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日本裁判所、小倉コレクション返却申請却下→アンタ所有者じゃないから

★日本裁判所
 「盗掘の疑いのある韓国文化財の
  返還申請」却下

 中央日報 2014年11月06日15時21分
 http://japanese.joins.com/article/350/192350.html
日本の裁判所が、盗掘の疑いのある
日本国内の韓国文化財返還を求める
韓国市民団体が起こした調停申請を
受け入れなかった。

東京簡易裁判所(以下、裁判所)は5日、
調停申請を出した韓国市民団体
「文化財取り戻し」の関係者と
被申請者側である東京国立博物館運営者の
国立文化財機構の関係者が参加した審理で
「調停不成立」判断を下したと、同市民団体代表の
慧門(ヘムン)僧侶が明らかにした。

裁判所は
同市民団体が該当文化財の所有者ではない
との理由で却下決定を下したと慧門僧侶は伝えた。

同市民団体は今年8月、東京国立博物館内の
「小倉コレクション」文化財のうち、朝鮮王室や
慶州金冠塚(クムグァンチョン)の遺物、
昌寧(チャンニョン)出土の遺物など
日帝強占期に盗掘されたと推定される34点について、
所蔵を取り止めるよう求める調停申請を
東京簡易裁判所に出していた。

小倉コレクションは日本人事業家の
小倉武之助(1870~1964)が1910~1950年代に
韓半島(朝鮮半島)全域で収集した1000点余りの
文化財で、小倉氏の死後である1982年に
彼の息子が東京国立博物館に寄贈したものだ。
(引用ここまで)

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関連記事
★「日本は盗掘品返還しなさい」
 へムン僧侶、日本裁判所に
 韓国文化財返還請求

 ニューシス(韓国語)2014-11-03
 
http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20141102_0013270593

へムン僧侶が今年8月、
東京国立博物館で朝鮮帝王兜を調べている

【ニューヨーク=ニューシス】
盗掘された韓国文化財返還を請求する裁判が
史上初めて日本法廷で開かれることになり
関心を集めている。

市民団体、文化財元の場所探し(代表へムン僧侶)は
5日午後2時、日本の東京簡易裁判所民事第6室で
‘小倉コレクション盗難品’可否を争う法廷審理が
開かれる
と明らかにした。

同団体は今年8月29日、
「東京国立博物館が所蔵する
 ‘小倉コレクション’のうち4件34点は
 日帝強制支配期に盗掘された
 盗難品であることが確実で

 日本国立博物館が所蔵してはいけない」

という趣旨の調整申込書を
東京簡易裁判所に提出したことがある。

へムン僧侶は
「日本を代表する国立博物館が
 日帝強制支配期に盗掘された盗難品を
 収蔵するのは不法な行為なので、
 原産国返還を請求することになった」
と立場を見せた。
へムン僧侶は今回 の裁判に参加するために
4日、出国する予定だ。

小倉コレクションは1965年、韓日協定当時も
韓国側が強力に返還を要請したが
個人所蔵品という理由で返還されなかった。
東京国立博物館が小倉の盗掘品が含まれた
私たちの文化財を所蔵するようになったのは、
1982年、小倉の息子が1400点余りを寄贈した
ことに伴う。

今回、問題が提起されたのは
朝鮮帝王の兜をはじめ、慶州の金冠塚出土遺物、
昌寧出土遺物、 釜山、蓮山洞出土遺物など
出土地と取得経緯が盗掘であることが
明らかになった4件34点だ。


同団体は2006年、朝鮮王朝実録、2011年、
朝鮮王室儀軌などを日本から還収したことがあり、
大韓帝国国璽を返還することを促す市民運動を行い、
2014年4月、バラク・オバマ米大統領が直接
返還したことに貢献した。

ノ・チャンヒョン特派員


★高宗の孫娘、日本に
 朝鮮王室の兜・鎧の返還を要求

 2013年03月07日
 http://east-asian-countries.ldblog.jp/archives/25334381.html
高宗(コジョン)の孫娘であるイ・ヘギョンさんが、
日本の東京国立博物館にある朝鮮王室の
兜と鎧を返還して欲しいと日本政府に要求する
事にした。

