靖国に祀られない看護婦たち~従軍看護婦の悲壮なる自決

”さくらの花びらの
 「日本人よ、誇りを持とう」”
さんより
転載させていただきます。

★靖国に祀られない看護婦たち
 2014/8/4(月)
 
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/32903892.html#32903892
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昭和21年の春、満州はソ連軍に占領され、
新京の第八病院に勤務を命じられた
服務中の看護婦に対し、城子溝にある
ソ連陸軍病院・第二赤軍救護所から
3名の看護婦を応援によこせという命令が届きました。
期間は1カ月ということだったので、
優秀な3名の看護婦を選んで派遣しました。

ところが1ケ月が過ぎても
看護婦は帰ってこないばかりか、さらに3名、
また1カ月経って3名と要求されたのです。
帰すという約束を守らないソ連軍のやり方に
憤りを感じながらも、占領軍の命令とあれば
致し方ないと、計9名を派遣しました。

4回目の命令で渋々ながら選考を終えた6月19日、
最初に派遣された看護婦の一人が
全身血まみれになって帰って来ました。

息も絶え絶え婦長に語るには、
私たちはソ連の病院に
 看護婦として行ったのに、
 看護婦としての仕事はさせてもらえず、
 行ったその日からソ連軍将校に犯され
 慰み者にされました。
 それも次から次へとソ連兵の”性奴隷”とされ、
 彼らの言動から同僚たちが次々と送られてくる
 ことを知って、居ても立ってもいられなくなり、
 鉄条網で皮膚が割かれるのも、
 歩哨に銃で撃たれるのもいとわず、
 命懸けで報告に帰って来ました

と言い、最後に
「婦長さん、もう人を送ってはなりません」

と言って、ついに息絶えました。

その翌日、満州のしきたりに従って土葬とし、
髪の毛と爪を遺骨代わりに箱に納めて、
故人には懐かしい看護婦室に安置し、
花と水を供えて、残った看護婦達と夜遅くまで
思い出話をしていました。

ところが翌日の朝9時を過ぎても看護婦が
誰も出勤してこないので、
婦長さんが看護婦室に入ってみたところ、
22名の看護婦全員が制服制帽を付けて、
一人一人遺書を残して亡くなっていました。


 遺 書

二十二名の私たちが自分の手で命を断ちますこと 
軍医部長はじめ婦長にもさぞかし御迷惑と
深くお詫び申し上げます。

私たちは敗れたりとは云え
かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。

たとえ命はなくなっても 魂は永久に満州の地に留まり 

日本が再びこの地に還って来る時、ご案内致します。

昭和21年6月21日 散華

旧満州新京(現長春) 通化路第八紅軍病院

荒川さつき 大島花枝 川端しづ 相楽みさえ 
澤本かなえ 杉まり子  垂水よし子 林千代 
細川たか子 吉川芳子 池本公代 稲川よしみ 
大塚てる 五戸久 澤口一子 三戸はるみ 
杉永はる 中村三好 林律子  森本千代 渡部静子 
石川貞子 井上つるみ 柿沼昌子 沢口千恵子 
沢田八重 柴田ちよ 田村馨 服部律子 
古内喜美子 山崎とき子



後の情報で、
ソ連軍の将校に犯された看護婦たちは皆、
国際梅毒に罹患していたことが判明しました。

その後、ソ連軍は引き揚げて、
新京は支那の八路軍の支配下に入り、
昭和23年9月に帰国命令が出て、
堀喜身子婦長は幼い子供二人と報告のため
逃げ帰って亡くなった1名を含めた
23名の御遺骨とともに、やっとの思いで帰国しました。

御遺骨はご主人の菩提寺である
山口県徳山市のお寺に預かってもらいました。
喜身子婦長は母親の住む北海道帯広市の
病院で働き、後には静岡県清水市の病院で
看護婦として働きました。
喜身子婦長の願いは、連れて帰った23名の
御遺骨を顕彰するために地蔵菩提をつくりたい
ということでした。

昭和27年、埼玉県大宮市に財団法人青葉園
という公園墓地が出来ました。
この開設者は元陸軍大尉で、山下奉文大将の
副官をしていた吉田亀治さんです。
園内には山下大将の墓が設けられたり、
青葉神社が建立されました。

