韓流研究室

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慰安婦被害者訴訟、日本「韓国司法権及ばない」と訴状を返送

★日本「韓国司法権及ばない」 
 訴状を返送…
 慰安婦被害者訴訟が危機に

 中央日報 2015年06月15日16時54分
 
http://japanese.joins.com/article/835/201835.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news
日本政府が「韓国の司法権が
自国に影響を及ぼすことはできない」として、
慰安婦被害女性らが起こしていた損害賠償の
訴状を送りかえした。

慰安婦被害女性と日本政府間の調停が
失敗に終わった。


ソウル中央地裁民事92単独ムン・グァンソプ判事の
審理で15日に開かれた初めての調停期日は、
慰安婦被害者の代理人を務めている
キム・カンウォン弁護士だけが出席して行われた。
日本政府は代理人を立てないことが分かった。

キム弁護士は
「日本政府が被害女性側の訴状を返送したため、
 この日の調停は公式に開かれなかった」とし
「ハーグ送達協約第13条を掲げて
 慰安婦被害女性の訴訟に応じることができない
 という立場を迂回的に表示したもの」
と述べた。

キム弁護士によると、ハーグ送達協約第13条は
「韓国の司法主権が日本政府に
 影響を及ぼすことはできない」
という内容を
裏付ける条項だ。キム弁護士は
「損害賠償訴訟を提起した当初にも、
 日本政府が送達手続きに難癖をつけていたが、
 今回は最初から返送した」と話した。

これに伴い、翌月の第2回期日にも
日本政府が同じ立場を示す可能性が大きい
状況なので、裁判所と弁護人側は同日、
訴訟を続けるかどうかについても話をしたという。
キム弁護士はしかし
「裁判長に第2回調停を予定通り進めるよう要請した」
と明らかにした。

「今月22日は韓日国交正常化50周年で、
 韓日外交局長級協議が進められている以上、
 第2回期日前に両国の状況が変わる
 可能性がある」
としながらだ。

今回の訴訟は生存している慰安婦女性を後援している
「ナヌムの家」で生活している女性ら12人が提起した。
女性らは、日帝強占期当時、日本政府が暴力などを
動員して自分たちを強制的に連行したとし、
2013年8月に1人当たり慰謝料1億ウォン
(約1107万円)を賠償するよう求める訴訟を起こした。


しかし、日本政府は裁判所が送った事件関連の
書類送達を2度も拒否するなど時間がかかっている。
これまで訴訟に参加していた慰安婦被害女性のうち、
ペ・チュンヒさんとキム・ウェハンさんの2人は
すでに亡くなった。

次の調停期日は7月13日に開かれる。

(引用ここまで)



★「慰安婦」を無視されたら打つ手がない
 韓国の新思考外交を読む

 日経ビジネスオンライン
 鈴置 高史 2015年2月5日(木)
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150203/277074/?rt=nocnt
(引用開始)
鈴置:保守論壇の大御所で、朝鮮日報顧問の
金大中(キム・デジュン)氏

「のどが乾いた方が井戸を掘れ」
(2014年12月9日、韓国語)を書きました。

 これが「新思考外交」――
日本との外交に歴史を持ち込むのはやめよう
――を訴える代表的な記事です。
以下が記事の最後の文章の全訳です。
•今さらの話だが、日本との過去を言挙げし、
 歴史を話すことがどれほど愚かで
 無意味かを悟った。

韓国の外交的な武器である「歴史カード」を
手放そう、ということですね。
なぜ突然、そんな意見が出てきたのでしょうか。


鈴置:金大中顧問は記事の冒頭で
日本は韓国との関係を改善する考えもなく、
 必要性も感じていない。
 これは(2014年)11月の最後の週に
 日本の政治家や知識人に取材して
 得た結論だ
と書いています。

 訪日前は
「何か要求すれば、日本は渋々でも
 応えるはずだ」
と考えていたのでしょう。
「日本は悪化した韓国との関係を
 改善したがっている」との前提からです。

 しかし、日本への取材旅行で、
それが思い込みだったと金大中顧問は
告白したのです。記事の中には
「関係改善を話し合おうにも、
 取り付く島もなかった日本人」の実例が、
いくつも報告されています。

そして日本が関係改善を望んでいない以上、
いくら強力な「歴史カード」を振り回しても
無視されるだけだ――
という結論に達したのです。

 それまでなら日本の「良心派」が、
韓国が望む方向に内側から日本を誘導して
くれた
ものでしたが、
それにももう、期待できません。

(引用ここまで)



■ペ・チュンヒ(裵春姫)さん
戦後、日本でクラブ歌手をしていた。
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★川崎から日本軍「慰安婦」問題の
 解決を求める市民の会

 http://blogs.yahoo.co.jp/motomerukai2009/45647055.html
日帝強制占領期間、慶北(キョンブク)星州(ソンジュ)
で生まれたペ ハルモニは、
友達のポンスンの家に遊びに行って
‘金を稼げる’と騙されて
友達と一緒に挺身隊に入った。

