韓流研究室

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サムスン創業者の長男は日本密航、次男は日本長期留学・・・兵役回避にみる日韓史

★[コラム] サムスンオーナー家
 子弟の兵役免除率は73%

 ハンギョレ新聞 2015.02.24 07:23
 
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19749.html
一般人の兵役免除率は6.4%…
財閥一家平均でも33%なのに
2世から3、4世に続く“例外なき”免除
しかし兄弟間でも暗闘…
免除の理由は“総合ギフトセット”


旧正月連休初日の18日、新聞の朝刊には
ハンソルグループの3世であるチョ氏(24)が
兵役不正を犯した疑いで裁判に付されたという
記事が載った。
チョ氏はハンソルグループの創業者であるイ・インヒ顧問
の孫であり、チョ・ドンマン前ハンソル アイグローブ会長の
息子であり広義のサムスン一家の一員だ。

 数年前、韓国放送(KBS)が財閥一家の息子たちの
兵役問題を報道したことがあるが、サムスン一家が
最も目についた。一般人の兵役免除率は6.4%である
のに対して、財閥一家の免除率は33%で5倍も高かった。
ところが、サムスン一家はその比率が73%で、財閥一家の
平均値を大幅に上回った。
財界順位のみならず兵役免除率でもサムスンは
断然独歩的な位置を占めているわけだ。
今回起訴されたチョ氏まで反映すれば、その数値は
さらに上方修正される。

 サムスン一家の兵役免除の歴史は、
創業者イ・ビョンチョル会長の三人の息子
イ・メンヒ、イ・チャンヒ、イ・ゴンヒの三兄弟から始まる。
三兄弟の兵役免除理由や経緯は推測があるだけで
具体的な内容が報道されたことはない。
だが、既に絶版になった昔の本の中で
その真実を微かに読み取れる。


2世のメンヒ、チャンヒ兄弟、
日本密航と留学で兵役を回避
末男のゴンヒは朴正煕の特命で40日間訓練…
「長兄が私を軍隊に告訴」長期にわたる疑いと恨み


(中略)
末っ子だけが軍隊に行かなかったのではなく、
長男も次男も同様に軍隊に行かなかった。
自叙伝『伏せておいた話』に出る
明らかにしたくない履歴…密航で、
イ・メンヒ元会長は、
日本への密航と兵役忌避を告白している。
時は6・25(朝鮮戦争)が始まった1950年だ。
イ・メンヒ元会長は
「釜山に下った後、
 私は日本に密航することを決心した。
 後に慶北(キョンブク)中学の同期生であり
 陸軍士官学校を卒業した後に軍人の道を歩んでいた
 友人には『お前たちがきっと国を立派に守るだろうと
 信じたので、私は日本に行って祖国の未来のために
 熱心に勉強した』と笑い話をしたが、
 その当時に密航したということは
 恥ずかしいことではないのか?
 その点については今でも申し訳なく感じている。

 当時、私は20歳、当然に軍隊に入隊しなければ
 ならない年齢だった」
と記している。
ここで軍人の道を歩んでいた友人とは、
全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)、
鄭鎬溶(チョン・ホヨン)、金復東(キム・ボクトン)など
80年新軍部の錚々たる主役たちだ。

 第二に、チャンヒに言及した部分からも兵役問題を
推論できる。イ・チャンヒ元会長は1933年生まれだ。
「私が東京農大に入った翌年の52年、
 チャンヒが日本に留学に来たが」

という部分や日本留学生活を永くして
「東京の帝国ホテルで結婚式を挙げた」という話などから
類推してイ・チャンヒ元会長もまた長期留学という
名分で兵役免除を受けたのでないかと思われる。

(長いので一部のみ抜粋しました)



サムスン一族の財産をめぐるお家騒動は有名。

日韓併合時代、慶尚南道の大地主の次男で
創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)
1929年20歳で早稲田大学に留学
1934年に病気の為に中退。
韓国のWebサイトによると、
http://ko.wikipedia.org/wiki/이병철
両親が日本留学を反対したので、韓国の中堅財閥
暁星グループ創業者・趙洪濟から500円を借りて
留学した。趙洪濟の長男・趙錫來(チョ・ソンネ)会長も
早稲田大学出身。