ちょうど同じ頃、浪曲師の松岡寛が週刊誌に
「22名の日赤看護婦の集団自決」
の話が載っていることを知って感激し、
喜身子さんを探し当て、意気投合し、
浪曲師として残りの半生を集団自決の
日赤看護婦の語り部として過ごすことを決意し、
公演を続ける中に、時には遺族が名乗り出て
御遺骨の一部を返すことも出来ました。

大宮での一座の公演で、吉田亀治理事長は
二人から話を聞いて、直ちに彼女たちのために
地蔵菩提をつくることを決意し、
「青葉慈蔵尊」という若くして散った乙女らを
弔うにふさわしい名がつけられました。

~転載終了~

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★日本人従軍看護婦たちの死
 ー抗議の自殺

 【声なき声語り継ぎ】
 戦没者遺族の50年 第5部 抗議の自殺

 http://hogetest.exblog.jp/5650131/
(略)
その夜、
ソ連軍の要請で軍の救護所へ仲間六人と
“応援”に行っていた大島はなえ看護婦(二二)が、
十一発もの銃創を受けながら一人逃げ帰り、
救護所の実態を伝えて息を引き取った。

「日本人看護婦の仕事は
 ソ連将校の慰安婦。
 もう人を送ってはいけません」


大島さんの血みどろの姿に、
喜身子さんはぼうぜんとし、涙も出なかった。
「ロシア人は日本人を人間とすら扱わないのか…」

だが、悪夢はその翌朝も待っていた。

二十一日月曜日午前九時すぎ、
病院の門をくぐった喜身子さんは、
病院の人事課長、張宇孝さんに日本語でしかられた。

「患者は来ているのに、看護婦は一人も来ない。
 婦長のしつけが悪い」

「そんなはずはありません。見てきます」

胸騒ぎがして、
看護婦の大部屋がある三階に駆け上がった。
ドアをノックしても返事はない。
中へ飛び込むと、たたきには靴がきちんとそろえてあった。

線香が霧のように漂う暗い部屋に、
二十二人の看護婦が二列に並んで横たわっていた。
満州赤十字の制服姿で胸に手を当て、
眠っているようだった。
寝乱れないよう、両太ももを包帯や腰ひもで縛っていた。


「死んでいる…」。
満州赤十字の看護婦は終戦時、軍医から
致死量の青酸カリをもらい、制帽のリボン裏に
隠し持っていた。
机上には、二十二人連名の遺書が残されていた。

〈私たちは敗れたりとはいえ、
 かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます〉


これにはソ連側も驚き、翌日には
「日本女性とソ連兵は、ジープその他の車に
 同乗してはいけない」など綱紀粛正の通達を出す。

命と引き換えにした抗議の、ささやかな代償だった。

一方、病院からは小さな花束が一つ贈られただけ。
葬儀資金にも困ったが、張さんが
「火葬、分骨して故郷の両親に届けてあげなさい」と、
一人当たり当時の金額で千円もする火葬代を払ってくれた。

葬儀を済ませ、四十九日を迎えたころ、
喜身子さんは、いまだ帰らない看護婦たちが、
ダンサーをしているとうわさに聞き、
そのダンスホールへ向かった。

名前を告げ入り口で待つと、五人が現れた。
肌もあらわなイブニングドレスに濃いルージュ。い
かにもダンサー然としているが、
青ざめた顔はまるで病人のよう。

「こんな所にいないで、早く帰ってきて」

喜身子さんは説得するが、五人は首を横に振るばかり。
ついカッとなり、
「好きでこんなことをやっているの。
 そこまで堕落したの」とひっぱたいた。

すると、彼女たちは涙を浮かべ、決意を語り始めた。

「私たちはソ連の救護所で
 毎晩七、八人の将校に暴行され、
 すぐに梅毒をうつされてしまいました。
 どうしてこの体で帰れましょうか。
 今は一人でも多くの客をとり、
 この性病をソ連兵にうつして苦しめたい」


喜身子さんは翌日、薬を手に再び訪ねた。
が、看護婦である彼女たちは、
自分の症状が治るものではないと知っており、
受け取りも拒んだ。

二年あまり過ぎた二十三年十一月、
喜身子さんらが日本へ引き揚げるとき、
五人は稼いだお金を駅まで持ってきた。
「旅費にしてください」と無理やり渡し、
話も交わさずに去った。
そのうち三人はピストルで自殺したという。

(全文はリンク先で)


■青葉慈蔵尊由来記■
 http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/aoba.htm
あなたは知っていますか。

