韓流研究室

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KBSで韓国初の慰安婦ドラマ、主人公は挺身隊と騙されて連行された女性

★KBSで韓国初の慰安婦ドラマ
 主人公は連行された女性

 朝鮮日報  2015/03/02
 
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/03/02/2015030201606.html
KBSの三一節ドラマ『雪道』好評
「過去のことではない、
忘れてはならない『私たち』の物語」
同い年の女性脚本家とプロデューサー、
慰安婦を主人公に韓国で初のドラマ



KBSで韓国初の慰安婦ドラマ
主人公は連行された女性
「プレッシャーもありますが、
 私たちが今、忘れてはならない話を
 やりたかったんです」

 KBSの三一節(三・一独立運動記念日、3月1日)
スペシャルドラマ『雪道』(全2話)で
脚本を担当したユ・ボラさん(37)と
演出のイ・ナジョン・プロデューサー(37)は
低い声だがはっきりと言った。
『雪道』は日本の植民地支配時代に慰安婦として
連行された女性を主人公にした韓国で初のドラマだ。
2月28日に放映された第1話は
視聴率5.4%(ニールセン・コリア調べ)で、
ひとまず視聴者の目を引くことには成功した。
2013年のミニシリーズドラマ『秘密』をヒットさせて
注目を浴びたユ・ボラさんは、
慰安婦の物語について
「長年温めてきたテーマ」と語った。

「これ以上、遅くなっては駄目だと思いました。
 元慰安婦の女性たちが亡くなっているので。
 今の子どもたちも知っておくべき歴史でもあるし…


 このドラマのストーリーは、
15歳の少女ジョンブン(キム・ヒャンギ)と
ヨンエ(キム・セロン)を中心に繰り広げられる。
地方に住む平凡な少女2人は
太平洋戦争の渦中に中国にある日本軍の兵舎に
連れていかれる。
日本にだまされて勤労挺身隊入りを志願したが、
慰安婦として連れてこられたヨンエは、
厳しい現実に耐え切れず自殺まで試みたものの、
ジョンブンの助けで生きていく勇気をもらう。
韓国人なら苦痛と怒りを感じずには見られないシーンが
続くが、刺激的なシーンは可能な限り排除し、
隠喩や暗示で表現した。
10代の主演女優たちが演技を通して
心に傷を負ってしまうかもしれないと配慮したものだ。
その代わりに、ディテールを生かした。

イ・ナジョン・プロデューサーは
「慰安婦たちがどのような空間で
 どのような苦難を経験したかを伝えるには、
 その時代をしっかり再現しなければならない
 と考えた」
と話す。
慰安婦たちが着ていた服、使っていたものなど
小道具の一つ一つを日本の資料も調べて
新たに作った。

 2人の少女の物語が、
80代になったジョンブン(キム・ヨンオク)が
売春をする10代の少女ウンス(チョ・スヒャン)を
救うエピソードに重なっていくのも、
このドラマの特徴だ。

「慰安婦のことは
 過去の話だけではないと思います。
 今でも底辺にいる女性たちは
 言葉にできないほどの苦痛を経験しています。
 そういうことも合わせて伝えたかったのです」

 慰安婦だったころの悪夢を一人で抱えて
生きてきたジョンブンは、自分のことを救って
死んでいったヨンエの姿をウンスの中に見つけ、
ウンスを救おうとする。ジョンブンが
ウンスに掛ける「あなたは一人じゃない」
という言葉は、ジョンブンを救ったヨンエが遺した言葉で、
ドラマ全体を貫くメッセージだ。

「全ての人が闘士になることはできないが、
 周囲にいる傷付いた人々の手を
 握ることはできます。
 私たちにはまだそのように
 手を握ってさしあげるべきおばあさん(元慰安婦)たちが
 たくさんいらっしゃるのです」

権承俊(クォン・スンジュン)記者



日本側の資料をきちんと調べたのであれば、

>日本にだまされて
 勤労挺身隊入りを志願した


などという設定は、有り得ない。
勤労挺身隊は、学校など団体ごとで行うもの
個人が志願して行う”単独”勤労奉仕ではない!
「隊」という集団ですからねぇ。

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戦争当時、私の母も
まだ10歳くらいの時に、学校の校庭だけでなく
近所の畑に”動員”させられて食糧作りをした。
麦畑で、クラス全員で一列になって麦踏みをした時に
早く終わらせたいからと歩幅を広げて麦踏みをして
担任の先生に怒られたそうです。
私の母も「女子挺身隊」の一人ですねぇ・・・

