韓流研究室

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「国分寺まつり」政治的内容の9条の会の出店拒否・・・まつりの本来の趣旨は

★9条の会の出店拒否
  「国分寺まつり」毎年参加一転

 東京新聞 2014年8月29日 朝刊
 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014082902000139.html
 東京都国分寺市で十一月に開かれる
「国分寺まつり」で、毎年ブースを出している
護憲団体「国分寺9条の会」
今年の参加を拒否されたことが二十八日、分かった。
市などでつくる実行委員会は、
内容が政治的であることを理由としている。
9条の会は
「表現の自由のじゅうりんで、
 到底 承服できない」

と同日、実行委と井沢邦夫市長に
参加を認めるよう要請書を提出した。 (林朋実)

 同会は立川市内で記者会見した。
まつりには二〇〇八年からブースを出し、
憲法九条に関するパネル展やシール投票をしている。

 まつりは今年から、ブース出店者の募集要項に
「政治・宗教的な意味合いのある出店」
の場合は参加を不可とする文言が加わった。

 実行委の島崎幸男会長は
市民が親睦する場
 賛否両論あるものを取り上げ、
 いざこざが起きるのは好ましくない」

と説明する。

 これに対し、9条の会事務局の
増島高敬(たかよし)代表(74)は
「政治的内容についても市民が意見交流して
 コミュニケーションを深めることは、
 まつりの趣旨にも沿うはず」
と話す。
過去にトラブルはないという。

 市議会の議事録によると、
昨年十一月の総務委員会で委員の一人が、
特定の政治思想を帯びた内容の出店が続くなら
市は五百万円の補助金支出をやめるべきだ、
との趣旨の発言をし、
市側は「指摘の趣旨に沿う対応を検討する」
と回答していた。

 増島さんは
「市が補助金をたてに出店拒否を主導したのでは」
と疑念を募らせている。
 今回のまつりでは9条の会の他にも、
「バイバイ原発/国分寺の会」も同じ理由で
参加を拒否された。
同団体は二十九日に対応を協議するという。

 国分寺まつりは十一月二日、
国指定史跡「武蔵国分寺跡」に近い
都立武蔵国分寺公園で開催。
今年で三十一回目。
歴史行列や多数の模擬店があり、
例年三、四万人が訪れる。
(引用ここまで)



まつりの趣旨・・・

「特定の政治思想を帯びた内容の出店が続くなら
 市は五百万円の補助金支出をやめるべきだ」

と発言した委員は、自民党市議だ。
だからと言って、9条の会などの市民が
「おかしい」と批判するのは、違和感がある。
何故なら、
「9条の会」の母体は、共産党社民党だ。


日頃、
「町内祭り」を政教分離に反すると噛みつく彼ら
「表現の自由のじゅうりんで、
 到底 承服できない」

(東京新聞は、蹂躙くらい漢字表記しなさい!)
とは・・・笑ってしまう。



国分寺市の「国分寺まつり」
元々、野菜や卵、果物の即売、植木相談コーナー
などを設けた農業祭
工業部会、建設部会、商工会などが催す
商工祭を兼ねたいわゆる産業祭だった。
それに、地域住民の市民まつりが合体した。

第1回は、1984(昭和59)年に開催されている。

当初からこのまつりに係ってきた地元の方によると
http://kokubunji.shop-info.com/web/closeup/tanaka/tanakakensetu.html
歴任した役職の中で、今でもその成果が
継続されているものに、
国分寺まつりを華やかに彩る
歴史行列」があります。

これは、現市長の星野氏らとともに、
国分寺の歴史を勉強し、見つめなおそう
ということから生まれたものだそうです。

国分寺の歴史を語る時に欠かせない
「七重の塔」の十分の一の模型も、
現会長の田中為義氏が制作しました。

こんなふうに、
自分たちの生活している土地の歴史を知って、
どんな土地だったのかを知るようになると、
「国分寺」という名前の由来や歴史挿話などから、
地域に愛着と誇りを持つようになります。


そんな「地域愛」とでもいうべき思いを
みんなに伝えようと、
長年各種役員を務めてきました。
(引用ここまで)


