韓流研究室

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NHK、1990年開始の在日韓国人ウリナラ起源の新興祭り「四天王寺ワッソ」を拡散

★四天王寺ワッソ
 NHK 11月01日 12時26分
 
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151101/4744541.html
大阪に難波宮があったころ朝鮮半島との交流が
盛んに行われた様子を再現した恒例の
「四天王寺ワッソ」が大阪・中央区の
「難波宮跡公園」で開かれました。

「四天王寺ワッソ」は
朝鮮半島など東アジアと日本との交流を
深めようと開かれている催しで、
会場にはチジミなど韓国の家庭料理を販売する
コーナーや朝鮮半島の民族衣装を着て
写真を撮れるコーナーなどが設けられています。


午後からは
日本に漢字を伝えたとされる百済の王仁を
主人公に日本との交流の様子を描いた
時代劇やかつての朝鮮半島の使節にふんした
参加者たちが
日本語の「わっしょい」の語源ともされる
「来た」という意味の「ワッソ」というかけ声

上げながら会場を練り歩くパレードなどが行われます。

(引用ここまで)



お年寄りの中には、未だに
「NHKは嘘を付かない」と思い込んでいる
人達がいますが・・・・


日本語の「わっしょい」の
 語源ともされる
 「来た」という意味の「ワッソ」


おいおいおいおい・・・

★四天王寺の歴史
 http://www.shitennoji.or.jp/history.html

★祭
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%AD

★四天王寺ワッソ
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E3%83%AF%E3%83%83%E3%82%BD
「ワッソ」とは
現代の」朝鮮語で「来た」を意味する。
(中略)
1990年 在日韓国人系信用組合の関西興銀
中心となり、
「古代の国際交流再現―四天王寺ワッソ」
が開催される。
(略)
2003年
民団をはじめ日韓の企業・団体・歴史学者らが
発起人となり、民団内に
NPО法人大阪ワッソ文化交流協会が設立される

(中略)
批判[編集]

「韓国起源説」および「民間語源」も参照

日本語「ワッショイ」の語源は古代朝鮮語
「ワッソ」(来た)であり、古代朝鮮人が日本に
到着して「ワッソ、ワッソ」と喜んだのが
日本の祭りの起源であるとの俗説があり、
それが「四天王寺ワッソ」という名称の由来
ともなっている。
しかし、古代朝鮮語はほとんど解明されて
いない
上に [7] 、
「ワッソ」という形態が使われはじめたのは
16世紀以降である [8] 。
このため、古代朝鮮語の「ワッソ」が
日本の「ワッショイ」の語源であるとする説には
言語学的根拠が欠けており、学術的価値のない
民間語源のひとつに過ぎない。
また、自民族優越主義に基づいた韓国起源説の
ひとつであるとの批判もある [9]。
しかし、テレビ・新聞等では相変わらず
「ワッショイの語源はワッソである」という偽説が
歴史的事実であるかのように繰り返し
報道されいるばかりか

日韓の歴史教材にまで取り上げられている。
(引用ここまで)


★NPO法人大阪ワッソ
 文化交流協会について

 http://wasso.net/%e8%a8%ad%e7%ab%8b%e8%b6%a3%e6%84%8f/
設立趣意

多くの市民・在日韓国人を中核に、
関西企業・財界人の協力の下、
さらには韓国をはじめとする海外の企業の
参加も得て、新たな運営組織(NPO法人)を
発足いたしました。

★猪熊兼勝先生と行く
 歴史探訪日帰りバスツアー in 滋賀

 主催者 大阪ワッソ文化交流協会事務局
 http://www.k-culture.jp/info_event_view.php?number=241


★新天地に無事に到着し、
 喜びの歓声

 韓国・毎日新聞(韓国語) 2009.01.14
 http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=2014&yy=2009 
日本の祭りで欠かすことの出来ないもの
”神輿”(御神輿)は街ごとにある。
祭りともなれば町中の人々がふんどし
(下半身だけを隠す簡単なパンティーの
ようなもの) という原始的な服を着て、
神霊が宿るお御輿(輿)を押したり、
引いたりする。
老若男女は区別なく”ワッショイ””ワッショイ”と
力強い掛け声をあげながら通りを行進するのだ。

