韓流研究室

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秋田市で江戸時代に処刑された韓国人キリスト教徒だけの殉教碑建立

★韓国人キリスト教徒に鎮魂の祈り 
 江戸時代に処刑、殉教碑建立

 さきがけ 2014/11/04
 
http://www.sakigake.jp/p/akita/topics.jsp?kc=20141104e

 
e8209f12.jpg
 殉教碑の前で鎮魂の祈りをささげる参加者たち

 江戸時代に秋田市で処刑されたとされる
韓国人キリスト教徒夫婦の殉教碑
同市八橋の寺院境内に建てられ、除幕式が3日、
現地で行われた。
建立を計画した韓国ソウルのカトリック教会関係者
秋田県の協力者ら約50人が出席。
鎮魂の祈りをささげ、日韓の友好親善を誓い合った。

 建立を仲介した秋田キリシタン史研究会の
熊谷恭孝会長(65)
によると、
殉教した夫婦は、
シスト・カザエモンと妻カタリナ
(ともに本名不詳)。

史料によると、
現在の湯沢市寺沢に住んでいた夫婦は
1624年に殉教。
カトリックの信仰を曲げなかったため、
江戸幕府の禁教令に従った秋田藩の弾圧に遭った。
秋田市八橋の草生津川近くにあった刑場で、
日本人教徒12人とともに処刑されたとされる。
夫婦が秋田に来た詳しい経緯などは
明らかになっていない


 殉教碑は高さ2・6メートル、重さ2・2トン。
韓国内のカトリック教徒の寄付金で製作された。
また、熊谷会長らは本県側の建立委員会を組織。
寄付金を募り、約60万円掛けて碑の土台を整備した。
(引用ここまで)



碑に刻まれている
【秋田韓国人殉教者】
あの・・・
江戸時代には”韓国人”なんて存在しませんが。
「シスト・カザエモンと妻カタリナ」
という本名不明で来歴不明者の朝鮮半島出身者が
秋田でキリスト教を信仰していたって事か・・・



★第1回 「寺沢の殉教者たち」
 をたたえる荘厳ミサ

 http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/shuukai_akita.htm
【「寺沢の殉 教者たち」
 日本人と韓国人で初めて
 マリア様のご出現を受けた人々】


 今から400年ほど前、江戸幕府初期、
将軍徳川家光の治世の頃のことです。
この秋田県雄勝地区の「寺沢」で、
奇跡を行なっていたキリシタン信者
ヨハネ馬井六左衛門をはじめ14人の日本人と
朝鮮半島出身の「シストとカタリナ」夫妻の
合計16人たちが、幕府の禁教令によって
捕縛されました。
おそらく、この「寺沢」の地で投獄されていたものと
思われます。2人の日本人が牢内で殉教しています。
そして、残った14人は、1624年9月4日、
今の秋田市の久保田城下で斬首され、殉教しています。
事の次第は、当時の外国人宣教師たちによって、
ローマに逐一報告されていました。

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【写真左】1632年発刊の「日本年報1625~1627年」内表紙と、
 この中で報告されている【写真右】
「寺沢の殉教者について(1625年)」の記述。
(天理大学図書館蔵)


当時のイエズス会の宣教師がローマに送った報告書
「日本年報1625~1627年」をもとにして書かれた、
16世紀末から17世紀中頃までの貴重な資料として
知られるレオン・パジェスの「日本切支丹宗門史」には、
秋田県雄勝寺沢の殉教者について
次のように記述されています。

「……仙北の寺沢のキリシタン14人とは、
 ヨハネ・ウマイ・ロクザエモン(馬井六左衛門)、
 彼は初めルイスと呼ばれ、宮(ミヤ)の生まれで、
 もとイエズス会の同宿であった。
 (彼は牢内で奇跡を行いながら、謙遜の心から
  これを隠していたのであった)。
 彼の妻マグダレナ、パウロ・シロビョーエ(四郎兵衛)、
 宣教師の宿主、
 ヨアキム・テラザワ・トビョーエ(寺沢藤兵衛)、
 朝鮮人シスト・カザエモン(加左衛門)、
 彼の妻で朝鮮人のカタリナ