赤十字看護婦として従軍し、
終戦後に異境の地満州で悲しくも壮絶な
自決を遂げた大和撫子たちのことを。

何故に、若き乙女たちは死を選んだのかを。
何故に、この慈蔵尊が建立されたのかを。


(続きはリンク先で)

★公益財団法人 青葉園
 http://www.aobaen.or.jp/ 

 〒331-0052 埼玉県さいたま市西区三橋5-1505
 TEL.048-623-2111 FAX.048-623-2112

 開園時間 管理事務所 9:00〜17:00
 公園墓地 4〜10月 7:30〜18:30、11〜3月 7:30〜17:30
 年中無休 ※管理事務所は12/29〜1/3まで定休

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★従軍看護婦
 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-kango.htm


★戦地に捧げた青春
 元日赤従軍看護婦の証言1

 http://www.jiji.com/jc/v4?id=jrcnurse0001


★戦地に捧げた青春
 元日赤従軍看護婦の証言2

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 http://www.jiji.com/jc/v4?id=1308jrc0001


★鎮魂の日赤従軍看護婦
 (日赤救護看護婦)と
 臨時寿軍看護婦

 http://cb1100f.b10.coreserver.jp/redcross_jilyugunkangofu.html



★従軍看護婦たちの大東亜戦争
 ―私たちは何を見たか

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 http://www.amazon.co.jp/%E5%BE%93%E8%BB%8D%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E5%A9%A6%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E2%80%95%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%9F%E3%81%8B-NON-SELECT-%E3%80%8E%E5%BE%93%E8%BB%8D%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E5%A9%A6%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%8F%E5%88%8A%E8%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/4396500947
こちらの本の前半にも、ソ連兵に拉致されていく
若き従軍慰安婦達の悲壮な体験が記載されています。
トラックでやって来たソ連兵に、
無理矢理連れて行かれる従軍看護婦達。
命懸けで脱走し、ソ連兵の蛮行を伝えて息絶えた
看護婦の悲惨な最期を・・・


★台湾人従軍看護婦追想記
 ―すみれの花が咲いた頃―
 陳 恵美 著
 http://tendensha.co.jp/asia/asia201.html

★台湾人従軍看護助手と日本人軍医
 ―広東第二陸軍病院の絆は今も―

 洪林幸・伊丹康人 著
 http://tendensha.co.jp/asia/asia290.html




★【伊波苗子】元従軍看護婦の証言
 ・第32軍司令部壕の真実

 http://www.youtube.com/watch?v=8wUmR4bO_gQ
 
  
沖縄の敗戦利得者たちが画策している
「第32軍司令部壕」に関する説明板設置。
この内­容は、英霊たちがあたかも
従軍慰安婦と乱交を繰り広げ、付近の住民を
スパイ容疑で多数­殺害したかのような印象を与える
卑劣極まりないものであり、
なにより歴史的事実に完全­に反する
反日プロパガンダである。

従軍看護婦として第32軍司令部壕で奉仕し、
牛島中­将が自決されるまでを見届けた伊波苗子氏に、
英霊達の真実の姿をお話しいただきます。

「今、嘘付いてる人は
 天罰があたるよ!」





★ミャンマー
 ピンウーリン滞在記

 2013年6月~7月
 http://park.geocities.jp/takahashijikemati/myanmar2013/myanmaer2013.html
■滞在地ピンウーリン(Pyin Oo Lwin) 
 旧名メイヨーについて


 日本人にとっても忘れてはならない町でもある。
大東亜戦争当時、最も悲惨な戦いを強いられた
インパール作戦(参加兵力85,600名、内3万人の
戦死者行方不明者)の司令本部が置かれていたところである。
その頃の名残があちこちに残っている。

この地に陸軍病院があった。
多くの傷ついた兵士が運ばれてきてここで亡くなった。
多くの従軍看護婦も亡くなった。


(中略)
宿泊しているホテル
Royal Park View Hotelのレストランの壁に
掲示されている写真
CIMG30951.jpgCIMG30961.jpg
インパール作戦の,あの第15軍司令官牟田口廉也(中央)と
前列左から柳田33師団長、松山 牟田口 田中 佐藤31師団長などと
写真の下の説明書きに記されている。

