韓流研究室

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日帝に国債報償運動で集めた資金が奪われた証拠を発見nida!

★日帝時代に国債報償運動で
 集めた資金奪われる

 中央日報 2014年08月15日16時24分
 
http://japanese.joins.com/article/918/188918.html
 c20140815162436-1.jpg
 国債報償運動で集めた資金まで
 日本に持っていったことを示す領収書。

1900年代初めに行われた国債報償運動
集めた資金の一部を日本の警察が持って行った
ことを示す文書資料が発見された。
日本の妨害で運動が中断された後、
募金された資金の一部を日本が持っていったという
推測はあったが、文書で証明されたのは初めてだ。

日帝強占期の史料を収集してきた
チョ・ウォンギョン牧師(57、慶尙北道慶山市河陽邑)は14日、
「1911年に日本人の大邱(テグ)警察署長が
 国債報償運動の資金を持っていった時に
 書いた領収書を見つけた」
と明らかにした。

領収書は
以前から収集してきた資料を整理中に出てきた。
横33.5センチ、縦24.3センチの領収書には
「7279ウォン94銭分の
 国債報償醵金提出分を受け取る」

という内容が漢字で書かれている。
当時、藁屋1軒が50ウォンだった大邱の物価だと
140軒を購入できる金額だ。


日付は「明治44年5月26日」、
受取人は「大邱警察署長警部の安藤正次郞」
となっている。
「警部」は今の警視に相当する階級だ。
誰から受け取ったかは記録されていない。
チョ牧師は「おそらく国債報償運動を率いていた
 大邱本部から受け取ったのだろう」と述べた。

国債報償運動を研究してきた
キム・ヨンホ元慶北大教授(73)は
「資金の一部が日本統監府に流れたという
 推測を事実として証明できる重要な資料」

と評価した。

1907年に始まった国債報償運動は、
14万3542ウォンが集まった後、
日本の妨害で中断した。
集まった資金のほとんどは
後に学校を建てるために使われたが

全体の資金が具体的にどこに使われたかについては
知られていなかった。


日本の警察が強制的に資金を奪うのではなく
領収書を書いたことに関し、キム教授は
「運動自体が違法ではないので、
 領収書を書くしかなかったのだろう」
と解釈した。チョ牧師は
「日本政府を対象に
 資金返還請求訴訟を
 起こすことを検討する」
と述べた。

◆国債報償運動
 =1900年代初頭、
  日本は朝鮮への借款を続けた。
  財政から日本に隷属させようという意図だった。
 1907年には借りた金額が
 1300万ウォンに達した。

 すると大邱でソ・サンドン、ギム・グァンジェら
 国債報償運動を始めた。
 これは全国民が参加する運動に発展した。

(引用ここまで)



★国債報償運動
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%82%B5%E5%A0%B1%E5%84%9F%E9%81%8B%E5%8B%95
日清戦争以後、大韓帝国政府は
日本から巨額の借款を受け入れて、
近代化を推し進めようとした。
1907年に大邱の書籍店社長・金光済は、
経済的隷属に繋がると危機感を抱き、
大韓帝国政府が借りた総額1300万円
募金で返還する運動を始めた。
金光済らは、
「タバコを購入する代わりに国債を報償しよう」
と喫煙廃止を主唱した。
大韓帝国国民2000万人が1ヶ月あたり20銭を消費する
タバコの喫煙を止めれば、3ヶ月で優に1300万円を
返済することが出来るというのである。
この運動は大きな反響を呼び、ソウル新聞や帝国新聞
などの賛同によって全国的に波及。
タバコを止める人が大勢出現した。
同時に募金活動も行われ、一時は16万4200円も集まった。
ところが、
この運動に賛同しながら影でこっそりとタバコを吸ったり、
募金を着服する不祥事が発覚した。
また、
運動の中心人物であった新聞社経営のイギリス人
アーネスト・ベセルが資金を横領した。

日本が梁起鐸を拘束し妨害したという俗説もあるが、
そもそも銀行に預けている募金が減っていることを
日本に調査依頼したのは朝鮮側であり、
また銀行の口座を管理していた梁起鐸の裁判において
「ベセルが横領した」ことが明白になった
ため、
日本の妨害という主張はあたらない。

(続きはリンク先で)



あのさぁ・・・
ウォンじゃなくて円だよ、円。
7279円94銭!

