韓流研究室

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ノーベル医学・生理学賞・大村智教授の「敬神崇祖」

★梶田隆章氏にノーベル物理学賞 
 ニュートリノに質量

 [2015年10月6日19時7分]
 
http://www.nikkansports.com/general/news/1549194.html
スウェーデンの王立科学アカデミーは6日、
2015年のノーベル物理学賞を、
質量がゼロと思われていた素粒子ニュートリノに
質量があることを見つけた
梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)
2人に授与すると発表した。

 5日に医学生理学賞に決まった
大村智北里大特別栄誉教授(80)に続く
連日の受賞ラッシュ。
日本人受賞者は計24人となる。
物理学賞は、
青色LEDを開発した赤崎勇名城大終身教授(86)ら
3人が独占した昨年からの連続受賞で、
日本の物理学の実力を示す快挙となった。

 梶田氏は、02年に物理学賞を受賞した
小柴昌俊東京大特別栄誉教授(89)の教え子で、
一つの研究チームから2度の受賞は日本で初めて。
宇宙の謎の解明に挑む日本のニュートリノ研究が、
再び最高の栄誉に輝いた。

 ニュートリノは、宇宙に存在する最も基本的な
粒子の一つで、どんな物質もすり抜ける。
梶田氏は、岐阜県飛騨市の地下にある観測装置
スーパーカミオカンデで、3種類あるニュートリノが
違う種類に変身する「振動」という現象を発見し、
ニュートリノの質量の存在を確かめた。
理論に修正を迫る歴史的な成果と評価された。

(引用ここまで)


大村智教授も、小柴昌俊教授も、
共通点は「負けず嫌いで、失敗を恐れない」
その粘り強さが、研究成果に繋がる。


■小柴昌俊教授
 http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/kosiba/p1.html



★ノーベル賞大村氏
 「人超えるにはマネだめ」一問一答

 日刊スポーツ 10月6日(火)0時29分配信
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151006-00000003-nksports-soci&pos=4
(引用開始)
-ポリシー、座右の銘は

大村氏 
私の母は小学校の先生でした。
忙しくて、私の面倒は見られなかった。
祖母が見てくれた。祖母は
「とにかく人のためになること考えなさい」
という人だった。(だから)なんとなく、
人のためになるということが大事だな。と。
何か分かれ道になる時は、
そういうことを基準にしてきたと思う。

-人と違うことをしてきた
(中略)
もともと私は山梨大学の学芸部で、
高校の先生や中学の先生になる人の大学に行きまして。
夜間の生徒たちは工場で仕事して、
駆けつけてきて勉強している。

私なんか、大学出たて。もう1度、勉強しなきゃいかんと。
それで、もう1度勉強をしたということですね。
まあ、人生いろいろ歩いてきますと、この道にいたら、
大変だろうと思うかもしれないが、
向かっていくくらいの方がいい人生を送れる
と思っている。
自分自身が学校の先生からスタートしました。
高等教育ばかりでなく、
若い子どもたちのための将来に向けた、
教員の教員そのものの力をつけることに
お金を使うとか、研修会をするとか。
子どもの時から育てないと、
いい研究者にはなれないと思う。
(略)
教育は大事ですから。

(続きはリンク先で)



  omura01.jpg
とても達筆でいらっしゃる。
今朝から、
大村教授のお人柄が注目されていて
研究だけでなく、志や教養が大切なことを
この世代の方々は、
祖父母や両親から学んでいるのでしょうね。
発酵学からの微生物の研究も、
「日本人が古来から微生物を上手く使って
 人々に役立つように活用してきた」
と仰っていました。

今朝、NHKの番組で
都内でノーベル受賞者を予測する団体が紹介され
大村教授の受賞をズバリ当てた唯一の女性が出演。
馬場錬成著
「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)

http://babarensei.coolblog.jp/blog/2012/02/_n_47.html
を読んで、大村教授の受賞を確信していたと・・・。

そして、20代のこの女性に大村教授が
贈っていた色紙に書かれていた言葉が


「敬神崇祖」
(けいしんすうそ)、と読みます。

有働アナウンサー
「神を敬い? ・・・・・・」
読めなかったのか、言いたくなかったのか
言葉に詰まっていました。

神を敬い、祖先を崇(あが)める。
尊いものとして接しなさいという意味です。


★「敬神崇祖」
 宮司の論文
 http://turumi-jinjya.blog.so-net.ne.jp/2012-02-22
(引用開始)
私は考えるのに、日本民族の精神的構造の中に
「いのちの継承」というのがあると思うのです。
「先祖代々」という言葉で表現できると思うのです。
つまり親から子へと子孫を残し、
神々をご先祖としていただくの永遠の生命を
引き継いで行くことだと思います。
いわゆる「いのち」の継承です。
(中略)
その先祖あっての自分であり、
子孫のためを考えながら生きる

