韓流研究室

ARTICLE PAGE

サクラがある日本大使館、ムクゲがない韓国大使館・・・桜は韓国起源なのに悔しいnida

★サクラがある日本大使館、
 ムクゲがない韓国大使館

 NEWSIS/朝鮮日報日本語版
 
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/14/2014081400509.html

 米国の日本大使館では見られるが、
韓国大使館では見られないものとは?


 正解は、国花だ。

 米ワシントンでは最近、
韓国の国花のムクゲが満開だ。
白や赤、薄ピンク、紫、赤紫など、色とりどりの
美しいムクゲが韓国大使館の位置する
マサチューセッツ通り一帯の住宅街を彩っている。

 だが、肝心の韓国大使館の庭園には
ムクゲが咲いていない。
オンライン新聞「ニュースロ」が12日に報じたところ
によると、ムクゲが咲いていないのは
米国の韓国総領事館、韓国文化院も同じだ。

韓国総領事館では、独立運動家として活動した
徐載弼(ソ・ジェピル)の銅像のそばで
カボチャの花だけが咲き始めており、
裏庭には今年初めに職員たちが植えたという
ユウガオが鈴なりになっている。

 5階建ての韓国大使館は玄関の前に
円形の花畑が造成され、オブジェが飾られている。
左側にさまざまな種類の木が植えられているが、
ムクゲの姿は見えない。

 日本大使館はどうだろうか。
事実上の国花として扱われているサクラの木が
12本も並んでおり、日本の皇室を象徴するキクの花も
見栄え良く植えられている。
日本大使館は韓国大使館からわずか20メートルしか
離れておらず、こうした庭園の違いが一層目に付く。


 樹齢50年を超える日本大使館のサクラの花が
咲き乱れる春になると、通行人が足を止めるだけでなく、
わざわざここを訪れて写真を撮る人もいる。
大使館前の美しいサクラが、日本のアイデンティティー
をうかがわせる大きなシンボルになっているというわけだ。

 ワシントンのポトマック川沿いは、
全米一の桜の名所として知られる。
韓国を植民地としていた時代、
日本が友情の証しとして米国に贈った
数千株の苗木が、川に沿って
ぎっしり植えられているためだ。

サクラの原産地は済州島の漢拏山で、
江戸時代に日本に本格的に広まった
というのが定説とされている。


日本は1910年12月、
米国に2000株のサクラの苗木を贈ったが、
病虫害に感染していたことが分かり、
全て焼却処分された。

 日本は約1年後の12年2月、ワシントンに3020株、
ニューヨークに3000株の苗木を再び贈った。
わずか14カ月後に6000株以上の苗木を寄贈できた
ことについて、
東洋美術史学者のジョン・カーター・コベル博士
(1910-96)は生前
「日本が2度目に贈った新たな品種のサクラは
 済州島で採集したもので、
 虫に食われて枯れた日本採集のサクラとは違って
 生命力が強く、米国の風土で生き残ると思った」

と指摘した。

 これと関連し、李承晩(イ・スンマン)元大統領は
米国に滞在していたころ、ワシントンのアメリカン大学
済州島のソメイヨシノの植樹行事を行い、
「日本産」となっているサクラの説明を
「韓国産」に変えるよう米国政府に要請した。


 ワシントンの韓国文化院の庭園には
トルハルバン(済州島独特の石像)が置かれているが、
建物の前にムクゲを植え、トルハルバンの横に
同じ済州島のソメイヨシノを植えれば良いとの意見もある。

 在米ジャーナリストのムン・ギソンさんは
「しばらく前に大使館通りへ行ったとき、
 日本大使館にはサクラの木が列をなして植えられていたが、
 韓国大使館ではムクゲが見当たらなかった。
 われわれのサクラが
 日本の木とされていることも悔しい
が、
 国花のムクゲに対し相応の扱いをしていないようで
 苦々しく思った」
と話した。


ニューヨーク=ノ・チャンヒョン特派員



相変わらず・・・キムチの悪い人達だわ・・・
サクラの原産地は済州島の漢拏山で、
 江戸時代に日本に本格的に広まった
 というのが定説とされている。


関連記事
★益々醜悪化する韓国の
 「ワシントンの桜」強奪工作

 韓流研究室 2014-04-16
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-3004.html


★韓国、官民総出で
 「ワシントンの桜」をウリナラ起源にするnida!

