韓流研究室

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韓国で形象埴輪初出土、日本から伝わった可能性

★韓国で形象埴輪出土 
 日本から伝わった可能性

 共同通信 2014/12/25 20:57
 http://www.sankei.com/photo/story/news/141225/sty1412250012-n1.html
 ko1216161l.jpg
韓国・全羅南道咸平の金山里方台形古墳
出土した形象埴輪の破片。
日本で出土した馬型の埴輪(左)の、
点線で示した部分に相当するとみられる
(全南文化財研究所提供・共同)

 【ソウル共同】
韓国南西部、全羅南道の咸平にある
5世紀後半から6世紀前半に造られた古墳で、
鶏などをかたどった形象埴輪の破片が出土したと、
発掘に当たった地元の全南文化財研究所が
25日までに明らかにした。

同研究所の依頼で破片の写真を見て確認した
花園大の高橋克寿教授によれば、
韓国では円筒埴輪の出土例はあるが、
形象埴輪の出土が確認されたことはない。

北朝鮮領内で発見の情報もなく、
朝鮮半島初の出土確認とみられる。

 埴輪は
日本から朝鮮半島に伝わったと考えられる。
中でも形象埴輪は葬送時の儀礼など
古墳をめぐる祭礼、祭祀に関わる場面を表した
と考えられている。

破片は「金山里方台形古墳」で見つかった。
鶏の頭や首、羽の部分で、馬形と人形の埴輪の
一部の可能性がある破片もあった。
ほかに円筒埴輪や瓦形土器、
中国由来の磁器も出土した。
(引用ここまで)



韓国では円筒埴輪の出土例はあるが、
 形象埴輪の出土が確認されたことはない。
 北朝鮮領内で発見の情報もなく、
 朝鮮半島初の出土確認とみられる。


★形象埴輪
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%B1%A1%E5%9F%B4%E8%BC%AA


日本では、大量に出土されている。
例えば
★今城塚古墳発掘調査
 (平成13年度、第五次)

 http://www.y-morimoto.com/kofun/h5_imashiro.html




★朝鮮半島南端の前方後円墳
 http://seesaawiki.jp/w/k0t0ry/d/%c4%ab%c1%af%c8%be%c5%e7%c6%ee%c3%bc%a4%ce%c1%b0%ca%fd%b8%e5%b1%df%ca%af
1983年に大韓民国|韓国慶尚南道固城の松鶴洞一号墳が
前方後円墳であるとして紹介されて以来、
朝鮮半島南西部で日本独自のものとされる前方後円墳
の発見が相次いだ。
その後の調査により、松鶴洞一号墳は築成時期の異なる
3基の円墳が重なり合ったものであり、
前方後円墳ではないことが明らかになったものの、
現在までに全羅南道に11基、全羅北道に2基の
前方後円墳が確認されている。

朝鮮半島の前方後円墳はいずれも
5世紀末から6世紀前半という極めて限られた時期に
成立したものであり 、韓国全羅南道の栄山江流域を
中心に10基ほどが存在している 。
古墳は一箇所に固まらず、広く散らばっており、
他の古墳群と離れ、孤立した形で存在しているものが多い 。
また、古墳の全長は、小さいもので約30メートル、
大きいもので77mだが、日本の前方後円墳に比べれば
大凡、小規模である 。
築造プランは基準が統一されておらず 、また、埋葬施設
の主要な構成部分は、チャラボン古墳が竪穴式石槨で、
ほかは横穴式石室と考えられている 。
段築・造り出しや葺石といった日本の前方後円墳に
見られるものは韓国の前方後円墳に見られない 。
周濠については、あるものとないもの、両方存在している 。

遺物については、円筒埴輪や南島産貝製品、
内部をベンガラで塗った石室といった倭系ともいえる
遺品や伽耶系遺品が発見されているが、
大部分は百済系遺品である。
前方後円墳の被葬者について、
明確な答えは出ておらず、大きく分けて在地首長説、
倭人系百済官僚説、交易などでこの地に移り住んで
きた倭人説に分かれて議論が続いている。
(引用ここまで)



韓国・全羅南道咸平郡
 Map_Hampyeong-gun.png

全羅南道咸平郡には
咸平新徳里古墳群、咸平馬山里古墳群、
咸平長年里長鼓山古墳

そして、今回の形象埴輪が出土された
咸平金山里方台形古墳がある。


★韓国光州の前方後円墳群の
 被葬者の日本人は誰か?