(中略)
このように日本人は神代の昔から
祖先の知恵と英知で生きていたのに、
戦後アメリカ占領軍よって、
価値観を変えられてしまい、
別な「いのち」を継承しょうとするから、
混乱を深めて行くのです。
それに気がついたのが東日本大震災で
いわれた「絆」という言葉からでしょう。

東日本大震災で被災に遭われたお方や
亡くなられたお方によって、
いま日本人は目覚めようとしています。
日本人の本来の敬神崇祖の道に
戻ることだと思います

(引用ここまで)



■.『宗教はなぜ必要か』
 島田裕巳著 集英社インターナショナル
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宗教が必要とされた第一の理由は、
死を意味づけ、それを無意味なものとはしない
ということにあります。
私たち日本人は、仏教が伝来してから
長い年月をかけて西方極楽浄土についての
信仰を築き上げ、なんとか死に意味を与えよう
としてきたのです。
もし日本に仏教が伝えられず、
神道しかなかったとしたら、
果たして神道の枠組みのなかで
死を十分にいみづけることはできたでしょうか。
それはかなり疑問です。
<p39>

今の日本の社会で行われている成人式は
形骸化していて、若者がはじめて晴れ着を
着る機会にしか過ぎなくなっています。
しかし、伝統的な社会では、
子どもと大人とは厳格に区別されていて、
成人式を経て大人の仲間入りをすることが、
その個人の人生において決定的に重要な
出来事とされていました。<p67>

村の鎮守として祀られた神などの場合は、
それがいったいどういう神なのか、
明治以前の時代には、それさえ定かでは
ありませんでした。明治の時代になって、
神道が国の管理のもとにおかれるなかで
村の鎮守の祭神にも名前が与えられていきますが、
それ以前は、ただ「お宮さん」とか「鎮守さま」
などと呼ばれているだけでした。
今でもその感覚は消えていません。<p149>

私たちは、神や仏によって定められたもの
があるから、モラルを守るわけではありません。
むしろモラルを守って生活することが、
社会生活を円滑に送る上で、
あるいは人生をまっとうなものにしていく上で、
自分たちに好ましい影響を与えるからこそ、
それに積極的に従っていこうとするのです。
・・・・・・
日本人が、自分たちのことを無宗教だと
言ってはばからないのも、宗教に頼らなくても、
社会にモラルが行き渡る仕組みができあがって
いるからです。<p142-143>

(略)ユダヤ教の神は、「ねたむ神」と言われます。
(略)キリスト教の神は「愛の神」と呼ばれています。
(略)イスラム教の神は、「慈悲の神」なのです。
(略)それに対して、日本の宗教の世界においては、
神は絶対の存在ではなく、
人間がすべてを委ねることができる究極の親には
なり得ません。・・・・・・そして、究極の親として
神に頼れない以上、
私たち日本人は自分たちが親となり、
親としての責任をまっとうしなければならないと
考えてきました。・・・・・・日本の社会のなかで、
ずっと「祖先崇拝」ということが重視されてきたのも、
この点が関係します。
・・・・・・祖先として祀られるということは
神になることを意味します。
日本人は自分自身が神となることで、
絶対的な存在にすがらないでもすむ社会を
作り上げてきたのです。<p164-p169>



島田さんは
「もし日本に仏教が伝えられず、
 神道しかなかったとしたら、
 果たして神道の枠組みのなかで
 死を十分にいみづけることはできたでしょうか」

というけれども、
古キリスト教が、各地に伝搬するなかで
その土地土地の原始宗教の風習を
取り込んでいった
ことは有名ですね。
仏教も、
インドから中国そして日本に到達する中で
様々に変容しながら・・・
日本では、古神道の概念を捨てずに
仏教を受容する神仏習合という形になる。

自らが居住する地域の氏姓を同じくする
氏族の間で、自らの祖神(親神)や、
氏族に縁の深い神様(氏神)をお祀りする
「祖先崇拝」が存在してしました。
居住区の村々の土地を守ってくれる
自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム)、
またはその延長線上にある先祖崇拝。