 韓流研究室 2014/04/08
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2995.html


★韓国妄想
 「いつか桜も独島も中国の間島も、
  全部韓国のものと
  世界が認める日が来るだろう」

 韓流研究室 2014.03.11
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2967.html



自国の国花に制定している、ご自慢の「ムクゲ」は
自分達で粗雑な扱いをしているクセに
われわれのサクラが
 日本の木とされていることも悔しい
とは・・・
愚かにも程が有る!

★国花ムクゲ
 何故こういう扱いを
 受けなければならないのか

 慶南日報(韓国語)  2011/06/09(木)
 http://2ch-news2.doorblog.jp/archives/51932854.html
大韓民国の国花ムクゲが災難にあっている。
一部地域ではまともに管理もされず放置されている。
全体的な栽培率も減り、関連事業推進予算も減った。
ムクゲの日指定など関連法制定も延期されている。

国花ムクゲに対する認識が次第に希薄になり、
今後幼い学生はムクゲが国花という事実さえ
知らなくなる憂慮が高まっている。
学生たちの歴史意識の中からムクゲは
ほとんど忘れ去られているのだ。
小学校の課程でもムクゲの教育は消えてから長い。
我が国の花、すなわち国花について
私たちはとても無関心になった
が、
ムクゲの季節を控えて自嘲的な反省をしてみよう。

2002年に発議された‘国花法’が1
6代国会会期で自動廃棄された記憶がある。
現在も18代国会にかけられている‘国花関連法’は
全4件あり、そのうち2件が‘国花’を直接扱い、
残り2件は国花を含んだ‘国花象徴’に関する法律だ。
国花象徴には
国花とともに国旗、国家、国璽、文章などが該当し、
これを統合的に管理しようという内容であるから
その範囲と意義が全く異なる。
ムクゲを国家ブランドに
育成するためには

何より独立した国花法制定が必要だ。

歴史的にムクゲは日帝時代の時、
多くの圧迫と歪曲を受けた。

今でも関連予算まで減少し官公庁や家庭などから
ムクゲ栽培率が1980年代以後40%以下に落ちた後、
去る2年間、多様な普及運動を通じて70%まで
引き上げたが、
最近1980年代水準にまた落ちた。
「ムクゲは病虫害に弱い」、
「アブラムシがたくさんつく」、
「吹き出ものがたくさんできる」等の
誤った意識のせいで敬遠され、
さらに速い速度で減少している。

ムクゲは厳格な国花であるのに、
まだムクゲ関連法制定すらできない
恥ずかしい境遇に置かれ、
それなりに残った数種も外来種に変わって
対策作りが至急だ指摘されている。

桜の花ばかりたくさん植えるのではなく
国花の植栽と更新運動を大々的に
広げなければならない。
国花ムクゲが
なぜこういう扱いを受けるのか、
国民みんなが深く考えてみなければならない。


(引用ここまで)



★ムクゲの花が咲いている
 ~日帝の悪巧みを越え、
 いつも私たちのそばにあって
 希望と勇気を与えてくれた

 嶺南(ヨンナム)日報 (韓国語) 2014年07月26日
 http://www.yeongnam.com/mnews/newsview.do?mode=newsView&newskey=20140726.010230742400001
 http://bororon.doorblog.jp/archives/39324471.html
7月の強烈な太陽の光の中、夏の気を
いっぱい受けた我が国の国花ムクゲが
美しい花のつぼみをパッと開いている。
ムクゲは高さ2~4メートルまで育つ落葉潅木で、
花は7月から咲き始めて光復節前後にたけなわ
となって初秋まで続く。
そのためか一本の木で何と3千余輪まで花を
咲かせるという。

ムクゲは古くから私たちと生活を共にしてきた。
最も古い記録は中国春秋戦国時代の地理書
「山海経」に我が国に薫華草(フンファジョ、ムクゲ)が
あると記されている。
(訳注:山海経には「君子国」に朝に生えて、
 夕には枯れてしまう薫華草という植物がある
 と記載されている。
 韓国では山海経の君子国を古朝鮮、薫華草を
 無窮花(むくげ)に比定している。)

