韓流研究室

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「強制連行」という魔術語、首都大学東京特任教授・鄭大均

★「強制連行」という魔術語 
 首都大学東京特任教授・鄭大均

 2014.7.5 11:00 (1/4ページ)
 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140705/kor14070511000009-n1.htm
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 「強制連行」という魔術語を使って
在日の由来を語った のは朴慶植(パク・キョンシク)氏の
『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)である。
この本には60年代末に出合ったが、ひとごとのような
気がした。私は父が「強制連行」で日本に来たのではない
ことを知っていたし、周囲の在日一世にもそれらしき人は
いなかった。一世とは、無理算段して朝鮮の故郷を
脱出した人びと
ではなかったのか。

 とはいえ、この言葉。
ときおり左翼のメディアに現れることはあっても、
それ以上の影響力を発揮することがないという時代が
長く続いた。
転機になったのは韓国ブームが起き、
日韓の間に教科書問題が生じ、
在日たちの指紋押捺(おうなつ)拒否運動が
展開された80年代のことである。

メディアで
水先案内人の役を担ったのは
左派系の人びとであり、
この言葉の流布に一役買ったのは
彼らである。

「強制連行」は大衆化すると変わり身の早い言葉となり、
かつてあった名前(徴用、労務動員)をかき消すとともに
事実を攪乱(かくらん)させ、
やがては「慰安婦」というような言葉に結びついて、
有頂天の時代を迎える。


強制連行論者は、朝鮮人の男たちが炭鉱や
建設現場に送り込まれ、重労働を強いられたのは
怪しからんというが、
日本人の男たちは戦場に送られていたのでは
なかったのか。
日本帝国時代には、日本人も朝鮮人も日本国民だった
のであり、徴兵であれ、徴用であれ、戦時期に国民に
課せられた運命共同性のようなものだった。
戦場に送られた男たちのことを無視して、
朝鮮人の男たちの被害者性を特権的に語るのが
強制連行論であるが、それはあきれるほどの
偏向ではないのか。


 拙著『在日・強制連行の神話』(文春新書)は
そんな違和感を動機にしたもので、ある程度の影響力を
発揮したとは思うが、十分なものではない。
今読み直してみると、強制連行論の「おかしさ」には
触れても、こわさには十分に触れていないことにも
気がつく。韓国に長くいて、強制連行論が教科書に
記述され、博物館に陳列され、歴史テーマパーク化し、
ドラマ化され、独断的な被害者性の主張が民族的、
宗教的な情熱で自己実現していく様を目撃していた
はずなのに、
そのこわさを十分に伝えてはいないのである。

一方で朴慶植氏の衣鉢を継ごうとするものたちの
努力も続いている。
2005年に岩波書店から刊行
された『朝鮮人戦時労働動員』の著者の一人である
山田昭次氏は
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 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/06/0506j0721-00001.htm
「鄭大均の朴批判は朴の思想を単純化して理解した
 ために、朴の思想の根底に無理解な批判となっている」

という。
「無理解な批判」とはなにか。
私は、平壌・朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)に
共鳴する朴慶植氏には思想的にも方法論的にも
問題があまたある
と記したのではなかったか。


外村大(とのむら・まさる)氏の
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『朝鮮人強制連行』(岩波新書、2012年)は
 http://book.asahi.com/booknews/update/2012100300005.html
「日本の朝鮮植民地支配はさまざまな苦痛を
 朝鮮民族に与えた。そのなかでも第二次世界
 大戦下の労務動員政策は食料供出と並んで、
 とりわけ民衆を苦しめたものとして知られている」

という文に始まる。
外村氏は1966年生まれの東大准教授。
この若さでこんな常套(じょうとう)句の羅列では
先が思いやられる。
この本、
本文では「強制連行」よりは「労務動員」や「徴用」の
言葉を使うのに、書名には『朝鮮人強制連行』とあるのは
なぜか。