その土地の人々が原始より守ってきた
命・御魂・霊・神などを崇拝する心を。

縄文時代の遺跡からも
環状列石による祖先崇拝を中心とした
祭祀・儀礼が行われていて、
死者の葬送の形は、「死に意味を与えよう」
無意味なものとはしないという人々の
様々な想いを感じます。
文字に残せなかったけれども、人々の心の
深層に深く刻まれてきたのだと思います。


★縄文人の謎・ロマン 
 “葬送法と埋葬形態”は!

 http://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/296dec69706882db2383285882644957



原始、農耕民族の集合体である「村」では
皆が助け合わなくては
厳しい自然を生き抜く事は困難で
冬至を迎える頃には、お天道様の力が弱まり
村の長(おさ)が、若者に化け物の格好をさせ
子供達に掟を守らせるため
「悪い子はいねがぁ?」と一軒一軒回る
「なまはげ」のような風習は、ヨーロッパ各地にも
みられる原始宗教の名残り・・・


★【豪雪地帯】世界のなまはげ大図鑑
 【マレビト信仰】

 http://matome.naver.jp/odai/2135282173985752101



相変わらず・・・話は大きくそれましたが
昭和10年生まれの大村智教授。
「国民学校」で学んだ世代である。


★国民学校における「敬神崇祖」教育
 http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f47-9.pdf
(引用開始)
 ここで、注目されることは、
「崇祖」という観念は、「机とこしかけ」教材で
見たように、
祖先だけではなく、将来に生まれてくる世代
にまで範疇が及んでいることである。
すなわち、過去と現在そして未来に繋がる世代が
その概念に含まれている。
これについては、すでに語義について考察したように、
神道の根底には遠い祖先から遠い子孫へとつながる
生命観があった。
こうした視点や考え方を国民学校の一年生が
理解しやすいように、「ユメ」「机とこしかけ」教材
のような表現がとられたのであろう。

 「オハカノサウヂ」については宗教的行為では
ないのか、という疑問が生じるかもしれないが、
その内容については母親と姉と連れだって
お墓の掃除に行った児童の生活記録として
表現されている。
そして、お墓の傍らに咲いている萩は
祖父の好きな花であったとその根元に水を
かけてやり、母親が故人を偲ぶ様子が描かれている。

本教材の趣旨に記されていたように、
お盆は「全国的に行はれる年中行事で、
この行事を通して、
児童に崇祖の精神を体得させる」ことであり、
故人を偲ぶ姿が自分(児童)の目を通して
描かれた内容であるため、
特定の宗教儀礼・儀式を意味するものではないと
思われる。

むしろ、日本社会において一般的に行われている
年中行事の意味と、祭祀を通じた祖先と子孫との
結びつきを端的に表現した内容
であると言えるであろう。

 以上、概観してきたように、
国民学校の教科書には従前の教科書と同じように
仏教にまつわる教材が記述されているほかに、
「敬神崇祖」という教育目標に基づいた教材が
新しく排列されていることを確認することができた。
このことも、一九三五年文部次官通牒以降の
新しい傾向である。
(中略)

 前節において、国民学校の教育内容に
神道の基本理念が反映した教材が初めて登場
していたことを知ることができた。
大正末から昭和戦前期にかけては、各方面から
宗教教育の重要性や実施を要請する声が高まりを
見せ
、それらを受けて一九三五年文部次官通牒が
出されていた。
 国民学校の発足はその通牒以後のこととは言え、
明治後期以降、政教分離の方針のもとで文部行政を
展開してきた政府は、宗教教育に対してどのような
姿勢をとっていたのであろうか。
(中略)
本稿において、実際に国民学校低学年の
国語教材を読んだわけであるが、
それは敬神崇祖の神道学的意義が反映した
内容であったと言えるであろう。
すなわち、それには神社の神々や祖先を崇敬
するだけではなく、
子孫を愛護する観念が含まれていた。
さらには、遠い祖先から遠い子孫へとつながる
連続的な生命観が根底にあった。

これらの観念を児童が理解できるように、
平易な文章かつ日常の生活にある場面を切り取った
題材が選択されて教材化されていた。
また、これらの教材においては、
人や無生物といったものが歴史的存在
として描かれ、それを学ぶ児童に「歴史的感情」
を培うこともねらいとされていた。
本稿で紹介した教材群の表現についても、
何ら特定宗派に関するような
偏りのある内容ではなかった。

