はいねがぁ~~!」
原始キリスト教は、布教の過程で
其々の土地の古くからある文化や伝統を吸収し
それらを残しながら、形を変え広まっていった。
また、話が脱線してしまったけれど・・・
「人間を疎外している文化を破壊しなければ
共産主義に到達できない。
革命の主導者は阻害された労働者ではなく、
知識人でなければならない。」
『赤色共産革命』の武力革命では
「その国の伝統・文化で
最終的にナショナリズムが昂(たかま)り
失敗する」から、
我々エリート階級が指導し、教育してやろう・・・
「汚らわしいネトウヨの愚民どもが、
我々の作った崇高な歴史を修正する事は
絶対に許さない!
我々こそ正義!
さあ、だまされやすい愚民どもよ、
我らの正義を信じなさぁぁ~い。」
なのかしらねぇ・・・。
価値観は多様だと言いながら、
「君が代」と君が代を歌う国民は大嫌い。
フランクフルト学派の第一人者である
三島憲一名誉教授が、迫害されずに
言いたい事を言えて、国を追われる事無く
地位と名誉を保持続けられる事こそ
安倍総理がヒトラーでも、安倍政権がナチでもない
見事な証拠だと思いますが?
三島教授そのものが、生き証人ですがなwww
君が代を歌わない有名人を「国賊か!」となじり
嫌がらせをするのは、街宣右翼と
相場は決まっていましたし、国民は知っていた。
だから、街宣右翼もサヨク活動家も
「どっちもどっち」で、係らないでやり過ごしてきた。
西欧マルクス主義【白色革命】が
未だに成功しないのは、
五穀豊穣を願い、純粋な祈りを捧げる日本人が
残っているからではないでしょうかね。
日本人の遺伝子に残る縄文人の痕跡。
縄文時代って、争いの少ない安寧の世界が
長い期間続いた世界でも稀有な時代だった。
渡来人が押し寄せるようになって、
古墳から発掘される人骨に武器での損傷が多数・・・
フィリピン大統領選で「ゲッベルス」がドレンドワード入りしたらしい。候補者の一人が政敵数人にゲッベルスのレッテル貼りして嘘つき呼ばわりしている模様。https://t.co/FjHSLxTyxG
— CatNA (@CatNewsAgency) 2016年4月5日
日本にも「ヒトラー」のレッテル貼りが大好きなおしゃべりキャスターがいましたね。(笑)
さて、栄光学園出身の三島憲一さん。
1947年に栄光学園初代校長に就任した
グスタフ・フォス神父をご存じないわけがない。