【プロフィル】
鄭大均 てい・たいきん 首都大学東京特任教授。
1948年岩手県生まれ。立教大学と米UCLAで学ぶ。
専門は日韓関係。
主な著書に『韓国のイメージ』(中公新書)、
『在日・強制連行の神話』(文春新書)、
『姜尚中を批判する』(飛鳥新社)など。
2004年日本国籍を取得。

注)本文中の写真やリンクは管理人が挿入しました。



鄭大均教授のお父上は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E5%A4%A7%E5%9D%87
1922年、当時の京城から東京にやってきた朝鮮人で、
1923年に出版され、朝鮮人によって書かれた最初の
日本語小説として知られる『さすらひの空』の著者
である鄭然圭氏。

鄭大均教授は、
朴慶植氏の、「強制連行された」という人々の人数さえ
出典があやふやだったという指摘する。
*2004年出版の『在日・強制連行の神話』 (文春新書)で

 ”しかしおそらく、関係者の間では知られていた
  ことではなかったかと思うが、朴慶植の本には
  かなり初歩的な誤りというかごまかしがあり、
  このこともやはり部分的には金英達によって
  指摘されている。
  氏は九○年代初めに記した論文で、
  『朝鮮人強制連行の記録』の統計数字には
  「どこの馬の骨か分からないような数字」からの引用があり、
  それが他書にも孫引きされる過程でいっぱしの統計数字
  として闊歩していく様を、「マネー・ロンダリング」ならぬ
  「フィギュア・ロンダリング」(不確かな統計数字の洗滌)だ”

と言っている。

★『 韓国は日本人がつくった 』(黄 文雄 著) 
 徳間書店 2002年 p129~

 http://dengon.holy.jp/ksr02.html
(略)
現在でも外国人労働者が問題になっているように、
労働の原理から言えば、低賃金のところから高賃金の
ところへと労働者は移動するのが一般的である。

そしてその原理どおり、日韓合邦後、半島の労働者は
内地の日本列島にぞくぞくと流入していった。
これらの低賃金労働者は内地の失業者を増やしただけで
なく、犯罪者となって悪事をする物も多かった。
中央政府は朝鮮総督府に対して、なんとか半島の人間が
日本に流入しないよう制限または阻止してほしいと協議や要
請をすることもしばしばだった。
強制連行どころか、阻止したいほど勝手に流入してきたのだ。
(中略)
当時の内務省警保局は、朝鮮人に対して
「渡航阻止の手続きは政策的な問題であり、
 何等法的根拠に基づく絶対的のごときにあらず」
と見なしていた。
だが、あまりにも朝鮮人が日本に殺到したため
朝鮮総督府は朝鮮人募集攻勢に対して
「労働者募集取締」という行政指導を行い、厳しく規制した。
旅行も日本をはじめとする海外への渡航は厳しく制限した。
戦後から90年代に至るまでの韓国政府も、それを引き継ぐ
形で海外への渡航を制限したのだ。
この渡航制限制度に関して
当時の民族紙「東亜日報」(1921年9月9日)は、社説で
不満を述べた。「朝鮮人全体を無視し侮辱する悪法」だ
として、撤廃キャンペーンまでを張った。
そして1922年12月5日「府令第153号」を出してそれを
撤廃したが、朝鮮人が日本本土に殺到しているのを鑑みて、
警保局と総督府は再び協議した。
1924年5月17日、釜山港では渡日制限撤廃を
訴える5万人ほどの市民集会が開かれ、
朝鮮労農総同盟・朝鮮青年総同盟の二団体が、
内務省と総督府を相手取って渡日制限撤廃の抗議を
繰り広げている。

これに対して日本は、現在の不法入国韓国人と同様に、
1928年から水上警察を動員して出発港と各地方の末端警察
機関による二重渡日取締を行なった。
それでも朝鮮人は日本に殺到し、規制することはかなり難しかった。
(続きはリンク先で)



彼はまた、
左翼系メディアによって、日本人には知らされない
朝鮮半島からの過酷な引揚げ体験
終戦後に朝鮮半島で何が起きていたのかを知る事の出来る
書籍の再出版にも尽力している。

