韓流研究室

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我行精進 忍終不悔

亡くなった高倉健さんの座右の銘

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 「往く道は精進にして、
  忍びて終わり悔いなし」




この言葉は、高倉健さんが
天台宗・比叡山延暦寺の大阿闍梨、
酒井雄哉師と対談した時に贈られた言葉。

これは『無量寿経』に説かれている
阿弥陀仏(法蔵菩薩)のお言葉の一節、
「仮令身止諸苦毒中 
 我行精進忍終不悔」

 
 「たとえ身を諸々の苦毒の中に止むとも、
  我が行は精進にして忍んで
  終に悔いざらん」


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昨年亡くなった酒井大阿闍梨は、
慶應義塾商業学校(慶應義塾大学の夜間商業学校)で
学んだ後、宮崎海軍航空隊に入隊。
太平洋戦争末期、特攻隊員として突撃する直前に
鹿児島県の鹿屋飛行場にて終戦を迎える。
戦後は様々な職を転々とするも、いずれもうまくいかず・・・
しかも結婚2ヶ月目に奥様に自殺されてしまう。
これをきっかけに、叔母の勧めもあり、比叡山へ上がる。
ご縁あって小寺文頴師の弟子となり、40歳で得度をする。
1971年より、三年籠山に入り1974年に満行。
比叡山宝珠院の住職を拝命される。
49歳で箱崎文応阿闇梨に転師、
1975年4月、千日回峯行に出峯、
満行後にさらにその半年後、二千日回峯へと行を断行。
比叡山の歴史で過去、二千日回峯の満行者は
文献からしても、四百年間の中で三人目の仏行者。

1995年(平成7年)にはバチカンで
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世にも謁見している。
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 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

千日回峰行とは、
平安時代、延暦寺の相應和尚(831年~918年、
一説に~908年)により開創された、
比叡山の峰々をぬうように巡って礼拝する修行。

千日回峰行者は、
未開の蓮の葉を象った桧笠をいただき、
白装束をまとい、八葉蓮華の草鞋をはき、
腰には死出紐と降魔の剣をもつ。
いったん行に入ったならば、
決して途中で止めることができないという掟
もしも、行半ばで挫折すれば
腰に携えた降魔の剣で腹を掻き切るか、
死出紐で首をくくり、自ら命を絶たなければ
ならないという掟のもとに、行を開始する。

1年目から3年目は比叡山中255箇所を
巡拝する行程約40キロを休まず各100日間、
4年目と5年目はそれぞれ連続200日、
計700日の回峰をする。

700日終了の後
9日間不眠・不臥・断食・断水で
不動明王と一体になる「堂入り」の行を満じる。

6年目は京都市内赤山禅院往復が加わる
一日約60キロの行程を100日、
7年目は前半100日を僧坊を出て
京都市内寺社を巡拝往復する
一日84キロの「京都大廻り」、
後半100日を山中約30キロを行歩する。

7年間で合計1000日を回峰し
「満行」とする厳しい修行。

千日で歩く距離は約4万キロ、
地球を一周するに等しい距離になる。


満行すると「北嶺大行満大阿闍梨」となり、
これにて千日回峰行は終了する。

延暦寺1200年の歴史の中でも、
満行者は47人しかいない。

さらに、この行を2回終えた二千日回峯の満行者は
400年間の歴史の中で酒井雄哉師を含め3人なのだ。

  



「往く道は精進にして、
  忍びて終わり悔いなし」


高倉さんはこの言葉を座右の銘にし、
「この言葉を阿闍梨さんに戴いて
 私は『南極物語』をやろうと決めました」
と語ったそうである。

任侠映画は苦手だったので、
健さんの映画を初めて観たのは
「幸福の黄色いハンカチ」

そして・・・衝撃を受けたのが
映画『八甲田山』だった。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E5%B1%B1_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
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軍隊が訓練中に八甲田山で遭難してしまう
「八甲田雪中行軍遭難事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
を元にした新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を
原作とするこの映画は、
実際に真冬の八甲田山でロケを敢行し
猛吹雪の中で立ち往生してしまうシーンでは
”立ち往生しているのに
 足跡がついているのはおかしい”と
山深い現場まで歩いて行った俳優達の
足跡が全て消えるまで、そして吹雪が起きるまで
極寒の雪山で4時間、役者もスタッフも待ったそうだ。

数名の俳優がその過酷さに耐えられず脱走する中
主役級の役者達の覚悟、スタッフの拘り
高倉健さんも、足が軽度の凍傷になりながらも、
撮影に臨んだたという。

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この映画のスチール撮影担当として
3年間のロケに同行した青森市のカメラマン
藤巻健二さん(78)が、健さんの思い出を語っている。
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http://www.asahi.com/articles/ASGCL4TL2GCLUBNB00C.html
「おとなしくてとても謙虚な人だった」。
藤巻さんは高倉さんをそう評する。
「自分は不器用だから」とせりふを撮影前に
しっかり覚え、
ミスをすれば「私の不徳の致すところです」と
必ず話していたという。



健さん、
今頃 お母様や酒井大阿闍梨に
褒めて貰っているかなぁ・・・

合掌。



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Comments 1

タブー崩壊

高倉健さん主演 最高傑作

高倉健さん主演

◆山口組 田岡一雄と朝鮮人との戦い 【実話】
http://www.youtube.com/watch?v=6LEDAbJ-MVk

現在の山口組は朝鮮人ばかりになって評価することはできないが
日本の敗戦後、GHQの威を借りて暴れまくった朝鮮人とバトルしたことは評価に値すると思うんですよ
警官ですら朝鮮人に拉致されて暴行されて殺されてた時代ですからね。

追悼映画はこれを流してほしい。

2014-11-19 (Wed) 16:36 | EDIT | REPLY |   

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