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【仁川日報】中国と日本の茶も我が国から渡ったという茶文化で伝統いかして百年の大計を

★[仁川日報・社説] 
 茶文化で伝統いかして
 百年の大計を

 仁川日報 2015年05月11日
 
http://www.incheonilbo.com/?mod=news&act=articleView&idxno=581061
来る16日、仁川で「茶の饗宴」が行われる。
「第35回茶の日記念、第26回全国茶人大宴会」
が開かれる。この行事は、全国の2000あまりの
茶人たちが参加する国内最大の茶のイベントといえる。

ソウルに本部を置いている韓国茶文化協会が
閨房茶礼保存会とともに主催する同行事は
いつも仁川で開かれた。
これは韓国茶文化協会理事長が、仁川に縁故を
置いているためだった。

昨年まで、韓国茶文化協会理事長は、
故イ・グィレ理事長が歴任し、今年からはチェ・ソヨン
嘉泉大学教授が首長を引き受けて推進することになった。
このために「全国茶人大宴会」は仁川の行事として
多くの人が認識している。

茶人大宴会は、
特に茶に砂糖を入れて飲むとか、
茶(チャ)といえば自動車=車(チャ)と
認識していた時代から行事を開始して

26年間進めてきながら
私達の茶の大衆化に大きく貢献した。

茶の重要性はその風味、ほのかな味、
抗がん効果といった健康だけにとどまらない。
我が国の茶は「茶礼」とともに継承されてきた
という点に注目しなければならない。

子供たちはお茶を飲む、茶道、茶礼を通じて
礼儀作法を知るようになる。 茶の根本精神が
「自身を低め他人に配慮すること」だからだ。
座布団を敷き座る方法から、
両手で茶を注ぎ飲みながら
お茶を煎れて注ぎ飲む過程は茶の味くらい、
品があり丁寧だ。

自然に礼儀を伴わざるを得ない。

茶を学んだ子供たちの普段の行いを見ると、
普通の子供たちとはずいぶん違う。
目上の人を敬うことができて、国の大切さを
悟っている場合が多い。

来る16日のイベント場に行ってみれば分かる
だろうが、韓国茶文化協会で教育を受けた
子供たちの姿が皆そうだ。
親を告発して先生を暴行する世相の中で、
茶文化教育はいい大人に育てるという点で
正規の教育に盛り込むことも考慮してみる
価値はある。

韓国茶文化協会によると、
中国と日本の茶も
我が国から渡ったという
記録を発見することができる。


日本の象徴である桜が、我が国済州より
生じたという報道からわかるように

私たちのものは、
私たちが知らず知らずのうちに
外国のものに変わった場合が多い。

お茶文化の活性化を通じて
仁川のブランド価値を高め、
百年の計を作っていこう。

(引用ここまで)



茶に砂糖を入れて飲むとか、
茶(チャ)といえば自動車=車(チャ)と
認識していた時代
から26年の伝統????

浅っ!!!!

私の母方の、亡くなった祖母でさえ、
(生きていたら118歳位ですが)
18歳で嫁に行く時に、母親から『婦人訓』という
手紙を持たされまして
今でも母の実家で額に入れて保存してあるのですが
その中に
「娘が生まれたら、お茶やお花を習わせて
 女の嗜みを教えなさい。」と達筆で書かれている。
89歳の伯母を筆頭に、母も叔母も娘3人とも
茶道と華道と書道は子供の頃から、
しっかりと習っていますけどねぇ。


★韓国茶文化協会の
 茶の礼節競技大会という茶番

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2406.html

★韓国”茶道”を体験する子どもたち
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1421.html

★茶栽培は日本より早い、
 これから立証作業するnida!