留学後の李秉喆の日本での生活は
故郷からの仕送りが月に200円!
彼が日本滞在中の1929年~1934年の物価を調べると
http://chigasakiws.web.fc2.com/ima-ikura.html
米10㎏が1円94銭~1円74銭、
教員の初任給は50円

■昭和4年(1929年)
 http://syowakara.com/03syowaA/03history/historyS04.htm
工場労働者平均給料男子2円65銭・女子99銭

■昭和5年(1930年)
 http://syowakara.com/03syowaA/03history/historyS05.htm
芝浦製作所(現東芝)が我が国最初の
電気冷蔵庫及び電気洗濯機を販売。
冷蔵庫は価格が720円という、
庭付き一戸建て住宅が買える程の価格
洗濯機も370円

民間企業平均賃金大卒69円45銭

■昭和6年(1931年)
 http://syowakara.com/04syowaB/04history/historyS06.htm
バス女子車掌平均月給54円、
地下鉄ストア女子店員月給30円、
紡績女工月給12円、
紡績女工前金300円~400円(4~5年年季)

東京~大阪航空運賃30円、
同寝台特急80銭~1円50銭

■昭和7年(1932年)
 http://syowakara.com/04syowaB/04history/historyS07.htm
小学校教諭平均月給・男子68円33銭、
小学校教諭平均月給・女子48円77銭、
女子事務員平均月給30円、
帝国大学年間授業料120円、
早稲田・慶応年間授業料140円
府立中学年授業料60円、

帝国ホテル宿泊シングル7円、帝国ホテル宿泊ツイン12円
 
■昭和9年(1934年)
http://www.ohoshisama.info/syowakarano/05syouwaC/history/historyS09.htm
銀行員の初任給は70円。日産の自動車1台が1350円。
しかも、彼が帰国した年は、
冷害による東北大飢饉が起き
農家の娘の身売りが多発していた年・・・


おやまあ・・・
毎月200円の仕送りが、如何に凄いか解りますね!
李秉喆の実家は大地主ですけれど、
これでも朝鮮ではNo.1ではないのです。
朝鮮一の大地主は、東亜日報の創業家です!

日本の植民地支配によって朝鮮は全て収奪され
「土地を奪われた朝鮮の民衆は奴隷扱いだった」
という韓国の洗脳教育は大いに矛盾しているわね!



李秉喆の長男・李孟熙(イ・メンヒ)は日本に密航して
東京農大に留学。
三男の李健熙(イ・ゴンヒ)も早稲田大学商学部卒。
その長男は慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了。

創業者の次男の李昌熙(イ・チャンヒ)
>日本留学生活を永くして
 「東京の帝国ホテルで結婚式を挙げた

 

★[財閥家の家系図]
 故イ・ビョンチョル
 サムスングループ創業者

 http://www.kjtimes.com/news/article_print.html?no=5749
次男の故イ・チャンヒ前セハンメディア会長は
愛知県出身であり、
日本の三井物産で取締役に働いていた
中根庄司氏の娘である中根ひろみ

(以降イ・ヨンジャに改名)と結婚した。


4男のイ・テフィさん
創業主の日本人妻である倉田女士との間の
息子である。日本人と結婚して日本に居住している。
(李泰熙(倉田泰輝))

6女のイ・ヒェジャさん
イ・ビョンチョル創業者と倉田夫人との間に生まれ
日本人と結婚して日本に居住している。
(引用ここまで)

------------------------------------------
わお・・・
サムスン創業者の李秉喆会長は
日本に倉田さんというお妾さんがいて
子供を産ませていたのか・・・
そして次男の李昌熙(イ・チャンヒ)は
三井物産重役の娘と政略結婚!