 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56020654.html
 koimg_0.jpg


★韓半島南部の栄山川流域の
 主な前方後円墳と古代日本との
 交流を示す出土物

 http://www.kiu.ac.jp/organization/library/memoir/img/pdf/kokusai5-1_2-001paku.pdf
2)栄山江流域における
 前方後円墳被葬者の出自


この地域の前方後円墳の埋葬主体部である
横穴式石室は、平面方形で穹窿形天井を呈する
百済の宋山里型石室とは異なり、平面長方形で
平天井を呈し、立柱石と腰石を配する形態である。
そして時には石室に赤色顔料の塗布が確認される
点が特徴であることから、かねてから北部九州地域に
その系譜が求められてきた。
新徳古墳では段築と葺石、チャラボン古墳では
月桂洞古墳と同様の盾形周溝が検出され、
月桂洞古墳と七岩里古墳、長年里長鼓山古墳では
埴輪の存在が確認された。
光州の月桂洞古墳からは木製の埴輪が見つかった。
これは大阪や奈良で出土した木製埴輪と酷似している


副葬品としては、
新徳古墳では、半球形装飾付捩じり環頭大刀、
刃部断面三角形銀装鉄鉾、脇当など
倭系の副葬品が出土し、造山古墳からは繁根木型の
ゴホウラ製貝釧、仿製鏡が出土した。
また海南長鼓山古墳からは須恵器も出土した。
繁根木型のゴホウラ製貝釧は、佐賀県の関行丸古墳、
福岡県の王塚古墳の周辺に位置する櫨山古墳と、
熊本県の江田船山古墳に隣接する伝佐山古墳から
出土していることより、これら九州の集団によって
栄山江流域に搬入された可能性が極めて高い。



★【韓国】金海(キメ)で伽耶王陵級古墳を
 発見…中国・日本系統遺物も、
 古代東アジア古墳遺物編年に
 重要な根拠資料

 2012/08/08(水)
 http://www.wara2ch.com/archives/6527202.html



★全南霊岩・沃野里方台形古墳 
 4本の木柱を立てて石室壁を築造した
 横口式石室墓を発見、埴輪も出土

 2010-10-25 23:20:18
 http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/0fd0cbcb1f76377b0c6888f2c0e881c0
 国立羅州文化財研究所は25日、
全南霊岩郡始終面沃野里方台形古墳
(영암 옥야리 방대형고분)に対する
発掘調査結果、南北約30m、東西約26.3mの
封墳の中に横口式石室墓、竪穴式石槨墓、
甕棺墓、木棺墓等多様な埋葬施設が確認された
と発表した。

 封墳中央で発見された横口式石室墓は、
石を積んで造った墓室が長軸3m、短軸1.1m程の
細長方形であり、特に4つの木柱を立てて石室壁を
築造していた。
木柱を立てて石室壁を築造したものは
栄山江流域古墳では報告されたことがなくて、
伽耶地域に属する昌寧・校洞、金海・大成洞、
良洞里古墳などの地だけから確認されている。

 封墳はクモの巣形状で、区域を分割して
土を埋める方式で積んだことが明らかになった。
分割盛土する方式は、
今までは伽耶地域古墳築造方式の典型的な方法
と知られたが、今回の栄山江流域古墳でも
その事例が明確に現れたとしている。
墳丘と封墳周囲を囲うような溝から、
日本で「埴輪」と称する円筒形土器が多量出土した。

これまで、霊岩始終面一帯には4世紀頃甕棺古墳が
密集分布して初期甕棺古墳社会の中心勢力だった
と知られたが、
今回の発掘調査を通じて、6世紀前後の時点にも
相当な中心勢力が存続していたことを確認することが
できたという。

(引用ここまで)



