韓流研究室

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「天皇陛下の謝罪要求」報道で 日本政府、中国側に強く抗議

★「天皇陛下の謝罪要求」報道で
 日本政府、中国側に強く抗議
 「礼を著しく失している」

 産経新聞 2015.8.28
 
http://www.sankei.com/politics/news/150828/plt1508280018-n1.html
外務省の川村泰久外務報道官は27日、
中国の国営新華社通信が天皇陛下に対して
先の大戦について謝罪すべきだと主張する
記事を配信した
ことに関し
中国国内の報道とはいえ、
 内容は天皇陛下に対する礼を著しく失している

と述べ、中国側に強く抗議したことを明らかにした。
外務省内で産経新聞の取材に答えた。

 川村氏は記事に関し
「これまで表明されてきた中国側の立場とも
 相いれないものと考える」と指摘。
日本政府として27日朝、在日中国大使館と
北京の日本大使館を通じて中国外務省に
強く抗議したと説明した。
中国が天皇陛下に直接、謝罪を求めることは
異例で、日本政府は中国国内の動向について
情報収集を進める。
外務省幹部は「失礼極まりないことだ」と
不快感をあらわにした。

 また、岸田文雄外相は
この日の参院外交防衛委員会で、
中国海軍が尖閣諸島(沖縄県石垣市)を背景に
領土防衛への決意を訴える兵員募集向けの
動画を作成したとして、中国政府に抗議したことを
明らかにした。
抗議は27日までに、東京と北京の外交ルートで
申し入れた。岸田氏は委員会で
「領土、領海、領空を断固として守り抜く決意だ。
 毅然(きぜん)かつ冷静に対応したい」
と述べた。

(引用ここまで)









★毛沢東は抗日戦勝記念を
 祝ったことがない

 遠藤誉 | 東京福祉大学国際交流センター長、
 筑波大学名誉教授、理学博士
 2015年8月25日
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20150825-00048788/
中国はいま抗日戦勝記念行事で
燃え上がっている。
しかし中国建国の父、毛沢東は、
抗日戦争勝利記念行事を一度も行ったことがない。
建国以来の推移を見れば、
習近平政権の異様さが際立ってくるだろう。

◆1950年代における抗日戦勝日の行動

中国(中華人民共和国)が1949年10月1日に
誕生すると、その年の12月23日に
中央人民政府政務院(現在の国務院に相当)が
抗日戦争勝利記念日を8月15日にしようと
決定した。しかし実際には実行されておらず、
1951年に8月13日に、記念日を「9月3日」に
すると、文書上で決めた。

毛沢東はそれにも従わず、
9月2日にソ連のスターリンに祝電を送る
ことだけしかやっていない。

中共中央文献研究室が編集し、
中央文献出版社から出版した『毛沢東年譜』に
基づいて、9月2日前後に、毛沢東がどのような
行動を取ったか、
また抗日戦勝日記念行事を行ったか否かを、
以下に記す。

●1950年:抗日戦勝に関しては、
 いかなる行事も行っていない。

●1951年:9月2日に、毛沢東がソ連の
 スターリンに向けて祝電を送った。
 内容は「抗日戦争勝利6周年に際し、
 中国人民解放軍と中国人民を代表して、
 あなた(スターリン)とソ連武装部隊および
 ソ連人民に熱烈な祝賀と感謝を表する」。

これ以外のことは、何もしていない。
国内行事はゼロ!

●1952年:9月2日に、毛沢東がソ連の
 スターリンに向けて祝電を送った。
 内容は「抗日戦争勝利7周年に際し、
 私と中国人民解放軍および中国人民の、
 あなたとソ連武装部隊およびソ連人民に
 熱烈な祝賀と衷心からの感謝を送ります」。
 国内行事はゼロ!

●1953年:9月2日に、周恩来がソ連のマレンコフ
 (第二代閣僚会議議長)とモロトフ(外相)宛てに
 祝電を送った。
 スターリンがこの年の3月に他界したから、
 祝電の送り主は毛沢東ではなく周恩来に格下げした。
 電文の内容は51年および52年と同じだが、
 そのほかに朝鮮戦争休戦協定を祝する内容と、
 「朝鮮戦争における成果は、正常な関係樹立を
  望む日本人民の要求実現を助け、
  日本が再び帝国主義侵略の道を歩まないように
 することに寄与する」という文面を含んでいる。
 日本の一部の者が中国との交流を望んだことを
 指している
ちなみに同日、毛沢東は習近平の
 父親・習仲勲らと別件で談話している。
 国内行事はゼロ!

●1954年:9月2日に、周恩来がソ連のマレンコフ、
 モロトフ宛てに祝電。
 特徴はアメリカ帝国侵略集団が日本に
 軍国主義を復活させようとしていることを
 痛烈に非難。日米安保条約に関して抗議し、
 協力団結を呼び掛けている。
 台湾解放にも触れている。

 国内行事はゼロ!

●1955年~59年:抗日戦勝に関しては
 一切触れていない。
 もちろん国内行事はゼロ!



