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砂防ダム内に集落60年不法占拠状態、京都府が移転要請へ

★砂防ダム内に集落60年
 不法占拠状態、
 京都府が移転要請へ

 産経ニュース(2015年1月5日07時59分)
 
http://news.infoseek.co.jp/article/sankein_sk220150105056
 京都市北区の砂防ダムの内側に
約60年にわたって不法占拠状態で居住している
住民がいる
として、河川管理者の京都府が
平成27年度に、移転要請を含めた本格的な対策に
乗り出すことが4日、分かった。
現場は国有地で約50人が居住しているが、
災害の危険があるものの長年、居住していた実態から
反発する住民もいるという。
府は住民らの説得作業を進め、
まずは自主移転を呼びかける方針だ。

 京都府砂防課によると、
現場は、紙屋川にある砂防ダムの内側
昭和28年にダムが建設された直後から
川べりに在日韓国人や在日朝鮮人らが住む集落が
つくられていたという。


 府は集落を認知していたものの、
居住を続けることを事実上、黙認していた。
しかし、昨年8月に広島市で土砂災害が発生し、
防災に注目が集まる中、この地域が大雨で繰り返し
浸水していることなどから方針を転換。
移転を求めることを決めた。

 府の事前調査で集落には約30世帯の約50人が居住。
民家などが約50棟あり、空き家も10棟以上が確認された。
府は移転を打診したが、住民側の一部は
50年近く暮らしている
「なぜ今さらそうなるのか」

と反発しているという。

 府は新年度予算に空き家の撤去費用を計上。
まずは空き家となっている建物の撤去を行い、
不法占拠状態の解決に向けて着手していくとしている。
担当者は
「すぐに解決できる問題ではないかもしれないが、
 話し合いの中で解決策を見いだしたい」
としている。

(引用ここまで)


関連記事

★紙屋川の砂防ダム内集落 
 住民との対話が不可欠

 京都新聞 2013年4月3日掲載 
 取材ノート 社会報道部 辻智也
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/2013/130403.html
京都市北区の紙屋川の砂防ダム内に、
50年以上前から「不法占拠」の住宅が多く建ち
人が暮らしている。
昨年から、京都府が立ち退きを視野に動き出したが、
住民の間で不安と反発が広がる。
問題の解決には丁寧な対話が欠かせない。

 集落は、
ダム堤防のすぐ上流のすり鉢のような谷底にある。
紙屋川沿いの約50軒に約50人が暮らす。
1953年のダム完成直後から、建設に関わった人が
住み着いたというが、明確な成り立ちは不明だ。
住民の大半は在日韓国・朝鮮人で高齢化が著しい。

 新年から始まったシリーズ連載「深層わがまち」の取材で、
45年前から暮らす在日韓国人の国本百合子さん(83)
話を聞いた。差別でアパートを借りられず集落に移住し、
建設工事で生計を立てながら一人で3人の子を育てた。
「まわりに嫌われ、行き場のない人ばかりが寄った」
と話す言葉が悲しく印象に残った。

 周囲の住宅地の住民からは
誰が住んでいるか分からず、怖い場所
という声も聞いた。
孤立する集落の住民にとって、ダム内の生活は
危険と隣り合わせだ。
大雨のたびに浸水し、過去20年で5回も被災した。

 昨年7月の豪雨で集落はほぼ水没し、
過去最悪の被害が出た。高齢者たちは消防隊員に
救助され、一命を取り留めた。
これを機に、府は市、国と連携し、本年度から本格的な
対策に乗り出すが、「不法占拠」の解消という観点だけで
取り組むべきではない。
この問題を放置すれば、住民の命の危機に直結する。

 ただ、大半の住民に立ち退きの意思はない。
府が長年黙認状態を続けてきたこともあり、
「なぜ今更」という思いが広がっている。

 市内にはかつて南区東九条の鴨川河川敷にも、
在日韓国・朝鮮人らが多く住む大規模な集落があった。
府などが立ち退きを求めたが、住民の自治会が
学識経験者らを交えて行政と交渉。
9年前までに新たな団地が近くに建ち、
多くの住民が移住した。
団地建設は平安建都1200年に合わせた環境整備
という側面もあった。

 一方、紙屋川では、
団地建設などの潤沢な予算が期待できるだけの
盛り上がりは見せておらず、
立ち退き後の住民生活の見通しは立たない。
集落内に自治会組織は存在せず、
住民自身も将来像を描けないでいる。

 東九条で地域の支援を続けていた
宇野豊さん(53)は
「紙屋川の集落は東九条と同様、
 差別と貧困が生んだ。
 住民同士のつながりがあるなら、
 最悪でも一緒に住める形にしないと」
と指摘する。

