韓流研究室

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韓国捏造の王仁の遺跡の「百済門」を佐賀県神埼市にも創るnida!

★王仁の遺跡の「百済門」 
 日本にも建造

 中央日報 2015年11月14日12時02分
 
http://japanese.joins.com/article/407/208407.html
日本に儒学を伝えた王仁博士を賛える公園
日本に造成される。
この公園には
韓国の専門家が韓国伝統様式の門である
百済門」が建造されることになった。

全羅南道霊岩郡(チョルラナムド・ヨンアムグン)
王仁遺跡にある百済門と大きさと形が
同一の門だ。

13日、全羅南道霊岩郡によると、
日本南部の佐賀県神埼市が霊岩郡に
王仁公園の造成に向けて協力を求めた

王仁は4世紀末~5世紀始めに
日本の国王の招へいを受けて『論語』などの
儒教経典を手に日本に渡り、
日本の皇太子の師匠としても活動した人物だ。
王仁は霊岩から出発して神埼に到着したことが
分かった。

このような縁で神埼は
王仁を賛える碑石と神社をつくった。

また、2008年から市関係者が毎年霊岩郡を
訪問するなど交流してきた。
そんな中、敷地1万3000平方メートルに
達する規模の王仁博士記念公園をつくる
ことになり、王仁の生家など遺跡のある
霊岩郡に協力を要請した。

松本茂幸・神埼市長が自ら
チョン・ドンピョン霊岩郡守に
「霊岩遺跡にある百済門と同一の門を
 公園門としてつくってほしい」と要請した。
霊岩郡はこの要請を受けて百済門の設計と
施工をすべて引き受けることにした。
伝統の瓦や木柱など必要な資材を国内で用意し、
来年に資材とともに技術者現地に派遣して
百済門をつくる。
これにかかる経費2億ウォン(約2100万円)も
霊岩郡がすべて負担する。

◆王仁博士
 韓国には記録が残っていないが
 日本の歴史書『日本書紀』などに出てくる。
 日本の応神天皇の要請を受けて
 百済王第17代阿シン王の時に
 渡日したことになっている。
 この時、『論語』10巻と『千字文』1冊を携えて
 日本に儒学を伝えた。
 また、陶工やと瓦工など数多くの技術者を
 連れていって文化を伝えたことから
 日本では飛鳥文化の始祖として
 あがめられている。

(引用ここまで)

★<在日社会>韓日交流促進を!
 来年相互往来700万人に

 東洋経済日報 2012/11/09
 http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2012/post_5085.php
佐賀県神埼市は、
5世紀初めに百済から渡来し、
日本に漢字や儒教を伝えたとされる
「王仁博士」を祭る鰐神社(同市神埼町)周辺を、
日韓交流の象徴にすべく
記念碑設置などの観光整備を、数年かけて行う。

 王仁博士に関する史跡は、
日本では大阪府枚方市に「墓」があるが、
それ以外はほとんど残っていない。
王仁博士は有明海を通って、神埼付近に
上陸したとの説があり
社殿の奥に「王仁天満宮」と書かれた
石の祠がある。
(引用ここまで)


★神埼またの来訪を 
 中韓の中学生へ市長PR

 佐賀新聞 2015年08月08日
 http://admin.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=new



★王仁神社
 神埼市観光協会
 http://kanzaki.sagan.jp/kankou_spot/wanijinja.html
吉野ヶ里歴史公園の北1㎞の所にある
「王仁神社」には、「王仁(ワニ)天満宮」という
石の祠が祭られています。
(中略)
また、この神社は
鰐大明神」(ワニダイミョウジン)
「熊野三社」(クマノサンシャ)が祀られている
ことから、江戸時代には、九州から熊野大社に
参詣に行くため、
海を渡る人々の安全を祈願して
作られたものではないか
ともいわれています。
(引用ここまで)


★鰐大明神
 http://www.kanzaki-museum.com/data.php?mode=show&id=1333
「鰐大明神」は伝承によれば、
伊勢参りに船で行く途中、鰐に襲われたため、
 当地に鰐大明神をお祀りした

と伝えられている。
また、古事記・日本書紀に記載されている
「王仁博士」に関係すると考えられている
「王仁天満宮」の石祠も存在しています。

石祠は、
「鰐大明神」と「熊野社」が祀られている。
鳥居は「鰐大明神である。
慶長年間絵図では「熊野社」と記されている。
『神埼郡村誌』には海部美神とある。
鰐大明神、熊野社の石祠本殿が祀られる


