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三重県の寺が所蔵する朝鮮王朝の木版本 韓国で初公開

★三重県の寺が所蔵する
 朝鮮王朝の木版本 韓国で初公開

 聯合ニュース 2014/11/17
 
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2014/11/17/0400000000AJP20141117001700882.HTML
【ソウル聯合ニュース】
朝鮮王朝第7代王、世祖の在位中
(1455~1468年)に作られ、
日本に渡った仏教経典「妙法蓮華経」
木版印刷本が韓国で初めて展示される。

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 仏教経典「妙法蓮華経」の木版印刷本

 東国大博物館は17日、
ソウル市内の同博物館企画展示室で18日から
来月19日にかけて、開校108周年記念企画特別展
「108の煩悩からの解脱:刻即仏心」
で同印刷本を公開すると明らかにした。

 韓国にある他の妙法蓮華経と異なり
世祖5年(1459年)刊行された同印刷本は
折帖本(屏風のようにたたむ形)で作られている。
現在は三重県津市の西来寺に所蔵されている。


 東国大の鄭干澤(チョン・ウテク)教授(美術史)は
版本であるため、大量製作されたと推定されるが、
 どのように日本に渡っていったか
 についてはまったく知られていない」
とした上で、
「日本国内でも公開されたことがないほど、
 重要な聖宝であり、今回は所蔵寺側の配慮により
 特別に公開される」と説明した。

(引用ここまで)



三重県津市の【天台真盛宗】西来寺の歴史は、
http://www.mietabi.net/tusi/sairai.html
西来寺の創建は延徳2年(1490)、
真盛(円戒国師・慈攝大師:天台宗の高僧)が
西教寺(滋賀県大津市坂本)の支院の1つとして
開かれたのが始まり
(続きはリンク先で)

★三重県名所絵葉書
 http://culgeo.i-portal.mie-u.ac.jp/kyodoshi/GIS/postcard/00000025.html
ise00000025.jpg
 伊勢津市西来寺 全景
 西来寺本堂慶長七年眞如上人ノ造営


因みに、現在韓国の世界遺産となっている
「仏国寺」の変容は・・・
http://blog.livedoor.jp/whokilledxxxxx/archives/10820518.html
コレが日本統治時代前の仏国寺の写真です
c0059946_1285937_20141118111126c8a.jpg
(中略)
案内板には書かれていませんが
1925年に
大日本帝国によって
仏国寺は発掘調査と極楽殿などを再建しています
その発掘調査と改修が終了した後の写真です
c0059946_1285829_20141118111124e8f.jpg
(全文は、リンク先で)

仏国寺紫霞門・青雲橋・白雲橋
(朝鮮総督府編『朝鮮古蹟図譜』第4冊
(朝鮮総督府、1916年3月)455頁より
 img007.jpg
b2_2014111811271071e.jpg
http://hohou.tumblr.com/post/41945787281
オンボロの廃寺状態・・・

http://www.kagemarukun.fromc.jp/page005.html
韓国独立後、1961年に五・一六クーデター
によって政権を掌握し、韓国大統領に就任した
朴正煕が1972年に仏国寺を再建したが、
これは慶州景観復活の一貫として行われ、
皇龍寺・天馬塚の発掘・遺跡整備と同時進行に
実行された。
これは文化の大衆化が韓国の国際化とともに進展し、
無国籍文化的様相をみせたことから、
政府が国民統合のために伝統文化を強調した政策
の一貫として行われ

なおかつ、朴正煕が慶尚道出身であったことから、
新羅の古都慶州を含めた同地の開発に力を入れた
ことによる。
この開発の不均衡への不満は1971年の大統領選挙で、
野党側の躍進という結果を生み出した。
 


>版本であるため、
 大量製作されたと推定されるが、
 どのように日本に渡っていったか
 についてはまったく知られていない


どのように日本に渡ったかを考える前に
どうして、大量製作されたであろう木版印刷本が
韓国に現存していないのか
を考えるべき!