これが、本来の
「国分寺まつり」の趣旨だと思うのです。

国分寺市は武蔵国分寺があったことから
この名があるわけですが、
市民は意外に町の歴史を知らないので、
町の歴史に少しでも親しんでもらおう

そして、この国分寺市に住んでいる”市民”が
郷土の歴史や産業にふれあって誇りを持とう!
という願いから、歴史行列を含む「市民まつり」を
発起したのだと思うのです。
市の「歴史部会」が企画し、郷土の歴史の勉強をして
恒例で行うことになっている行列なのです。

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国分寺まつりの「歴史行列」は、
市民が、天平・平安・鎌倉時代等の
時代衣装に身を包み
ゆっくりと練り歩く華やかな行列です。

そのパレードの先頭を 歩く天平行列には
国分寺建立の詔を出した聖武天皇と光明皇后。
国分寺の僧侶や尼僧。それに諸国国分寺の幟が続く。
次が平安行列
武蔵国分寺の七重塔は835年に落雷で焼けてしまい、
その10年後に壬生吉志福正が再建を願い出て許可
された歴史があるので、福正とそれに従う家来の行列。
その後ろには、鞠保存会(サッカー協会)や、
武蔵国分寺にも「小町伝説」が有るので
小町の衣装を着た女性達が続く・・・
最後の鎌倉行列には
畠山重忠の悲恋の伝説にちなみ、
重忠と恋人のあさ妻太夫とその一行が練り歩く。

毎年、当地にある”国際美容理容専門学校”の
国分寺校が、この『歴史行列』に参加協力し、
支度をする会場提供の他、教員と学生さん達が
ヘアメイクしたり、自ら衣裳を着て参加しているそうだ。

JA東京むさし国分寺地区青壮年部を中心に
行われる「農業祭」では、
地元の野菜や植木などの農畜産物品評会、農作物の直売、
鉢花の無料配布、花のくじ引きなどを実施。
青壮年部員が地場産野菜「宝船」を作成し、
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展示終了後に使用した野菜を無料配布する
「宝わけ」が大人気。

国分寺市商工会が中心の「商工祭」では、
工業部会、建設部会商工部会などによる実演や
展示が行われるほか、模擬店やゲームコーナー
などを催している。

また、国分寺市在住の大工棟梁・末広明さんが
4年がかりで完成させた五重塔の展示や
国分寺市に居住する留学生達が「お国自慢料理」
を出店したりと
「ひろげよう市民の輪」のスローガンの元に開催される
まさに、市民が手作りしている地域の為のまつりです。


■伝承と伝統の民族文化遺産
 国分寺まつり
 http://rekishi-roman.jp/page-13-5.html
 http://rekishi-roman.jp/maturi/page-13-32.html


第26回の国分寺まつりのプログラムを見ても
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/dbps_data/_material_/localhost/700000/s703000/KOKU091015_07P.PDF
国分寺市立中学校合同バンドや
国分寺市立第五中学校吹奏楽部の演奏
ボーイスカウトやガールスカウト
子供達のバトンやチアダンスの披露
国分寺市民舞連盟や阿波踊り国分寺連の踊り
国分寺市茶道連盟による野立
商工会の国分寺今昔
 『 昔懐かしい商店会の写真展示』など
地域密着型の「まつり」に混じって
国分寺9条の会による
『平和憲法車座懇談会』
国分寺非核平和都市をすすめる会による
原爆写真展などがある・・・


9条の会事務局は
>過去にトラブルはない
と言うけれども・・・
どこぞの市民団体の運動家じゃあるまいし
砂川政教分離訴訟のように
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%B7%9D%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E8%A8%B4%E8%A8%9F
裁判を起こしたり、
「さっぽろ雪まつり」に自衛隊が手伝う事を
軍靴の足音が聞こえるなどと抗議活動をしたり

普通の”市民”は、そんな事はしませんから
トラブルが無かっただけでしょう。



多くの自治会が抱える「町内祭り」問題。
昔からの神社祭礼が元になって、
村の鎮守のお社(やしろ)を中心にして
戦後、
地域住民のための「まつり」に変化させた事例が
全国各地に存在している。

★金沢市祭・尾山まつりと比較しての
 小松商工祭・としつね祭

  [2005/9/3 @敦賀短大]
 《加能民俗の会》 由谷 裕哉;博士(社会学)
 http://www2.komatsu-c.ac.jp/~yositani/2005sanken.htm
引用開始
◎ 金沢市祭(1923-45)・尾山まつり(1946-現在)
 に関する概略
(略)
2) 敗戦により、政教分離の要請に対応して
 いち早く“尾山まつり”と改称し、組織体制を刷新

○1946(S21)沢野市長が個人として
  “尾山まつり奉賛会”の発起人となり、
  各町内会長を中心に奉賛会が結成された。
  神輿渡御+“封国祭”+“余興”のページェント、
  という形は継承したらしい。

○1952(S27)から金沢商工会議所・金沢市などの
  主催で始まった“百万石まつり”と当初は別の日に
  執行していたが、 1958(S33)に至って統合された。
  → 結果的に、尾山まつりが吸収されたことに!

