韓流研究室

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沼津・高尾山古墳 初期古墳壊すのか by磯出道文

★沼津・高尾山古墳
 初期古墳 壊すのか

 読売新聞 2015年6月10日朝刊紙面より
takaosankofun.jpg

【初期古墳 壊すのか】

卑弥呼は
その人物を常に意識していたであろう。
卑弥呼の御殿では、その人物が東国に巨大な
墓を築いていたことも話題になっていたに違いない。
「そうですよね」と、その古墳を発掘した
考古学研究者に水をむけたら
「当然です」と確信に満ちた表情でうなずいた。

私は静岡県沼津市にある高尾山古墳を訪れた。
それは途方もない古墳。
卑弥呼とまったく同世代の珍しい「初期古墳」なのだ。
市によれば、西暦230年頃に築造され、250年頃に
埋葬されたものだった。
全長が62メートル。破格の大きさ。
卑弥呼時代の東国最大の古墳だ。
東海道をおさえるようにドッカリとある。
卑弥呼のライバルともいうべき東国の王の墳丘
であるのは間違いない。

『魏志倭人伝』に
「女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼ともと
 より和せず」とある。
卑弥呼と戦っていた狗奴国の男王・
卑弥弓呼の古墳の可能性も否定できない。
なぜなら、この古墳の墳丘や堀からは、
北陸~滋賀~浜松地方など広い範囲から
運ばれてきた外来土器が大量に出た。
卑弥呼がいた可能性のある畿内を東側から
包囲する地域の人々が集まって、この古墳を
築造し、墳丘上でお祭りをした生々しい形跡が
出てきたのだ。


この古墳は富士山麓にあり、火山灰の酸で、
葬られた王の骨は土中で溶けてなくなっていた。
だが、おしゃれに興味のない無骨なリアリストの
武人であったことがわかる。
遺体の頭部には割られた銅鏡、胸には小さな
勾玉が一つ。長大な刃渡りの鉄槍を右手にして
葬られていた。槍は人を突き殺すとき、すぐ抜ける
よう工夫された実践的なもの。足元には生前に
率いていた軍団長が一つずつ供えたのか、
矢じりが32個かためて置いてあった。

西洋で古代ローマが栄えていた頃、日本では
「初期古墳」をつくることで地域ごとに
「初めての国家」が生まれた。
日本人が国家を最初にもった時の資料であり、
記念碑的遺跡だから、初期古墳は特に価値が高い。

卑弥呼の親世代の巨大墳丘墓・楯築遺跡(岡山)。
卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(奈良)。
邪馬台国の大臣や将軍たちの墓ともいわれる
纏向の五つの古墳(奈良)。

そして
卑弥呼時代の東国最大の古墳である
この高尾山古墳の四つは卑弥呼時代の
重要遺跡だ。
 

(中略)
都市計画の変更や廃止となると、国からの補助金にも
影響する。用地の再取得や補助金返還もありうる。
それで破壊するというのだ。

私は「ちょっと待ってくれ」といっている。
私も遺跡の上の家で育ったから地元の不便はわかる。
しかし人間の品格はやせ我慢に宿る。
「不便だがこれは
 日本国家誕生時の重要遺跡
 それが沼津にあるのは地域の誇りだから」

と子どもたちに語れる品格があっていい。
高尾山は壊せる古墳ではない。
壊せば祟られるとはいわないが、恥だ
「あの時の沼津の人と市長は偉かった」
と後世に語りつがれる決断をしたほうがいい。
国も特殊な事情を勘案してほしいと思う。