因みに、母の兄は学徒動員で
北海道にまで”動員”させられて、防空壕や道路整備。
元々体の弱かった伯父が、
帰って来てから寝込むほどの重労働だったそうです。
祖母は、近所の鶏を飼っている農家さんから
卵を買ってきて、伯父に食べさせたそうですよ。

でも、北海道のサヨクさん達には
「なんて酷い事をさせられたんだ!」なんて
一言も言われませんし、感謝もされませんね。




慰安婦と女子挺身隊の混同は、
メディアや野党議員、活動家が創りだし
それを国民に広く拡散してきた・・・

★「半島女子挺身隊」について
 http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p041_060.pdf

★「挺身隊」との混同 
 当時は研究が乏しく同一視

 朝日新聞 2014年8月5日
 http://www.asahi.com/articles/ASG7M01HKG7LUTIL067.html

★従軍慰安婦(その3)・・
 韓国女子挺身隊を吉田清治氏創作本で
 慰安婦の犠牲者にしようとしたが失敗

 国会議事録に見る反日の黒歴史
 http://ameblo.jp/hannichi-kurorekishi/entry-10501113779.html
従軍慰安婦(平成02年)より早い昭和60年に
議論が始まる。
吉田清治氏著作本が創作話であることが
暴露される(平成5年3月)と、その月を最後に
慰安婦の犠牲者としての追求は従軍慰安婦に
舞台を移っていく。


(略)
昭和58年07月
『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』
吉田清治氏著 が出版される。

昭和60年02月14日、
吉田清治氏著作本を根拠に
朝鮮女子挺身隊は強制連行の犠牲者であり
また慰安婦の犠牲者ではないかとの追求が始まる。


・・・吉田さんが地べたに手をついて謝っている
 写真があるわけでありますけれども、天安市に韓国の
 国立墓地がある、その入り口に日本人の謝罪の碑
 というのをみずから日本語とハングル文字でつくって
 きたわけであります。
 「あなたは日本の侵略戦争のために徴用され
 強制連行されて、強制労働の屈辱と苦難の中で、
 家族を思い、望郷の念も空しく、貴い命を奪われました。
 私は徴用・強制連行を実行した日本人の一人として
 死後もあなたの霊の前に拝脆謝罪を続けます 
 元労務報国会徴用隊長吉田清治」
 こういう碑をつくってきたわけであります。

 彼の本がここにありますけれども、私も読ませていただき
 ましたけれども、本当にやりたいほうだい、
 人間狩りを朝鮮半島でしてきた。
 「私の戦争犯罪」という中に、彼はやはり後に
 継がなければいかぬということでこれを書いている
 わけであります。
 彼はその中で、
 大体一九三九年から四五年の間に、
 韓国の赤十字社が調べた人数で七十二万人の
 人々が徴用されたんじゃないか。
 これは日本の公安調査庁の資料でも
 七十二万四千七百人ということで、
 大体数字が合っているわけであります。
 その中で、この吉田さん自身の告白では、
 約六千人の人を朝鮮半島から徴用ということで
 連れてきた、
 その中には、九百五十人が
 女子挺身隊員ということで、
 いわば南方に送る慰安婦として連れてきた
 という告白がされているわけであります


 今、彼は、ざんきの念にたえずに、
 在日本大韓民国婦人会中央本部の方々と一緒に
 大体そういう強制労働をされたダム工事とか
 トンネルの工事とかあるいは炭鉱とか鉄道とか
 こういった工事のあったところを、
 もちろん協力をしてくださる方々もいらっしゃるわけで
 ありますが、調べ上げまして
――
 上げましてといっても、まだまだ緒についただけ
 でありますが、調べ回っておりまして
 そして供養に回っているわけであります。
 私も、
 韓国の方々からこういった話を聞いたときに、
 一体日本政府というのは
 何にもしなくていいんだろうか。
(中略)
衆議院 予算委員会 9号 昭和60年02月14日