日帝強制占領期、日本は私たち民族の象徴である
ムクゲを私たちの民族から引き離すため、
様々な悪巧みを企てた。

ムクゲを見るだけで眼病になり、手に触れるとおできが
できるとデマを広めたのはもちろん、
燃やして選択的に無くすようにした。

このような中でも、ムクゲは民族が大変な時、国難の時、
いつも私たちのそばにあって希望と勇気を与えた。

だが、ムクゲに対する愛が昔と違う。
我が国を代表する花祭りのタイトルを
桜の花祭りに渡して久しい。
済州道(チェジュド)からソウルまで、
桜の開花期に合わせて開かれる大小の桜祭りが
50を越えるという。
済州(チェジュ)王桜祭り、花開市場(ファゲジャント)桜祭り、
鎮海(チンへ)軍港祭、 金堤(キムジェ)母岳山(モアクサン)
祭り、ソウル永登浦(ヨンドンポ)、汝矣島(ヨイド)春の花祭り、
松坡区(ソンパグ)石村(ソクチョン)湖水桜祭り、
江原道(カンウォンド)鏡浦台(キョンポデ)桜祭り
などだ。

私たちの地域も例外ではない。
八公山(パルゴンサン)桜祭り、慶州桜祭りなどがある。
ところがムクゲ祭りは手で数えるほどだ。
浦項(ポハン)箕青山植物園のムクゲ祭り、
京幾(キョンギ)晨静樹木園ムクゲ祭り、
江原(カンウォン)洪川(ホンチョン)国花ムクゲ祭り
などがある。
桜祭りに比べればあまりに少ない。

花や祭り自体の良し悪しを論じようとは思わない。
ただしムクゲが国民に
もう少し身近に感じられるように、
何か変えた方がよくはないかと思う。
‘花中の花、ムクゲの花、三千万の胸に/咲いたよ
 咲いたよ永遠に咲いたよ’
(訳注:ムクゲは無窮花と書き、永遠に咲くとされる)
という大衆歌謡の歌詞のように
ムクゲが国民一人一人の胸に一輪ずつ
美しく咲くことを期待してみる。

イ・ジヨン写真部長



ま~~た、平気でを付く・・・
日韓併合時代に朝鮮総督府が、半島の教科書で
「サイタ サイタ サクラガサイタ」などと
教えたから、国民の花ムクゲに無関心になった?

岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センターでは
理科の教育研究において、こんな研究がされていた。

★日本人にとってのサクラ教材と
 韓国のムクゲ教材

 井上雅夫
 (1998年1月5日受理)
 http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/450/1/jcer-v8p17-29.pdf
Ⅰ韓国.朝鮮人にとってのサクラ
李淑子は,かつての朝鮮の初等教科書に登場した
サクラを国家主義的語彙の一つととらえる。
巻三第三課は「ウメとサクラ」と題しているが,
朝鮮総督府編纂の教科書
(普通学校国語読本」1912-15年発行)に
桜の花が出てくるのはこれが初めてである。
この時はさし絵も梅の花と一緒だが,後には桜の花だけ
となり,日本の国花として,いわゆる「国民性の滴養」
に役立てられるようになった。
なお,朝鮮にあまりなかった桜は,教材としてだけでなく,
実際に朝鮮人子弟の学校のまわりにも植えられて,
より一層「国民性の面責」に役立てられたが、
解放と同時に伐採されることが多かった。
この課には,次のような文が記されている。
ワガ 日本 ノ サクラ ホド キレイナ ノ ハ、ホカ ノ クニ ニハ
アリマセン。
朝鮮 ニハ、サクラ ヤ ウメ ハ、タクサン アリマセン。
ケレドモ 内地ニハ、タイティ ドコ ニモ アリマス。 1)
こうしてサクラが登場する一方で
朝鮮の教科書からムクゲが姿を消した。
サクラとムクゲは開花時期が違うのだから,サクラを以て
ムタグに代えたのではない。
ムクゲを抹殺したのである。だから,解放(1945年)後に
韓国で『初等国語読本』を作成することになり,
教材内容の選択基準の一つとして
「我が国の国民精神を昂揚させるようなもの」が
朝鮮語学会によって示された時,国旗の太極旗と国花の
無窮花は,「国民精神の昂揚」のために,まず最初に
教科書に入れられなけれぼならない教材であった。2)
のである。