>全体の資金が具体的に
 どこに使われたかについては
 知られていなかった。


長年、国債報償運動を研究してきた
キム・ヨンホ元慶北大教授(73)ならば、
イギリス政府を巻き込んで大騒動になった
【梁起鐸裁判】を知らないわけがない!

ましてや、
運動の中心人物のアーネスト・ベセルが
国債報償運動で集めた基金の使途不明に対する
釈明の記録も、知らないとは言わせないよ!
すっとぼけちゃダメでしょ。
日本の明治大学の大学院生だって
研究論文が書ける”事実”なのだから。

★大邱といえば・・・国債報償運動
 http://s.webry.info/sp/14819219.at.webry.info/201108/article_13.html

★もっと調べてみた・・・
 「国債報償運動」・・・なぜ失敗したの?

 http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/PART3japan.html

★梁起鐸事件(一)
 http://ameblo.jp/dreamtale/entry-10001374435.html

★梁起鐸事件(二)
 http://ameblo.jp/dreamtale/entry-10001404972.html

★日本の韓国保護政策と
 韓国におけるイギリスの領事裁判権
 一梁起鐸裁判をめぐって一

 博士後期課程 史学専攻 1997年度入学
    小川原宏幸
 https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/7318/1/bungakuronshu_13_77.pdf
(略)
2.国債報償金費消事件の表面化と
 梁起鐸の抑留

(略)
1908年7月にいわゆる
国債報償金費消疑惑が表面化する。
(中略)
国債報償運動の始まった1907年初め,
日本政府が韓国政府に貸し付けた借款は
1,150万円に上っていたが,
この数字は韓国政府の歳入予算の
1.5倍強に当たるものであった。

この韓国政府の対日借款を韓国民衆の義援金により
償還しようというのが国債報償運動の目的である。
(中略)

ベッセルに対する第2次裁判が行われた
1908年6月ごろ,大韓毎日申報社内に設置された
総合所の義援金が濫費されているという風説
流れた。義援金濫費の噂について警察が内偵を
進めていたところ,たまたま
李東暉,鄭永沢,李星鏑の3人が
内部大臣宋乗暖に
皇城新聞,大韓毎日申報,帝国新聞の3紙と,
その他の集金所の調査を請願した
ため,
宋内相は総合所の義援金の調査を命じた。
7月上旬には,韓国警察(警視総監一丸山重俊)
当局は総合所の義援金費消に,
元大韓毎日申報社長ベッセルと同社総務であり
総合所の会計であった梁起鐸が関与している
と推定しており,7月12日,梁に警視庁への同行を
求め,取り調べを行った。
梁起鐸裁判により,
ベッセルが公金を誠実に保管していなかったことが
周知のものとなることで,その目的は達せられた
としたのである。
すなわち,ベッセルおよび大韓毎日申報への
朝鮮民衆の信頼を失墜させることが,
この裁判の目的だったのである。
(中略)
すなわち統監府は,
イギリス総領事がさかんに統監府に梁の放免を迫り,
また梁の引き渡しに応じなかった理由として,
国債報償金費消疑惑にベッセルだけでなく
イギリス総領事も関与しており,
その露見を恐れたため
と見たのである。

(中略)

5. 梁起鐸裁判
(略)
 起訴状によれぽ,梁起鐸の訴因は
義援金横領にあった。
大韓毎日申報社に設置された総合所に直接集められた
義援金は1908年4月30日現在で少なくとも
132,982円32銭に上っていたが,
5月30日付『大韓毎日申報』広告によれば,
同総合所が義援者から直接受け取った義援金総額は
61,041円33銭であり,
義援金中,実収義援金との差額
71,939円98銭8厘を横領したというのであった。