どおりで、無能な長男の後継は三男だったわけだ。



★三星創業主故李秉喆会長の孫、
 李在燦さん死亡…自殺と推定

 中央日報 2010年08月19日
 http://japanese.joins.com/article/244/132244.html
(引用開始)
李氏は李秉喆(イ・ビョンチョル)会長の
次男である李昌熙(イ・チャンヒ)
前世韓(セハン)グループ会長の次男
(引用ここまで)

★三星家故イ・チャンヒ氏夫人・
 長男「訴訟参加しない」

 スポーツソウル 2012.03.29
 http://sportsseoul.jugem.jp/?eid=4454
イ・ビョンチョル三星(サムスン)グループ創業者の
次男の故イ・チャンヒ前新韓メディア会長の夫人
イ・ヨンジャ
と長男イ・ジェグァン氏は
次男のイ・ジェチャン氏遺族がイ・ゴンヒ三星電子会長
を相手に1千億ウォン台の株式譲渡請求訴訟を起こした
のと関連し、自分たちは訴訟に参加する意向が全くない
と28日明らかにした。

(引用ここまで)


★韓国事業の成功呼ぶ「攻心為上」 
 -東レ会長 榊原定征【2】

 経営者たちの四十代
 PRESIDENT 2010年12月13日号
 http://president.jp/articles/-/3642
(引用開始)
韓国での事業は、60年代、ナイロンの
生産技術の供与で始まった。
70年代にはサムスングループ、三井物産と
3社で繊維の会社を設立、
ポリエステルフィルムへ拡大した。 
(引用ここまで)



さて、戦後の日本は・・・
マルハン創業者の韓会長も密航。
義兄のパチンコ屋を手伝いながら法政大学卒。
ソフトバンクの孫正義会長も両親が密航。
パチンコ屋を創業して、孫会長はアメリカ留学。
密航し放題ですねぇ。

★朝鮮戦争時の密航の実態
 http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/3796b79eac1c0ee733e7a6609f132ff2
◆「密航4ルートの動態 日韓結ぶ海の裏街道 
  潜入はお茶のこ 捕わる者僅か2割」


朝鮮南北戦争の拡大によって憂慮されることは、
南鮮避難民の日本への殺到だ。
終戦以来、“悩みのタネ”となっているこの密入国は、
今次の戦乱で明日にでも、どっと押寄せてくる危険がある。
目下、政府は緊急対策をねっているが、今ここに
“日本密航への途”を衝き、その実態を明らかにしてみよう。

 密入国および不法入国は近来、
職業的な密輸密航に変り、手口も巧妙となり、
取締法規の盲点をつく知能犯的性格を
おびてきている。
密航のルートには現在、大別して次の4つがある。

1、 歴史的、地理的に朝鮮と特殊関係にある対馬は、
絶好の中継基地で、釜山から30浬、壱岐から40浬、
平戸から53浬の地点にあり、西北端北緯40度、
東経135度から西南海上に北緯34度、
東経127度40分に“マッカーサー・ライン”が引かれて
いるが、その最も近接地点である棹崎はマ・ラインから
僅かに1000米。
韓国船舶は自由に航行し、潜入できる。
ここへ上陸すると今度は遭難をよそおって福岡付近に
漂着。地方自治体官公吏などを恐喝或いは買収して
入国するのがこれまでの例だ。


2、 ウラジオストックから出て、リマン海流に乗って
隠岐、佐渡から警備の薄い島根、新潟、山形方面
へもぐりこむ。
このルートは別名徳田ラインとも呼ばれ、
政治的目的を持ったものが大半だという。


3、 釜山、木浦、麗水の南鮮各港から大きく迂回して
鹿児島、薩南諸島を回り、瀬戸内海、四国、近畿地方
に上陸する。
このルートは密輸という単純な目的のものが多く、
暴風雨で難破するものも多い。
22年から24年までに約1000名を逮捕。

4、 北鮮の海州、羅津、清津各港から済州島と連絡。
そこを基地として九州、西日本一帯に潜入するルートで
政治的目的を持ったものが過半数である。

 これら4ルートを通じて終戦後、
我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は
約20万から40万と推定され