 3月、集落を訪ねると、国本さんが集落の
仲間とおしゃべりを楽しんでいた。
寄り添った人びとの笑顔があった。
行政だけで強引な解決を図らず、苦難を生きた
住民の声に耳を傾け、ともに納得できる道を探るべきだ。

(引用ここまで)

2013/03/30の京都新聞の記事より
http://hizayamasan.tumblr.com/post/46660418482
 京都市北区の紙屋川の砂防ダム内に
多数の住宅が密集している問題を解決するため、
京都府は新年度から、 立ち退きも視野に入れた
本格的な対策に乗り出す。
専従職員を配置し、国や市と連携し、まずは地域の
現状調査に取りかかる。
50年以上前から人がダム内に住み始めたとみられ、
住民の間で「長年の生活の場を離れられない」と
戸惑う声が上がっている。

河川管理者の府によると、
紙屋川の砂防ダム内はほとんどが国有地。
河川区域で住宅建設は認められないが、
1953年のダム完成直後から人が住み始め
現在は在日韓国・朝鮮人を中心に約50人が暮らす。
市は74年以降、市民の衛生的な生活を保障する
観点から上水道を供給している。


昨年7月の大雨で約50棟の大半が
浸水被害を受けたのを機に、市が府に対策を要望。
府、国、市でつくる河川敷地環境整備対策協議会は
昨年11月、新たに天神川(紙屋川)部会を設置し、
3者が連携して対策に当たることにした。

府は新年度予算に不法占拠対策として500万円を計上
4月に砂防課内に天神川環境整備担当課長を置く。
地域の実態を把握した上で、住民の移住を促す。
府砂防課は
「安全面からダム内の居住は認められないが、
長年の生活実態があり、住民の声を聞き対策を考えたい」
としている。

50年以上暮らす玉川浩二さん(54)は
「他に行き場のない人が、身を寄せ合い暮らしてきた。
長年立ち退きの要請はなく、なぜ今更という思い。
 年老いた人が多く簡単に別の場所に移ることはできない」
と話している。




 

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 豪雨で水没した時の画像
 http://imahaya.net/2012/07/kamiya-gawa/

★京都リアルパッチギ「衣笠」(3)
 砂防ダム内集落

 http://osakadeep.info/kyoto-kinugasa-3/#more

★豪雨被害の京都市北区開キ町
 砂防ダム内集落はいま

 http://osakadeep.info/kinugasa-hirakicho/

★衣笠開キ町の砂防ダム集落 
 http://deep.geo.jp/kinugasa-hirakicho/
sabou7e83440ed1458bd6b092ea93d054fa7a.jpg



★天神川 (京都市)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E5%B7%9D_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)
水害による河川移設

1935年(昭和10年)6月の京都水害(「鴨川水害」とも
呼ばれるが、浸水面積は天神川、桂川沿いのほうが広い)
で被災後、花園のより南側は現在のように付け替え
られたが、丸太町通り以南では天井川となって蛇行
しながら西院から西京極の東側から吉祥院へと流れていく。
御室川は宇多川を合流部から天井川となって南下、
途中西高瀬川と立体交差して西京極をへて西中付近で
桂川へと注いでいた。
それが
京都水害で決壊付け替えが決定したが着工されず
紙屋川周辺住民が昭和13年9月に勤労奉仕で着工

昭和15年に本格着工したが戦時下で
計画大部分は中断した。
昭和26年7月の水害で丸太町通りとの交差部付近
で決壊して西の京地区が浸水した。
御室川では山陰線下流の5ヶ所で決壊、
沿岸の常盤・太秦地区が浸水した。
さらに有栖川、瀬戸川が氾濫し、こられらの氾濫は
合流し東梅津から南へ山内・西院・西京極を水没させた。
被害は床上浸水1473戸・床下浸水5177戸を出した。
被災後に再度着工され29-30年にかけての工事で
御室川は意思済み護岸のかみそり堤防となった。
また昭和33年には支流の紙屋川に砂防ダムが造られた。

★京都府の水害
 http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=216&p=2
昭和26年7月11日、京都地方を襲った豪雨は、
河川を氾濫させ、人的、経済的被害を及ぼした。
死者9人、負傷者27人、道路破損、橋梁の流失が相次いだ。
中之立橋、京橋、伊香立橋、千田橋等(高野川)、栗夜叉橋、
庄田橋、出町橋、塩小路橋等(鴨川)、上、下立売橋、
春日橋通一丁筋目橋、春日通橋(紙屋川が流失している。
なお、桂川、鴨川、宇治川、淀川において警戒水位を突破し、
174ケ所の堤防決壊箇所が生じた。
(京都市企画審議室編・発行『京都市七月水害記』( 昭和26年) )