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1336.html

★韓・中・日のうち
 最高の味を生かすのは韓国茶だけと
 伝統茶3代目は言うが

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1161.html



韓国茶文化協会によると、
 中国と日本の茶も
 我が国から渡ったという
 記録を発見することができる。


そんな記録が有るのなら、是非見たいものですが・・

★東アジアにおける文化比較・
 文化脈絡で考える茶・茶文化

 http://www.icis.kansai-u.ac.jp/data/jisedaipaper01/13_icisgroup.pdf
(引用開始)
1 茶の受容と展開時期
中国において現在確認できる史料上の
飲茶の歴史は,前漢に始まり,三国時代の呉,
さらに西晋,東晋においても茶は飲まれていた。
南北朝期に入ると,茶の生産地である南朝に
おける飲茶の習慣と北朝での飲茶の蔑視がみられる。
しかし,茶が幅広い層の人々の日常の飲料となった
のは,唐代に入ってからである。
封演『封氏聞見記』巻6,飲茶条には,
開元年間(713‐741)以降,山東地方から長安にいたる
まで飲茶が広まったという。

8 世紀中葉には唐代の茶の知識を記す,陸羽(733‐804)
『茶経』が成立している。
製茶法や茶器などの説明により,唐代における
茶の実態について貴重な情報を得ることができる。

朝鮮においては,9 世紀(統一新羅時代)に
茶の受容が確認される。

『三国史記』には,全羅南道地異山に
唐から持ち帰った茶の種を植える記事がある。
また『三国遺事』は,8 世紀半ばのこととして,
仏に茶を供えた僧侶の話を伝えている。
高麗時代(918‐1392)には,国家の儀礼・祭祀において
茶礼が行われ,遼や明の使節を迎える外交儀礼の
中にも茶礼が存在した。
朝鮮時代(1392‐1897)においても,宮中で様々な
茶礼が行われていた。
日本においては,8 世紀後半に現れる特殊な器形の
緑釉陶器から喫茶の受容を読み取る報告もあるが、
史料上で確認できるのは9 世紀初頭である。
『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』といった勅撰漢詩
文集には,815,816(弘仁5,6)年に,天皇や貴族と
最澄・空海といった入唐僧との交流において飲まれる
茶などが詠まれている。
また『日本後紀』弘仁6 年(815)4 月癸亥条には,
茶を入唐僧が天皇に供している記事があり,
弘仁6 年6 月壬寅条には,畿内,近江,丹波,播磨等の
国に茶の栽培と毎年の献上を命じている。
さらに大内裏の東北隅には茶園があり,宮廷内での
確かな需要が想定できる。

このように日本においては,入唐した僧侶がもたらす
茶を宮中で受容していった様子があとづけられる。
またこの時期の喫茶の有力な物証としては,越州窯系
青磁碗を模倣した尾張産緑釉陶器椀(9 世紀前半)が
指摘されている。
茶について8~10 世紀の中国・朝鮮・日本を中心に
おっていくと,茶の幅広い層に定着した唐と,
そこから入唐使や入唐僧を介して茶を受容した
朝鮮・日本がある。
(引用ここまで)


★<随筆>◇お茶文化◇
 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 http://www.toyo-keizai.co.jp/news/essay/2010/post_3993.php
(引用開始)
アジアには茶文化が広く存在しているのに
朝鮮半島だけにはそれが抜けている。
しかし韓国でも古代から仏教が隆盛であった
三国時代、高麗時代には茶文化が一般的に
普及していたが、
朝鮮王朝になると儒教を国教とし、
仏教文化の茶文化を禁圧して消滅させた

お茶を奉げる仏教儀礼の「茶礼(チャレ)」を禁じ、
酒を奉げる献杯の儒教「祭祀」を奨励した。
しかし儒教の祭祀の名前は未だに「茶礼」とよばれ、
儒教祭祀の供物の「茶食(チャシク)」も元来
お茶文化の茶菓子である。

 長い間のお茶文化が李朝の「崇儒排仏」政策で
完全に消えたわけではない。
李朝中期の学者の丁若鏞(1762~1836)は
茶から酒への変化に抵抗を感じ、
別名を「茶山」と称して、
「茶を楽しんでいる民は栄えて、
酒を楽しんでいる民は滅びる(飲茶興飲酒亡)」
と言っている。
(中略)
私が1960年代に文化財管理局から依頼を受けて
茶文化を調査した時は、数か所の寺の坊さんたちが
若干栽培しているだけであることが分かった。

(引用ここまで)