発言者は
佐藤観樹日本社会党議員である。
当時はまだ吉田清治氏の本は
事実と認識されていた為、
このような追求がなされたのだ。

(中略)
平成03年になると、
実は女子挺身隊と慰安婦をつなげる証拠はなく、
ただ「事実だと思う」だけで追求していたことが
判明する。

○本岡昭次君 
 政府が関与し軍がかかわって、女子挺身隊という
 名前によって朝鮮の女性を従軍慰安婦として
 強制的に南方の方に連行したということは、
 私は間違いない事実だというふうに思います
 その裏づけができないので、今ああして逃げている
 わけでありますけれども、
 やがてこの事実が明らかになったときに
 どうするかということを思うと、
 本当に背筋が寒くなる思いがするわけでございます。
 海部総理、これはあなたが総理として
 日韓関係を考えるときに、この問題をどういうふうに
 対応していったらいいと思われますか。

本岡昭次 もとおかしょうじ 日本社会党・護憲共同
参議院 予算委員会 13号 平成03年04月01日


その一年後、驚くことに、
ついにはやっていないことを証明しろと言う発言
なってくる。
つまり、証拠はないことを間接的に認めたのだ。

○吉川春子君 
 韓国の報道によると、女子挺身隊というのは
 イコール従軍慰安婦ということで
 みんな認識されていて、その名前でやられた
 ということはいろいろあるんですけれども、
 労働省が朝鮮人女子の、
 その当時は日本人だったかもしれませんが、
 女子の勤労動員、そういう強制的なことは
 この勅令でやった。
 しかし、じゃ従軍慰安婦については
 絶対そういうことはやってないと言うんだったら
 その証拠が必要ですよね。
 はっきりわからないんだけれども
 やってないんだということは否定できないし、
 むしろそういう形で行われたということは
 言われているわけですから、
 朝鮮人従軍慰安婦を挺身隊の名でもって
 引っ張らなかったという確たる証拠はないわけですね。
吉川春子 よしかわはるこ 日本共産党
参議院 内閣委員会 2号 平成04年03月12日

(全文はリンク先でご覧ください)


 
先日、元朝日新聞記者の植村隆氏が
「私は捏造記者ではない。
 当時、私だけが言っていた訳ではない。」

と、言い訳しておりましたけれど・・・

確かに、植村氏は「捏造記者」ではない。
彼は捏造された話の「拡散記者」でしょう。
朝日新聞で、
最初に「強制連行」という記事を書いたのは
東京山手教会創立者平山照次・秋子の長女で
元朝日新聞記者、
NGO「戦争と女性への暴力 日本ネットワーク」
(略称、バウネット・ジャパン)の主催者だった、
松本やよりなのだから・・・

つまり、
韓国人養子を持ち、日本共産党から出馬し
落選した経験のある吉田清治という男が
「私は人間狩りをした」という捏造告白本
私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行を出版し
それを契機に、
在日本大韓民国婦人会中央本部
日本キリスト教婦人矯風会などの反日フェミ団体が
韓国のプロ市民団体と共闘を始める。

そして、社会党や共産党議員が国会で
「やっていない証拠を出せ!」と騒ぎ捲る・・・
高木弁護士や福島瑞穂弁護士らが
元慰安婦や元挺身隊女性らをけしかけて
日本政府を相手に裁判を起こさせる。


★私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行
 http://shohyou21.exblog.jp/13681219/


★捏造慰安婦の火付け者
  「通名」吉田清治

 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/177b88167aa3e21bd527057809323709


★「戦争と女性の人権博物館」
 日本建設委員会 募金

 http://d.hatena.ne.jp/takami446/20120515/1337103810


★吉川春子、ソウルで
 慰安婦問題の立法解決について語る

 続・慰安婦問題を考える
 http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2011/08/blog-post_5301.html


★戦時性的強制被害者問題の
 解決の促進に関する法律案

 http://www.wdic.org/w/POL/%E6%88%A6%E6%99%82%E6%80%A7%E7%9A%84%E5%BC%B7%E5%88%B6%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E3%81%AE%E4%BF%83%E9%80%B2%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B%E6%A1%88
民主党が2000(平成12)年4月11日に参議院に
提出した法案で、いわゆる従軍慰安婦問題を
「解決」するための法案。

2003(平成15)年1月31日に参議院事務総長に
提出した際の提案者13名は、次のとおり。

・民主党
 岡崎トミ子、円より子、千葉景子、川橋幸子

・共産党
 吉川春子、八田ひろ子、吉岡吉典

・社民党
 大脇雅子、福島瑞穂

・国連
 島袋宗康、高橋紀世子

・無所属
 田嶋洋子、黒岩宇洋

(続きはリンク先で)