★上京区の史蹟百選/紙屋川
 http://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012885.html



京都市北区衣笠開キ町・・・
「開キ町」は「ヒラキチョウ」と読むのだそうです。 

今年は戦後70年になるというのに
地方自治体も政府も、60年間も不法占拠問題を
放置してきたことに驚かされる。
しかも、このような問題を、タブーの如く報道してこなかった
マスコミの偏向した歪んだ体質にも呆れてしまう。

京都新聞の平成13年記事による
>45年前から暮らす在日韓国人の国本百合子さん(83)
38歳の時にこの地区に移住したのですよね。

終戦から8年後の1953年にダムが完成。
それから15年も経って、移住し不法占拠状態・・・
建設当時の住民ではありませんね。

まあ、
行政が黙認していたのには理由が有ったのでしょう。
ウトロ地区問題と同様ですね。

仮に立ち退きの行政代執行をしようとすれば
当事者の支援に人権派弁護士や市民団体が大挙して
抗議に訪れるでしょうし・・・
彼らが河川敷地に「居住」していることから、
退去させられた場合、他に行き場が無く、
生命の危険すら発生しかねない事態が想定されるなど、
人権配慮上の問題があることにより、
河川法等の規定に基づく行政強制措置は執っていない
のが現状です。

京都府は、空家の撤去費用に500万円も計上し
立ち退きを拒否する住民には
>話し合いの中で解決策を見いだしたい

解決策とは結局コレ・・・
2005年7 月 の記事より
★不法占拠し続けた上に、
 2700万円もの保証金をGET

 http://kuyou.exblog.jp/2115993/
(引用開始)
国有地や市有地を「不法占拠」した場所も多く、
洪水による危険もあるとして、
市や国が約40年間住民に求めてきた立ち退きに、
住民側がこの5月に応じることが決まった。

 公有地の住民への直接補償ができないことが
支障になってきたが、集落内に点在する民有地を
公有地と交換後、開発業者に転売することで
「補償費」を工面することにした。
1世帯当たり平均で2700万円程度の「補償」
見込まれるという。

  9月から立ち退きが始まり、
住民たちは市内各地の市営住宅などに移り住むという。
跡地は06年5月までにかさ上げ整備されたうえで、
土地開発業者が20階前後のマンション3棟を建てる計画だ。

(引用ここまで)


不法占拠の住民に立ち退いて”いただく”ために
立退料の「補償金」が1世帯当たり2700万円・・・
130世帯×2700万円=35億1000万円!
これに
お安い市営住宅の優先入居付きですから
実に手厚い「保障」ですね。

★不法占拠のお手並み拝見
 http://hiro-san.seesaa.net/article/250626271.html



このような問題をBlogに掲載すると
サヨク市民団体のBlogに引用されて
いつの間にかレイシスト呼ばわりされてしまうのですが・・・

結局、行政と不法占拠住民との
膠着状態が続いた原因は、
生活保障という名のお金でしょう?
1974年以降、上下水道を引いていることから
「不法占拠」は公然と行われてきた。
伊丹空港を造るためという目的があれば
伊丹市の旧中村地区のように移転補償や
「不法占拠」者専用の市営団地建設も予算が下りるけれど
http://ameblo.jp/lancer1/entry-10067743391.html
http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=9185
(たしか・・・福岡でもオリンピック招致運動のために
 河川敷の不法占拠バラック小屋群を撤去して
 専用の市営団地を建設してあげたよな)

「そこは危険だから退きなさい」という理由だけでは
移転補償費や団地建設なんて予算は捻出できない。



「強制連行された歴史的経緯」という
魔法の言葉さえあれば通ってしまう不条理・・・
本当に「強制連行」だったのかいな?という
私の疑問に、釜山大学助教授のこんな論文を発見

★植民地期の釜山港湾の設備事業と
 その社会的意義

 韓國民族文化硏究所 助教授・車 喆 旭
 http://www.kiu.ac.jp/organization/library/memoir/img/pdf/keizai18-1-006cha.pdf
”代表的な工事は第1、2期の港湾設備工事、
  1936年以後の港湾拡充工事である。
 これ等の事業で釜山港中の浚渫作業がほとんど
 出来上がって、1、2、3、4桟橋まで造営された。
 このような基盤施設は、この後韓国の高度成長期に
 大きな役割をしたことは間違いない。