さて、朝鮮半島には
日本の縄文土器や黒曜石も出土しているのだが・・・

★韓国釜山市・東三洞貝塚
 http://homepage3.nifty.com/himegappa/iseki/tosando/tosando.html
(略)
ところで、この貝塚からは、
約4000~3500年前の縄文土器が出土している。
これらは阿高式、南福寺式、鐘崎式など
九州地方で見られる土器で、
朝鮮半島と日本列島(九州)との交流を示す貴重な
資料として注目されているという。
(略)
「でも、ここは貝塚でしょ! 
 肝心の貝はどうなのよ!」
「それがねえ、熊本にある阿高貝塚と
 そっくりの貝面がみつかってるんだよ」

貝面とは、貝で作った仮面のことで、
貝殻に目や鼻や口みたいな穴が開いている
いたって簡単な作りなんだそうだ。
でも、驚くべきことに、この貝面が出ているのは、
今のところ阿高貝塚と東三洞貝塚だけなのである。



★わが国のコメづくりは、
 いつ、誰が始めたのか?
 日本人ルーツの研究

 長浜浩明(『文系ウソ社会の研究』正・続/展転社 著者)
 http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi202.html


★稲作が朝鮮半島から
 日本に伝わったという教師は
 中学地理を知らない

 http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/170.html



日本の源流を、
全て朝鮮半島由来にしたがる学者がいる。
願望ではなく、科学的調査に基づいた考古学で
きちんと分析するべきだ!




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Comments 3

弓取り

歴史修正主義 肯定

>>日本の源流を、全て朝鮮半島由来にしたがる学者がいる。

リンク先の記事に、司馬遼太郎や山本七平でさえも、すでに発掘された事実によって、講演内容ないし学説を修正しなければならないのに、できていなかったことが紹介されています。
こんな知性でさえ、先入観から脱するのは容易ではないということですね。歴史教科書を書く教授たちもそう。

そうなると、テキスト化された「歴史の常識」が教育の場で垂れ流されて、結果的に子供たちの頭に刷り込んでしまう。
発掘結果で塗り替えられる歴史などは特に、教える立場の人たちは、せめて「現在のところ」と断りを入れるべきなのでしょう。
こういった、配慮なく歴史をオートマチックに垂れ流すセンセイは、ダメ先生。
日本の文物が、基本的に朝鮮半島由来とか熱心に説くガッコの先生なんか、勉強不足かウソつきか工作員だと確信できました。

2014-12-26 (Fri) 06:50 | EDIT | REPLY |   

都民

昭和の頃は、遺跡が発見されると、テレビ等でよく特集を組んでました。青森や埼玉(行田)の遺跡発見以降は、やりませんね。古代から、日本が強国だったことは、知ってはいけない事実みたいです。しかし科学的な調査で、稲の分布経路や遺伝子解析による人の移動などもだいたい判明し、普通に書店でその事について書かれた本を読めます。もう、情報を遮断できない時代になっているようですね。

2014-12-26 (Fri) 09:02 | EDIT | REPLY |   

プロパガンダ

山東、朝鮮は、本当に稲作の適地なのか?

佐倉の歴博などは現在、水田稲作は、長江下流域→山東半島→朝鮮半島南部→日本 というルートを想定して、この説を広めているようです。

その上で、人も、稲も、土器も、各種農耕儀礼や神社に欠かせない鳥居、銅鐸などの青銅器、それから墓制も「半島起源」であると熱弁を振るいたいようなのです。
日本から半島への人や物の流れも相当なものだったと言うか、少なくとも「双方向」だったと思うのですが、素人が相手だと思って、その辺をやたら端折って教えないのが日本の学者達の悪い癖です。

個人的に中国を旅した感想ですけれど、山東半島に関しては、あまり「水田稲作」のイメージがありません。
トウモロコシを植えたり、〝粉もの”を食っているイメージです。
遣唐使の時代には、既に「豊かな水田」のイメージはみじんもなかったようなのです。

朝鮮半島も、古代においては特に、水田稲作が盛んというイメージがありません。
西日本の方が、温暖で湿潤で、稲作に適していたと思います。

あと、これは聞いた事ですが、考古学にしても何にしても、現在中国との共同研究は、以前と比較して容易ではないそうです。
反日感情の異常な高まりや政治的な理由によるものらしいです。
日中のまともな研究がストップしている間に、全てが「韓国起源」にされてしまわないか心配です。

2014-12-26 (Fri) 17:31 | EDIT | REPLY |   

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