さて、慰安婦問題の火付け役は
吉田清治と言われていますが、
彼以前に、火付け役が大勢存在します。
吉田が、1977年に
『朝鮮人慰安婦と日本人』を最初に出版したのは
新人物往来社
(それ以降は「三一書房」)

当時のオーナーは、大阪府高槻市
チェリオコーポレーションを経営する実業家菅貞人
1968年に経営難から菅氏に売却された中小出版社です。
チェリオ(最初は7UPのフランチャイズ)創業者は、
共和製糖事件で有名になった菅貞人氏。
http://www.toonippo.co.jp/kikaku/koyou/rensai-koyou/20101122.html
http://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/52814/

出版業界に進出する前に
巨額融資詐欺と自民・民主・社会党の政治家への
不正贈賄事件で当時のメディアを賑わした
その「菅貞人」について、
興味深い記事を発見しました。

★ああ、禅僧も出版界も、この世は
 小事煩悩がうずまいているなあ。 
 第104回候補 堀和久『死にとうない』
 新人物往来社

 http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/104-34d5.html
(引用開始)
だって、なにせ菅貞人さんですよ。
ほんの1年前に、共和製糖事件で詐欺・私文書偽造
行使の容疑で逮捕されて、その前後にはマスコミから
よってたかって悪人よばわりされた、
あの菅貞人さんですよ。

「酒もタバコものまず、“ただ金もうけ”だけが
 生き甲斐
と豪語し、共和グループの総帥として
 文字通りワンマン振りを発揮していた菅貞人も、
 昭和四十二年二月八日、東京地検特捜部により
 ついに逮捕されることとなるのであるが、
 その前身は、多くの謎につつまれている。」

(『共和製糖事件』昭和42年/1967年4月・東邦出版社刊、
 大森創造[参議院議員]監修、栗田勝広[大森の秘書]著、
 「怪物菅貞人とその周辺」より)

まあまあ、“怪物”菅さんのことですから、
新人物往来社がはじめての出版事業じゃなかった
らしいです。前掲の『共和製糖事件』には、
戦後まもなく「吉昌社」なる出版社を
やっていた
ことが書かれています。


韓は(引用者注:
 菅貞人の旧名・韓吉昌のこと)

 昭和二十三年四月、明治大学商学部夜間部に入学、
 二十六年三月に卒業したことになっているが、
 菅の真面目は、学業より商才の方にあった。
 上京するや間もなく、怪しげなブローカー仕事に
 精を出し、小金をためてから、
 昭和二十一年には、「吉昌社」という出版社をつくり
 「桃源」という雑誌や「心敬集」という単行本を
 発刊するとともに、
 同じ事務所の一角には
 「中日貿易」の看板をかけて、
 ここでもっぱらヤミ商売をするという
 いっぱしの虚業家になっていたという。

 この「桃源」という雑誌は何回か出されてから
 廃刊となるのであるが、その執筆者には、
 江口換(原文ママ)、北条誠、舟橋聖一、草野心平
 などの文学者の名前がみられた。」


 さらにその息子、英志さんの代になってもきっと、
この会社にはいろいろな紆余曲折、方針変更があった
ことでしょう。塩澤実信さんの『出版社大全』
(平成15年/2003年11月・論創社刊)には、
そのほんの一端だけ出てきます。
たとえば、平成10年/1998年から数年間に同社が
体験した「厳冬期」に触れられていて、
「出版界が超厳冬期のいま、
 隠しだてなくこの三年間の経営内情を話せるのは、
 「決断とスピード」で修羅場を超えた自信がある
 からだろう。」

 と、塩澤さん苦肉の提灯記事ギリギリの文章が
あるわけです。

 ちなみにこの記事の小見出しが
「どん底に耐えた強味」。
ははあ、そのたった数年後に、いよいよギブアップして、
中経出版に丸抱えされる境遇になっちゃったのを見ると、
なんだかこの記事以外の部分でも、
外野の人間には知り得ないサスペンスフルな
物語性
がずっと続いていたんじゃないだろうか、
と想像されてきてしまいます。

(引用ここまで)