文化財定座検索(※意訳仮名)の代表である
ヘムン僧侶は1日(現地時間)、
イさんが来週にこのような要求を盛り込んだ手紙を
安倍晋三総理と岸田文雄外相、東京国立博物館の
銭谷真美館長など、
日本の関係者たちに送付する事にしたと述べた。

高宗の三男である義親王(ウィチワン)の娘の
イさんは当初、この日に記者会見を行う予定だったが
体調が優れず、会見には参加できなかった。
ヘムン僧侶を通じて手紙の発送計画を明らかにした。
(中略)
東京国立博物館は昨年4月、
イさんが返還を要求した兜と鎧に対し、
「朝鮮王室で使っていた物」と公開的に認め、
先月義親王の13男9女の九男イ・チュンギルさん
の長男であるイ元大韓皇室文化院総裁に
兜と鎧を公開した。

日本共産党の笠井亮議員事務所は、
「確認の結果、東京国立博物館にある兜と鎧は
 高宗が使った品物と推定される」と
明らかにしたことが分かった。

(引用ここまで)



今回の裁判所の「調停不成立」の司法判断
>同市民団体が
 該当文化財の所有者ではない

あったり前の事なのですがね。

では、朝鮮王朝の傍系の子孫に所有権は有るか
というと、コチラの人達にも所有権は無い。
所有権が有るとすれば、韓国の「国家」ですが・・・
日韓基本条約において、韓国政府は
1400点の文化財の返却と引き換えに、
その他の文化財の請求権を放棄
しているので
コチラにも所有権は存在しません。

ああ~~~
これで終わっちゃったじゃないか・・・



◆小倉武之助
 ogurat2.jpg
 1870-1964 明治-昭和時代前期の実業家。
 明治3年8月12日生まれ。
 下総(しもうさ)成田(千葉県)出身。帝国大学卒業
 日本郵船入社後、明治36年(1903年)に朝鮮に渡り
 明治42年(1909年)に大邱電気(のち南鮮合同電気)
 の設立準備有志を募り、明治44年に資本金6万円で
 朝鮮総督府の認可が下り工事開始。
 工事が終わって、大邱に電燈の明かりが灯ったのは
 大正2年(1913年) 1月元旦。

 当時の大邱は人口が約2万8千人で戸数約7千3百
 大邱電気の契約数は322。
 電力需要は少なく、発電機の故障による停電もあり
 創業時は苦労が多かった模様。
 その後、朝鮮電力の社長や大邱商工銀行の頭取
 なども務めた。
 日本、古代朝鮮の古美術収集家として知られ
 小倉コレクションがある。
 昭和39年12月26日死去。94歳。

 1920年代済州島の社会運動に参加した実業家で
 済州商船取締役代表、済州棉業代表取締役、
 済州酒造取締役、昭和運送代表取締役、
 済州島海藻代表取締役などを歴任した
 当時の済州島経済界の大物、金根蓍
 大邱在住の小倉武之助を代表取締役とする
 済州電気株式会社(1925年3月17日設立。
 資本金10万円)の取締役にもなっている。
 http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/cheju/cheju1.htm



>‘小倉コレクション’のうち4件34点は
  日帝強制支配期に盗掘された盗難品


確かに盗掘されましたよね・・・

★植民地時代
 慶州新羅古墳の発掘調査

 http://hb3.seikyou.ne.jp/home/Hideo.Yoshii/gyouseki/kaken10chapter4.html
(引用開始)
4 第4期(1921~1930年)の調査研究

慶州の新羅古墳研究だけではなく、
朝鮮古蹟調査に大きな影響を与えたのが、
1921年の金冠塚の発見であった。
多くの副葬品が発見されたという連絡を受けて、
朝鮮半島の他地域で調査をおこなっていた
関野貞、浜田耕作、梅原末治らが、
急遽、慶州に向かった。
しかし、かれらが到着した時には、
すでに慶州の住民達が遺物を掘り出した
あとであった。