こういった光景は日本のあちこちで1年通して
見られる典型的な祭りの風景だ。
ところでこのような祭りの
”ワッショイ”という掛け声を、
韓国人たちが聞くと間違いなく
”ワッソイ””ワッソイ”と聞こえる。


そして日本祭りの起源も、
大阪近辺の河内飛鳥に定住した
到来人達の'団地里(ダンジリ)'から
始まったと言う。

日本の津々浦々で祭りともなれば、
大きな声で叫ぶ”ワッショイ”

それは玄海灘を死なずに無事に渡って来た
古代到来人たちの喜びの歓呼の声、
そのものだったということだ
(引用ここまで)


★だんじり学入門
 http://eonet.jp/danjiri/nyuumon/index1.php




神輿の起源に、
渡来系の秦氏の氏神や
朝鮮半島や大陸からの渡来人の影響が
有った事は否定しない。

天平勝宝四年(752年)に聖武天皇が
奈良東大寺の建立の際に、
宇佐八幡宮の御神霊をお迎えした
紫の輿
についての、記録がある。


★神輿とは
 http://www.7key.jp/data/word_custom/omikoshi.html
神輿は「みこし」と読み、
日本の神社の祭の際に、神霊が御旅所などへ
渡御するに当って一時的に鎮まるとされる
輿である。
(中略)
祭になると神霊を神輿に乗せ、
氏子の住む地域を巡行したため、
氏子たちはわざわざ神社に出向かずとも
自宅近くで神詣ができた。
本来は
神霊を担いで静かに回るのが習わしで、
神社によっては担ぎ手の神官たちの息が
神輿にかからないようにと口に紙を咥えて
担いだと伝えられている

ところが江戸時代になると
各地に様々な神輿の担ぎ方が生れ、
神輿を揺さぶったり神輿同士をぶつけたり、
海や川へ投げ入れるといった
神霊も開いた口が塞がらない風習が定着
していくこととなる。
これらは「日吉型渡御祭」と呼ばれ、
神輿を激しく振り動かすことによって
神の霊威を高め(魂振り)、
豊作や大漁を願うとされる。

(中略)
神輿は、
狩猟と採集による移住を繰り返した時代に行われた
収穫祭の祭壇が起源とされ、
このときは祭りが終ると神輿は取り壊され、
毎年新たな神輿を作って天上の神を招いていた。
農耕が始り人々が定住するようになると、
神に対しても定住が求められるようになり、
居所としての神社が誕生した。

(中略)
文献での書出は、
奈良時代に九州で起こった「隼人の乱」
あるという。
九州南部の大隈・日向に住む隼人族は、
大隈国守を殺害してクーデターを起こした。
朝廷は大伴旅人を征隼人持節大将軍に任命し、
一万を超す軍隊を派兵。
この時、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を派遣し、
国家鎮護と隼人討伐を祈願した。
当時は、現在の大分県宇佐市小倉山でなく、
近くの小山田に鎮座していた八幡神は、
この願いに応じ、自ら神軍を率いて隼人討伐に
赴くと託宣を下した。
朝廷は豊前国司宇努首男人に命じ、
八幡神の神霊が乗る神輿を作らせた。
『八幡宇佐宮御託宣集』によれば、
「豊前国司に仰せつけられ、
 始めて神輿を作らしむ」
とある。

神が乗る輿から「神輿」と書かれるが
「御輿」と書かれる場合もあり、
これは「輿」に丁寧語の「御」を付けたもの
である。通常はさらに「御」をつけて
「おみこし」と呼ばれる。
「こし(輿)」の語源は、
越し」の意味と考えられている。

元々「輿」は貴人の乗り物を指したが、
平安時代中期頃から怨霊信仰が盛んになり、
神霊を運ぶ物として「みこし」が使われる
ようになったとされる。
(引用ここまで)