元の滅亡で支えを失った高麗王室を
クーデターで倒した、元武官の李成桂は
熱心な仏教徒であったのだが
官僚として国を運営する両班階層が
儒教至上主義に染まっていくなかで
李成桂を担ぎ上げた勢力が儒臣達なので
儒教を国教として定めた後、
廃仏毀釈を熱心に太祖・李成桂に進言する。

第3代王・太宗は
1寺院の勢力を減退させるために特権を大幅に削減。
12宗あった宗派を7宗に削減し、
242寺のみを国家の統制下に残し
他のすべての仏教寺院を廃した。

(宗派の統廃合、寺院の取り壊し、
 領地の取り上げなど。
 石仏を破壊し石橋の礎石にするなど。
 また取り壊された寺の鐘楼などは鋳つぶされるか、
 日本に輸出されていたらしい。
 これらの鐘は日本では朝鮮鐘と呼ばれて
 重文・国宝になっているものもある)

第4代王・世宗は
残存する7宗派を禅教の2宗派に統合、
さらに240有った寺院は18寺院を残し破却した。
仏教勢力はこの時期に著しく衰退し、
山間などで細々と続くのみとなる。
しかし、世宗は晩年には仏教に帰依する。

その後、
批判勢力である儒教勢力を牽制するために
仏教優遇政策をした第7代王・世祖
が登場!

第9代王の成宗(在位:1469年 - 1494年)の時代に
僧科(僧侶に成るための資格試験)を廃止し、
僧侶たちを厳しく統制し、2~3を残す大部分の
寺院を閉鎖するなどの
崇儒抑仏政策を徹底的に実践した。

世祖の時代に
大量製作されたと推定される「妙法蓮華経」が
何故、朝鮮半島に残っていないかを
考えるべきでしょう????

★大覚国師の「教蔵」、写真初公開
 中央日報 2004年06月23日
 http://japanese.joins.com/article/049/53049.html
高麗時代の高僧、大覚国師義
(ウィチョン、1055~1101)が刊行した
「教蔵」の原本写真が初めて公開された。

国立文化財研究所の朴相国(パク・サングック)
芸能民俗研究室長は22日、
日本・奈良東大寺に伝わる
教蔵「大方広仏華厳経随演義」の原本を
撮影した写真を公開した。
同資料はこれまで非公開資料として扱われてきた。

教蔵はしばしば「続蔵経」ともいわれ、
義天が11世紀末~12世紀はじめにかけ、
宋や遼といった当時の東アジア諸国から集めた
仏教の各分派の経典に関する研究の書を
木版で印刷、刊行したもの


今回公開されたのは、
同大乗仏教の代表的経典「大方広仏華厳経」
の注釈書。
義天が生前、日本からの要請を受け
送ったもの
の一部だと推定される。
刊行記には、1094~1097年、
興王寺(フンワンサ、開京にあった寺)で製作された
と記されている。

当時は推定で数千巻が刊行されたが、
現存するのは東大寺の40巻と
東京の大東急記念文庫の1巻のみ。
国内には、
朝鮮(チョソン)の世祖(セジョ、李朝第7代王、
在位1455~68)の時、刊経都監で刊行した重修本など、
原本を筆写、再刊行した20種余りが現存する。


朴室長は
「原本の筆致や印刷が国内の重修本などとは
 比較にならないほど優れており、
義天が国を挙げて行った教蔵刊行の実体が
うかがえる」と話している。

(引用ここまで)


どうみても、
第9代王の成宗の時代に紛失・流失の
憂き目に遭ってしまったのでしょうねぇ・・・


★朝鮮文化の根底には、
 両班の朱子学支配があった!
 韓流朝鮮時代劇は全部捏造だった!?

 http://quasimoto.exblog.jp/18394159/



ま~た、どこぞの俗物僧侶が
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「証拠は無いけど
 日本に奪われただろうから
 韓国に返せ!」

と、所持寺に返却阻止運動を始める?



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