1942年、
友人ポンスンとともに彼女が引きずられて
行ったところは中国の満州であり

身も心も日本軍によって踏みにじられた。
ペ ハルモニは満州で3年以上に亘り日本軍から
性的奴隷の生活を強要され、解放と共に帰国した。
国内生活に適応できずに日本に渡って行き、
演歌歌手として生活
して、1980年代初めに帰国した。
だが苦労して貯めたお金を親戚による詐欺で失った後、
彼女は1997年に京畿道(キョンギド)広州市(クァンジュシ)
退村面(トェーチョンミョン)の‘ナヌムの家’に入所した。
(引用ここまで)

★「ナヌムの家」に暮らして
  -元「慰安婦」との1週間-その2

http://www.theperthexpress.com.au/contents/ontheroad/s28/2.htm
 韓国内の犯罪を摘発するニュースになった。
「日本に比べて韓国は、悪いヤツが多いよ。
 日本の戦前は、人情があって本当によかったよ。
 今の韓国の人は、カネ、カネのことばっかり。
 若い人もろくなヤツがいない。」。
おばあさんの口から、日本を誉め、韓国を悪くいう
状況なんて想像もしていなかった。
さらに、裵さんは、韓国の悪口を続けた。
さすがに気分が良くなかった。

http://www.theperthexpress.com.au/contents/ontheroad/s28/3.htm
「1923年、慶尚北道星州生まれ。
 中国で慰安婦生活。
 終戦後、すぐに帰国できず
 あちこちを転々としたあと、
 1951年日本へ渡る。

 日本で30余年暮らして1981年帰国。
 その時、持って帰ってきたお金を全部、
 唯一の肉親であった腹違いの兄に騙し取られる。

 それから韓国人を否定的に見るようになった」

★元慰安婦女性を「日本びいき」に
 化けさせた産経新聞

 中央日報 2014年06月23日09時46分
 http://japanese.joins.com/article/822/186822.html


★朝日武田肇記者と
 ハンギョレ記事の食い違い

 http://togetter.com/li/678020
元慰安婦ペ・チュンヒ(91)さんが亡くなられ、
哀悼のツイートをされた武田氏の情報と、
翌朝掲載されたハンギョレの情報が大きく食い違う。
「日本の謝罪を死ぬ前に聞きたかった」
「日本政府の賠償はいらない」

随分とニュアンスが違う印象








■キム・ウェハンさん
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戦後70年の今年、6/11に
”享年80歳”で亡くなったと報道され、
一躍有名になった。
朝鮮戦争時の慰安婦では?という意見が
殺到した・・・

★慰安婦 : キム・ウェハン ハルモニの証言
 在日朝鮮人から見た韓国の新聞
 http://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/archives/33423233.html
慰安婦の中でも一際異彩を放っていた
キム・ウェハン ハルモニ。
結婚もでき、4男1女にも恵まれ、
女性としての幸せを手にしたのに、
嘲笑の対象に身を落とさざるを
得なくなったのも、やはり貧困でした。

経済情報誌の元記事は
「위안부 피해 김외한 할머니 별세」 (慰安婦被害者
キム・ウェハンハルモニ、死去)というタイトルがあるくらい、
「被害者」としての地位を確立しています。
それ程の"有名人"なのに、
経済情報誌は80歳、東亜日報では81歳、
ちなみにね、2013年の記事ではナント!
85歳になっている。

南朝鮮のメディアはあなたを大切にしている
ように見えて、実際はぞんざいに扱っている事が
よく分かります。

(中略)
女性家族部のHPから
工場に就職させるという言葉にだまされて
慰安婦生活…
慰安婦被害者キム外寒おばあさん81才の年齢で死去
慶北(キョンブク)、安東(アンドン)で生まれた
キム・ウェハン ハルモニは
去る1945年2月11才の年齢に工場に就職させるという
言葉にだまされて日本、北海道に引きずられて行った。

当時初潮も始まっていなかった幼いからだだったが
日本軍によって慰安所で仕事をすることを強要された。
キム・ウェハン ハルモニは強制的に繰り返し性行為を
しなければならなかった。 解放後には故郷に戻るために
山で木の実を取って飢えた腹を満たさなければならな
かったし、紆余曲折の末故郷に戻ることができたが、
からだと心には深い傷が残った。

キム・ウェハン ハルモニはぞっとするような慰安婦生活
のために結婚できないかも知れないと悩んだが、
韓国社会では独身で暮らしていく事が難しいことから
18才に結婚した。 夫は強制徴用を経験してきた
日本軍のまた別の被害者でもあった。
キム・ウェハン ハルモニは結婚後4男1女を出産し、
1998年、夫の勧めもあって政府に慰安婦被害者登録
を受けた。
(抜粋)

ついでに、こちら、別の女性家族部のサイトも。

”故キム・ウェハン ハルモニは
 1943年(当時満9才)に日本軍'慰安婦'として
 強制動員されて光復(解放)される時まで
 日本の北海道で'慰安婦'生活を強要された。
 光復(解放)後、1945年9月頃(満11才ごろ)帰国して
 1年後結婚し4男1女の子供に恵まれた。