・参考資料
★昭和40年以前雑誌リスト:中国・朝鮮関係
 http://www.noracomi.co.jp/takahashi/zassi/chu-cho.html
桃源 9月号     韓吉昌 吉昌社 昭和23年9月1日
桃源 第4巻第1号 韓吉昌 吉昌社 昭和24年1月1日


★看板は「ペプシ」、中身は「チェリオ」
 http://blogs.yahoo.co.jp/noboruyuki2012/6533121.html

★-かつてのペプシ工場は今?
 - 番外編 7UPの工場が起源の
 チェリオコーポレーション高槻工場

 http://blogs.yahoo.co.jp/noboruyuki2012/archive/2013/06/23




★第051回国会 決算委員会 第9号
  昭和四十一年二月二十三日(水曜日)
 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/051/0106/05102230106009a.html
○相澤重明君 
(略)
この共和精糖がそもそも誕生をいたしたのは、
昭和二十八年ころだと記憶をしておるわけです。
当時は資本金が九百万、東京の江戸川区西小松川に
誕生をしたと思うのであります。

当時砂糖業界等は、こういう関係の業界は
百二十三社あった。しかし、そのうち番付からいけば、
びりから一番目か二番目で、決していいところではなかった。
ところが、
その共和精糖は年間二千万円前後の小さい会社で
あったのが、今日九州の宮崎県細島甘味総合
コンビナートができると、
世界で四大工場の一つになるのです。
世界で一番大きいのは、西ドイツ、英国、アメリカ、
それに次ぐのが日本のこれなんですよ。
この世界四大工場の一つが日本にもできるということは、
これは非常にうれしい。
税金をうんと納めてもらいましょう。いいことです。

 そこで、この共和精糖は、たいへん多くの会社に
関係しておるわけです。
子会社といいますか、お友だちの会社といいますか、
資本が一緒になるといいますか、そういう会社が
たいへん多いのでありますが、

このいわゆる共和精糖は、私の見たところによりますと、
三十三年にいわゆる民間の相互銀行から五千万、
三十四年ころに一億一千万以上の融資を受けております。
しかし、この融資を受けておるけれども、
三十四年の暮れには全部返済をいたしております。
これは私の調べたところですよ。
同じように、この共和精糖の代表者は、
これは菅貞人さんという社長なんですよ。
この人は工業界においては非常な成功者ですね。
ちょっと履歴を申し上げますと、
三十三年に全日本製糖会の協同組合の理事長に就任を
しております。三十四年には共和精糖の社長、
三十五年には社団法人日本ぶどう糖工業会の副会長、
三十六年が共和糖化工業の社長、三十六年は日本甘庶糖
工業会の理事、三十七年が社団法人甘味資源振興資金管理会
の理事、同じく三十七年が全国澱粉糖工業会の振興会会長、
同じく三十七年が新日本シュガー協会の理事、
同じく一二十七年が南栄糖業取締役副社長、三十七年が
社団法人日本農林規格協会副会長、三十八年が南島開発
取締役会長、三十八年同じく東洋果糖の社長、三十九年が
社団法人日本ブドウ糖工業会会長、三十九年同じく甘味資源
審議会委員、これは政府任命の委員ですね。
だから、これは食糧庁長官の言うように、
全く日本のブドウ糖工業界には貢献をしておる人ですね。
肩書きがずらっとこう並んでおります。
この人の、いま申し上げたそれぞれの中で関係して、
おる会社です。
(中略)
 そういう関係の会社、いま一つ、京浜精糖、
これは何しろ、私の横浜にも関係があるんですね。
本社共和精糖は東京でつくって私のところの横浜に
来ているのです。
(中略)
これは共和精糖と同じ建物ですね。
しかも、共和精糖が担保を提供して
この金を借りておる。

それから高橋商事、これは京浜商事と名前を言っておった
こともあるわけです。これもやはり三十四年当時は、
一億六千万くらいの、これも共和精糖の土地を担保に
金を借りておる。こういうことです。
 私は、三十八年の自由化になる前のブドウ精工業界の
変転きわまりないことを――これは一つの歴史ですね、
そのことから私は伺います。
 このことを見ますと、
この菅さんという人は、実に腕のいいりっぱな人で、
日本の糖業界に非常に貢献をした人であるが、
借金もじょうずだったということが言えるわけです。