 トマス・マンゴヂューロ(孫十郎)、
 ヨアキム・ファヤシ・タロエモン(林太郎右衛門)、
 彼の妻マリヤ、
 マチヤス・テラザワ・タロエモン(寺沢太郎右衛門)、
 ルイス・ヤサブロ(彌三郎)、マテオ・ゲンゴロ(源五郎)、
 彼の母アンナ、10歳のヨアキム・カブヤゾ・ワカサ
 (Cabouyazo 若狭)、彼らの伴侶の中二人、
 もう一人のヨアキムと、ヨアキム・オーミ(近江)の
 寡婦エリザベタという一婦人は、
 7月13日と8月21日に、牢内で、
 惨めに死んだのであった。……
 牢内で、実に美しいある婦人は、
 しばしば囚徒たちを訪問して助けていた。
 どこから来たのかと聞かれると、彼女は
 「妾は、城から参りました」と答えた。
 しかし、城でも、その他の場所でも、
 誰も、そんなことを話すのは、
 かつて聞いたことのないことであった。……」

「日本キリシタン宗門史(上)」(1637~1639年、
 レオン・パジェス編、岩波文庫)

 彼らは当時の幕府の迫害を逃れ、
日本全国から集まってきた人々でした。

(中略)
【日本の皇室の改心】

聖母マリア様:(2006年4月4日)
 皇室の事で、あなたがたの大きな苦労は
 天に覚えられていることを知ってください。
 雅子妃殿下と美智子皇后陛下は
 皇室に撒かれた種です。黒田清子、彼女も
 聖母に会っています。

 引き続き、彼女たちのために祈り続けてください。
 彼女たちは生贄として捧げられています。
 幼な子たちも育ち、彼女たちの教えを受けています。
 希望を持ってください。

聖母マリア様:(2006年4月5日)
 あなた方を多くの事業のために用います。
 神が望まれる事に従ってください。
 神が語られる言葉は真実で絶対に変わることは
 ありません。
 天皇陛下に神が望まれている事を、
 直接天皇陛下に告げます。
 天皇陛下は直接神の印を見ます。
 神は日本を愛しています。
 しかし、日本は唯一真の神を知らず、
 神として崇めることができない民です。
 多くの罪を犯し続けており、
 ソドムとゴモラのような国で、当時のソドムと
 ゴモラと同じ時に存在していたなら
 とうに滅びていました。

 神はあわれみ深いお方です。
 子ども達、一人として滅ぼしたくないのです。
 でも、頑なに拒むなら、
 神は裁きを下さずにいられないのです。
 子ども達、神のあわれみを侮らないで下さい。


【日本と韓国の救いがすでに始まった】
韓国人の殉教者シストとカタリナ夫妻:(2006年5月31日)
 愛する子供たち、
 シストとカタリナがあなたがたのために
 救いを願って神に取り次いでいます。
 日本に私たちがつれていかれて、
 秋田の地で殺されて殉教したのは全く真実です。
 愛する韓国の人たちに私たちはいつも
 愛を注いでいます。あなたがたを愛しています。
 あなたがたの熱心でまっすぐに真理を求める心を
 どうかもう1度奮い起こしてください。
 周りを見てはいけません。
 イエズスと、聖母マリアの贖いによって、
 人類は救われ、罪が許されます。
 そして、神が兄弟たちの中に送った預言者、
 そして、最後の教皇として世の終わりまで
 治めることになっているリトル・ペブルに仕えてください。
 あなたがたを愛しています。
(引用ここまで)



・・・と、
イエズス様、マリア様、ヨゼフ様、寺沢の殉教者たちからの
ローキューション(内的語らい)を受けているという
マリー・マドレーヌ杉浦律子さんのお告げ?と
リトル・ペブルの「清水小屋」共同体の代表
ジャン・マリー杉浦 洋 神父と
マリア様のビジョナリスト(ご出現を視覚的に見る人)
というミシェル・マリー・フランソワ奥田力さんとやらが
韓国に働きかけて?
この「寺沢」をキリスト殉教者の聖地にしたかったらしい。

上記サイトの
”日本における「リトル・ペブルの共同体」
 設立の促進と援助のための事務所”
というのが、何をしていたかというと・・・

★秋田のカトリックセックス教団 
 「リトル・ぺブル同宿会」がすごい!
 閲覧要注意!!!

 http://matome.naver.jp/odai/2138183262647886101



★みちのくキリシタン
 http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/kitakami4.htm
=引用開始=
慶長三年(1598)フランシスコ会の
ジェロニモ・デ・ジェスースが家康から
浦川(浦賀)への貿易船の来航等を条件に
一般庶民への布教を許され、
翌四年京都のキリシタン八名と江戸へ下り、
ロザリオの聖母聖堂を建てて布教を開始した。

同八年ソテロがフイリッピン総督使節として来日し、
家康・秀忠に謁見して布教を開始した。
同十七年江戸での迫害が始まり、
ソテロが浅草に建てた癩施療院のキリシタン
二十七名が鳥越で処刑された。
ソテロは伊達政宗に救出され、仙台に赴いた。