横領金の使用明細は,
ベッセル名義でマルタンに27,500円貸与,
金鉱会社株券買い入れ代金として
コールブラソポストウィック・ディベロップカンパニーに
25,000円の支払い,
在仁川香港上海銀行代理店預け入れ分30,000円
(4月までに引き出した後,使途不明)


(中略)

 国債報償金の取り扱いをめぐってベッセルの
信用が失墜したことについては,
国債報償運動側からも明らかである。
総合所の義援金費消疑惑は,総合所内でも問題となった。
義援金費消疑惑が表面化すると,8月初めに総合所は
大韓毎日申報社から韓人商業会議所に移された。
さらに,総合所評議員がベッセルに報償金の返還を
要求したところ,
「ベセル」ハ
 右金員ヲ
 英国総領事ノ保管二移スヘシト唱へ,
 然ラサレハ日本官憲二取リ去ラル・
 ノ虞アリト論シタルニ,韓人等ハ右募集金ハ
 外国領事二渡スヘキモノニ非ス。
 宣シク之ヲ韓国ノ銀行二預ケルヘシト
 主張シタリトノ報アリ。

 ……去ル十日右会議所二於テ役員ノー人
 「リコウコウ」〔李康鏑〕ハ,報償金問題二付
 「ベセル」ト激論シ,「ベセル」退出ノ後
 「ベセル」ヲ暗殺スペシト公言シタリ」92)と,
ベッセルと総合所評議員は,
義援金の取り扱いをめぐり対立した。
さらに,韓人商業会議所で8月28日に開かれた
会合において,義援金の措置について説明を求められた
ベッセルは,総合所の義援金をもって
「其金鉱株券ヲ買入タルハ利殖ヲ図ランカ為メニシテ,
 今ヨリ三ヶ月ノ後,機械完備,鉱業着手ノ暁ニハ
 多大ノ利益ヲ受クルモノナレハ,
 国民力其利益二依リ斯ノ僅少ノ基金ヲ以テ
 他日夫ノ巨額ノ負債ヲ償還スルヲ
 得ハ洵二本懐ナラスヤ」
と答え,
これに論駁した臨時評議員長韓錫振と激論を交わした。
以上見たように,報償金の取り扱いをめぐって
総合所評議員はべッセルを問責しており,
国債報償運動を進める朝鮮人とベッセルとの対立が
深まったのが梁起鐸公判開始直前の状況であった。

(引用ここまで)



ベセルだけでなく、
幹部の横領まで発覚した国債報償運動の顛末は
当時の朝鮮人による新聞社でも、国民への弁明が
記事にされている・・・

★国債報償期成会の横領
 http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?uid=7533&fid=7533&thread=1000000&idx=1&page=1&tname=exc_board_14&number=4769
さて、その後はどうなったのでしょうか?
年が明けて隆煕2年(1908年)1月10日付の
『大韓毎日申報』にこのような読者の投稿が載っています。

k19080110申報_呉栄根糾弾投書(1)
呉泳根は期成会の会員・総務員であり
公に尽す心と誠実さを他人の2倍は持っていなくては
ならないのに、その精神を捨てて
ただ金銭に敏感で報償金の中から6,000余円を盗んだ。
(中略)
呉の明らかな罪を声討つまり糾弾する、ということです。
呉が横領したのは事実とみていいでしょうね。
(中略)
つまり、期成会の報償金は、
貿易の資本金に流用・商人に貸付・呉個人の横領
によって、銀行に預け入れた1,700円以外は
費消されていたと見ていいですね。