★王仁天満宮石祠
 http://www.kanzaki-museum.com/data.php?mode=show&id=1341
所在地 神埼町 志波屋
年代 江戸 寛政8年 (1796年)
年代根拠 銘文による

銘文
【塔身正面】王仁天満宮
【塔身左面】天照山現住施主
       倫譽要海代
【塔身右面】 寛政八丙辰天 三月吉祥日


★鰐大明神祭り
 2011年09月30日
 http://kanzakimuseum.sagafan.jp/e423823.html
神埼の竹原地区、鰐(王仁)大明神祭りに、
お邪魔させていただきました。

鰐大明神祭りは、
年に2回、4月と8月に行われます。
4月は、地区だけで行うそうですが、
8月は、仁比山神社から宮司さんを
お迎えして、大掛かりに開催されるそうです。
収穫を前に、風除け、五穀豊穣、
家内安全の祈願です。


★仁比山神社
 http://kanzaki.sagan.jp/kankou_spot/niiyamajinja.html



元々は、地元の皆さんの氏神様として
風除け、五穀豊穣、家内安全として
祀られてきた小さな神社。
古来は、
海部族の神・海部美神として祀っていた。
「渡海(ワタツミ)」または「渡津海(ワタツミ)」
とも表記する海神だから、
海洋民族の氏神に間違いない。

古来から、日本ではサメを鰐と表記している。
「古事記」に出てくる
稲羽(因幡)の素兎(しろうさぎ)の伝承では
鮫(わに)を騙してその背中を飛び移りながら
隠岐の島から稲羽に渡った兎が、
騙されたと怒った鰐(わに)に丸裸にされてしまう。
苦しんでいる兎を大國主神(オホクニヌシノカミ)が
助けたという話。
兎の赤裸を治すために蒲の穂を使った大國主神は
薬草や医療の技術・知識を持っていたという。
古事記原文では、
鰐(わに)は、「和邇」と3か所表記されている。
海幸彦・山幸彦の話では、
山幸彦を綿津見神(ワタツミノカミ)の宮から
地上に送り返した一尋和邇(ひとひろわに)。
3つ目は山幸彦の妻となって天津日高日子
波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサ
タケウガヤフキアヘズノミコト)を生んだ
綿津見神(ワタツミノカミ)の娘、豐玉毘賣命
(トヨタマビメノミコト)が八尋和邇(やひろわに)
であったという記述。

王仁ではなく
古代豪族の和邇(わに)氏に縁があるのでは?
航海する能力を持った海部部の人々という説。


★和邇氏族概観
 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/wani1g.htm
この氏族は大和国添上郡和爾(現、天理市和爾)
より起こるが、同地には和爾坐赤坂比古神社
(神名式、大社、月次、相嘗)があり、
これが本来の祖神と考えられる。
その本来の出自としては、
海神族(海祇族)の祖神綿津見豊玉彦命の
嫡統
で阿曇連と同族であり(奴国王の後裔で
その嫡流ではないかと推される)、
「ワニ」は鰐(トーテム集団の象徴)を意味するもの
と考えている。
(引用ここまで)

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/wani.htm#miyanushi
海神の神使いである「ワニ」を名にし負う
和珥氏は、阿曇氏と並んで海人族の雄である。
闕史八代の5代孝昭天皇を祖とし、四道将軍、
後には遣唐使、遣隋使を多く輩出している
典型的な海人系の氏族と言えよう。

和邇臣は埴輪などの祭祀関係土器製作者集団
の統率者
で、山陵の管理と、古墳埋葬者(天皇・
皇族)の事跡を語り伝える役目を有して
朝廷に重きをなしたといわれる。
埴輪というと、土師氏・菅原氏・大江氏の祖、
野見宿禰を思い出すが、系譜的に重なる
ところはない。
土師器ではなく須恵器とみて、陶都耳命の
系統ではないかと思う。
尚、宮主矢河枝比売に見られるように、
和邇坂の赤土を神聖なものとしており
「丹土」で詳しくのべるが、
赤土を神聖視するのも海人の証拠であり、
埴輪はこの土で制作されたのかもしれない。
土は「に」と発音し、「邇」とも書かれることから、
和邇の「邇」は「土」ともいえるのではないか。
また、古墳埋葬者の事跡を語り伝える役目
というのは、阿曇稲敷にみられるように、
海人語部らしい役職である。
(続きはリンク先で)



天理市和爾町(わにちょう)は和珥坂下
(わにのさかもと)伝承地とされている。
日本書紀の記述には、
土蜘蛛・居勢祝(こせのはふり)がいて、
神武天皇に討たれたと伝わる場所。
古代豪族和爾氏の根拠地。


★丹伝説
 朱い伝説から

 http://members3.jcom.home.ne.jp/1446otfh/ban1000/dusto/tan/tan-1.htm

★「黒歯国」「侏儒国」は
 ほんとうにあったのか?