東北地方で本格的な布教を行ったのは伊達政宗の
許可を得たソテロが同十七年、仙台領に遣わした
五人の同宿で、彼らは仙台市内をはじめ見分、舞草、
仙北、久保田、南部までも足を延ばした。
同宿とは宣教師や説教師と生活を共にし、
伝道を助ける信者たちのことである


慶長十七年八月、幕府はキリスト教禁令を発した。
これを逃れたキリシタン達は東北地方の金銀山に
潜伏するようになる。

宣教師達はこうしたキリシタンの巡回をするように
なった。フランシスコ会では、ガルベス神父などが
仙台、会津、山形、米沢、庄内などを、
イエズス会では、アンジェリス神父などが
会津、仙台、弘前、久保田(秋田)、南部、米沢、
二本松、白川などを巡回した。

アンジェリスは宣教師としては初めて蝦夷に渡り、
松前で迫害を逃れてきたキリシタンの告解を
聴いた。また、その二年後イエズス会のカルヴァリヨ
神父も蝦夷に渡り、松前より内陸に進んで
千軒岳の金山に赴きそこで働くキリシタン達を見舞った。
しかし、アンジェリスは元和九年(1622)江戸・札の辻で
五十人のキリシタンとともに、
カルヴァリヨも寛永元年(1624)仙台・広瀬川で殉教した。
元和・寛永期(1615~44)のキリシタン弾圧により
宣教師は日本から姿を消して行った。

=引用ここまで=


「秋田切支丹研究」(武藤鉄城著)によると
・佐竹義宣が慶長7年(1602)に、
 常陸(茨城)から秋田に国替えし
 出羽久保田藩(秋田藩)の初代藩主
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E7%BE%A9%E5%AE%A3_(%E5%8F%B3%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%A4%AB)

・信長の第二子織田信雄が
 出羽秋田に流された

大友義統(キリシタン大名大友宗麟の子)は、
 慶長5年関ヶ原の戦いで西軍に属し
 豊後で挙兵したが、黒田孝高に敗れて
 佐竹義宣が国替え時に、出羽秋田に幽閉されている
 その後、常陸国宍戸に流罪に処された。
 流刑地では再びキリシタンとなったという話も伝わる

という歴史が有るそうだ。
注目は、大友宗麟の子・大友義統だ。
イエズス会士P・ゴメスにつき受洗し
洗礼名はコンスタンチノ。
のち秀吉の禁教令で棄教した。

「九州諸家盛衰記・(原本:西国諸家盛衰記)」の
伝える「大友義統」評は、不明懦弱
識見状況判断に欠け弱弱しく臆病者という意味
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/yoshimune/yoshimune.html

敗者は悪く書かれるのが世の常だが
こんな逸話が残っている。
http://wikipedia.db.ss.is.nagoya-u.ac.jp/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E7%BE%A9%E7%B5%B1
・天正遣欧少年使節が帰国した際、
 宣教師たちに棄教のことを謝罪したが、
 この中で
 「もとより自分は意志薄弱で
  優柔不断な性分なので」と言及している。
 (フロイス日本史)

・相当、酒癖の悪い人物であったらしく、
 多くの宣教師の資料に
 「過度の飲酒癖やそれによる乱行が多い」
 と記されている。

・父・宗麟がキリスト教に傾倒し神社仏閣を破壊した
 という話が知られているが、
 大友氏の本拠である豊後国内や筑後国内での
 破壊は、当時次期当主であった義統が積極的に
 行っており、義統が主導した可能性もある。

・父・宗麟との対立は、隠居後、自由奔放に
 キリスト教へ極端に傾倒していった宗麟に対し、
 反感を抱いていた反キリスト教の家臣団と、
 離別後も強い影響力を持った実母・奈多夫人の
 影響が強かった為とされる。
 特に奈多夫人は義統に対して影響力が強かったようで、
 宗麟と後妻との間に子が出来た事を知ると、
 その子供が男・女に関わらず殺すようになどと進言し、
 関係はさらに悪化したとされる。

(引用ここまで)


現在、私達は学校教育で
”キリスト教への弾圧”と、踏み絵を踏まされたり
処刑されたりした”隠れキリシタン”の被害の
歴史のみを教わってきた。

キリシタン大名の大友宗麟と義統による
神社仏閣の破壊や、仏教徒への弾圧
改宗したキリスト信者により迫害された
仏教徒達の被害の歴史は、教わる事は無い・・・

★神社仏閣破壊
 http://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/57531298.html
一番古い神社仏閣破壊の例は
ザビエル来日直後の島原、平戸付近で
行われたものであろう。
これは日本人が教会を焼き、ポルトガル人や
日本人キリシタンが神社仏閣を破壊した
宗教闘争であった。