★神幸祭
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B9%B8%E7%A5%AD

★神輿渡御(みこしとぎょ)とは
 http://www.fukagawajinja.jp/link014.html


★大阪住吉祭 神輿渡御
 http://www.sumiyoshitaisha.net/mikoshi/history/index.html
 http://sumiyosimaturi.com/
 ■べーらとは
 
 住吉っさんでは、神輿を担ぐとき
 ワッショイとは言わずに、
 「べーら」と声を掛けます。

 べーらの掛け声も勇ましく練り歩き、
 大和川の河中を渡る壮観は大阪夏祭の
 クライマックスです。

 べーらは神輿を盛りたて、
 地域の活力を増しています。
 (引用ここまで)

★伝統の力を動かす地域の力
 ~住吉祭を体験して~

 住之江区長メッセージ
 http://www.city.osaka.lg.jp/suminoe/page/0000138535.html
神輿を担がれる方は「輿丁(よてい)」と
言いますが、歩きながら
「べーら(じゃ)、べーら(じゃ)」
の掛け声が威勢よく響きます。
何を意味するのかを後日住吉大社の方に
お聞きすると、
「諸説いろいろあり、
 定まったものはありませんが、
 『米楽』が訛ったもので、
 意味は世の中が明るく開けますように
 ということらしいです」

とのお返事をいただきました。


★住吉大社(番外編)
 2005-08-04 23:38:37 | 祭
http://blog.goo.ne.jp/yokochin_1968/e/61eaeada99dbbfb1d43c8635c8dd0591
住吉大社の神輿渡御のご奉仕をさせて
頂いたことは書きましたが、
そこで、京都の神輿と大阪の神輿の
大きな違いを発見!

京都の神輿の掛け声は
ホイット、ホイット」か「ヨイット、ヨイット
ですが、
大阪は「ベーラ、ベーラ」と言うらしいです。
堺の布団太鼓も「ベーラ、ベーラ」だとか…





そもそも、記録に残る「神輿」が
奈良時代に九州で起こった「隼人の乱」や
天平勝宝四年(752年)であるのに、
『渡来人が玄界灘を渡って来た、歓喜の声』の意味で
現代韓国語の「ワッソ」って無茶苦茶でしょ!

これは、前記事でも指摘した
ハロウィーンの元となった古代ケルト人の祭りや
冬至祭(ユール)の風習が
日本に残る「お月見泥棒」や「なまはげ」に
ソックリだから「日本が起源」などと言う位に
恥ずかしい「ウリナラ俗説」だと思う。

神聖な神様を輿に乗せてお運びするのに、
担ぎ手の神官の息が係らないように
紙を咥えて担いだという伝承
の方が
現代韓国語の「ワッソ(来た)」よりも
よっぽど説得力がある!


★オタリヤ(冬渡祭)
 http://www.girei.jp/seasonalterms/otariya.htm
午後五時頃神事が終わって
神輿渡御が始まる。ふれ太鼓が先頭を行く。
神職、氏子総代、御神馬、田楽舞、笙や
ヒチリキの楽人、天狗面に高下駄の猿田彦神、
各町の高張提灯などが続く。
 
御旅所に立ち寄って神輿を奉安。
短い神事の後、田楽舞が奉納される。
赤い布を垂らした笠を頭に、たっつけ袴の
舞装束で二人の舞い人が、笛、太鼓に合わせ、
「国も栄えて 民も豊かに 
 治まる御代のためしには……」

とササラを手にゆったりと素朴な動作の繰り返し。


★大津祭の歴史
 http://www.otsu-matsuri.jp/festival/history.php

■天孫神社, 山王祭
 日吉榊奉迎祭

 http://www.otsu-matsuri.jp/festival/2014/03/31/25-1.php
 m20140401-thumb-470x300-1729.jpg