さまざまな審議会の論議と文部省図書局の
配慮の末、国民学校の教育内容に、
「オミヤノ石ダン」「オハカノサウヂ」「ユメ」「机とこしかけ」
といった敬神崇祖教材が結実したと考えられるのである。

 一九三五年文部次官通牒以降、
初等教育に仏教に関する教材や孔子・孟子を
扱った教材が登場してきたが

国民学校の発足に当たって新しく神道にまつわる
教材も盛り込まれるようになってきた。

この傾向について、筆者は国民学校における
宗教的情操教育の成果であり、
明治末期から続いてきたわが国の
宗教教育改革の一つの到達点であったと考える。

 さて、本稿を終えるにあたり、一九三五年以降、
学校教育において宗教的情操教育が実施される
素地が整備されてきたことの意義を考察しておきたい。
これまでに筆者は、
わが国の宗教教育・宗教的情操教育について
検討を試みてきた。
このことは、国民学校の教育目的、とりわけそこで
育まれる人間像を読み解く契機になると推測している。
すなわち、学校教育においては教育目的を具体化
するために教科及びその内容が編成される。
そこに宗教的要素が含まれることになった
ということは、情操面において
豊かな心情をもつ児童を教育することが
ねらい
とされていたのではないだろうか。


当時において
「皇国民」という表現が用いられていたが、
ともすれば国民学校は軍国主義な人間を
育てることが目的であったと理解されがちである。

確かに、戦時下においては軍事教練が実施され、
超国家的な教育内容が教科書に登場していたが、
それらは社会全体が非常事態のなかで展開した
教育実態であったと思われる。
本稿でも言及したが、軍人による学校教育への
過剰な干渉や文部大臣による教科書の無断修正
などは、その最たる例であろう。
 今後に冷静な議論ができるためにも、当時における
学制改革の事実関係、従前の尋常小学校と国民学校
との教育目的の違いや教科課程の構造の変化など、
さまざまな観点から一九三〇~一九四〇年代における
教育学の研究課題に向き合いたいと考える

(全文はリンク先で)


>ともすれば国民学校は軍国主義な人間を
 育てることが目的であったと
 理解されがちである。


戦後、全てを「軍靴の足音が聞こえる」と否定し
肝心な情操教育までもがないがしろにされてきた。
先日の父の3回忌法要の際にも
ご住職によると、核家族化が進んだためか
先祖供養も墓参りの作法も知らない人が増え
「先日、お父様を亡くした40代の男性が
 生まれて初めて墓参りをしたと仰って
 ”香花って何ですか?”と聞かれて
 びっくり仰天してしまいました。

と仰っていました。

デモ行進に明け暮れる団塊サヨクの皆さんは
年老いたご両親の介護は、他の兄弟姉妹や
介護施設に任せっきりにして
「社会が悪い」と言っていませんか?

先日、NHKで「老人の貧困問題」を取り上げて
北海道で、足の悪い老母を独身の長男が
仕事を辞めて、何年も介護していたのだが
体調不良にも病院に行けずに突然死した長男と、
介護者が亡くなって餓死していたケースを紹介。
都会に出ていた次男が
「そんな事になっていたとは、全く知らなかった」と・・・
親の心配も、先祖供養にも、故郷に帰っていなかった?

都会暮らしの国会前常駐のサヨクの皆さん、
ちゃんと盆暮れ、彼岸に、
故郷のお墓参りをしていますか?
キリスト教徒だから、仏教も神道も関係ない?


後進の教育にも力を入れているという
大村智北里大特別栄誉教授が
自分を尊敬してくれる20代の若者に

「敬神崇祖」
と書かれた色紙を贈ったエピソード・・・
実に、奥が深いなあ~と今朝から
思い続けています。


教育は大事ですから。

大学に入っても「勉学に励む」こともしない
こんな若者が増殖しては困るのよ・・・






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Comments 1

不気美

復肚のとき 来たれり

>私は考えるのに、日本民族の精神的構造の中に
>「いのちの継承」というのがあると思うのです。

解剖学者・三木成夫のわりと有名な本、
『胎児の世界』
解剖学・形態学・生物学関連の本のはずなのに、
最後のほうはなぜか式年遷宮の話が出てきたりする。

三木成夫関連動画集
http://blogs.yahoo.co.jp/sisterannex/34774147.html

2015-10-07 (Wed) 09:28 | EDIT | REPLY |   

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