(引用ここまで)


  numadu201408280001.jpg

★日本の古代史が変わるかも?
 「高尾山古墳」

 
http://shizufan.jp/netamap/tobu/55279/

★高尾山古墳発掘の調査報告書
 人文パイプぶろぐ 2012年5月13日
 http://jinbunpaipu.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html
(引用開始)
【古代の地理】
本文第一章では、沼津の古地形と高尾山古墳との
関係について解説している。  
かつて沼津市域一帯では、西部には海とつながった
浮島沼が広がり、東部には「古狩野湾」と呼ばれる
海が広がっていた。  
その後、古狩野湾では、黄瀬川がもたらす土砂により
黄瀬川扇状地が形成され、縄文時代の終わりごろ以降
から陸地化していった。
このため、縄文時代以前の人々は愛鷹山一帯に暮らし、
多くの遺跡が愛鷹山麓から見つかっている。
弥生時代以降には、黄瀬川扇状地にも人が住むよう
になり、当時の遺跡が存在する。  
高尾山古墳は、古くから人々が暮らした愛鷹山一帯と、
居住地として新たに発展していった黄瀬川扇状地とを
結ぶ地点に位置している。

また、古墳築造当時には浮島沼が残っていて、
その東端は古墳の近くにあり、古墳付近まで、
海から舟が入り込むことが可能だったと見られている。
(中略)
【副葬品】
銅鏡や鉄槍、鉄鏃は古墳に葬られた人の副葬品
と見られている。  
このうち、銅鏡は上方作系浮彫式獣帯鏡と呼ばれる
型式で、「上」「竟」「宜」といった文字が入っていること
が確認されているが、他所で見つかっている同種の
鏡から推測すると、本来は
「上方作竟 長宜子孫」という字句であったと見られる。  
この種の鏡は中国山東省の遺跡からも見つかっており、
その遺跡と同時期の遺跡からは「永康元年」と記された
出土品が発見されている。
永康元年は西暦一六七年で後漢王朝後期。
このため、高尾山古墳の銅鏡も同時期の二世紀
(西暦一〇一年~二〇〇年)後半に当時の中国で
作られたものではないかという。  
また、高尾山古墳から出土した銅鏡の特徴として
割れていることが挙げられる。
こうした鏡は「破砕鏡」と呼ばれ、
宗教行事の一環として、わざと割られたと見られる。
破砕鏡は、三世紀(西暦二〇一年~三〇〇年)後半
以降に築かれた古墳からは姿を消しているという。


(全文はリンク先で)


★高尾山古墳シンポジュウム
 人文パイプぶろぐ 2012年8月5日
 http://jinbunpaipu.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html




★高尾山古墳:
 古墳出現期前後に駿河で
 築かれた前方後方墳

 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-13/2014_10_22.htm
takaosan1022-07.jpg
 発掘調査時の様子

takaosan1022-11.jpg
  高尾山古墳の想定図と規模

(全文はリンク先で。BGM注意)


★沼津市・高尾山古墳の
 築造企画

 http://blogs.yahoo.co.jp/yhojo_6261/24921859.html



★「古代スルガの王」が出現か
 最初期屈指の前方後方墳

 日本経済新聞 2015年5月27日
 
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87241610V20C15A5000000/

★沼津市高尾山古墳の
 保存に関する要望について

 一般社団法人日本考古学協会
 埋蔵文化財保護対策委員会
 2012年11月5日
 
http://archaeology.jp/maibun/yobo1205.htm



★高尾山古墳保存か   
 道路建設か
 沼津市教委調査書、来月提出

 (2012年2月27日 読売新聞)
 http://giin.i-ra.jp/e458736.html

★日本考古学協会
 :「高尾山古墳の保存を」
 異例の会長声明

 毎日新聞 2015年05月25日
 
http://mainichi.jp/feature/news/20150526k0000m040048000c.html
◇沼津市教委「苦渋の決断」で
 「古墳取り壊す」発表

 日本考古学協会(高倉洋彰会長)は25日、
古墳時代初頭に築造された高尾山古墳
(静岡県沼津市東熊堂)が市の都市計画道路建設で
取り壊される恐れがあるとして、保存を求める
会長声明を発表した。
同協会が保存を求める声明を出すのは、
2005年の高松塚古墳(奈良県明日香村)、
08年の鞆(とも)の浦(広島県福山市)以来。