 ホテルのマネージャーに何故この写真が
飾ってあるのかと聞いたところ、
宿泊する日本人のため
という答えが返ってきた。
私たちはこの写真には感じるところ大いにあり。
ヨーロッパ人も
「何故イギリスではなくこの日本人の写真?」
と聞くそうです。
世界広しと言えど日本以外で日本軍人の写真を
レストランに飾る国が有るでしょうか。

(日本人がこの写真を見て、喜ぶというより、
 とても複雑な気持ちになるのでは?)
大東亜戦争当時ビルマで戦った日本兵士の話では、
当時のビルマ人は敗走する日本の兵士を助けたり、
戦争が終わって収容所の兵士に食料を差し入れたり
してくれたりして、とても親切だったそうです。

(引用ここまで)



日本人だと自称する人達の中には、
「戦争と女性の人権」と謳いながら活動し
従軍慰安婦については熱心に活動するのに
自国女性に襲った悲劇、
二日町保養所や満州居留地で起きた女性達の
屈辱は一斉語ろうとはしません。
このような事実を研究しようとする学者どころか
サヨク団体によって、
日本人の記録から消し去ろうとでもするかのようです。

★お似合いの夫婦 
 共産党・笠井亮

 反日はどこからくるの
 http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/36908586.html
 


慰安婦問題が
女性としての尊厳を踏みにじられた
ことが問題であるならば、
同じく、女性としての尊厳を踏みにじられた
日本の女性達は、
何故、闇に葬り去られるのでしょう・・・


ソ連兵の”性奴隷”とされた
日赤従軍看護婦達や、満州居留区の婦女子
GHQに性暴行された多くの日本人女性達は
歴史から消し去られてしまって良いのでしょうか?

あの戦争で、本当は何が起きたのかを
きちんと検証する事を
【歴史修正主義】と非難される。
戦勝国のイギリスやアメリカの歴史学者やメディアが
自分達の創った【戦後史】を、敗戦国が修正する事は
絶対に許さない!というのは、まだ理解できます。
ただね・・・
日頃、反米的な思想の反日社会主義者たちもが
歴史修正主義は許されない!
などと火病の如く喚き騒ぐ様はいかがなモンでしょう?




★『皇后宮美智子さま 祈りの御歌』 
 竹本 忠雄

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1129.html

 語らざる 悲しみもてる 人あらん
 母国は青き 梅実る頃


これは皇后美智子様が
≪旅の日に≫と題して平成十年にお読みになった
御歌(みうた)で、宮内庁によって
次のような註が付けられています。

「英国で元捕囚の激しい抗議を受けた折、
 『虜囚』となったわが国の人々の上を
 思われて読まれた御歌」
と。

平成十年5月26日、
両陛下のお乗りになった馬車がバッキンガム宮殿に
向かう途中、イギリス人の下捕虜たちが
「背向け」行為という非礼をあえてしました。
このことから皇后様は、
「敗れたるゆえに、去る対戦時、
 虜囚となったわが国人は、
 悲しみも語りもしえず、
 いかに耐えていることであろう」

とご心情をお寄せになりました。

この御歌を初めて新聞紙上で拝見したとき、
私はひじょうに大きな感動に打たれました。
皇后様のようなお立場の方が、これほどの透明な抒情と
憂国の至情を併せてお示しになるとは
思いもよらなかったからです。
しかも、
ご自身の内面の世界を詠われた「上の句」と、
自然を捉えた「下の句」が見事に調和し、
その明転とでも申しましょうか、
闇から光に視線を転じるかのような、
えも言われぬ美しさに
心底魅了されたのです。

(詳細は、リンク先で)



  DSC023231.jpg
 http://www.geocities.jp/bane2161/12rikugunbyouin.htm
比島戦没
従軍看護婦之碑

(フィリピン共和国ルソン島バグサンハン・比島寺)

横浜市 岩崎秋子
昭和63年10月9日建立

私の伯父、一郎さんもフィリピンで戦死しました。
父の百か日法要の際に、
気丈な伯母(89歳)から、
きちんと当時の事を聞いておこうと、
一郎さんの遺影の前で親戚中集まって話を聞きました。
まだ21歳の、少年の面影を残す出征時の遺影・・・

激戦地で、一郎さんの部隊から生還できたのは
3人だけだったそうです。その中のお1人が
戦後、部隊の仲間の家を一軒一軒回って歩き
一郎さんの亡くなった様子を話し
一郎さんから預かった遺品を届けて下さったそうです。
一郎さんから預かった遺品とは、
一緒に入隊した「大島君」という幼馴染の写真でした。
ジャングルで、水も食料もなく、病気が蔓延した中で
飢えて亡くなった大島君と約束をしたのだそうです。
「僕のこの写真を、母さんに届けてくれ・・・」と。