しかし、それだけに、本社を、
こういう会社がそれぞれ転々としておったときに、
金を借りることがじょうずだったが、
一体、税金を納めておっただろうか。

国税庁長官は、少なくとも先ほどの御答弁では、
会社はつくったけれども、赤字であって、
繰り越し赤字がある、
こういうことで、おそらく税金の対象にはならぬ。

ところが、見てみると、
これはこまかい資料ですから――
私もずっと調べてみたが、あとを追ってみると、
実にじょうずに金を借りておる。
しかも、先ほどの清井総裁のお話ではないけれども、
農林漁業金融公庫というのは国の出資である。
国民の税金である。
もし、
一銭も税金を納めておらないような会社に、
国の金が貸されておったら、
一体、どういうことになるか。


まあ、おそらく、
そんなことはないと私は思うのです。
ないと思うけれども、もし、いま国税庁長官が――
これは共和精糖の話だけを、一つしたが、
もし、そういうことになったら、私は、国民のたてまえとして
たいへんなことじゃないか。
この関係の会社が、
それぞれが本社を転々として移り、

金融機関からは金を借りて仕事をしておるけれども、
国には税金を納めていなかった
というようなことになったらどうなるか。
こういうところに法律の盲点、
あるいはこういう金融界の盲点、
これを巧みに利用したということになって、
その人が頭がいいということになってしまえば、
それは私はもう話は終わりだと思うのです

そうですね。
(引用ここまで)



なるほどね・・・
1977年に、吉田清治の『朝鮮人慰安婦と日本人』を
出版した新人物往来社の当時のオーナーは、
菅貞人こと旧名・韓吉昌

前身の吉昌社を経営していた頃は
事務所の一角で「中日貿易」の看板をかけて、
ヤミ商売をしていたブローカー・・・

★慰安婦詐欺事件と共産党の謎
 https://fushigihakken.wordpress.com/2014/08/
『吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行した
 とする証言は虚偽だと判断し、
 記事を取り消します。』
と朝日新聞が2014年8月5日に報じました。

ところが、
吉田清治の証言が虚偽であると
明らかになったにもかかわらず、
日本共産党副委員長の小池晃は
慰安婦の強制連行に関して
こんなことやってるのはナチスドイツと日本だけ
と発言しました。


あれ?
日本共産党の親分はもっと酷いことをしてましたよね?
有名なのは敦化事件1945年8月に旧満洲の
日満パルプ製造の女性社員や家族がソ連軍に監禁されて、
連日に渡る集団強姦に耐えられず集団自決した事件

ですが、それ以外にもソ連軍による集団強姦事件は
枚挙に暇がありません。
日本共産党さんは、
旧ソ連(日本共産党の親分)には
謝罪と賠償を求めたのでしょうか?

(中略)
そもそも、慰安婦詐欺事件の中心人物、
吉田清治(自称・元日本軍人←ウソ)の正体が
謎ですが、吉田清治は1937年に4歳年下の
朝鮮人(李貞郁)を養子として入籍させていたという
情報があります。
また、1947年には下関市議会議員選挙に
日本共産党から立候補していた
とWikipediaには
記載されてます。

ところで、
吉田清治の著書を出版した
「新人物往来社」の元社長に
菅貞人こと韓吉昌(帰化人)がいました。
また、「三一書房」の創業者には朴元俊という
北朝鮮人がいました。

吉田清治の著書が、
朝鮮人が経営に関わる出版社から発行された
のも偶然でしょうか?

(引用ここまで)

★三一書房
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%80%E6%9B%B8%E6%88%BF
1945年に京都で創業
創業者は竹村一、田畑弘、朴元俊の3人。
(引用ここまで)


朝鮮総連機関紙・朝鮮新報より
★〈解放5年、同胞通信事情-上〉 
 通信社の草創期-ガリ版刷り、
 漢字とハングル併用-

 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/01/0701j0120-00001.htm
(引用開始)
大阪では、解放通信社が「日刊特報解放通信」を
発行していた。
発行所は大阪市西成区今里町1-524
(朝聨手帳1948)、生野区新今里2-21
(1948年8月31発行、105号)などとなっており、
編集兼発行人は金元均
(1949年1月6、7日合併号からは金性洙)である。
ガリ版刷りで、1948年10月26日第125号からは
活版印刷であった。昭和22年5月1日付で
第3種郵便物認可を受けている。日本語版である。