★韓国の茶道文化
 ぺりかん社 1983
 金明培(キム・ミョンベ)
 http://1000ya.isis.ne.jp/1228.html
著者はソウルの崇義大学の英学史と茶道史の
研究者である。
モーパッサン(558夜)やグレアム・グリーン(844夜)
の文学作品の韓国語訳をしている一方で、
陸羽の『茶経』を訳し、『韓国の茶書』などを著してきた。
 その著者が1980年から韓国の「アジア公論」誌に
「韓国の茶道文化」を1年以上にわたって連載した。
その噂は日本の茶道研究者にうっすら届いていたのだが、
中身がよくわからない。そこで「淡交」が1982年から
『韓国の茶話』を連載した。
こうして、突如として韓国の茶道文化の全貌が姿を
あらわしたのである。

連載は衝撃的だった。
それまで韓国に日本の茶道にあたる歴史文化が
あるとはまったく思われていなかったし、
韓国の研究者の多くもそのようには思って
いなかったからだ。
(中略)
なぜそのように受け取られていたかについての
理由はいろいろあるが、
ひとつには韓国の茶礼の歴史が2000年に
わたっていたにもかかわらず、
茶書がせいぜい10冊程度しかのこっていない
せいだった
(日本には実に1万冊以上がのこっている)。

またもうひとつには、茶室(韓国では茶亭・茶所・
茶房などという)の遺構と近代以降の新しい茶室が
ほとんどなく、いわゆる茶会記もまことに少ない。
日本の茶道の家元にあたるものもない(いまもない)。
そのうちなんとなく「韓国には茶道がない」というふう
になってしまっていた。
(中略)
ともかくも花郎こそ、
ごく初期の朝鮮茶礼にかかわっていたわけである。
本書の著者の金明培(キム・ミョンベ)は、
きっと忠談大師の「桜筒」のなかには茶包み・茶碗・
風炉・炭・茶釜が入っていたのではないかと
推理している
(中略)
もっとも、どのように茶礼がとりおこなわれて
いたのかは、はっきりしない。

忠談大師が肩からかけていた「桜筒」に茶や
ミニ茶道具が入っていたとしたら、花郎たちは
ひょっとして野点(のだて)を
たのしんだのかもしれないし、
ちゃんと室内に風炉を用意して、みんなで
回し飲みをしていたのかもしれない
 ただ、新羅では茶とともに酒も精神の深さの
象徴とみなされていたようで、
茶礼はいつしか酒礼に覆われてしまったようなのだ。
(引用ここまで)



茶書がせいぜい10冊程度しかのこっていない現状で
どのように茶礼が行われていたのかは解らないが
「推測」とか「かもしれない」とかで茶の伝統文化を
語られましてもねぇ・・・

★韓国茶の飲み方…
 日本の影響で歪曲、
 過度に礼儀ばかり強調

 2014年11月12日
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3370.html







★嬉野など日本の茶文化視察 
 韓国の研究家ら

 佐賀新聞  2010年10月01日
 http://www1.saga-s.co.jp/news/saga.0.1736027.article.html
 韓国の茶文化研究家の一行が
9月27日から1日まで、日本の茶栽培や
茶文化の歴史を知るため、北部九州を巡った。
佐賀県内は嬉野や有田、吉野ケ里町の
旧東脊振村を視察。
日韓交流や茶文化に関連の深い地域を回り、
リポートを雑誌などに掲載する。

来日したのは韓国茶学会理事の
丁炳萬(チョン・ピョンマン)さん、
韓国茶文化協会理事の張文子(チャン・ムンジャ)さんら
両団体のメンバー15人。
日本への茶伝来のルートをたどる狙い


 
一行は栄西禅師が日本で初めて茶を栽培した
とされる東脊振や平戸、嬉野の大チャノキ、
有田の李参平の墓などを視察。
唐津では名護屋城跡の茶室で茶道を体験した。

  丁さんは
「韓日で茶文化の表れ方は違うが、
 本質の心は同じのはず
 両国に共通しているものを確かめ
 茶を通じた交流を推進したい」
と話す。




★高山茶筌について
 http://takayamachasenkumiai.com/takayamatyasen.htm


★高山茶筌
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2136/tyasen.html
茶道の隆盛を謳歌していた高山だが、幕末から
明治維新にかけての変動期に入り、
茶道の衰退と共に茶筌も次第に売れなくなった。
茶筌師の中には転業する者、屋敷や家を手放さ
なければならなくなる者も出て、
高山茶筌師は苦しい時代を味わうことになる。
(中略)
 しかし文明開化による西洋化が一段落すると、
茶道も上昇階級の方から徐々に回復する。
郵便法が制定され、小包郵便が実施されるに
あたり高山に地方から直接注文が届くようになり、
従来の京都経由のチャネルから地方直送の数が
次第に増加した。
これにより当時まで地方で生産されていた茶筌は
名古屋の一部を除いて姿を消し、
大正初期には外国からの注文も入るようになり、
高山の茶筌業界は活況を呈し市場を独占する
ようになった。
『木材ノ工芸的利用』によると
販路は内地の各都市に及び、
清国や韓国、欧米各国に広がっていた。