 (BGMに注意!)
 http://www.inoues.net/mystery/kokusikoku.html



そもそも天満宮は、菅原道真を祭神とする神社。
江戸時代に奉納された石祠
「王仁天満宮」と銘文を彫ったのであれば
当地に伝承される「鰐神社」の漢字を
わにを、音の近い「王仁」に変えたのでは?


★王仁
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81
『日本書紀』では王仁、
『古事記』では和邇吉師(わにきし)
表記されている。

実在は疑問視されており、
儒教を伝えた実在の王辰爾(王智仁)の功績
に基づいて渡来人らが作成した伝承とする説や、
その姓から見て高句麗に滅ぼされた楽浪郡の
漢人系の学者とする説もある。



応神天皇の時に王仁(わに)が百済から渡来し
論語10巻千字文1巻を天皇に献上した」という話。
しかし、「論語」は巻数が多すぎ、
「千字文」は6世紀前半に作成されたもので、
全くつじつまが合わない。
だから現在の学説では、
古代朝廷において文書を司った
西文(かわちのふみ)氏一族が
祖先を立派に見せるために創作した伝承
であろうとみられている。

そもそも韓国が日本に初めて漢字を伝えた
と言うこと自体正しくない。
漢委奴国王印は57年に日本へ来ているし、
卑弥呼は中国へ外交使節を何度も派遣して、
中国の史書にはその記録がある。

中国側の資料には、邪馬台国が貢物として
当初、奴隷と麻布であったのに、3度目には
綾織物を朝貢しているらしい。
銅鏡やその他の考古資料にも沢山の漢字が
散見されるので、王仁以前に漢字は日本に
伝わっていて、既に漢字の読み書きできた
日本人(渡来人・帰化人を含む)が居たことは
確実だと思う。

朝鮮半島の古代史にも記録が一切ない
「王仁伝説」よりも、
日本全国に伝承されて、中国にも資料が残る
【徐福伝説】の方が、海美神を祀る海人族と
稲(ジャポニカ種)のDNA伝搬ルート
を見ても
ちょっとだけ、伝承としては興味がある。


★徐福伝説
 http://asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm



では、
誰が韓国の「王仁伝説」をでっち上げたのか?


偽史朝鮮/王仁の墓地と生誕地
 -並河誠所と金昌洙

 『むくげ通信』181号、2000.7.30金 英 達
 http://www.ksyc.jp/mukuge/181/ikou.html
(引用開始)
こうした文献や伝承から、王仁の人物像として
二つの歴史的イメージが浮かび上がる。
一つは「帰化人」、すなわち日本の天皇の
徳を慕って日本に帰化した朝鮮人の代表という
イメージであり、
今ひとつは、日本を文明開化させた儒教・学問・
和歌の祖(神様)というものである。
前者の歴史的イメージは、明治期の天皇制確立
政策や昭和期の「内鮮一体」政策に利用され、
後者は韓国人の日本に対する文化優越史観-
実際は文化的コンプレックスの裏返し-
に利用されている。

 こうした歴史イメージの
政治的利用・時代的風潮への悪乗りにより、
さまざまな歴史の偽造が行われている。
その具体的産物が、
大阪府枚方市の王仁の墳墓であるとする「王仁塚」
であり、韓国の全羅南道霊岩郡の王仁の生誕地
であるとする「王仁廟」である。
「王仁塚」の造作者は、江戸時代中期の儒学者であり、
地誌編纂者である並河誠所(1668-1738)で、
「王仁廟」の造作者は、韓国の農民運動家で
国会議員にもなった金昌洙(1901-?)である。