Ⅱ 日本人とサクラ
かつて朝鮮人がサクラを日本の国家主義のシンボルと
とらえたことは,日本側の資料でも肯定できる。
たとえば,中塚明はサクラを日本人の天皇への忠誠の
象徴ととらえている。
サイタ サイタ サクラ ガ サイタ
小学校一年生の,まあたらしい国語の教科書の
第一ページが,「サクラ」ではじまるようになったのは,
「満州事変」の起こった翌々年の1933(昭和8)年から
である。
(中略)
Ⅲ 韓国・朝鮮人にとってのムクゲ
中塚明はムクゲについてつぎのように述べる。
桜が日本の花であるように,木堪は朝鮮の花である。
(中略)
ところで,木模とはどんな花か。
われわれ日本人はあまりよく知らない。

木櫨は夏から秋にかけて,うすむらさき,うすべに,しろ,
などの一重か八重の花をつける潅木である。
ちょうど桜が日本人にしたしまれ,日本の国花とされて
きたように,木橿は朝鮮で,はやくから人びとにめでられ,
夏ともなれば,家いえの垣根にいっぱい花をつけた。
しかし,木穫はそれほどきれいな花ではない。
美しいのがこの花の特色ではないのだ。
朝、露をふくんで咲いたのがしぼめば,ほかの蕾が
かわって咲き,これが晩に生気を失えばまた咲き,
しぼんでは咲き,しおれてはまた咲き,
ひたすら咲きつづけるのが,この花の特色である。
一夜の嵐に,ばっと散る桜とは対照的である。
(中略)
朝鮮が植民地にされてからは,
木橿は満足に咲くこともむずかしくなった。
いたるところで切りたおされ,たきぎにされてしまった。
「無窮花」の由来を書いた新聞は発行を禁じられた。

(引用ここまで)


中塚明氏の1969年発行の
【近代日本と朝鮮】三省堂を
1次資料とした研究論文だ。

木槿は、
11世紀末~12世紀頃に成立した辞書・類聚名義抄には
「木波知須(きはちす)」と記載されている。
日本での古名は、木波知須岐波智須
万葉集では秋の七草のひとつとして登場する
朝貌(あさがお)がムクゲのことを指しているという
説もあるというが、

★万葉の花の語源について
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/manyo-ethno.htm
(略)
万葉集中の「安佐我保」、「朝皃」、「朝容皃」は、
キキョウのことを指すと考えられている。
“あさがほ”は朝にきれいな花を咲かせる植物に対して
与えられた名前のようで、平安時代に中国から渡来した
アサガオにその地位を譲り、中国名の桔梗と名を変えた
のである。一
時はムクゲも“あさがほ”と呼ばれた時期があった
ともいわれる。
(中略)
もっとも胡散臭いのは朝鮮語起源説である。
日本にない植物であって朝鮮半島原産であれば
朝鮮語に由来しても不思議はない。
しかし、朝鮮では歴史的に花卉園芸の発達は未熟であり、
また同じ植物区系(日華区系)に属し生物多様性も
日本列島と比べるとずっと貧弱であるから、
朝鮮から日本へ渡来した植物はきわめて限られている。
(中略)
韓国の国花であるムクゲHibiscus syriacusは
意外なことに中国原産であって
漢名を「木槿(もっきん)」という。
ムクゲは日本でも広く植栽されるが、中国からではなく
朝鮮半島を経て渡来したため朝鮮語名である
「無窮花」が伝わった。
ムクゲは無窮花の日本式読みである「ムキュウゲ」
が訛ったものであり、
朝鮮語音の「ムグンファ」から転じたものではない。
このように列記とした朝鮮由来の植物でも名前は
漢字名(ハングルはごく近世に普及した)で伝わるので、
語源は必ずしも朝鮮語音に由来する訳ではないのである。
日本に自生しない植物ならともかく、自生種の名前まで
朝鮮語由来とする説があるには閉口する。
(引用ここまで)


中塚明とは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A1%9A%E6%98%8E
「九条科学者の会」呼びかけ人
奈良県歴史教育者協議会会長、
非核の政府を求める奈良の会常任世話人
を務める奈良女子大学名誉教授である。