それは、キリスト教の洗礼を受けた大友宗麟
つまりドン・フランシスコが行ったものである。
 http://www.geocities.jp/es62v/index10.html
『大友宗麟がキリシタンになったのは、
 南蛮の優れた文化を取り入れるため
 ともいわれる。
 しかしキリシタンになったことが、
 大友家臣団の宗教対立にも結びつき、
 宗麟の晩年に国人の叛乱蜂起という形で
 表れたのは皮肉である。
 宗麟はキリスト教を厚く信仰していたため、
 神社仏閣を徹底的に破壊するという行為も
 行なっている。』

(家光の乳母・春日局とザビエルと宗麟が育てた
 キリシタンの末裔たちに関する
 興味深い記事の続きはリンク先で!)



★キリスト教王国建設へ
 http://www.hyuganokami.com/kassen/takajo/takajo6.htm
大友宗麟は、土持親成を攻める際に、
遠征軍には、寺社仏閣を破壊するように
命令していたようである。
この命令により、
土持領(日向国の耳川以北の地域)では、
戦闘により軍事施設以外にも
寺社仏閣が破壊されていたようである。
フロイスの「日本史」によれば、
彼らが大友宗麟に従って日向国(土持領)に
入ったときには、土持氏の城や寺社仏閣が
少なからず破壊され、宿泊する場所にも困る程
であったと書かれている。

占領した耳川以北の土地の報告を受けた大友宗麟は
非常に喜び、そこにキリスト教王国を建設することを
計画して、この地に移り住むことを決意した。
(中略)
田原親賢は大友宗麟の妻の兄である。
その田原親賢の妹である大友宗麟の妻は、
奈多八幡大宮司の女むすめである。

そのような出自(神社の神主の娘)の彼女(奈多婦人)が、
わが子である大友義統や、夫である大友宗麟が
キリスト教に傾いていくことを良く思わなかったのは
当然で、ことあるごとに兄の田原親賢を頼って
反キリスト教的な動きをしていた。
実はこのようなことが原因で、
彼女はこの日向国遠征直前に大友宗麟から
一方的に離縁(離婚)されていた。
その直後に
大友宗麟は、前妻の奈多婦人の侍女で、
敬虔けいけんなキリスト教徒であった女を
妻に娶めとって、日向国に出発した。

(中略)
大友宗麟の前妻である
田原親賢の妹の奈多婦人は、宣教師達からは
イザベルと呼ばれていた。
「イザベル」とは、聖書に登場する、
邪教徒でキリスト教に害をなした
女性の名前
である。
宣教師達は、奈多夫人を悪妻という
侮蔑の意味を込めてこの名前で呼んでいたらしい。
(フロイス日本史)

(中略)
苛烈を極める寺社仏閣への破壊行動

上記のような覚悟の大友宗麟であったので、
日向国における寺社仏閣や関係施設への
破壊行動は、組織的かつ徹底的であったようである。
フロイスによると、
この土地の寺社仏閣のうち、土持親成との合戦の後に
地元民により再建された寺社仏閣も少なくなかった
ようである。
しかし、新しい統治者である大友宗麟の命令による
破壊の対象となったのは、
これらの再建された寺社仏閣や、大友勢に発見
されずに破壊を免れていた寺社仏閣などである。
この破壊活動には、
修道士の他、もともとこの土地で仏僧であった者で、
今はキリシタンとなっていた者が指揮をとった

記述されている。


土地勘のある者(元は僧侶)が大友軍にいては
寺院の位置を隠し通すことは不可能である。
かくしてこの土地の寺社仏閣はことごとく解体され、
その木材や釘の一本にいたるまで回収、運搬され、
教会建設の資材として使用されたという。
神仏の像がことごとく破壊されたことは言うに及ばない。

(フロイス日本史)
さらに
この寺院の解体作業に従事させられたのは
他ならぬその寺院の仏僧たちであった。
一切の収入を失って、寺院や屋敷の解体作業、
仏像の破壊に従事させられた彼らの心中は
いかばかりのものだったであろうか。

(引用ここまで)


★キリスト教千夜百話
 10.豊後王妃・イゼベルと
 切支丹大名・大友宗麟

 http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/night-tale/010.htm
(略)
キリスト教王国建設へ、無鹿に「神の国を

宗麟に圧迫されていた薩摩の島津義久が
起死回生を期して日向に侵攻したのは
天正5年(1577年)。
野尻城・高原城(宮崎県西諸県郡)にいた
伊東義祐・義益父子は豊後に逃れて宗麟を頼った。
翌春、6万の軍団を率いて日向に入った宗麟の
後継者・義統はただちに延岡城を落とした。
これを喜んだ宗麟はすでに隠退していたが、
10月に新妻ジュリア、甥の田原親虎、
イエズス会日本布教長フランシス・カブラル、
宣教師ルイス・デ・アルメイダや2人の修道士と
300の将兵をひきつれて出陣した。