(中略)
1731年(享保16年)、京都の儒学者・並河誠所
(並川五一郎、並河五市郎)が『五畿内志』編纂の
ために名所旧跡を探訪中、禁野の和田寺で
「王仁墳廟来朝紀」という古記録を見つけ
(現存しておらず、写本と称するものが伝えられている)、
この地を踏査して
藤坂村の自然石(オニ塚)に出会い、
さしたる根拠もなくこれを王仁の墓であると断定して、
地元の領主(久貝因幡守正順)に進言して
「博士王仁之墓」と刻んだ墓石を建立させた。

(中略)

(3)韓国の全羅南道霊岩郡の
 「王仁廟」について


1968年、韓国の農業運動家の金昌洙が、
韓国の農業協同組合育成のために日本の
農協の視察のため訪日
し、
各地の農村を回るうちに日本における王仁の
遺跡や王仁の後裔と称する人たちを知って、
electric revelation(電撃的掲示)を受けた。

彼は1970年再度来日し、日本の各地の王仁関連
の史跡を調査、その子孫たちの証言を聴取し、
各種の史料を収集した。
 帰国後、民族史観を定立するために王仁研究所
を設立。そして、韓国において王仁を最照明し
王仁研究に火を付け、王仁の出生地を探し当てる
ために、
『中央日報』紙上に「百済の賢人博士王仁の偉業-
日本に植え付けた韓国魂-」を1972年8月から
10月までに15回連載した。
 1972年10月、新聞連載をみた全羅南道霊岩郡の
姜信遠から「霊岩郡一円に王仁博士の遺跡と
伝説が多い」との手紙を受け取る。

1975年、全羅南道知事が博士王仁誕生地
聖域化事業計画を発表。
翌76年、全羅南道が霊岩郡鳩林面聖基洞一帯
を「王仁博士誕生地遺跡」として地方記念物に
指定し、王仁廟を建設。
以後、霊岩を「王仁博士の故郷」として売り出し、
周辺を遺跡公園として観光地化し、
王仁廟春季大祭や王仁文化祝祭を行事化していく。


 韓国においては、王仁に関する文献史料も
考古史料もない。
1939年の日本での王仁追慕碑建設運動では、
王仁の生誕地は扶余だとされていた。
百済出身だから百済の王都の扶余だろうという
単純幼稚な発想である。
1970年代になって韓国で、
金昌洙の妄想がきっかけになって、霊岩が
生誕地だとされるようになった。

その根拠は、霊岩に王仁に関する伝説がある
ということだけだが、
科学的実証性に全く欠けるものである。
道銑国師(新羅末の名僧)らの伝説や地元の
遺跡を無理矢理にこじつけたもので、
枚方の王仁塚をはるかに上回る大々的な
歴史の捏造が公然と行われている。

(略)
しかし、ここまでくると、
もはや王仁廟がでっち上げだと言おう
ものなら袋叩きに遭いかねない雰囲気である。

(4)「左翼小児病」か「右翼成人病」か

韓国人サイド主導の王仁顕彰グループは、
王仁の枚方墳墓説・霊岩誕生説への
学問的批判に対して、
韓日友好の歴史モニュメントを否定する
「左翼小児病」
であると非難している。
しかし、実証なしに歴史をでっち上げ、
都合のよいように政治利用する側
こそ、
民族主義・国家主義的偏向によって
理性に動脈硬化をおこしている
「右翼成人病」ではないか。


伊豆七島の神津島の「ジュリア・おたあ」の墓の
でっち上げと韓国キリスト教グループによる
「ジュリア祭」の開催、
北朝鮮における「壇君」の遺骨のでっち上げと
「壇君陵」の建設なども、
「右翼成人病」の例であろう。


 以上、歴史偽造のパターンを分析してみると、
まず、ある学者(一定の政治力のある自称学者)
の思い付き、功名心と情熱があり、
ついでそれを支える時代的風潮と運動や事業に
利用しようとする政治勢力の存在、
そしてとにかく碑や建物を建て、
行事を挙行して既成事実化してしまう-

ということになるだろう。

(全文はリンク先で)



韓国では、捏造歴史を批判している側が
「左翼小児病」と呼ばれている。
一方日本では・・・
昨今の「朝鮮通信使」や「大阪ワッソ」のように
民団などと在日コリアンと一緒に
【日韓友好の歴史モニュメント】を偽装して
彼らの民族的満足を満たすことこそ
「戦後の反省」と考えている
(騎馬民族列島征服論学説のような)
左翼小児病学者、左翼小児病市民団体と
左翼小児病宗教集団がいる。
そして・・・とにかく何でもいいから、
地元に箔をつけて、観光収入を当て込んで
政治利用しようとする歴史無関心地方政治家と、
真新しい史跡に何の疑問も持たない
韓流花畑達が韓国旅行で仕込んだ浅い情報を
http://blogs.yahoo.co.jp/candy211jp30000/70402599.html
ネット上に拡散しているのが現状ですね・・・