そこで、梅原を中心として、
当時の発掘状況を聞き取りして、
遺物の出土位置を復元するしかなかった。

出土遺物の扱いについては、
総督府と慶州住民の間に対立があり、
関野と浜田の間でも、誰が遺物を整理するのか
について議論があったが、結局、浜田の指導下に、
梅原を中心として遺物を整理することになった。
この調査を契機として、同年に朝鮮総督府に
古蹟調査課が新設され、藤田亮策をはじめとする
新たな研究員達を中心とした調査研究体制が
整備された。
また、慶州の住民達の強い要望により、
金冠塚の主な出土遺物は慶州に戻り、
1926年に朝鮮総督府博物館慶州分館が開館した。
(引用ここまで)

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1921年(大正10年)秋、
慶州邑内入口の半壊の塚より、
突然黄金の王冠やその装飾品が発見された。

kinimg_9.jpg
朝鮮総督府は、1926年
総督府博物館の慶州分館を建設して
金冠塚の主な出土遺物を保管、展示した。



あらら・・・
盗掘したのは地元住民でした!

但し、盗掘の原因を作ったのは
江戸時代より高麗磁器を尊ぶブームが有り
併合を機にコレクターが急増し、
その需要に伴って、盗掘者が骨董商に持ち込む
といった現象が起きていたようである。

★略奪神話検証
http://soutokufu.s145.xrea.com/index.php?%B9%E2%CE%EF%BC%A7%B4%EF%A4%CE%C5%F0%B7%A1%A4%C8%B0%CB%C6%A3%C7%EE%CA%B8
元平壌博物館長小泉顕夫の証言
[引用原文は以下の通り]
この景氣に刺戟されたものかこゝに
高麗靑磁狂時代が出現して、一時これによつて
生活するもの何千人といはれ、
從つて盜掘された開城、江華島、海州方面の
大小の古墳の數は驚くべきものだとのことである。
(中略)
これは春秋の筆法で言へば日本人が
發掘したのである。
然しその直接下手人は終始朝鮮人であつた。
或ひはその最高潮期には日本人も參加したかも
知れぬが日本人は後方にあつて出てきたものを
買ひとつては在鮮好事者の間を持ち廻り、
よつて利益を收めてゐたものである。
當時朝鮮人は李朝末期の苛政に苦しめられ
疲弊の極に達してゐた。其の上に日韓合併以前から
文武兩斑其職を失ふもの次第に增加し、
朝鮮全土は窮民で滿ち溢れてゐるといふ状態で
あつたから、兎に角掘ればいくらかの金になるといふので
古墳發掘は朝鮮人に一の職業を與えた有樣であつた。

又一つには墳墓とはいへ旣に古く無縁となり、
全く荒廢し盡して茫々たる草野と化してゐる。
嘗ては土饅頭があつてその墓所たることを表示してゐたが
永き歲月の間に全くの平地となり、却つていさゝかの凹地
となつていてこれが古墳を探知する手掛となつたとの
ことである。然し流石に白晝は公行せず發掘の初期未だ
禁令のやかましくない頃でも多くは夜中ひそかに發掘した
そうである。
かうして鮮人の掘り出したものを買ひ收るを營業とした
一群の日本人がゐた。

(中略)
しかしこの種の盜掘は其の後次第に陰を潛める
に至つたが、其の代りに所謂「堀屋」と云ふ
職業的な盜掘團が出來上り

又其の「掘屋」仲間からは、内地人の影が無くなり、
彼等に敎育された朝鮮人が代る樣になり、
失業恐慌時代のこの時世でも、尚盛んに猛威を
逞しくして居る。
今度つかまつたのも、卽ち其の一味なのであらう。」
とある。すなわち、日本人の影響ではじまった「らしい」
古文物・古美術品の発掘からは、
小泉の直接知る限りでは「内地人の影は無く」、
主体は「朝鮮人」であって、
「尚盛んに猛威を逞しくして居る」のである。