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Comments 3

敦子

【味の素は、経済産業省本省(=帰化在日韓国人官庁、キムチ官庁)の仲介で、帰化未帰化在日韓国人と共産シナ朝鮮族によって乗っ取られた企業です。】

味の素は主力のうま味調味料「味の素」の国内生産から事実上、撤退する。
2015年度中にも国内唯一の生産拠点、川崎工場(川崎市)で手がけている「精製」をやめる。
国内販売分はコスト競争力のある海外生産品の輸入で対応する。同工場は1914年、
「味の素」を最初に大量生産した同社の礎といえるが、競争力維持へ1世紀の歴史に幕を下ろす。

 「味の素」生産はサトウキビなどから搾り出した糖蜜を発酵させグルタミン酸ナト
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ03HNX_S5A510C1MM0000/


↑ ↑ ↑

【味の素は、経済産業省本省(=帰化在日韓国人官庁、キムチ官庁)の仲介で、帰化未帰化在日韓国人と共産シナ朝鮮族によって乗っ取られた企業です。】
「競争力」は、経済産業省本省(=帰化在日韓国人官庁、キムチ官庁)の韓国語常套句です。

味の素のブレンディのクリープは、韓国製です。
・・・などなど、味の素は、韓国へ日本国の技術お金を横流しまくっています。
味の素のパッケージは、共産シナのパンダばかりです。

2015-05-13 (Wed) 13:15 | EDIT | REPLY |   

敦子

【●部落解放同盟の綱領にある文章「差別を生み支える天皇制度を打倒する」●「差別」=韓国南部民が韓国北部民へ抗議するときに使用する韓国語常套句●童話も帰化未帰化在日韓国人も、韓国人[=朝鮮人]です。】

「福岡県マーメイド」

【●部落解放同盟の綱領にある文章「差別を生み支える天皇制度を打倒する」●「差別」=韓国南部民が韓国北部民へ抗議するときに使用する韓国語常套句●童話も帰化未帰化在日韓国人も、韓国人[=朝鮮人]です。】

truejapan様ツィート平25.2.12[加筆済み][敬称略]
部落解放同盟の綱領にある文章「差別を生み支える天皇制度を打倒する」


●全羅南道、済州島などの韓国南部=ホワイト丁部落などの朝鮮半島被差別部落が莫大数存在
●「差別」=韓国南部民が韓国北部民へ抗議するときに使用する韓国語常套句
●童話=1639年日本国鎖国から1910年日韓併合までに日本国へ密入国し不法滞在している全羅南道、済州島などの朝鮮半島南部の朝鮮半島被差別部落民
●帰化未帰化在日韓国人=1910年日韓併合以降日本国へ密入国し不法滞在している朝鮮半島人と韓国人
●童話も帰化未帰化在日韓国人も韓国人[=朝鮮人]ですから、童話が言っていること&行っていること と 帰化未帰化在日韓国人が言っていること&行っていること は、全く似ています。

●文部科学大臣下村博文H25年6月下旬公用文統一指示[韓国式交ぜ書きを「子ども」やめて日本国式漢字書き「子供」へ統一]

2015-05-13 (Wed) 14:03 | EDIT | REPLY |   

チャレ、チャシク、、ジドウチャ。。。。じゃあきっと茶道はチャドウですかね?
聞いた事。。。あった!なんでも鑑定団でチャドウチャドウって言ってますよ!
!有り得ないです、チャドウって。
怒りが湧いた。直感で韓国関係?と思いましたがやっぱりそうみたい。
家元からクレームつかないのかな?変ですね。

2015-05-14 (Thu) 15:03 | EDIT | REPLY |   

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