在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめて
いるとさえいわれる。

<敗戦国の悲しさ>

 これが取締りは目下、
海上保安庁と国家警察本部が当っているが、
密輸団は火砲装備を持っているに反し、
我が監視船は何ら装備なく、捕捉率はきわめて悪く、
密輸船の2割程度しか捕捉出来ない現状にある。

また、入国した際の外国人登録証明は暴力と買収に
つきるといわれ、それがそのまま合法化する場合が
多いようだ。

 密輸取引物資は、
日本から文房具、化粧品、薬品、繊維製品、金属製品、
機械類で、
朝鮮からは米、焼酎、牛皮、生ゴム等が持ち込まれ、
徳田ラインからは拳銃等も
持ち込まれているといわれる。

日本から機械類を運ぶのは、北鮮の各工場で
ソ連製機械部品を取り付けるには7年以上を要するので、
手軽な日本製を求めるからだという。

<対策に手を焼く取締当局>

 逮捕された朝鮮人は、佐世保港外針尾収容所
に送られるが、この収容能力は800名で、
到底収容しきれず、また送還しても何ら不法入国に
ついての刑罰的規定がないので、何回も渡航を企て

当局でも全くその対策には手を焼いている模様だ。  
今次、南北鮮戦争から今後、南鮮からの密入国者は
莫大な数字に上るものと予想される折柄、
その根本的対策の樹立がきわめて注目されている。

昭和25年(1950年)6月28日(水)付産経新聞朝刊



★強制連行されてきたのか
 Dr.マッコイの非論理的な世界 2005-12-05
 http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20051205/p1
(引用開始)
これらの本や記事からわかるように、
在日が
「強制連行されてきた朝鮮人の子孫である」
という説はすでに破綻している。

私が一番興味があるのは、
どうしていつのまにか事実がすりかわって
しまったのかという事だ。
最初の朝日の記事には
在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が
 強制労働をさせるためにつれてきたもので、
 いまでは不要になったため送還するのだ

というのはもともと韓国側の「中傷」だと
はっきり書いている。

こうした日本に対する「中傷」が、
いつのまにか「事実」になってしまったのは
何故なのかという事が知りたい。

誰がどのように動いてきたのか。
まあどうせマスコミだろうが、そのマスコミには
一体誰がどのように作用したのか。

ところで話はかわって、すべてではないが、
不法入国してきた朝鮮人や日本に残った人々が
戦後になって各地で暴れ回ったりかなり強引な
事をしたというのも事実である。
このような一部の乱暴者たちのために、在日全体の
イメージが悪化したのである。
日本人が意味もなく差別してきたように言われるが、
戦後の在日のイメージダウンの根元は
このあたりにあると思われる。


また石原知事が「不法入国した三国人」という
言い方を批判され、「三国人」という言葉そのものすら
差別的だと言う人までいたが、
もともと「三国人」という言葉に
差別的な意味はなかった。
一部の者が暴れ回ったために、事後的に「三国人」
という言葉のイメージが悪くなったのである。

このような事情を考えれば、
石原知事くらいの年齢の人が、
まじめに暮らしている外国人と区別して、
悪さしている外国人だけを指して「三国人」という
言葉が出てきたとしても不思議ではないし、
仕方のない事だと思われる。

(引用ここまで)



★「植民地支配の犠牲者の子孫である
  朝鮮学校生への不条理、許せない」
  各地で一斉に抗議集会
 
 厳選!韓国情報 2015年02月22日
 ソース:神奈川新聞 2015.02.21
 http://gensen2ch.com/archives/23194566.html




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Comments 1

密航は鮮人のロマン

朝鮮半島で事が起きた時、また再び、日本にとっての悲劇が繰り返される事が予測出来るだけに、とっても不安でたまらない。
その時、国には何の期待も出来そうに無いから、国家防衛ならぬ一家防衛でも考えないといけないかも。

2015-02-26 (Thu) 11:01 | EDIT | REPLY |   

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