★見付天神 矢奈比賣神社
 http://wadaphoto.jp/maturi/mituke51.htm
 ■輿番
 神輿渡御の際に神輿を担ぐ輿番という大役は、
東区・権現町(ごんげんちょう)権現と東中区地
脇町(じわきちょう)地脇の二つの祭組が交互に
分担しており、今年は地脇が輿番である。
烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)・褌(ふんどし)・
白足袋(しろたび)・草鞋(わらじ)姿の一行
は、
福田海岸に到着すると、「御輿番地脇」と墨書した
浜印(はまじるし)を先頭に松原の式場に向かった。
(中略)
見付天神に向けた祭壇を囲み、
氏子28ヵ町の神社総代(見付天神三社崇敬者会)
と烏帽子(えぼし)・白丁(はくちょう)姿の
先供(さきとも)と呼ばれる神輿先供係
(みこしさきともがかり)や
宮神輿を担ぐ輿番(こしばん)たち
がコの字型に
陣取った。

 祭壇は、神が降臨する神籬(ひもろぎ)となる
松の木の根元に鉾(ほこ)を立て、
先供と輿番の浜印(はまじるし)(旗)が束ねられ、
その手前に小唐櫃(こからびつ)を据え、
その上に八足机(はっそくづくえ)が二台置かれた
ものである。


★神籬
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%AC



天皇や貴族など高貴なお方の乗り物「輿」
神様が行幸される「輿」の語源が
「お越しになる」「超し」ならば・・・
元々「コシ」という言葉が有って、
漢字の流入で「輿」という字を当てた。
現代韓国語の「ワッソ(来た)」じゃあ
オカシイよねぇ。

氏子の皆で、神様が「お越しになる」
神輿を担ぐ。
日本語の「背負う」は「ショ-ウ」と発音する。
背負子は「ショイ-コ」と言う。

因みに、
現代韓国語では「背負う」はチダ(지다)
「背負子」のことを
チゲ(지게)と言うそうな・・・

http://www.ysugiyama.com/vinyl/jiten/jp-kr03.html

★和し背負へ(わっしょい)
 2005年5月3日に97歳で天寿を全うされた
 鐵砲洲稲荷神社名誉宮司 
 中川正光翁曰く
 http://www.matsumoto-tobi.com/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%B3%B6%E5%B7%A5%E4%BA%8B%E5%BA%97/%E5%92%8C%E3%81%97%E8%83%8C%E8%B2%A0%E3%81%B8(%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%84).html
この産土神社や氏神神社の御鎮座記念日に、
例大祭を斎行して、
その敷坐す区域を神幸なさることは、
大自然に順応した神聖な神事
と言わなければならない。

この際、神輿を担ぎ上げる掛け声は、
正式には「和し背負へ」である。



「氏子の皆で、
 和し、(氏神様を)背負へ」

室町時代の日本語には
「わっさり」という人々が集って
「明るく陽気なさま、賑やかなさま」を意味する
口語系の言葉があるそうな。
「賑やかに神輿を背負え」という意味のわっしょい。

「わっさわっさと神輿を担ぐ」
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/238425/meaning/m0u/
コチラの説の方が説得力があると思わない?
 
大阪住吉祭の神輿渡御の掛け声が
「世の中が明るく開けますように」との
願いを込めた『米楽じゃ、米楽じゃ』

農耕民族の五穀豊穣を願う掛け声だね。


★稲の祭り」米に関係する祭
 http://www.asahi-net.or.jp/~TQ7K-WTNB/link07.htm




これまでも、
・「下らない」は百済(の物)では無い
・万葉集は古代朝鮮語
・日本の文化の起源は全て百済
・茶道は韓国起源
などなど、在日コリアン発祥の俗説
”学者”や”市民団体”によって拡散されてきた。

昨今では、【朝鮮通信使】
「日本最初の韓流ブームで
 ヨン様より人気が有った」などという
トンデモ俗説が拡散されているwwwww


★『ワッソ』何時まで、
 こじつけを続けるのでしょう

 2006-11-06
 http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20061106/1162789691
(引用開始)
まずは朝鮮語学方面の検証から。

