韓流研究室

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韓国の小中高教師300人が、朝鮮由来の日本の国宝に「韓国のモノnida」

★「百済のほほ笑みを浮かべた
  日本の国宝に胸が詰まる」

 朝鮮日報 2014/10/19
 
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/10/18/2014101800834.html
  b2014101800805_0.jpg

韓国の小中高教員300人と行く
「日本の中の韓民族史探訪」

韓国の金銅弥勒半跏思惟像とうり二つ
船山古墳の金銅飾履なども
百済・武寧王陵の遺物と類似

(ざっくり省略)

「第34回 日本の中の韓民族史探訪」に参加した
300人の韓国人教師を連れて、
この日広隆寺を訪れた
鄭永鎬(チョン・ヨンホ)檀国大学名誉教授が、
この仏像にまつわる劇的なエピソードを披露した。
仏像の微笑、
 仏像の姿に魅せられた大学生が、
 仏像を抱き締めた際、
 仏像の指を1本折ってしまった。
 国宝の損壊ということで大変な騒ぎになったが、
 ある歴史学者が、
 指が折れたときに落ちた木片を
 詳しく調べたところ、
 韓半島にしか生えていない赤松だ
 ということが明らかになった。
 日本の国宝に指定されたこの仏像が
 韓半島で作られたという、有力な根拠になった


 「百済の微笑」は、日本で初めて
ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文化遺産
に指定された奈良の法隆寺でも目にすることができる。
2メートルを超える背丈に、美しい顔、ひょうたんを
軽くつまんだ手など、百済の磨崖仏でよく見られる
特徴から「百済観音」という名が付いた仏像だ。
所下高校(京畿道光明市)のホン・ウィス教諭は
「実際に肉眼で見ても、韓国の仏像だ、
 韓国の遺物だという思いで胸が詰まる」

と語ったきり、
それ以上話し続けることができなかった。

 「日本の中の韓民族史探訪」は、
日本の古代文明の中に刻まれた韓国文化の
痕跡を訪ねるという趣旨で、
1987年に第一歩を踏み出した。
本紙が主催、新韓銀行とポスコが後援し、
韓国各地の小・中・高校教師が参加する。

大阪・京都・奈良= 金潤徳(キム・ユンドク)記者
(引用ここまで)


韓国の国史の授業では、
この手の教師によって
「日本の文化は全て韓国が創った」
と生徒に教えている。

日本の「名誉教授」と呼ばれる人の中にも
かなり偏った頓珍漢がおいでになるがwww
韓国の「名誉教授」も似たり寄ったりだ。

>仏像の微笑、
 仏像の姿に魅せられた大学生が、
 仏像を抱き締めた際、
 仏像の指を1本折ってしまった。


当時の新聞記事を比較して
丁寧に事件の真相を追及しているサイトによれば
現在は、大阪弁護士会に所属する
有名弁護士になっているという、
元京大生の起こした指折り事件は
どうも、真相は違ったらしい・・・
このエピソードを創作したのは毎日新聞か?

★広隆寺弥勒菩薩の指折り事件
 http://ameblo.jp/shinacchi79/entry-10861865081.html




鄭永鎬檀国大学名誉教授の説明の誤りは
まだまだある。

赤松は、
韓国だけに存在しているのではない!
北海道西南部~九州、朝鮮、中国東北部の
山地の尾根筋などに自生している。

弥勒菩薩半跏思惟像の
用材研究と指折り事件に関しては
創業103周年、大阪・堺市の
中川木材産業さんのHP
【日本人と木の文化】が実に詳しい。
http://www.wood.co.jp/kohara/nihonjintokinobunka/3-4.htm
日本では
木材の種類が豊富で、大木になる良材が多いから
ヤニが出る赤松は、仏像に使う例は無い。
一方の朝鮮半島の山の土質は
花崗岩の風化した砂質土と、花崗片麻岩の風化した
粘土とが七十パーセントを占めていて、
植生は日本よりかなり単純である。
その中で有用樹種をあげるなら、
山地に生え ているのはアカマツ、クロマツ、カラマツ、
モミ、ツガ、ゴヨウマツ、 ナラ、カバ、ドロノキくらい、
平地に生えているのはアカマツ、ポプラ、 アカシア、
ヤナギ、キリ、クロマツくらいである。
『日本書紀』には、 五十猛命が高天ヶ原から木の実を
持って降りられたけれども、朝鮮半島 には植えないで
日本に播いたという話が書いてあるが、
それはかなり現実と合致しているように思われる。