一方、
沼津市教委は同日「苦渋の決断」として
古墳を取り壊すと発表した。

 同協会によると、高尾山古墳は、
3世紀前半(230〜250年)築造とみられ、
卑弥呼の墓とも言われる箸墓(はしはか)古墳
(奈良県桜井市)より古い可能性がある。

全長62.2メートルの前方後方墳で、
弘法山古墳(長野県松本市、全長63メートル)と
並び東日本で最古・最大級
国道246号と国道1号を結ぶ都市計画道路
予定地内にあったが、沼津市は09年度以降、
工事を凍結していた。

 同協会は声明で
「初期国家形成過程の画期的な古墳。
 国民共有の文化遺産として
 将来にわたり保存・活用されるべきもの」

と主張。
これに対し沼津市の工藤達朗教育長は
「可能な限り遺構保存を考えたが
 総合的に判断した。
 会長声明は非常に重いが、
 再検討は考えていない」と話した。

(引用ここまで)



★高尾山古墳残さず道路整備 
 沼津市方針

 中日新聞 2015年5月26日
 
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20150526/CK2015052602000097.html

★高尾山古墳:「残して」 
 委員会で意見 
 市は強硬姿勢 沼津市議会
 
 毎日新聞 2015年05月28日
 
http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20150528ddlk22040084000c.html

★定説に影響与えた古墳、
 取り壊して道路整備へ

 読売新聞 2015年05月28日
 
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150527-OYT1T50145.html

市計画道路の建設中に確認された、
東日本最古級とされる高尾山古墳
(静岡県沼津市東熊堂)について、
沼津市は取り壊して道路を整備する方針を決めた。

 日本考古学協会が学術的価値の高さを理由に
保存を要望してきた古墳だが、
市は「保存は困難」という判断を下した。
市は今後、記録保存の調査を行うが、
協会の反発が予想される。

 高尾山古墳は、
方形(台形)を前後に重ねた形の「前方後方墳」で、
長さ約62メートル、最大幅約34メートル、
墳丘の高さは約5メートル。
市が整備する都市計画道路「沼津南一色線」の
建設予定地にある。道路は幅25メートルで、
国道1号と246号を結ぶ。
周辺は県内でも有数の交通渋滞が激しいエリア
とあって、早期開通を望む声も多い。

 2008~09年度までの発掘調査で
古墳と確認され、市は工事を中断。
学術的価値を見極め、迂回案などの保存策を
検討してきた。
しかし、保存して道路を整備するのは構造上困難
と判断し、25日の市議会文教消防委員会に
取り壊し方針を報告した。

 市文化振興課は
「保存のため、陸橋やトンネルなど
 数十案を検討したが、無理だった」としている。
今後、記録保存の調査を2年間行い、
墳丘を削り取る
そのうえで、レプリカ制作などを検討する。


 これに対し、日本考古学協会は
「学術的価値は高く、適切な保存と活用を望む」
と強調。25日は委員会報告の前に
都内で記者会見を開き、高倉洋彰会長が
「古墳文化形成を解明する上で極めて重要」などと、
保存を求める会長声明を出した。

 協会の言う学術的価値は
〈1〉古墳最初頭期(3世紀)の前方後方墳では
  国内最大級
〈2〉朱塗りの木棺、青銅鏡はじめ多様な副葬品

――など。
しかも、「築造は230年頃、埋葬は250年頃」
(市教委調査)とみられ、卑弥呼の墓との説もある
箸墓古墳(奈良県桜井市)とほぼ同時期とされる。

一般的に、古墳は中央の権力者、または
統治を認められた地方豪族が築造したとされる。
しかし、高尾山古墳は中央に先立ち、
地方が独自に古墳を築造した可能性を示し、
定説に影響を与えた。
それだけに、
市の判断は今後、論議を呼びそうだ。




日本国家誕生時の歴史を解明する重要遺跡を
沼津市だけの決断で壊してよいのか?
壊してレプリカを造ればよいのか?
壊して道路を建設し、重要遺跡の真上を
大型ダンプカーの群れが踏み潰していく
そんな光景を想像してみて欲しい・・・