 その後、百万石まつりが金沢におけるほぼ唯一の
観光的祭礼として発展してきたのは、周知の通り(詳細略)。
(略)
●政教分離問題をスムーズに解決しえたかどうか?
; 小松商工祭は一時期“市祭”とも呼ばれていたように、
 敗戦後であるに拘わらず一神社の祭礼をあえて
 公的祭礼のような形に位置づけていた。
 おそらくその結果、革新市政となった1970年代に
 神社と無関係の“郷土祭”が要請され、
 商工会議所主催の“どんどん祭り”が新たに創られるに
 至った
次第だが、
 同じ時期にやはり革新市政だった金沢市では
 百万石まつりが続いていた。


 ← これは、“尾山まつり”のみだった時代から既に、
   政教分離問題をクリアーしていた結果と思われる。
(引用ここまで)



我が町の「秋祭り」も10月第2週に行われる。
自治会の直接関与をうるさく抗議する
元動労・国労の市民、共産・社民系市民、
そして他宗教の市民達が
この「秋祭り」を主宰する祭典委員会に対して
協力団体の「子供会」の子供達を”強制参加”させる
事はオカシイ!と抗議したり、
町内の各地区が順番で祭典準備をして
祭り前日に会場である神社の清掃”強制”させられるのは
政教分離に反するとか、
地域住民に寄付を募り「祭り」を開催するのはオカシイ!
町内の「神輿保存会」が祭りに参加するのは、
神社祭礼を奨励することになり「町内祭り」の
政教分離に反するから参加させるなetc・・・

毎年、毎年・・・町内の「市民団体」から抗議が来る。
隣の町では、放課後の子供達の「お囃子」の練習にも
抗議が来ているのだという。
「子供の権利が・・・」云々と・・・

特定の政治思想を帯びた団体が
戦後に、地域住民が「村祭り」を復興させようと
皆でお金を出して購入した「子供神輿」や法被
代々続くお囃子を保存しようと笛や太鼓を購入し
地域の皆さんが楽しみにしている「まつり」に
イチャモンを付ける。
そういう行動をしておきながら
「まつり」に参加させないのは
表現の自由の蹂躙だという・・・


「まつり」に政教分離を強制するのであれば
共産や社民などが母体の「9条の会」も
当然、分離すべきじゃないのか?????

★政教分離原則が問われるとき 
 2010年2月8日
 http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0208.html
札幌郊外にある「北海道開拓の村」
(施設設置者は、北海道環境生活部)。
道内各地の歴史的建造物が集められ、
開拓当時の生活を追体験できるよう作られた。
本物の建物なのでかなりリアルである。
郵便局や新聞社、札幌農学校寄宿舎などにまじって、
旧信濃神社(札幌・厚別)もそこにある。
鳥居やこま犬など、神社にあるものはすべて揃い、
もちろん賽銭箱もある。
見学者は普通の神社でするように賽銭を投げ込み、
柏手を打つ。その賽銭箱のお金の処理をめぐって、
20年ほど前に、
北海道議会で問題になったことがある。
(中略)
「北海道開拓の村」事務局に話を聞いたところ
旧信濃神社では、毎年9月に宮司や氏子たちが
集まって秋の祭礼が行われているという。
昨年は9月20~23日だった。巫女舞いまで
やっているそうだ。
また、旧龍雲寺の手前にある旧浦河公会会堂〔教会〕
では、12月23日に、日本キリスト教団から牧師がきて
ミサを行っているという。
開拓時代を再現する催しということで、
観光客も参加した「村祭り」と「村のクリスマス」に
なっているそうだ。
(中略)
20数年前、
この旧信濃神社の祭礼をめぐっては、
キリスト教関係者から、
政教分離の観点から問題である」という話を
伺ったことがある。