このように1950年代、中ソ対立が生まれる
1955年までは、ただ単にソ連に祝電(謝意)を
送っているだけである。
つまり、「抗日戦争はソ連のお蔭で勝利した」
という位置づけをしていることが分かる。

◆1960年以降~毛沢東逝去(1976年9月9日)まで

●1960年:抗日戦勝行事は一切なし。
ただし、9月1日にメキシコ代表と対談し
「日本人民は素晴らしい人民だ。
 第二次世界大戦では一部の軍国主義者に
 騙されて侵略戦争をしただけだ。
 戦後はアメリカ帝国主義に侵略され、
 日本にアメリカ軍の基地を作っている。
 アメリカ侵略国家は台湾にも軍事基地を置き、
 我が国を侵略しているのは許せないことだ」
という趣旨のことを語っている。

●1961年~1969年:抗日戦勝行事は一切なし。
 ただし1965年から、10年ごとに記念切手を出している。

●1970年~1976年:抗日戦勝行事は一切なし。

ただし、1972年9月には、日本の田中角栄元首相の
訪中と日中国交正常化に関する記述に多くの
ページが割かれ、日本を讃えている。

国交正常化したからと言って、
突然、そのあとに対日強硬路線を取る傾向は皆無で、
日本に対して非常に友好的だ。

以上見てきたように、
現在の中国(中華人民共和国)を建国した毛沢東は、
中国とは、「中共軍が日本軍を打倒して誕生した国」
だとは思っていない。


中国国内における抗日戦勝は主として
国民党軍がもたらしたものと知っている。
自分自身が戦ってきたのだから、
完全に分かっている。


もし、抗日戦勝日を祝えば、
まるで「国民党を讃える」ということになってしまう。

それを避けるためにも、毛沢東は
抗日戦勝記念日を祝おうとはしなかったのである。

そして中国とは、国民党軍を倒して誕生した国である
と認識しているので、建国記念日である国慶節
(10月1日)は、毎年盛大に祝っている。
正常な感覚だ。

8月10日付の本コラム戦後70年有識者報告書、
中国関係部分は認識不足に書いたように、
安倍談話に向けた日本の有識者懇談会が出した
報告書の4の「(1)中国との和解の70年」の
「ア 終戦から国交正常化まで」には、
とんでもない間違いが書いてあった。その文言は
「一方、中華人民共和国に目を向けると、
 1950年代半ばに共産党一党独裁が確立され、
 共産党は日本に厳しい歴史教育、
 いわゆる抗日教育を行うようになった」というものだが、
これがいかに間違っているかは、今回のコラムを
お目通し頂ければ一目瞭然だろう。

日本の「有識者」は、最近の中国の現象から
過去を推測しているのだろうか、
あるいは中共の宣伝に洗脳されてしまっている
のだろうか。


毛沢東は「日本に厳しい歴史教育や反日教育」など
していないどころか、抗日戦勝記念日さえ
無視してきたのである。

問題は、それに比べた現在の中国、
特に習近平政権の
「抗日戦勝と反ファシスト戦勝70周年記念」
に対する、あまりの熱狂ぶりだ。

抗日戦争勝利の日から
遠ざかれば遠ざかるほど熱狂的になり、
なりふりをかまわず歴史を歪めている。


このような現象が起き始めたのは江沢民以降だが、
その原因と推移は別途論じることにしよう。

(引用ここまで)



★天安門事件で中国は世界に孤立、
 「天皇訪中」 がこの危機を救った

 http://roumugyousei.blog130.fc2.com/blog-entry-598.html


★天皇陛下はなぜ
 ロシアと韓国を訪問されないのか? 
 それは北方領土問題と竹島問題が
 あるからだ。天皇訪米も沖縄返還が
 あったからだ。

 http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/80b66e72c058fb12a155f8fdd6f9eba1


★中国の「天皇工作」
  「日本を取り込むためには、天皇を取り込め」
が中国の対日外交戦略だった。

 http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h21/jog628.html


★【中国人慰安婦】
 朝日新聞が極秘文書入手~
 日中当局、慰安婦取り上げぬ合意
 92年の天皇訪中前 と、
 まるで秘密があったように書く

2013年12月10日
 http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/35532188.html




自分達の都合の良い時だけ陛下を利用し、
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国家主席就任前の習近平が己の地位固めの為に
民主党政権時の利権屋・小沢一郎に命じて
強引に”1か月ルール”を破らせてデカい面・・・

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1953年4月30日、イギリス御訪問の陛下を
首相官邸で出迎えたチャーチル首相の
礼節をわきまえた対応をご覧ください。

たとえ
戦勝国であっても.伝統文化を重んじる英国。
.マナーはマナー
チャーチル首相は本物の紳士ですね・・・

まあ、
中国側にも色々と”事情”が有るらしいが・・・






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Comments 1

774

外務省は、もう一歩踏み込んで、「相互不干渉を謳う、日中平和友好条約の精神に悖る」くらい、言えなかったんですかね?
国際条約を守らない国というレッテル貼りは効果がありますが。

2015-08-29 (Sat) 05:52 | EDIT | REPLY |   

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