一郎さんは、
息を引き取る最期の最期まで懇願したそうです。
「この写真を、大島君の家族に・・・・」

残念ながら、この「大島君」のご家族は
B29の大空襲で、皆さん亡くなっていたそうです。
実家にある一郎さんの遺影を入れた額には、
ご家族に渡すことが出来なかった「大島君」の写真も
一緒に入れてあります。
祖父母は、戦死した息子と一緒に大島君も祀り
毎日毎日、手を合わせ続けていたそうです。
戦地で、友人との約束を果たせなかった一郎さんの
無念の魂を鎮めるために・・・ 

自称極右芸人が、ロフトプラスワンなどで
「戦後生まれの傷痍軍人」と言いながら
嗤いのネタにしている・・・
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居島一平(大本営八俵)
オフィス北野所属、
通りがかりの右翼、戦後生まれの傷痍軍人
http://ameblo.jp/violentsaturday784/day-20110508.html
2003年ごろから、浴衣に旧帝国陸軍の軍帽を被り、
サングラス姿で絶叫する軍国漫談をしているらしい。
芸風は右翼的な言動や事件・時事問題などを絡めた
過激な発言や行動が多く、
「大日本帝国万歳」のパフォーマンスを入れるのが
最近の定番だとか・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E7%B2%92%E5%86%99%E7%B5%8C

祖母が生きていたら、
どんなに心を痛めただろう・・・
どんなに悲しんだだろう・・・


昨今、サヨク仲間との活動にやたらご熱心な
一水会顧問鈴木邦男
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 http://kunyon.com/shucho/120305.html 

この、自称極右芸人を 
"右翼よりも右翼"と言ったそうだが・・・
今の日本は、狂っている・・・
  


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【辛坊治郎 テレビで朝日新聞糾弾!】

■2014/08/5 朝日新聞 朝刊 慰安婦 捏造認める

【辛坊治郎 テレビで朝日新聞糾弾!】

【永久保存高画質版】
https://www.youtube.com/watch?v=jELH5Am-QJ4
https://www.youtube.com/watch?v=6R2I1HVATqU

■読者のみなさまへ

吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。
済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。
研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

http://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html

画像
http://i.imgur.com/QIrJ4EO.jpg
ttp://i.imgur.com/esUGWi3.jpg
ttp://i.imgur.com/8NHkTFJ.jpg
ttp://i.imgur.com/RB7XBSS.jpg
http://i.imgur.com/icrOHyv.jpg
http://megalodon.jp/2014-0805-0902-58/www.asahi.com/articles/ASG7M01HKG7LUTIL067.html

反日は反省が足りない

人道主義を叫ぶやつほど、日本女性の誇りや人命を無視する
もちろん、隠された歴史を掘り起こすこともしない
歪んだ歴史をアイコン化するから、あとはそれを先鋭化するだけ

朝日は、大衆を煽動して儲けるだけの拝金の自称インテリ
どうしても読みたい人は、朝日のフィルタの向こうも見通そう
それが面倒なら、購読する価値などまったくない

サヨクの歴史解釈の脳の回路は69年前でピッタリ止まっている。
1945.8~2014年までの歴史は以下↓ のように緘口令で封じる必要があるらしい。
☆特殊慰安婦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%96%BD%E8%A8%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A
 
彼らの歴史解釈は、自国の蛮行は皆、’日本による蛮行’論者ですから。
「彼らは昔も今も相変わらない」のです。

実際、”wiki” で「日本 戦争犯罪」を検索してみても、
具体例(陵辱・虐殺が何件)さえ明記されていない。
それどころか、米中韓の説では、~~などと、
イチャモンを付け犠牲者数さえ明記されていない。 
逆に、「○○国 戦争犯罪」で検索すると、
犠牲者の人数などがしっかりと明記してある。

通しで歴史を見ない→ 他国に転嫁・賠償請求って、
いつまで演技するのやら・・・



プロフィール

あや

  • Author:あや
  • 韓流に嵌った母と義母の為に
    韓国情報を調べていたら・・・
    韓流ブームに仕掛けられた
    怪しい罠に気付いてしまった。
    韓流の闇と、利権や陰謀
    仕掛け人を徹底研究!
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