その後、
何も言わないのでどうしたのかと思っていたら、
今回、旧浦河教会にキリスト教団の牧師がきて、
クリスマスをやっていることを知った。
全国的にみても、靖国訴訟や政教分離関係の
訴訟の原告にキリスト教関係者が少なくない。
旧浦河教会でもミサをやるようになったから、
旧信濃神社の方は「黙認」することに
なったのだろうか。


開拓時代の村祭りやクリスマスだから
限りなく習俗化しており、自治体の便宜供与も、
特定宗教を援助・助長する「程度」ではない、
という認識だろう。
(中略)
そもそも、なぜ、日本国憲法は政治と宗教との
分離を採用したのか。
それは戦前における国家神道の果たした役割
に対する反省という面が大きい
(1945年12月、連合国軍最高司令部(GHQ)が
 「神道指令」を出して、国家神道の基盤は消滅する)。
日本国憲法20条は、こうした歴史的教訓の上に、
信教の自由や政教分離について周到な定め方をしている。
(中略)
これまで最高裁は、忠魂碑や地蔵像のために
市有地を無償提供するケースについて
合憲としてきたが、そこでは「施設の宗教性の希薄化」
がポイントだった。
また、地鎮祭の場合は、工事の無事安全を願う行事
という面が強調され、また、その都度行われるという
行為の単発性に着目して、「目的・効果」を経由した
判断枠組が生まれた。
今回の空知太神社の場合は、
市の土地に立っているのは神社そのものであり、
しかも無償提供が長期間にわたるという意味では、
自治体と宗教団体とのかかわり合いは濃密と言える。
そこで、「目的」や「効果」を問う「各論」に踏み込むことなく、
「施設の性格や経過」や「一般人の評価」などを考慮し、
「社会通念」に照らして判断したわけである。

「一般人の評価」や「社会通念」は
かなり抽象的で曖昧である。
今回の判決の「射程」がどこまで及ぶかは
にわかに判断できない。
全国各地には、公有地にキリスト教系や仏教系の
施設が多数存在していると言われ、
これらは理論的には「違憲状態」となった。

(中略)
政教分離原則は安易な相対化や緩和には
慎重であるべきだが、
他方、何が何でも絶対分離というのも
合理的ではない。
地方に行けばよくわかるが、神社や寺は、
地域の生活のなかに密着している面も否定できない。

「開拓の村」の学芸員の方が、
北海道開拓の歴史のなかで、
たまたまそこにあった宗教施設(神社、寺、教会)が、
その地域の冠婚葬祭の中心になったという意味の
ことを話してくれた。
開拓地では宗教施設が少なかったこともあり、
例えば浦河地方では、
神戸から入植した人々(「赤心社」)に
キリスト教徒が多く、集会所を兼ねて
礼拝が行われたようである。
そういう観点から見れば、
これら3宗教施設は、「開拓の村」の重要な一部
ということになろう。


(引用ここまで)


>全国的にみても、
 靖国訴訟や政教分離関係の訴訟の原告に
 キリスト教関係者が少なくない。
 旧浦河教会でもミサをやるようになったから、
 旧信濃神社の方は「黙認」することに
 なったのだろうか。


何故、上記のブログを「国分寺まつり」の件に
取り上げたかと言う理由に、この部分がある。
実に、彼らは都合よく活動しているからだ。

日頃、政教分離を訴える「9条の会」も
市が寄付金を出して開催する市民の「まつり」に
政治的内容のブースを出店する事は矛盾している!


どうして、ご自分達だけが
「表現の自由のじゅうりん」になるのだろう?

政治的内容について市民が意見交流して
コミュニケーションを深めいのであれば
他にも十分に、その機会や場所があり
実際に充分に活動しているでしょう?

やりたければ
自分達が主催する「9条まつり」
  s20101113tokyo9jou-maturi.jpg
存分に市民”同士で意見交流すれば良い! 

確かに、「国分寺まつり」は
純然たる市民のまつりであり
いわゆる「政教分離」の事例には当たらない。
しかし、その「まつり」に参加しようというのが
特定のイデオロギーを持った
政治団体や宗教団体だったら???
市民まつりの趣旨に反するのではないでしょうか。

★九条まつり~準備進む~
 今年は9条マンが登場!

 日本共産党 徳島市議 見田治Blog
 http://m.jcptk.jp/?p=5665


★「東京九条まつり」展示パネル
 日本基督教団西片町教会 九条の会
 http://nishikatamachi.net/index.php?%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A
 


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