アルメイダは貿易商人だったが宣教師となり、
豊後で日本初の西洋医学の内科・外科病院を
創建した人物、
カブラルは上から一方的にキリスト教を押し付ける
ヨーロッパ型宣教体制を固めようとする
好戦的宣教師で、
独善的で強制的で性急な男だった。
この出兵も教線を拡大を目論んだカブラルが勧めた
作戦であったかもしれない。

宗麟は御座船に白地に真紅の十字を染め抜いた
大将旗を揚げ、黒いビロードのカルサンを穿いて
黒ラシャ製の鍔広の南蛮帽子を被るという出立、
十字軍の模倣だろうか。
彼は日向の地をキリスト教の国とし、
そこに理想の都市「神の国」を築こうとした。
(中略)
苛烈を極める寺社仏閣への破壊行動
(略)
こうして、耳川以北の地は
一大キリスト教化政策が行われた。
フロイスによると、宗麟がこの地に来る頃には、
もともとこの土地に住んでいた住民は戦いに
巻き込まれて死ぬか、別の土地に逃げていいたようだ。
寺社仏閣を破壊し、残った人間を使役し、
最後は全て追い出してそこに神の国をつくる・・・
自分たちだけの夢の国を築こうとしたようだ。

宗麟は十字架の旗の下、この建設は成功疑いなし
と確信していたし、宣教師もそう進言していた
が、内実は、大友家は内紛状態を招いた。
仏教徒が多い武将たちは、この戦を無益な戦い
見ていたものも多かったので、
家督を継いだ義統は、右往左往する状態だった。

(中略)
●戦国時代のキリスト教の闇

キリスト教国が行なった日本人奴隷の売買

ザビエルがはじめて日本で伝えたキリスト教は、
織田信長の庇護を受けて順調に信者を増やして
いった。豊臣秀吉も当初は織田信長の政策を
継承してキリスト教布教を容認していたのだが、
天正15年(1587)に九州平定後、
秀吉はキリスト教に対する態度を急変させ、
博多で「伴天連追放令」を出している。
そもそも2年前にイエズス会の日本準管区長の
ガスパル・コエリョが秀吉に、切支丹大名を
秀吉の味方につけると進言している。
しかし、ルイス・フロイス(日本史4豊臣秀吉篇Ⅰ)
によれば、秀吉は7月24日に怒り狂い、夜に
イエズス会の日本準管区長のガスパル・コエリョ
詰問の言葉を伝えている。その3番目に、
予は商用のために当地方(九州)に渡来する
 ポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、
 多数の日本人を購入し、
 彼らからその祖国、両親、子供、 友人を剥奪し、
 奴隷として彼らの諸国へ連行していることも
 知っている。
 それらは許すべからざる行為である。

 よって、汝、伴天連は、現在までにインド、
 その 他遠隔の地に売られていった
 すべての日本人をふたたび日本に連れ戻すように
 取り計られよ。
 もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、
 少なくとも現在 ポルトガル人らが購入している
 人々を放免せよ。
 予はそれに費やした銀子を支払うであろう」

と、この日本人奴隷の売買問題に怒った秀吉に対し
コエリョが答えた内容は、
「この忌むべき行為の濫用は、
 ここ九州においてのみ広まったもので、
 五畿内や坂東地方では見られぬことである。
 我ら司祭たちは、かかる人身売買、
 および奴隷売買を廃止させようと、
 どれほど苦労したか知れぬのである。
 だがここにおいてもっとも肝要なのは、
 外国船が貿易のために来航する港の殿たちが、
 厳にそれを禁止せねばならぬという点である」
と、奴隷売買は九州だけでおこっている、
廃止させようと努力しているのに取り締まらない
日本側の問題、港の殿(九州の切支丹大名)に
禁止するように言ってくれ、だった。

秀吉の怒りはさらに激しくなり、
「キリシタンは、いかなる理由に基づき、
 神や仏の寺院破壊し、その像を焼き、
 その他これに類した冒涜を働くのか」
と問い、
コエリョは信徒が神の真理に基づいて
自主的にやったことだと答えた
ので、
秀吉はさらに激怒し「伴天連追放令」と呼ばれる
布告を司令官ドミンゴス・モンテイロに手交している。