日本の古代史は、判明されていない事が多い。
だからイデオロギーが絡まってしまい
韓国の古代史家は言いたい放題・・・
しかし、韓国の考古学者が解明できない謎。

★韓国・全羅北道で
 韓国最古の前方後円墳…
 土師器など出土で
 5世紀後半だと確認

 WoW!Korea 5月27日(水)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150527-00000066-wow-kr
大韓文化財研究院が実施した発掘調査の結果、
韓国南西部の全羅北道(チョルラプクト)
高敞(コチャン)郡の
「高敞七巌里(コチャンチルアムリ)古墳」が
韓国の前方後円墳の中で最古のものである
ことが確認されたと、 
韓国文化財庁が27日に明らかにした。

 高敞七巌里古墳は、
栄山江(ヨンサンガン)流域に集中的に分布する
他の前方後円墳のものと同じ6世紀前半に
作られたものとされていたが、
日本の土師器系高杯などが出土したことで
5世紀後半であることが確認された。

 全体の長さは55m内外で、
韓国の前方後円墳の中で3番目に大きい
規模である。完成段階で古墳の周辺に
石を敷き詰めた葺石施設になっており、
墓と石室を同時に築造したことも明らかになった。

 また埋蔵施設は4つの大型割石を使用し、
壁を作った「石棺形」の構造になっている。
これまで韓国で確認・報告された13の前方後円墳で
発掘調査が終わっている4つの古墳は、
横穴式石室や竪穴式石室だった。

 同時に石棺内部には
百済系の器台や蓋杯をはじめ、
日本の土師器系高杯や円筒形土器
さらに鐵鏃や馬具の付属品である雲珠なども
出土している。

 調査過程で、今回調査した古墳以外に
2つの前方後円墳が確認され、関心を集めている。
普通、前方後円墳は単独で存在するのが
ほとんどだからだ。

 今回の発掘調査結果は、
韓国の前方後円墳の性格と出現時期に関する
研究だけでなく、日韓の古墳文化の比較研究を
より活性化させるきっかけになると
文化財庁は期待している。
(引用ここまで)

★韓半島南部の栄山川流域の
 主な前方後円墳と
 古代日本との交流を示す出土物

 http://www.kiu.ac.jp/organization/library/memoir/img/pdf/kokusai5-1_2-001paku.pdf



紀元230年か250年頃に築造されたと
推定される高尾山古墳から出土された
舟の形をした「舟形木棺」
 shizufan010_R11.jpg
舟形木棺の中に残っていた(しゅ)
※朱=硫化水銀を原料とした赤色顔料
当時、朱はとても貴重なものであったことから、
非常に大きな財力を持った人物とうかがい
知る事が出来る。
発見時、朱の鮮やかさな色に
調査員が驚いたそうである。


★慶南7号墳で発見
 日本にみられるクスノキ製木棺

 2006年 4月19日
 http://www.wood.co.jp/web/web/web-w291.html
一昨年、慶尚南道昌寧郡の松洞古墳群(7号墳)
からクスノキ製の木棺が発見された。
長さ3・3㍍、幅0・8㍍の木棺であり、
これほどのクスノキは、韓半島では自生しない。
わずかに済州島にみられるが、
日本 列島のようには巨木にならない。

 木棺は船のように湾曲し、かなりの大きさの
クスノキをくり抜いたものである。
古墳は植民地期に盗掘されていたが、
幸い残された土器や副葬品などから、
この地域の首長クラスの墳墓で、
500年前後に造営されたとみ られている。
 昌寧は、伽耶諸国の一国、比国であり、
『日本書紀』にも倭が関連した国(比自)として
現れる。
文献などにより6世紀中頃には
新羅に服したとされるが、この度の発掘調査によって、
古墳の築造法や出土遺物から新羅 の強い影響が
確認され、古墳の性格をめぐって
今後の調査結果がまたれる。