 付言すれば、小泉は次節において、
朝鮮人盗掘者が、小泉の行った遺跡発掘調査の際、
朝鮮人人夫を指示し、盗掘の痕跡の発見を遅らせよう
とする様を経験談として述べ
「畢生の智惠を絞つて、私の言語不通なのを幸に、
 人夫達を籠絡して、とんでも無い處を
 掘らせようと努力したものらしい事がわかつた」
としている。

 http://soutokufu.s145.xrea.com/index.php?%C5%F0%B7%A1%A4%F2%BD%F5%C4%B9%A4%B7%A4%BF%C6%FC%CB%DC%A4%CE%B3%D8%BD%D1%C4%B4%BA%BA
(略)
たゞ史跡などに就いて理解の殆んど缺如した
半島の多くの民衆は、
か樣な永存設備を無意味に破壞する傾向が強く、
保存上各古墳に建てられた標木は直ちに燃料と化し、
施された壁畫古墳の戸口の扉の如きも、
壁畫の描かれた漆喰面を剥ぎ取る爲に破壞する
と云う風で
、いたく局に當るものを困惑せしめたのであり、
更に射利の徒が古墳の學術調査に伴ひ、
旣に述べたその盜掘を行ふ風を強めて、それが古堂塔にも
及ぼすに至り等して、保存事業の前途をいよ〓〓
多難ならしめたのであつた。
(梅原末治『朝鮮古代の文化』高桐書院1946)



”日帝”が発掘調査をしていなかった地点でも
★慶南昌寧郡・霊山古墳群 
 新羅の影響が濃厚な伽耶古墳を発掘

 2011-05-24
 http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/4aa7c54ea58dc37ad9a42df3e16035a7
埋葬空間では遺物の大部分が
 盗掘されていた
が、
 副葬空間では各種土器類と馬具類、
 そして殉葬人骨片等古代埋葬文化の
 様相を知ることができる資料が多数収集された。

★昌寧・松峴洞古墳
 1500年前の伽耶人の骨発掘

 2007.12.22
 http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/683a5459ea68803bc4cff5f65b2e6443
墳墓の内部は盗掘が著しく
 被葬者の人骨は残っていなかったが、
 殉葬された人物が埋葬された墳墓入口には
 骨や土器などが残っていた。



朝鮮人は(儒教を重んじるから)
「先祖の墓を暴いたりしない」というが
高麗の遺跡などは「先祖」という意識は
無かったであろうから
遺跡の石材などを住居用に持ち出すなどの例も
あったようである。

★韓国の僧侶や元慰安婦
 「1体だけ日本に返還を」 
 対馬の盗難仏像

 サーチナ 2013/04/02(火)
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0402&f=national_0402_024.shtml
2012年10月に長崎県対馬市の寺や神社から
盗まれた仏像2体が韓国で回収された問題で、
韓国の僧侶や旧日本軍の従軍慰安婦だった
女性らが1日、ソウルで記者会見し、
盗まれた仏像のうち海神神社の「銅造如来立像」
については日本に返還すべきだと訴えた。
複数の韓国メディアが報じた。

 記者会見には、
文化財の返還運動に取り組む
団体代表の慧門(ヘムン)僧侶、
慰安婦だったイ・ヨンスさん
大韓弁護士協会日帝被害者人権特別委員会委員
のチェ・ボンテ弁護士
らが出席した。

 報道によると、海神神社から盗まれた
国指定の重要文化財「銅造如来立像」について、
慧門僧侶は、略奪した証拠はなく、窃盗犯によって
盗まれた事実は明らかであるため返還されるべきだ
と訴えた。
「銅造如来立像が『真実と良心』の力によって
 日本に返還されたなら、
 日本が韓国から略奪した文化財の
 還収に新たな道が開く
との期待も込めた。