私の母も、2006年の初韓国旅行で
韓国のガイドに
日本語の”下らない”という言葉は
 百済人の創った文物ではないという
 意味から来ているのですよ!
 万葉集も古代韓国語なんですよ

と自信満々に”教えられ”て帰って来た一人・・・


私の意見も単なる素人の推論!
だけど
解明されていない古代史に
無理矢理、捏造史をこじつけて
既成事実化する風潮は
考古学への冒涜だと思う!


松本茂幸・神埼市長も地元住民も
専門家と言っても何の根拠も持たない
韓国人の創ったインチキ「百済門」を設置するより
昔から「鰐神社」(鮫神社とも書かれた)
氏神様にある、こんなかわいい狛犬ならぬ
珍しいモノを堂々と、胸を張って自慢した方が
ずっとずっと、ご先祖様も喜ぶと思います!

郷土の歴史は、守り継がなきゃ!

★『ワニ神社の狛犬…
 いや、ワニ犬?』

 2006-06-09
 http://blog.goo.ne.jp/tokotoko_taro/e/cb41bdb2b106b0d41e205e52477601db
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先日、海外の博物館が所蔵している
【縄文土器】研究の学者たちによる
縄文時代の独特で平和な時代だからこそ
可能だった土器文様と形の創造性
についての番組を観て、
どうして日本の教育は子供達に
縄文時代について教えないのだろうと思った。


★「日本人の起源」を識る ~エピローグ~
 最後の渡来O2b,O3は
 何を与えたか?

 http://web.joumon.jp.net/blog/2012/05/1393.html



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Comments 4

トマト

韓国にまだいいイメージを抱いてるんですね 空気を読め!! もう需要がないよ 法則がおきるだけです

2015-11-16 (Mon) 18:06 | EDIT | REPLY |   

弓取り

わたつみ海人おおあまワニ

リンク先充実です。全部読み切れない(苦)しかし、それだけに古代史実を結論づけるのは慎重であらねばと思いました。

記紀は、書かれた時代の政治的背景があるらしく、天皇を助けた氏族が脇役にされている面があるように感じました。これらの氏族が朱土など鉱物開発と物流の国土開発で先行したような気配。山幸と海幸の関係は象徴的。海の民のワニに漢字を後から当てたのでしょうし。

シナの史書も政治的背景があるし、伝聞を集めた面もあったのですね。
それらを踏まえると、それを王氏の仁さんとか、幼稚な語呂合わせです。それを、いまだにありがたがって観光の目玉にするなど、歴史を侮辱し先人をないがしろにするものですね。
オルレなんてありえねえ。

2015-11-16 (Mon) 22:00 | EDIT | REPLY |   

あや

Re: 古代史

対馬市にも何年か前に「王仁博士顕彰碑」なんてのを
日韓友好のモニュメント的に建てちゃった人達がいるけれど
韓国側にしてみれば、1970年代に捏造した
「王仁生誕の地」というインチキに加担するようなもので
それを有効と呼ぶのは愚の骨頂。
韓国人観光客の呼び込みグッズでしかない!
そもそも、『百済門』こそ1970年代に出来た物。
正しい歴史を伝えることこそ、地域愛ですよ。
市の「観光収入で地域活性」的歴史改造は
静岡県沼津市の古墳を壊して道路にしようとした事と
同じように恥ずかしいでしょ。
もっと郷土史を愛そうよ!

2015-11-17 (Tue) 01:16 | EDIT | REPLY |   

高野有男

神埼市の問題

よく調べられています。参考になりました。伝承でも千年も続けばそれなりの意味があります。我々は古い神社などを尊びます。と言ってそのいわれが事実であると思っているわけではありません。しかしごく最近の1970年頃から王仁博士の生誕地だと言い始めた彼の国の主張は噴飯物でしかありません。日本でもそれに悪のりするのがいるのは情けないです。金儲け第一主義に蝕まれています。

2016-01-05 (Tue) 21:20 | EDIT | REPLY |   

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