◎野平俊水『韓国人の日本偽史』
 (2002年、小学館文庫)

「왔소(ワッソ)」は「오다(オダ)(来る)」という
動詞の語幹「오(オ)ー」に、
過去を表す先語末語尾「ー았(アッ)ー」と
終結語尾「ー소(ソ)」が連結された形態である。

ところで、過去を表す先語末語尾
「ー았(アッ)/었(オッ)」が現れたのは
19世紀末頃のことだ。

この形態の原形とも言える「ー엇(オッ)ー」は
15世紀末に現れ
これは「ー어잇(オイッ)ー」の縮約形である。

すなわち15世紀以前には
「ー엇(オッ)ー」という先語末語尾は存在せず、
ゆえに「ー았(アッ)ー」という形態も
あり得なかったわけである。

一方、「ー소(ソ)」という語尾にしても、
謙譲を表す先語末語尾
「ー[ㅅヽㅂ](サプ)ー」の変異形態
「ー사오(サオ)ー」「ー[△ㅗ]오(ゾオ)ー」
「ー[ㅈヽ]오(ジャオ)ー」か「[ㅇヽ](ア)」が
脱落したもので、
16世紀になって初めて現れた形態である。

従って
「왓소(ワッソ)」という形態が現れるのは、
早くて16世紀以後、
「왔소(ワッソ)」に至っては19世紀末期以降
ということになる。

「韓半島の古代文化」が伝えられ、
四天王寺が建立された飛鳥時代には
「ワッソ」などという形態はあり得なかった
ということである。

(引用ここまで)

★わっしょいは「ワッソ」
 というのはまったくの嘘

 2005.12.10
 http://plaza.rakuten.co.jp/diarybyhete/diary/200512100000/
最近の日本のおかしな記事より

■波濤を越えて~「近くて遠い国」は今~
(中略)
「いい響き」と好評
みこしの“ワッショイ”の掛け声は、
 韓国語の語源の“ワッソ”が日本語的に
 変化したと考えて名付けたんです

初めて「飛天WASSO」を導入した同市湊町の
建築設計士、大前拓也さん(51)はそう説明する。
当時、倉吉商工会議所青年部のイベント委員会
の委員長として、
市の祭りをどう盛り上げるか模索していた。
大前さんは
「山陰は海を渡ればすぐに韓国。
 韓国からの影響を当然受けているはずだし
 町に伝わる『打吹天女伝説』は
 中国から韓国を経て伝わった可能性がある

と話す。
全国発信できる祭りになるように、
との思いも込めた。

「ワッソ」の響きもよかった。
女性が担ぐ女みこしと、取り巻く踊り隊の
パフォーマンスが祭りの見もの。
大前さんは
「さまざまな新しいことを取り入れられる
 イメージがあった」
と振り返る。

(続きはリンク先で)


さまざまな新しいことwww
そもそも、
古代においては各地の豪族が、
在地系、渡来系それぞれに
自分たち独自の守護神(氏神)を祀っていて
其々の固有祭りの伝承が有ったはず。

奈良時代の和銅四年(七一一年)二月の
初午の日に、有力な帰化氏族・秦氏の
秦中家忌寸(はたのなかやのいみき)らの
遠祖秦公伊侶具(はたのきみいろぐ)が
この地に氏神の農耕神として祀ったのが
始めといわれる京都・伏見の稲荷大社の
神輿の掛け声は「ホイット!ホイット!」
なんだよね。
http://blogs.yahoo.co.jp/kaoru3016/41577328.html

八坂神社で続く祇園祭神輿担ぎの掛け声も
「ホイット! ヨイット!そりゃ! そりゃ!」
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/omoshiro/hito13_04.php

大阪(住吉大社)は「ベーライ!ベーライ!」
滋賀(滋賀八幡)は「ア~ラ、ヨイヨイヨイ!」
祇園祭の鉾を曳く時の掛け声は
「エンヤラヤ~」

京都・嵐山にある松尾大社(松尾神社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E5%A4%A7%E7%A4%BE