以下は、
フォス神父と教育評論家の鈴木重信と会談
「日本の教育・七不思議」の紹介です。
★『世相を斬る』≪ドイツ編≫
http://dokuhen.exblog.jp/15367945/
(引用開始)
≪教育は明治の時代から政治のために利用され、
場合によっては悪用されてきた。
物質的に考えれば、その結果日本は
近代化に成功しました。
わずか百年の間に、あれほどの成績をあげた
というのは、やはり人類の歴史上初めてだったと
思います。
しかし
日本人はそこでずっと背伸びしてきたわけ
ですから、例えばヨーロッパ文明の裏にある
精神的なものを考える余裕がなかったのと同時に、
日本の伝統的な文化に対しても
関心を持たなくなってしまった。
戦前は伝統的な価値がまだあったけれど、
戦後になりますと、
修身もダメ、教育勅語もダメということで、
近代化に役立った物質的な考え方だけが
残ったわけです。
そういうところに入ってきた米国の民主主義は、
あたかも一つの道徳、あるいは
贋(にせ)宗教であるかのように信じられた
ということではないでしょうか。≫
これに応じて、少し先で恆存が、
「戦後教育では、国家意識を否定しなければ
西洋流にならないというふうに思ったことは
事実でしょう。
国家を戦前の軍国主義と混同してしまって、
国家という概念は古くて危険なものだという
わけです」と応へる。
昭和54年の鼎談だが、うんざりするほど、
現代の発言だとしてもをかしくない。
爾来30年余り、日本の伝統的文化は衰滅の
一途を辿つて来たことは誰の目にも明らかだらう。
この国では未だに国歌斉唱や国旗掲揚に纏はる
議論が喧しいが、フォス神父に言はせれば、
「私は今まで
いろんな国を歩きまわったけれど、
国旗掲揚しない国は一つもない。
ソ連だって当たり前のこととして揚げます。
それとおかしいのは、
例えば今、日本の高校の教科課程をみますと、
国史という科目は自由選択です。
取らなくてもよろしい。
こんなことがあっていいのでしょうか(中略)
米国なんか、
私はカリフォルニアにいましたが、
米国史を教え、またその州の歴史も教えます」
と、つまり、自国の歴史は強制的にたたきこんで
当然だといふわけだ(もちろん、自虐史観ではなく。
私なんぞ、自分の国の歴史は思い切り美化して
よいと思つてゐる!)。
この国旗掲揚の話は、
フォス神父が初代校長だつた昭和24年に
高松宮殿下が栄光学園をお訪ねになられた時の
エピソードとして語られるのだが、
そのいきさつを鈴木氏が少し詳しく説明してゐる。
≪国旗を掲揚する、「君が代」を歌わせる
ということをフォス校長が言われたとき、
職員会議で日本人の職員が難色を示した。
占領下の今そんなことをすれば問題が起る
というわけです。
するとドイツ人である校長が、
日本人の教育をやるのに国旗を揚げ国家を歌って
何が悪いかと言って、
非常な勇断をもっておやりになった。
ところが、
高松宮がみえるというので臨席していた
デッカーという、横須賀に駐在していたアメリカの
海軍司令官が、今の妙なる調べは何だという
質問をしたわけです。
あれが「君が代」という日本の国歌だと言うと、
実に荘厳な立派な音楽だといって賞賛した。
そして沢山の列席者の中で
戦後久しく聞かなかった「君が代」を聞き、
日の丸を見て一番感動して泣いたのが
日本人の父親たちだった。
日本人がやるべきことを
ドイツ人のフォスさんがやって、
日本人が泣き、
アメリカ人が感激した。
これは象徴的な出来事ですよ。
国歌とか国旗とか言うと
何か犯罪であるかのような意識が
戦後ずっと、あったけれど、
国家を考えないところに
一体民主主義はあり得るのだろうか。≫
(全文はリンク先で)
フォス神父は、著作『日本の父へ』の中で
少年時代のエピソードを紹介しているそうです。
フォス神父が少年の頃、
自宅に友人が遊びに来ることになった時
お母さんに訴えます。
友達が遊びに来るのに、お父さんの汚い手を
友だちに見られたら恥ずかしいと・・・
ドルトムント生まれの彼のお父さんは炭鉱夫でした。
その手は石炭の塵でいつも黒ずんでいたそうです。

(ドルトムントの昔の炭鉱の写真)
http://blogs.yahoo.co.jp/miyukijl/39886906.html
当時、ドイツの炭鉱夫は第1次世界大戦後の
多額の賠償金を抱えインフレのドイツ経済で
不安定な生活を強いられていたそうです。
戦後賠償を払いきれないドイツでは
ルール地方の炭鉱をフランス資本に接収され
この軍事占領は1923~25年まで続いたという。
炭鉱を掘っても掘っても、その地下資源は
フランス企業の利益になってしまうという
哀しい時代が有ったのです。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_22-2/RitsIILCS_22.2pp.39-48Amemiya.pdf
父親の手を恥じる息子に、
彼の母親は毅然として言います。
あなたのお父さんの手は素晴らしい手ですよ。
仕事をする手なのよ。
それを汚くて恥ずかしいなどと
言うのは悲しい。
お母さんはお父さんの手を
素晴らしい手だと思って結婚したのだと。
その年の誕生日、両親は
フォス少年にデューラーの銅版画「祈る手」を
贈ったのだそうです。

●祈りの手・・・
http://mugikiri.exblog.jp/16811250/
★洗脳の徹底
「ウォー・ギルト・インフォメーション
・プログラム」の謀略
日本を愛するキリスト者の会 副会長 手束正昭
2015年5月7日 第1号
http://www.mas-eng.com/nihon-ai/newsletter.html
市ヶ谷の防衛省正門前の歩道はそんなに広くない。何の効果もあがらない抗議活動をして、ただただ通行の妨げになってるだけ。 pic.twitter.com/EZtwcItWj6
— 図書助 (@zshns) 2016年4月5日

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