なお、1908年7月27日の憲機第40号
(往電第18号「国債報償会募金に対するベセルの
 立場に関する件」の別紙。『統監府文書5』p210収録)では
期成会の保管額18,700円22銭7厘としています。
また、1910年7月6日付『皇城新聞』には
期成会の整理に当たった保管委員たちの広告があり、
ここでは保管額が18,768円4銭(物品販売収入含む)
としています。

  k19100706皇城新聞_期成会残金移管(1)
大韓毎日申報や皇城新聞の募金額の減少傾向
からみても、これらは横領事件以後に募金があった
と見るより、横領された金銭を呉たち役員に
弁済させてなんとか回収できた金額と考えた方が
よさそうですね。

(引用ここまで)


大韓帝国政府が、近代化の為に日本政府から
借款した総額1300万円を返済する為に、
国民が禁煙して、その煙草代を募金しよう!と
呼びかけて始まった国債報償運動は、
日本政府が妨害しなくても、
幹部の横領で朝鮮人民の信用を失い・・・運動は頓挫。
結局・・・残ったのは、18,768円4銭
その後、
国債報償費の保管委員は、この募金の
最終処理作業に入ります。
1910年12月、一旦決定した教育団体への分割譲渡案は
処理会委員の内紛で中止となる。
1910年12月3日付けの大韓毎日申報は
分割譲渡中止の記事を報道
1910年12月15日付けの大韓毎日申報は
大韓帝国内装部に届け出て移管決定

日韓併合は、1910年(明治43年)8月29日であるから
既に大韓帝国を引き継いだ朝鮮総督府に移管された
ことになる?

今回発見されたという領収書の日付けは
明治44年(1911年)5月26日
明治42年(1999年)に建てられた大邱警察署の
 pls01.jpg
 http://nekonote.jp/korea/old/fukei/tegu/pls.html
三代目署長の安藤正次郎が領収証を発行。
大邱の国債報償費処理委員会から
大邱警察署に国債報償醵金を届け出たのだろう。
ずさんな募金管理をして裁判にもなったのだから
大邱警察署を通じて、国債報償醵金を移管
処理した事になる。
この7279円94銭分とは、
京城にも国債報償運動参加団体が募金の徴集を
していた事から、
http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?uid=10696&fid=10696&thread=1000000&idx=1&page=1&tname=exc_board_11&number=7433

あくまでも、国債報償醵金全体の
大邱本部が管理していた金額なのだろうね。


集まった資金のほとんどは
 後に学校を建てるために使われた


これって、日帝が強奪したのではなく
横領をやらかした国債報償期成会から直接
教育団体に分割委譲したのではなく
朝鮮総督府が一旦管理して、
「国債報償運動資金で学校を建てましたよ」
と、いう事にしたのじゃないかしらねぇ・・・

どちらにしろ、
大韓帝国は併合により、日本から借款した
総額1300万円はチャラにしてもらった挙句に
既に財政破綻していた李氏朝鮮末期に
米英商人に売った鉄道を敷く権利を買い戻して
朝鮮半島に鉄道を敷くなどの、
巨額インフラ整備資金を考えると・・・
併合反対派が
「莫大な資金が係るから止めろ!」と言った事が
正論だった事が解りますねぇ。

この領収証1枚で、
日本政府を対象に資金返還請求訴訟を
起こすというのならば、
大韓帝国が日本政府から借りた1300万円を
返しなさいよ!
訴訟を起こしたら、再び
自国民から集めた募金を横領した同胞達の顛末を
洗いざらい裁判で明らかにしなければ
募金管理の実態が解らないのだから、
お笑いものだわwww




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Comments 2

DUCE

あいつらの言い分では、会社法は韓国人の起業を妨害しようと言う事ですが、その真相はこうした詐欺が頻発しているからなのですね。
だから建前で株式会社と言っても、同族企業にならざるを得ないのも必然と言うべきですな。

2014-08-17 (Sun) 06:34 | EDIT | REPLY |   

名無しさん@ニュース2ch

イギリスが朝鮮を日本に押し付けたかったって聞いたことあるけど、その思惑とも関係あるのだろうか。

2014-08-17 (Sun) 11:21 | EDIT | REPLY |   

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