★「竹林はるか遠く」につづく
  衝撃の引き揚げ体験記。
 終戦時の朝鮮半島で何があったのか?
 少年は見た!耐えた!逃げた!
 「忘却のための記録」(清水徹著)
 ハート出版から発売。

 http://heartshuppan.sblo.jp/article/85891098.html
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「竹林はるか遠く」を出版して間もないころのことだ。

編集担当者が、鄭大均(てい たいきん)氏
(首都大学東京・特任教授)から
「終戦時の朝鮮脱出記なら、こういう隠れた良書が
 ありますよ」
とある書籍をわたされた。

少し赤茶けた新書版であった。

「忘却のための記録」という題名で、
愛知県にある老舗の版元・精文館書店から
昭和55年に刊行されたもので絶版になっていた。
(中略)
この本の著者は、「竹林」のヨーコさん家族と同じで
終戦時に朝鮮の羅南(らなん)に住んでいた。
当時小学校6年生だったヨーコさんよりちょっと上、
羅南公立中学校の3年生。

つまり今度は当時の少年の目から見た
壮絶な終戦時の朝鮮半島脱出記である。

息が詰まるような命がけの体験の連続である。
ソ連軍の爆撃から始まり、復讐、襲撃、略奪、強姦、飢餓、
極寒、病気、そして38度線の脱出

――たとえようのない凄惨な記録をありありと描写している。

「・・・ある屋敷から朝鮮人が荷車を引いて出てくのを見た。

 車には家具類はもちろん、マキの類から漬物ダルまで
 積まれていた。白昼の公然たる泥棒――
 しかし訴えるべき警察はいない。
 そう知ると、急に恐ろしさを感じた。
 どこを見回してもぼくの味方らしいものはいない。
 これまで、ぼくはどんなところにいても、こんな恐ろしさを
 感じたことはなかった。それを意識するとしないかかわらず、
 警察が厳として存在し、大日本帝国という国家権力が
 あったからではなかったろうか――。

 しかし、現実は無警察状態にあり、大日本帝国は
 少しもぼくたちの頼りになりそうもない。
 ぼくはそのとき、目に見えない国家権力の力が
 その民族にとってどんなに大切なものであるかを
 つくづく思い知らされた(本文より)・・・」

(続きはリンク先で)


李明博元大統領の父親・李忠雨さんが、
大阪・島田牧場で働いていた頃、
彼を頼って同郷の若者達が続々とやって来た。
李忠雨さんは、彼らを束ねる親分的存在だった。
戦争が始まると、島田牧場は軍に接収されたため
李一家は、愛知県の岡崎、ついで三重県伊賀上野へと、
海軍の飛行場建設を請け負う仕事をする父親
について転々と引越しをしている。
李明博の父親・李忠雨さんは
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080421
仕事ができた人のようで、
すぐにたくさんの人夫を雇って
建設の請負をやっていた
という。



★強制連行」考
 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuhachidai
(略)
著作家の尹学準氏は、戦後密入国した人が講演で
自分は強制連行されて来ましたと言うのを聞いて
驚いた話を書いている。
こういうウソをつく人は実際にいるようである。
また二世の活動家で、私の父母は強制連行されてきました
という人がいたが、実際にその親御さんにお会いして
お話を聞いたが、強制連行ではなかった。
このようなウソをつく人もいる。
しかし逆のウソはどうだろうか。
強制連行されて来た人が、いや私は自分の意志で来ました
と言う場合があるのかどうか。
(略)
日本の植民地支配がなければ在日朝鮮人は存在しない、
不当な植民地支配下にやむなく来日したというのは
強制連行に価する、在日朝鮮人は強制連行の結果だ
と言ってよい、という批判もあった。

「強制」はどう考えても「威力をもって人の自由意志を
おさえつけて無理にさせること」の意しかなく、
現在の在日朝鮮人が来日した実際の理由とは全く違う。
またここまで「強制」の意味を広げてしまうのであれば、
世界史において植民地支配下にある人が帝国主義本国に
行くことは(例えばヨーロッパ諸国にはアジア・アフリカの
植民地出身者が多く居住している)、
すべて「強制連行」ということになりかねない。
欧米の場合は「強制連行」にならないが、
日本の場合は「強制連行」になる、
という論理になるのであろうか。