 金元均は、朴元俊らとともに解放直後に
大阪で大衆新聞を発行していた本人である。
大衆新聞は民衆新聞と合併、大阪では大阪版ウリ新聞
も出した。大衆新聞と民衆新聞は合併後、
解放新聞(現在の朝鮮新報)と発展した。
(引用ここまで)

<★解放5年、同胞演劇事情-下〉 
 同胞の団結訴えて

 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0201-00003.htm 
演劇活動支えた情熱

民青は、中央本部はもちろん
地方本部も演劇に力を注ぐように活動した。

 民青東京は第3回文化部長代表委員会会議
(8月5日付)を開き、8.15記念行事の前夜祭は
各支部別に行う、夏季文化活動については
演劇班の結成を急ぎ、演劇活動を積極的に推進させる、
支部定期総会には必ず第2部を設け合唱や寸劇などを
上演するとした
(民青東京時報1948年8月10日付)。

(中略)
当時の資料などによると主に同胞青年に演劇を教え
導いたのは呉禎民、張飛、申英、朴元俊、許南麒、
朴義遠、鄭泰裕などであったという。
(中略)
朝聯解散後

 朝聯強制解散後、49年12月8日、
李珍珪、許南麒の呼びかけで同胞文化人たちが
東京・池袋の商工会事務所に集まった。
そこには李殷直、尹鳳求、林光澈、朴元俊、金達壽、
鄭白雲、張飛、安渉をはじめ、
鄭泰裕、徐ジョンジャなど7、8人の演劇人もいた。

(引用ここまで)


★共産主義 1938(昭和13)年
 http://www3.plala.or.jp/kindai-kyoto/99_blank120.html
京都地方での共産主義者活動について
昭和13年中の
治安維持法違反事件の検挙取調状況
(略)
(ロ)同志社大学   
 コンミユニストグループ瓜生保隆は、
同グループに参加せる浅井堯雄を指導して
学内組織の再建を企図せり。
即ち浅井は昭和十二年十二月下旬より
学内演劇研究会メムバー朴元俊宮田正年を獲得し
同研究会の左翼化を企図するに至りたるが、
具体的活動を展開する暇なくして検挙に逢会せり。
(内務省警保局『社会運動の状況 昭和十三年』 
 復刻版 不二出版 1972年3月15日 102-107頁)

(引用ここまで)


★森村誠一公式サイト
■2000~03年代 13
 http://morimuraseiichi.com/?p=6199
 m2280_2.jpg
右端、新人物往来社、中村和裕氏、
同社社長 菅英志氏、エスタ夫人
左端、安田清人氏。

■2004年~05年代 1
 http://morimuraseiichi.com/?p=6220
 m2565_2.jpg
新人物往来社2004年度新年宴会にて。
左端・新人物往来社社長 菅英志氏
左より3人目・新宮正春氏、右端・富樫倫太郎氏。


■2008年代 9
 http://morimuraseiichi.com/?p=7317
 m8981.jpg
鮨きよ本にて。
後列左から2人目・前新人物往来社社長 菅英志氏
前列右端・南原幹雄氏、
中央・クラブ数寄屋橋・園田静香氏。


■2008年代 29
http://morimuraseiichi.com/?p=7568
文壇バー銀座クラブ数寄屋橋
創業60周年フェスティバルにて 
 F-024.jpg
左端・早乙女貢氏、中央・菅英志氏ご夫妻


偶然でしょうか?

★森村誠一
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9D%91%E8%AA%A0%E4%B8%80
日本共産党機関紙『赤旗』に連載した
『悪魔の飽食』シリーズは、
旧日本軍第731部隊の実情を明らかにした
ものであると作者が主張したことから
話題を呼んだ。

護憲派として、九条の会の講演会などで
発言を行っている。
かつては日本共産党支持者であり、
同党や日本民主青年同盟の機関紙誌・出版物に
登場していたが、下里正樹の「除名処分」を理由として
実際には日本共産党を利用して
自らの作家の名声を高め「正義の作家」の
地位をほしいままにしようとする魂胆が発覚
し、
それを一部の反共転落者に陥った党員に加担する
ことで日本共産党に全責任をなすりつける行為
ともに日本共産党と「断絶」した。

(引用ここまで)

★作家森村誠一氏と
 「スパイ査問事件」

 http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/morimura.htm




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