>ある歴史学者が、
 指が折れたときに落ちた木片を
 詳しく調べたところ、
 韓半島にしか生えていない赤松だ
 ということが明らかになった。


木片を最初に分析したのは、
千葉大学名誉教授の小原二郎氏
 http://www.wood.co.jp/kohara/
昭和23年に既に、京都帝国大学で調査をしている。
戦後まもなく、
小原氏が昭和25年京都府立大学助教授に就任すると
広隆寺住職に頼んで、仏像内部を削ってもらい
研究室で分析し、赤松が使用されている事を
解明したのが始まりなのだそうだ。

昭和35年の指折り事件の際に、修理したのが
元東京芸大教授の西村公朝氏
http://www.wood.co.jp/kohara/nihonjintokinobunka/3-1.htm

様々な論文を紹介して考察しているサイト
広隆寺の歴史的文献にも詳しくまとめられている。
★広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像
 (宝冠弥勒)1~17

 http://blogs.yahoo.co.jp/rontetu1945/15185238.html?type=folderlist

特に面白いのが
一般的に瓜二つと言われている
ソウル(韓国国立)中央博物館金銅半跏思惟像との
様式の違い、造形的な相違・・・
  m500_10383245.jpg
弥勒信仰が最も隆盛を極めた古新羅の様式や
その後の雲山面磨崖像との比較が面白いのがこちら↓
★広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像
 (宝冠弥勒)16

 http://blogs.yahoo.co.jp/rontetu1945/15186206.html




ソウルの国立博物館に所蔵されている
『金銅弥勒菩薩半跏思惟像』
は、
日韓併合直後の1911年か12年に、朝鮮人骨董商
李王家に売り込みに来て、購入されたものらしい。
だから、総督府は李王家所蔵品として大切に保管した。   
この骨董商が、
どこから入手したのか、どこの寺に有ったのか
それとも出土品なのか、
あるいは中国にあったものなのか・・・、
仏像の由緒が全く分からず、歴史経緯が不明です。

久野健の『古代朝鮮佛と飛鳥佛』(山川出版社)によると
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/10/09/553649
この像を朝鮮人骨董商から購入したのは、
李王室ではなく、朝鮮総督府!

総督府に購入を薦めたのは、
1897年の古社寺保存法制定に始まる
日本の文化財保護の最初期に活躍し、
朝鮮の古蹟調査をしていた東京帝国大学の関野貞博士。
彼は、慶尚北道の五陵廃寺より出土したと推測したが
1969年10月に朝日新聞社の講堂で行なわれた
韓国仏教美術研究の権威、黄寿永教授の
「韓国における半跏思惟像の研究」と題する文化講演会で、
この金銅弥勒像の出土地について、
1918年に韓国から出た「仏教新報」に
稲田春峰という人が
「この像は、1910年に忠清南道の僻村から
 出土したものである」と述べている。
氏は、先年忠清南道の僻村を調査している時に、
ある寺で、稲田氏を知っている高齢の僧に出あい、
「稲田氏の言ったことなら信用してよい」
ということを聞いた。
忠清南道の僻村というと、昔の百済に属するという
研究を発表し、興味を惹いたらしい。
しかし、その後はこの論説も曖昧になったらしい・・・

結局、どこで出土された物なのか解らない。
朝鮮では何十cmもある仏像が出土する例があるそうで
儒教政策で、廃寺になった所から流出したものか
盗掘されたものなのか一向に解らないらしい。

日韓併合によって、
広隆寺の弥勒菩薩が現存していたからこそ
朝鮮総督府が購入
彼らが全面否定する日帝の造った、
京城総督府博物館において
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大切に保管されてきた。
戦争中も、この像を背負って疎開させるほど
大切に守ってきたのだ・・・

しかし・・・彼らは朝鮮の遺物が日本に有るのは
日帝が盗掘して、朝鮮の文化を奪ったからだ
思い込もうとして必死なのである。
だから、
日本にある朝鮮由来の遺物を窃盗団が盗んでも
返すどころか、堂々と国宝にしてしまうのだ。
何たって、
せっかく朝鮮総督府が修復した仏国寺でも
1966年に、国立慶州博物館の警備員も含まれる
窃盗犯が盗掘の為に釈迦塔を破壊したおかげで
 「無垢浄光陀羅尼経」が発見された!という国である。

http://blogs.yahoo.co.jp/tncfn946/29995008.html



戦後の韓国人が、
何故ここまで日本にある「日本の国宝」に
胸を熱くし、ヨダレを垂らすのは・・・
ここにあるお宝は、全てウリ達のモノだと
勘違いしているのではないだろうか。

★韓国の金銅弥勒菩薩半跏思惟像と、
 広隆寺の木造弥勒菩薩半跏像とでは、
 どっちがエラいか

 http://blogs.yahoo.co.jp/ynm0/66612523.html



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