 最も興味をひかれるのは、
クスノキ製の木棺の来歴である。
これほど保存状態のよい舟形木棺の出土例はなく、
その材質と形態から、倭との関係が一部で
取りざたされていた。
 偶然にも発掘を担当した国立昌原文化財研究所
と早稲田大学朝鮮文化研究所とは共同研究を進めて
いることもあって、発掘直後に木棺を古墳内で
直接みる機会に恵まれた。

 その時、私の脳裏をかすめたのは、
なぜ韓半島で発見される木棺は、
ことごとく韓半島で自生しない木材が
利用されているのかという疑問である。


1971年に発見された百済の武寧王陵も、
王と王妃の棺は日本からもた らされた
コウヤマキであることが後に明らかにされた。
 
百済最後の都があった扶余の陵山里古墳群
(王陵地区)でも、5基の古墳から出土した
木棺片は、韓半島には自生しない
コウヤマキであった。
一方、新羅の都・慶州にある98号墳や金冠塚の
棺材も、最近の調査でクス ノキ製であることが
判明している。
 
ところで、日本の前方後円墳もまた多くが
クスノキを木棺に利用していたことが
明らかにされている。
 
クスノキは腐食しにくく、棺材に適しているのである。
それゆえ、韓半島の百済、新羅、伽耶の国々の
諸王たちは、わざわざ日本列島の棺材を
もとめたということになるのではないか。

 
一見、埒外のような推定に思われるかも知れぬが、
実は中国古代では、そのようなことは当然であった。
後漢時代の『潜夫論』によると、漢の都・洛陽の人々は、
梓やクスノキなどの棺材を、数千㌔隔てた
江南地方から 運び込ませていたのである。
 
これまで韓半島南部の豊富な鉄が、
6世紀頃まで日本列島にもたらされていたことが
注目されていたが、その代価については
諸説あって不明とされてきた。

生口(奴隷)説、コメ説、塩説など、
どれもが説得力に欠けて いた。
 日本の棺材こそは、
まさに鉄の代価になりえたのではなかろうか。

御世の国に旅たつ王者たちにとって、
中国同様の良質な棺材を求めることは
切実であったはずである。
 このたび伽耶の一国、比自国から出土した
クスノキ製の木棺は、古代韓半島と日本列島の
交流を解き明かす大きな鍵となるにちがいない。

(引用ここまで)



★<平手町遺跡>
 日本最古の舟形木棺発見 
 弥生中期か 名古屋

 2009年2月21日 (毎日新聞)
 http://fu1to.i-ra.jp/e87040.html
名古屋市北区の病院建設予定地から、
最古とみられる舟の形をした木棺が
発見された。
約2000年前の弥生時代中期のものとみられ、
これまでに発見された舟形木棺より約200年
さかのぼるという。
舟形木棺は死者を死後の世界に送るための
乗り物といい、同市文化財保護室は
「弥生時代の死生観を知る貴重な発見」
と話している。

(中略)
棺は頭部側が南東、足側が北西を向いており
同室は
太陽の沈む西側に向けた舟葬の方式とみられる
と分析している。舟葬は弥生時代から古墳時代まで
続いた風習といい、今回の木棺からは木製容器の
副葬品が1点見つかっている。

 舟形木棺はこれまでに京都府京丹後市の
「金谷1号墓」で、約1800年前の弥生時代
末期とみられるもの見つかっており、
今回の発見で約200年さかのぼる。
また、金谷1号墓は木棺の痕跡があるだけで、
ほぼ完全な形で木棺が発見されたのは
初めてという。
(引用ここまで)

★舟形木棺(船形木棺)の
 到来・その出土地一覧

 2011/11/8
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54296810.html

★稲の呪符・
 倭人の出発点確定か?!

 2011/11/6(日)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54290472.html


★舟・船棺をつかう埋葬法
 ―四川省昭化県宝輪院墓と
  巴県冬笋壩墓の例―

  大阪府立大学 辻尾 榮市
  http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/11835/1/2011000051.pdf 



沼津市の高尾山古墳は
いとも簡単に壊されてしまうのでしょうか?