渡来系秦氏関連の神社なのだが
こちらも「ホイット・ホイット」の掛け声。
http://milky.geocities.jp/kyotonosato/gyoji04/04matuo06.html
1990年に始まった在日コリアンの新興の祭り
「四天王寺ワッソ」
と違って、伝統も格式も違う。

松尾大社の祭りは、
氏子の安全を願いつつ平安時代から続く。
神幸祭を「おいで」、神様がおいでになる
還幸祭を「おかえり」、神様がお帰りになる。

祭りの最中なのに
現代韓国語の「ワッソ(来た)」という
過去形ではなく、神聖な「おいで」。
神様の輿を担ぐのに「来た、来た」などと
ぞんざいな言葉は使わない。
神輿の掛け声は
「ヨイヨイヨイ、ホォイト、ホォイト、ホォイト」



京ことばでは
御神輿がおいでになることを
「おみこっさん、きゃぁはったで〜」
http://kyoto-brand.com/read_column.php?cid=5245

「来ゃはる(きゃあはる)」は、いらっしゃる。
京のお人は「ワッソ」などと言わない。

 

 


★四天王寺建立縁起
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54711801.html

★「丁未の変」で敗死した
 物部守屋の霊を祀る四天王寺

 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_04_29.htm



★在日コリアン文化の公共化
 ――「祭り」を中心に――

 飯田剛史(富山大学経済学部) 
 2003年4月26日
 http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/tolerance/tolerance_abstract3.html
3.祭りの創造
 80年代成立の三つの祭りと後続の祭

 80年代に始まった在日の代表的な「祭り」
として「生野民族文化祭」、「ワンコリア・フェスティバル」、
四天王寺ワッソ」をとりあげたい。
これらの内容は全く異なるものである
にも関わらず共通の特質をもっている。
すなわち
少数の個人やグループの発意によって始められ
それぞれ独自のしかたで「民族」を象徴的に表現し、
やがてヴォランティアによる大きな広がりを獲得し、
今日も流動の過程にある点である。
これらの「祭り」の共通テーマは「民族」である。
(略)
共通性
 非宗教性(世俗性)
 創造性・80年代に始まる/
 在日人権運動の時期
 在日経済力向上期/
 内容の創造性(非伝承性
「大阪の祭」として受容
(略)
「四天王寺ワッソ」は、1990年に第1回。
古代朝鮮から多くの渡来人が高度の文化
をもって来日したことを、約3000人の
パレードと四天王寺での聖徳太子による
出迎えの儀式によって表現するものである。
これは
関西興銀(在日社会最大の金融機関)
理事長の発意と、
日本人歴史学者(上田正昭氏ら)の
計画・考証によってプロデュースされた。

しかし2001年度以降は、スポンサーである
関西興銀の経営破綻により中止となったが、
復活の努力が続けられている。

(略)
このような「祭り」が現れた背景として、
八〇年代における在日の様々な
反差別人権運動の展開が挙げられる。

 80年代以降のマイノリティ側からの
様々な運動は、
日本人の市民運動グループによっても
支援され、指紋押捺撤廃運動は、
マスコミの支持するところともなった。
 「在日コリアン」のみならず、諸外国からの
「ニューカマー」が増え、
今日の日本社会の課題として「文化的多元化」、
「共生社会」が語られるようになってきた。
上の祭りには、日本の行政、教育団体なども
協賛、後援に名を連ねるようになってきた。
このように「在日文化」は、
現代日本の多元的文化展開の一領域として
「公共化」して来ているといえよう。

(引用ここまで)


現代日本の多元的文化展開の一領域として
例え伝承の無い「祭り」であっても
日本人は騙されてやれと・・・



★韓国人「韓国は半万年の
 歴史を持つ国なのに、
 なぜまともな祭り文化が
 ないのだろうか?」

 カイカイ反応通信 2015年11月02日
 http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/46779843.html



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