  一方、観音寺から盗まれた長崎県指定の
有形文化財「観世音菩薩坐像」は、
韓国・浮石寺の所有物だとした。
「浮石寺が元々所有していた証拠があるため、
 裁判所は(日本への返還を当分差し止める)
 仮処分申請を受け入れた」、
「裁判所の判断を尊重して韓国側で保管し、
 事実関係を調べる必要がある」と述べた。



何故、
元慰安婦の慰安婦だったイ・ヨンスや
大韓弁護士協会日帝被害者人権特別委員会委員
なんてのが仏像盗難事件に絡んでくるのでしょうかね・・・

さて、韓末の朝鮮は相当、
経済的に苦しかったのだろう・・・
経済格差も激しく、併合によって
朝鮮人にとって、
盗掘が一つの商売になってしまった事は
韓国の考古学的にも悲劇であろう・・・
 kk2239_8.jpg
 http://travel2.innolife.net/list.php?ac_id=46&ai_id=2239

http://flavius.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-2027.html
土木事業と軍備拡大による財政悪化と
 インフレが深刻
となり、1873年大院君は失脚。
 以後何度か大院君は短期間復帰するが、
 本格的に政権を担ったのは
 この最初の10年ほどだけ。

 外戚閔氏が勢威を振るう高宗親政時代が始まるが、
 清銭の流通禁止という政策は
 大院君時代のインフレによる混乱とは全く逆に、
 深刻なデフレを引き起こす。

 (引用ここまで)

★高宗と李埈鎔
 獄長日記 2005-07-19  
 http://ameblo.jp/dreamtale/entry-10002934450.html
李埈鎔。
大院君の孫であり、高宗の兄李載冤の息子である。
今回紹介するのは、
そんな叔父さんと甥っ子の絡む史料である。
1909年(明治42年)2月15日付『憲機第338号』から。
(中略)
自分の父ちゃんの借金を、
甥に払わせようとする皇帝も皇帝なら、
言を左右にして返さない甥も甥。(笑)
(全文はリンク先で)



【高宗と閔妃が外国に売り払った利権】
 http://mayuge2000.tumblr.com/post/58503730056
1896年
・ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
 鐘城の石炭採掘権
 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
・アメリカには京仁鉄道敷設権
 雲山金鉱(平北)採掘権
・イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
・フランスには京義鉄道敷設権
1897年
・ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権、軍隊の教育訓練権
・ドイツに江原・金城、金鉱採掘権
1898年
・アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
・日本へ京釜鉄道敷設権
・イギリスに平南・殷山金鉱採掘権
1899年
・ロシアへ東海岸における捕鯨権
1900年
・ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
・日本に京畿道沿海の漁業権
1901年
・フランスに平北・昌城金鉱採掘権

1903年5月
ついにロシアは朝鮮北部の龍岩浦に軍港を建設



とにもかくにも、
共産党の笠井亮議員が、慰安婦のお婆さんや
へムン僧侶と一緒に活動しようとも

日韓基本条約において、
韓国政府は1400点の文化財の返却
と引き換えに、 その他の文化財の
請求権を放棄しているのである・・・



因みに、併合時代の李王家の皆さんは
日本政府から
「準皇族」として多額の歳費を支給されていた。
その額は、天皇陛下と直系の皇族に次ぐ金額で
日本の他の宮家よりも数十倍の金額を貰っていた。

大韓帝国初期の高宗や純宗の衣装は
このレベルだったのに
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 純宗27img_14

1907年の、皇太子時代の大正天皇が
韓国に行啓された際には、立派な軍服に変身・・・
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(前列中央の髭の紳士が大正天皇)

1910年の併合後は・・・大変身!
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李王家の姫君たちも
日本政府のお支度金でドレスに大変身!
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確かに、これは朝鮮王朝の衣装だが
熱心なコレクターが長年保存してきたとは
思えないほどのボロボロ状態・・・
入手当初から、こんな状態だったのでは?

あまりにも古いので廃棄処分しようとした
横流し品を購入したとか???
韓国が言うように「盗んで来たと」したら、
普通、もっと良い状態の物を盗むだろう?


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