 (中略)
 Ⅲ.埋築工事と釜山の労働者
 以下、
 釜山港の拡張工事と釜山の変化を検討しようとする。
 この工事は多くの資金を投資する国費事業として
 進行して、ここには多くの労働力が投入された。
 (略)
 第1期港湾設備工事の場合廷人員で計算して
 日本人489,832人、朝鮮人457,381人
 合計約100万人に及ぶ。
 1911年から1918年まで約8ヵ年間100万人の人夫を
 使用したことにより、これに充当された人件費も
 上の表のようであった。
 大抵の工事で材料費より
 人件費の構成が高いということである。

 (略)
 これらの中日本人たちは日本から来たはずであるが、
 朝鮮人は大抵釜山近くの地方から集まってきたとみえる。
 特に1930年前後になって農村経済が没落しながら
 多くの農民たちの大都市への移駐が増加して、
 これは都市の労働需要能力の問題になった。
 この問題を解決したのが多くの労働力が受容できる
 土木工事であった。
 
 釜山博物館に所蔵されている
 勞動出稼歸来者ノ言動ニ關スル件(1937年2月20日)に
 興味深い内容がある。
 これは陜川郡守から各面長宛の公文であるが、
 釜山鎭埋立工事に参加した労働者たちが
 日給1円20銭をもらったと噂するのを
 取り締まるようにしたという内容である。

 つまり農村の農民たちに
 都市の日割りが高いという宣伝で、
 農民たちの離農が激しくなることを
 心配する郡守の対策
である。
 この点で釜山近隣の農民たちの釜山への移動の
 多かったことが見当できる。
 (略)
 釜山に集中した朝鮮人たちが埋立現場に雇用されて、
 賃金を受け取って消費した結果、釜山内経済循環に
 大きな役割をしたことと思う。 ”

(引用ここまで)

一般労務者の人夫の賃金は民族間格差が生じたが
技術職である火夫の賃金は民族間格差は少ない。
火夫の賃金は
1924年は、朝鮮人1円965銭  日本人1円974銭
1926年は、朝鮮人1円593銭  日本人1円579銭

これは、麻生炭鉱など日本国内の炭鉱でも
日本語の読み書きができる朝鮮人労務管理者は
朝鮮語のみの炭鉱夫よりもはるかに高額な賃金で
雇われていた。

麻生炭鉱の労務管理をしていた朝鮮人は、副業として
炭鉱近くに飲み屋を開業し、朝鮮人炭鉱夫相手に
半島から朝鮮人酌婦を呼び寄せ営業していたほどだった。

李明博元大統領の父親も
戦時中は軍事関連施設工事への朝鮮人労務者斡旋行
をして全国の軍事関連工事地域を、家族を引き連れ
転々としていたのだが・・・おそらく、
朝鮮人労務者斡旋業も一般労務者よりも高額だっただろう。



それにしても、
河川敷の不法占拠はあちらこちらに有って
近年は、その姿を消しつつある。
http://www.io-web.net/2010/07/korminor-kenkyu_83th_/

このまま放置すれば、再び水害に見舞われる
危険の可能性は大きい。
京都府は国有地を不法占拠している約50人に
「話し合い」で自主移転を薦めるというが
1970年代の上下水道設置決定前に
「立ち退き」を進めるべきだったのではないのかな・・・

問題を先送りにした結果が、
違法建築の空き家の撤去費用に税金投入か。
不法占拠の住民達も
「なぜ今さらそうなるのか」ではなく
そこは危険な場所なんだと理解しなさいな・・・

プロ市民も「民族差別だ」と運動する前に
彼らを説得した方が人道的だと思うのだけれど。

1952年の「血のメーデー事件」では
共産党の前方部隊として火炎ビンを投げていた
在日本朝鮮統一民主戦線が存在していたのだから
共産党さんは、党本部ビルの新築に85億円も掛けないで
このような人達に、自ら「恩返し」をすれば良かったのに。
豪華な共産党本部ビルに移転を薦めたら如何?
ソフトバンクの孫さんやマルハンの韓さんとか
日本で成功した富裕同胞が、ポ~ンと100億円位寄付し
貧困同胞を助けてあげれば如何?


孫正義さんは、
反日映画「アンブロークン」制作会社に270億円も
出資する大金持ちなのに

http://gensen2ch.com/archives/20011601.html
貧乏な在日同胞には、ビタ一文使いたく無いのかしら?


さて、
この不法占拠地域の近くには
一条天皇と三条天皇の火葬塚があるのだが
http://blogs.yahoo.co.jp/masatake_ko/43758378.html

ゴミの不法投棄が後を絶たないらしい・・・
http://osakadeep.info/kyoto-kinugasa-2/



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