コエリョは九州での奴隷売買を廃止させるために
努力したというが、
「奴隷貿易が与えた極東への衝撃(藤田みどり)」
という論文に、
イエズス会日本準管区長のコエリョ自身が
ポルトガル商人に代わって日本人奴隷売買契約書に
署名した事実
が書かれているそうだ。
秀吉の右筆・大村由己の「九州御動座記」には、
足に鎖を付け、船底に追い入れるような
奴隷の扱い方
は、黒人奴隷の場合と全く同じで、
秀吉はこのような状況が日本を「外道の法」に
陥れると歎き、伴天連を追放することを決断した

との内容が記されている。
徳富蘇峰の「近世日本国民史」に
「日本キリスト教史(パゼー)」の一部が
 紹介されているが、
 「ポルトガルの商人は勿論、その水夫、厨奴等の
  賤しき者迄も、日本人を奴隷として買収し
  携え去つた。
 しかして其の奴隷の多くは船中にて死した・・・
 持主の中には、ポルトガル人に使役せらるる
 黒奴も少なくなかつた・・・
 此等の奴隷には一切頓着なく、口を糊する
 食料さえも与えざることがしばしばあつた為である。
 この水夫等は、彼らが買収した日本の少女と
 放蕩の生活をなし、人前にてその醜悪の行いを
 逞しうして、敢て憚かる所なく、其のマカオ帰航の
 船中には、少女等を自個の船室に連れ込む
 者さえあつた」

日本人は
奴隷に買われていたケースもあり、
水夫らの性奴隷としても
買われていたと。


(中略)
奴隷売買を正当化する聖書箇所の流用

旧約聖書レビ記25章45-46に、
「あなたの男女の奴隷が、
 周辺の国々から得た者である場合は、
 それを奴隷として買うことができる。
 あなたたちのもとに宿る滞在者の子供や、
 この国で彼らに生まれた家族を奴隷として買い、
 それを財産とすることもできる。
 彼らをあなたの息子の代まで財産として受け継がせ、
 永久に奴隷として働かせることもできる」とあり、
異教徒を虐殺することも奴隷にして売買する
ことも神の意志に叶った行為と考えられていた。

1455年ローマ教皇ニコラウス5世が勅書により
奴隷貿易を認め、教皇アレキサンドル6世が
神学的に奴隷制度を容認したことから、
イエズス会の海外布教戦略が
展開していったのかもしれない。

(全文はリンク先で)


九州の教会群を世界遺産に登録しようと
活動している勢力が有る。
日本のキリスト教弾圧と隠れキリシタンの歴史を
後世に永遠に残すべきだと・・・

ならば、
宣教師によって唆されたキリシタン大名が
神社仏閣を破壊し、僧侶たちに仏像を壊させ
その廃材を教会建築に利用したことも
また先祖代々の墓石を倒し、教会の階段にし
信徒たちに、ご先祖様の墓を踏ませながら
教会へ通わせたことも
宣教師が率先して
日本人の手足を縛り船に乗せ
 海外に奴隷として売り飛ばしていた事も
幼き日本の少女が船内で水夫の性奴隷とされたり
マカオなどの娼館に売り飛ばされ、売春を強要され
性奴隷として命を果てた事も
その闇の全てを、永遠に後世に刻むが良い!

先日、会社の前の道路を
キリスト教の街宣車が、大音響を流しながら
通過していた。宮城県ナンバーの車は
c3249546767_d01d4e4976_z.jpg
 IMG_0462.png
各地にペタペタと貼られている「キリスト看板」
 th_20141105143140d6c.jpg
でお馴染みの聖書配布協力会の街宣車だ。

★誰も知らない「キリスト看板」
 (聖書配布協力会)の真実!

 http://1010meguri.blog.fc2.com/blog-entry-234.html

★誰もが知ってる聖書の看板は
 丸森グループ

 http://ameblo.jp/aonoshinbrain2/entry-10467916935.html 

★聖書配布協力会と
 第三種接近遭遇

 http://blackshadow.seesaa.net/article/95683744.html

p1010086_2.jpg
 http://yagisawa.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-d01d.html



一部の、過激左翼系キリスト教徒が
日の丸・君が代は
偶像崇拝が禁止されているから禁止しろ!
偶像崇拝に繋がる天皇制は排除しろ!
天皇は戦争責任をとって辞めろ!
韓国の元慰安婦に謝罪して賠償せよ!
日本は植民地の女性達を強制連行し
性奴隷にした罪を認めろ!
世界から女性の人権侵害を無くすためには
日本が罪を認めなければ、今後も戦争で
性奴隷になる女性達の悲劇は無くならない!
と、日本全国そして国連や世界各国で活動し
ソウルの慰安婦像の前で水曜デモに参加している
元慰安婦のお婆さんに土下座もしている。
「日本人は悔い改めよ!」と叫ぶ。