確かにね、難しい問題ではあるのです。
1号線バイパスから246号線の
朝晩の渋滞は激しいし・・・
古墳がある熊野神社(通称:高尾山)前の道は
本当に狭くて歩道も無い。
地元の小・中学生の通学路にもなっているのに
バイパスの抜け道で、車が大量に侵入する!
小中学生だけでなく、高校生の通学自転車も
我が物顔で走る車を避けながら通る・・・

中には、対向車がすり抜けられないような
大型トラックも迷い込んで、更なる大渋滞を起こす。
地元住民は朝のゴミ出しも命懸けだしね。
ただ、
新しい道路が貫通したところで渋滞の緩和になるとは
私は思えない・・・
結局、今までの道路も新しい道路も抜け道も
渋滞しっぱなしの半端ない交通量なのだ。

■沼津市役所
 http://www.city.numazu.shizuoka.jp/

〒410-8601 静岡県沼津市御幸町16-1 
TEL:055-931-2500(代)

■沼津市教育委員会文化振興課
文化事業係
TEL:055-934-4812
FAX:055-931-8977
E-mail:cul-sinkou@city.numazu.lg.jp

文化財センター(文化財管理係・文化財調査係)
〒410-0873 沼津市大諏訪46-1
TEL:055-952-0844
FAX:055-952-6957
E-mail:cul-bunkazai@city.numazu.lg.jp



文部科学大臣に対して、
史跡名勝天然記念物の指定の申請を
しようという気はないのかなぁ・・・
やっぱり、壊す気満々なのかなぁ・・・


★沼津から一つの日本の宝が
 消えようとしている。

 沼津に残る始期と終期の古墳
 稀有な存在、一方が取り壊しの運命

 2015年6月6日土曜日
 http://jinbunpaipu.blogspot.jp/


■在りし日の高尾山・熊野神社
 http://www.inarijinja.com/kenmu/kumano/index.htm
 numadu031013551.jpg


■現在の高尾山・熊野神社
 http://www.mikumano.net/zsizuoka/numazu1.html
 numazu11.jpg



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Comments 5

ねこ

これと同じように、道路や建物を造るのに邪魔だからという理由で壊されてしまった遺跡は全国に無数にあるそうです。今回はまだ報告されただけいい方で、報告して騒がれては面倒だからというので隠蔽するように現場の判断で潰されてしまうことも多いようです(今回の遺跡は巨大すぎて隠しようもなかったのでしょうけど)。

イタリアでは地面を掘るとそこら中から古代ローマ時代の遺跡が出てくるので、地下鉄も全国で数えるほどしかないとか。国も特殊な事情を考慮して何かしら援助をしてあげて欲しいです。

2015-06-11 (Thu) 07:49 | EDIT | REPLY |   

(゚Д゚)

恥ずかしながらこの古墳のこと知りませんてした。
歴史や文化はお金では買えません。
維持には費用がかかるし、大変な事は分かっていますが、遺物は残して頂きたいです。

2015-06-11 (Thu) 18:59 | EDIT | REPLY |   

虎 錠之介

壊すという記事が載った日に市役所と県庁に苦情の電話をしました。
やってることは世界遺産を壊しているイスラム国と同じじゃないかと言いました。
歴史好きとして、沼津市民を名乗るのが恥ずかしくなります。

2015-06-14 (Sun) 22:48 | EDIT | REPLY |   

沼津市は建設するのが大好き!
途中変更はしないんだよ!沼津城跡も発見したがそのまま上箱建ててしまったし、
昔からの計画で、膨大な予算で、役に立たない、不要な高架化も歳入少ないのに無理やり造ろうとしてるし、
人口流出が全国で1、2のくせしてダメダメの市です。
遺跡や文化を破壊するテョンな市長

2015-07-08 (Wed) 18:41 | EDIT | REPLY |   

名無しさん

連絡来ました。

古墳を西側に迂回する形でT字型の4車線道路を整備する案を推奨案とする決定がなされました。
・・・だそうです。みなさんの活動のおかげです。

2016-04-01 (Fri) 00:24 | EDIT | REPLY |   

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