在日朝鮮人は日本渡航と在住を選択した

 くりかえすが強制連行という歴史的事実というのは、
三九年以降に国家総動員体制が朝鮮にも敷かれた
こと(徴用令等)や四四年に徴兵制が朝鮮でも施行された
ことなどによる人間の徴発であり、その際に官憲による
強引な徴発を受けた人もいる。
しかし、現在の日本に在住する朝鮮人のほとんどは、
このような歴史的経過をもって来日した人たちではない。
彼らは自分や家族のことを考え、植民地支配下の社会
あるいは戦後の日韓関係のなかで、
自分なりに最善であろうと思えた日本渡航の道を
選んだ人たちであり、韓国にしろ北朝鮮にしろ
いつでも帰国できるのに帰国しなかった人たちなのである。

「日本に来ていろいろ苦労したけど、
 住めば都で日本もなかなかいい所や。
 日本人でもいい人もおればエゲツない人もおった。
 それはうちの国の人も同じや。」
と私に語ってくれた一世は本心から言ったとしか
私には思えず、「強制された」という被害意識は
全くないのである。

(引用ここまで)


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2014-07-06 (Sun) 03:26 | EDIT | REPLY |   

ニューズレター・チャイナ @NLChina2009 · 24 時間

日朝協議がスタート。プロパンガンダに乗せられるメディが続出。TBSはピョンヤンから「日本の経済制裁は効果なし。中国が援助したからだ」と女性記者。勉強不足。中国からの援助の総括が「民族の裏切者」張沢成粛清なのだ。北は餌だけ取るのが巧みなかわはぎ。中国は毒針入りのソファー業者。


習訪韓で韓国の対中土下座外交が全面開花した。中国の朝鮮侵略(朝鮮戦争)に抗議もできない韓国が従軍慰安婦批判などチャンチャラおかしい。
まだ民族の自主権を主張する北の方が骨がある。金日成は中国を「大国主義」「支配主義」と批判していた。なんだ!南は!朝鮮民族の誇りはどうなった!。


習近平を大歓迎する韓国政府と国民の姿に過去、明にも清にもこうしていたのだなということを実感。在日文化人たち、しばき隊の面々。中国にはノーコメントなのか。ウイグル、チベット、小国のフィリピンも、ベトナムも、台湾も、香港も戦っている。でも韓国は習の足の裏を「なめただけ」。


土下座批判に朴クネは言うかもしれない。「土下座ではありません。朝鮮民族が長年行ってきた伝統を踏襲したものです」と。それを土下座というんだよ。彼らにすでにはそうした自覚すらないのだろう。他方、必死に中国船に対抗するベトナム、フィリピン。愛国無罪である。中国の隣国でお友達は韓国だけ。


https://twitter.com/NLChina2009

2014-07-06 (Sun) 11:28 | EDIT | REPLY |   

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2014-07-06 (Sun) 13:04 | EDIT | REPLY |   

弓取り

どっちなんだろね

我々日本人は、在日コリアンの先人たちの自由意志を尊重すればいいのか、日本帝国の被害者だと認識すればいいのか、はっきりしてほしいよね。
真実はふたつにひとつのはず。

被害者だというのなら、特定秘密にしないで河野談話みたいに検証しないとね。

2014-07-06 (Sun) 22:38 | EDIT | REPLY |   

名無し

戦後まもなく帰国状況を政府が調査してます
残留した朝鮮人については早い段階で来日し生活基盤が日本にある、色んな意味で帰るところがないなどと推測してます

強制的な徴発はありましたが残ったのは自分の意思です
そこを論点にした方がいいかも

2014-07-07 (Mon) 02:33 | EDIT | REPLY |   

白珠

無理やり連れて来られたハズの場所に何故か居座り続けて、祖国に帰れるのに帰らないのは何故ですか~?

日本に帰りたくても帰って来られない拉致被害者や特定失踪者の方々が居るってのに、ふざけるなっての。

2014-07-07 (Mon) 18:18 | EDIT | REPLY |   

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