聖書布教教会の街宣車は大音響で
信者にならないと「地獄に堕ち~る!」と・・・
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で、あの人達は
長崎で日本人を奴隷として人身売買し
日本人女性を性奴隷にさせた罪は悔い改めたのか?
一応、イエズス会は植民地奴隷と武器売買の
先鋒を担いだ罪は認めていました。
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世も2000年3月12日、
バチカンのサンピエトロ広場で ミサを行い
過去2000年間に キリスト教会が犯した過ちを認め
謝罪されましたが・・・。

c131101-02.jpg

何をどのように信仰しようと
この日本では「宗教の自由」が保障されている。
だけどね、
日本人が大切にしている信仰を邪教だとか
日本人が守ってきた文化を貶めたりする
権利はありませんよ。

「信仰の自由」は誰にも認められていますが
自分達こそ「正義」であり、全てが正しく
迫害や殉教の被害の歴史のみを強調して
加害の歴史は口にしない・・・

それこそが、
今日まで延々と続く「宗教対立」による
終わりのない戦争の根源だと思うのです。


信じる者は救われる
信じない者は地獄に堕ちる・・・

それでは永遠に、世界平和なんぞ訪れない。

何故、キリシタン弾圧が行われたのか
その歴史を知らなければならないと思います。

★キリシタンへの回帰
 ~ 島原の乱の悲劇

 http://washimo-web.jp/Report/Mag-Shimabara.htm

★大村純忠時代のキリシタンが
 行った別の側面

 http://www6.ocn.ne.jp/~fukusige/ayumi/oomura-giso-history/11page.html
「あん人たちは昔んキリシタンが
 全部、殉教や聖人のごと言わす。
 そん前に何んばやったか
 一言もいわっさんとバイ」

(中略)
「現在のキリスト教の方は、
 昔のキリシタン時代のことを全部、
 迫害、殉教、聖人のように言っておられる。
 (そして、そのように顕彰の碑などにも
  書いておられる

 しかし、その前の(大村純忠時代に起こった、
 キリシタンによる神社仏閣の焼き討ち、破壊、
 僧侶の殺害など)は、何一つ言われない
 (当然記念碑などに書いてもおられない)」

と言うことだったのです。

 実際、いくつかの書籍などを読むと
大村純忠時代1574(天正2)年、度重なる宣教師
からの要請を受けていた大村純忠がついに許可し、
領内にある神社仏閣のいっせい焼き討ち、
キリシタンに改宗しない大村領民の追放、
キリシタンによる僧侶阿乗などの殺害された歴史的事実
があったのでした。

 現在の大村市内と限定しても、
神社仏閣(合計41)が全部破壊・焼き討ちに会いました。
(この項、大村史談会青年部発行『おおむら史記』参照)
そのため、その寺院の地名だけしか残っていない所もあり、
例えば福重地区の大村市弥勒寺町、立福寺(龍福寺)町
さらに字(あざ)で冷泉寺などあり、また以前あったと
言われている白水寺など多数あります。

 それに、大村市寿古町の好武城跡から、
北西の海側(旧大村火力発電所跡地)方面に行くと、
道路脇に大日堂(上記写真)と言う石祠があります。
これは、大村純忠時代に嬉野方面に逃げようと
していた僧侶の阿乗がキリシタンによって捕まり、
この地で惨殺されました。
(中略)
また、大村純治と同一人物と思われる「大村純伊」や
大村純前の墓は、今富城や白水寺(右写真)周辺に
あったようですが、
1574(天正2)年にキリシタンが墓をあばき
遺骨は近くを流れる郡川(こおりがわ)に流された
と伝えられています。
(中略)
歴史的事実は、どちらも公平に

大村純忠時代にキリシタンによって
神社仏閣の破壊・焼き討ち、僧侶などの殺害
が起こったのも事実です。
その後その所に建てられたキリスト教寺院が
逆にキリシタン禁教令によって破壊・焼却され、
さらには隠れキリシタンなどへ凄まじいまでの
弾圧、迫害、殺害、刑死、獄死、または殉教された
のも事実です。
いずれも、当時の大村領で起こった歴史的事実です。

 欧米では、物事を知らせる時に
公平か公平でないか(フェアかアンフェアか)は、
時と場合によっては重大事になるそうです。
とりわけ、各報道機関などは。
それが、冒頭述べた通り(外国メディアに対しても)
「長崎県内で起こった迫害、殉教、聖人の歴史」
だけを教える表現でいいのでしょうか。

 何事にも「光と影」があり、
歴史的事実がある以上、
一方の「光」のみ、あるいはその逆で「影」のみの
情報は、報道機関や案内板など公平さを求められる
ところは再考の必要性はないのでしょうか。