 以後ずっと安東で生活してきた。
 1998年、日本軍‘慰安婦’被害者として政府に
 登録されて生活支援を受けることになった。(抜粋)”

(興味深い内容は、リンク先で)



どちらの元慰安婦も、慰安婦被害者の
代理人を務めているキム・カンウォン弁護士が
作成した訴状のような
「日帝強占期当時、
 日本政府が暴力などを動員して
 自分たちを強制的に連行した」
とは証言していない。

ペ・チュンヒさんは、
「友達のポンスンの家に遊びに行って
 ‘金を稼げる’と騙されて
 友達と一緒に挺身隊に入った。」


キム・ウェハンさんは、
1945年2月11才の年齢に
 工場に就職させるという言葉にだまされて
 日本、北海道に引きずられて行った。」


そもそも、女子挺身隊は「金を稼ぐ」組織ではない。
個人で入れるものではない。
学校や町内会の単位で組織され
”お国の為”に動員された勤労奉仕隊である。

キム・ウェハンさんが、北海道に渡った時期が
満9歳なのか11歳なのか、韓国の女性部とて
ハッキリしないという証言なのだが、
この年齢で、「工場に就職させてやる」と言われて
ほいほいとついて行ってしまう少女達って???

戦前・戦中でも、日本の司法は
両親に内緒で、未成年児童を騙して連れ去ったのなら
「未成年者略取・誘拐」罪で裁判で有罪にしている。

私の母は、ちょうどキム・ウェハンさんと同年齢で
満9歳なら小学校に通っていた頃で
母によると当時でさえも、両親から
「知らない人について行ってはダメだよ」
厳しく言われていたそうである。
母の姉で、現在91歳の伯母も
ラジオや新聞の事件を見聞きした両親から
「年頃の娘が一人で歩いていると
 ”人さらい”に連れて行かれるかもしれない」

と、女学校以外の単独での外出は許されず
兄や弟達が付き添ったと言っていた。

そもそも、都会のモダンガールと違って
田舎ではまだ「嫁入り前の娘」がフラフラと
独りで遊びに出かけたりしていると、
アバズレと近所の噂になってしまう・・・
そんな時代だったという。
良い「縁談」が来なくなってしまうと・・・
職業婦人にならないのなら、花嫁修業をするのだと。

戦争末期、食糧難の中、空腹で堪らなかった母は
隣村の母親の実家の庭に柿の木が有って
それを貰いに行こうと、両親に内緒で一人で
母親の実家まで山を越えて行ってしまった事が
有ったそうだ。
たった一人でやって来た孫娘に、祖父母は急いで
母親に連絡をとって「怒鳴りつけた」そうだ。
「こんな遠くまで、たった一人で来させるとは
 お前は何をやっていたんだ!
 ”人さらい”に浚われたらどうするつもりだ!」

と、お祖父さんにかなり怒られたらしい。
翌日、お祖父さんに送られて家に戻ると
玄関で祖父母や両親が勢ぞろいして謝罪して
母方の祖父が帰ると、父親から
「一晩中、お前の母さんは泣いていたぞ・・・」
と静かに言われたそうだ。

母は、戦争中の辛かった思い出話として
私が子供の頃から、この話をよく聞かせてくれた。
「お祖父ちゃんが持たせてくれた柿を
 お母さんが黙って切ってくれて、
 兄弟姉妹5人で食べたけれど
 私は涙で味がよく解らなかったのよ・・・」と。

田舎の農家の少女の思い出話なのだが、
普通の家では、どこでも、それ程変わりないのでは?
幼い女の子が、「工場で働かせてやる」という甘事を
両親にも相談せずに簡単について行ってしまう?
普通の家庭では、有り得ない光景だわ・・・



さて、
元慰安婦のペ・チュンヒさんが日本に渡ったのは
1951年(昭和26)。
http://www5a.biglobe.ne.jp/%257eaccent/kazeno/calendar/dekigoto/1951.htm
国交回復していない韓国から
どんなルートで日本に渡り、クラブで働けたのだろう?

1951年といえば、1950年6月に勃発した
朝鮮戦争さなかの韓国では
【保導連盟事件】が起き
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%B0%8E%E9%80%A3%E7%9B%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6
翌年の1951年には
【国民防衛軍事件】も起きた混乱期。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E9%98%B2%E8%A1%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

元慰安婦だったペ・チュンヒさんは
慰安婦だったから「国内生活に適応できず」
日本に密航したのではない・・・
あの混乱と虐殺の中で、
彼女が慰安婦だったかどうか気にする民衆が
いただろうか?
北も南も、誰もが国内生活に適応できるはずない。

★在日済州島人の「不法入国」から
 「特別在留」獲得まで 
 -大阪を事例に-

 高 鮮 徽(鹿児島大学)
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8108/koh1.htm

★拷問・戦争・独裁逃れ…
 在日女性60年ぶり済州島に帰郷へ

 2009-06-20
 http://ameblo.jp/campanera/entry-10283897193.html


過去の歴史に真摯に
目を向けなければならないのは
韓国、北朝鮮なのでは?




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