京都大学文学部史学科国史学を専攻しながら
随分と教養のない御仁だわ・・・。

中塚教授は、
宗旦木槿を知らなかったのか?
 soutanmukuge.png

利休の孫、千家3代目千宗旦
茶花として好んだことから
一重の底紅白花の木槿を
『宗旦木槿』『底紅』と呼んだ。
 so1343638871.jpg

因みに、
江戸時代初期の大名茶人・小堀遠州が好んだ白い木槿は
【遠州木槿】と呼ばれた。
近江藩主・小堀遠州が好んだ『遠州木槿』は、
薩摩では『薩摩白木槿』と呼ばれ、
京都では『祇園守り』と呼ばれる木槿の品種は、
東京では『大徳寺』と呼ばれているそうだ。
http://www.omotesenke.jp/chanoyu/7_1_12d.html

京都の老舗【老松】さんの上生菓子
 (明治42年創業)
 soutan02200165_0800060012153493659.jpg
 銘:宗旦木槿


上野の老舗【うさぎや】の上生菓子
 (大正2年創業)
 soutanaloha201293.jpg
 銘:木槿 

近江八幡の老舗【たねや】の上生菓子
 (明治5年創業)
 soutan20140728_895226.jpg
 銘:そこ紅

木槿は、
冬の椿に対して、夏の木槿と云われるほど 
椿と並ぶ茶花の雄なのだ。

http://numajiri.jugem.jp/?eid=242
●文化の中でのムクゲ

八坂神社の粽(ちまき)の御守りの代用の花、
御茶事の花、生け花として、
もとは源氏の武士の間で、
今では一般に広く栽培されている。
儒教や道教では、帝舜の名前に使われ
徳を象徴する花としてあつかわれ
、仏教では「一切空」の概念を表す「シュニャータ」
(サンスクリット)を「舜若多」と書くことから、
仏法を象徴する花とも考えられてきた。
白楽天の詩の一節は
「槿花一日自成栄」(槿花は一日で自から栄を成す;
仏法があっというまにひろがったことを指す)であって、
「槿花一日の栄」ではない。


● 薬用植物でもあるムクゲ
・樹皮を乾燥したものは木槿皮(もくきんぴ)、
 槿皮(チンピ)という生薬である。
 抗菌作用があり胃腸薬や水虫など皮膚炎の薬に
 配合される。

・花を乾燥したものは木槿花(もくきんか)、
 槿花(チンファ)という生薬である。
 皮膚炎、胃腸炎、下痢止め等に用いる。



長くなってしまったが、
朝鮮総督府が、朝鮮民族の花である木槿を
抹殺しようと思ったのであれば
中国名である「木槿」の漢字の読み方を、
朝鮮名である「無窮花」の”ムクゲ”になんかしない。
松尾芭蕉の俳句のように、そのまま「木槿」は
「もくきん」と読めばよい。

ましてや、
漢方薬としての効能が知られているのなら
日帝の悪巧みとやらの
ムクゲを見るだけで眼病になり、
 手に触れるとおできができるとデマ
を、
朝鮮民族が簡単に信じたのだとしたら・・・
チャングムのような漢方医が存在しないか
李王家や両班のみの医学でしかなかった事になる。

日韓併合時代も、朝鮮人経営の漢方薬局が
営業していたのですがねぇ・・・

そもそも、教科書に「サクラ」の記述が有って
「ムクゲ」を教えなかった事が、抹殺理由というが
李氏朝鮮時代や大韓帝国時代に
「ムクゲ」について記述された小学生レベルの
教科書が存在していたのかい????

9条の会発起人の一人、中塚明氏は
朝鮮総督府が、教科書に日本の「サクラ」を記述し
朝鮮の国花「ムクゲ」を抹殺したと言うが・・・

★国民学校初等科
 第1学年教科書:「ヨミカタ」
 
 http://tsus32.fc2web.com/Book01/arc_photo04.html
 kyoukasyo.jpg

 1941.3.1に公布された国民学校令において、
小学校が国民学校に改称され
初等科第1学年の国語の教科書も
「サイタ サイタ サクラガ サイタ」から、
「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」
(通称「アサヒ読本」)に変わった。
「サクラ」が「アサヒ」に変わったのは、
共通の教科書を使うことになった
朝鮮、台湾、満州(春にサクラが咲かない)
に対する配慮だったという説がある。



★日本統治時代の朝鮮の教科書
 http://www.nipponwomamorukai.jp/syutyou/harihara_takayuki/nihontoutijidai_no_tyousennokyoukasyo.html




日本の染井吉野にストーキングしていないで
その、”誇らしい民族の花”とやらを
もっともっと愛してあげればよいものを・・・



政治 ブログランキングへ
スポンサーサイト

Comments 0

Leave a reply