(引用ここまで)


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Comments 8

F.Y

朝鮮出兵も
「秀吉VSスペイン」の攻防戦だった、世界史視点で見るべき、
と言われていますね。

確かに、秀吉は耄碌ジジイと見るも善しとしても、家臣大名らも揃いも揃って耄碌か?という疑問がありますね。

2014-11-05 (Wed) 17:18 | EDIT | REPLY |   

弓取り

個人の信心が、組織化されると怪物になる

唯一絶対神と向き合いたい人は、個人レベルで向き合えばいいと思いますよ。
誰でも、個人レベルでは宗教心の芽はあるでしょうけど、慎重に宗教を選んで、覚悟を決めて個人レベルで宗教に向き合ってほしいものですね。

拡大路線をひた走る一神教(および個人崇拝カルト)の哀れな信徒は、頑張れば頑張るほどロボット、信じれば信じるほどカルトの手先。
自らを優越におくために、異教徒を人間扱いしないんですね。宗教を盾に侵略されては世界の迷惑。日本にはいらん。

一神教は既存宗教者とは折り合わず、自らを唯一絶対とするあまりに既存文化を否定し、既存の文物を破壊したわけですね。
そんな一神教なんか、日本にはいりません。正しい歴史から学んでいきたいものです。
天皇陛下より上に、自分らの神を位置づける宗教者なんぞは、破壊志向を秘めていると考えてちょうどいい。

2014-11-05 (Wed) 22:25 | EDIT | REPLY |   

アロン

カトリックですが、キリスト教徒として許しの教義があるにも関わらず、
国歌、国旗、戦犯とされて犠牲になった方々を一向に許さない、
日本カトリック及び日本の各種キリスト教団体には呆れて物も言えません。

というかバチカンや諸外国のカトリックは基本的に保守系の思考なのですが
日本のカトリックだけが、バチカンの指示意向を無視、曲解し、
共産主義者とつるんでいる異常自体。

2014-11-06 (Thu) 15:22 | EDIT | REPLY |   

あや

Re: アロンさんへ

> というかバチカンや諸外国のカトリックは基本的に保守系の思考なのですが
> 日本のカトリックだけが、バチカンの指示意向を無視、曲解し、
> 共産主義者とつるんでいる異常自体。

以前読んだ本では、
日本で学生運動をしていたサヨク団塊世代が
プロテスタントに多く流れたと・・・
また、アメリカやカナダの宣教師が帰国すると
入れ替わりに韓国の宣教師が入ってきて布教に当たった。
併合時代から、朝鮮半島から宣教師が移住していて
日本の信者が少ない中、YMCAは韓国人留学生などの
抗日朝鮮人の拠点になっていました。
彼らの主張では
日本基督教団が戦争中に、偶像崇拝を禁じられているのに
「天皇を崇拝する君が代を容認していた」事が
許されないと言うのです。
バチカンに対しても、
バチカンの”赦し”は間違っていると堂々と言う
日本人宣教師もいます・・・
その様な、狂信的なサヨク宣教師が配属になって
教会に通うのを止めてしまった信者の人達を
何人も知っています。

日本の共産主義者も、本当のマルキストではなく
元共産党の人の話では、かなり都合よく改竄した
「日本風共産主義」になってしまっているそうです。

2014-11-06 (Thu) 16:24 | EDIT | REPLY |   

白珠

例の看板の内容が、ブーメラン過ぎる件w

2014-11-06 (Thu) 19:45 | EDIT | REPLY |   

白珠

世界遺産へのとうろくまでもがブーメラン・フラグとは微笑ましいです。
その為にも、「闇の全て」を世界に知らしめる事が大切なのですよね。

2014-11-06 (Thu) 19:52 | EDIT | REPLY |   

アロン

あやさん、コメントありがとうございます。

仰るとおりです。

各種プロテスタントはカトリックと比べると
誰でも簡単に牧師になれますし、
教会同士の横の繋がりも希薄ですから、
教会内で、いくらで洗脳工作が
展開できますからね。

私の近所にある日本基督教団の牧師は、
完全に極左であり、共産党の議員とも懇ろで
様々な反日活動を行っています。
その牧師が定期的に書いているHPの記事のみを読むと、
彼が牧師とは気がつかないでしょう。
それくらいの反日極左です。

結局は、どのような思想も、
彼ら反日カルトの道具になって
都合よく利用されているのでしょうね。

2014-11-27 (Thu) 00:36 | EDIT | REPLY |   

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2017-03-27 (Mon) 04:23 | EDIT | REPLY |   

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