韓流研究室

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対馬の郷土史家、盗まれた仏像の韓国側主張に反論!

★盗まれた対馬の仏像は交易品、
 韓国側主張に反論 
 郷土史家が著書

 産経新聞 2014.6.17 10:47
 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140617/kor14061710470002-n1.htm
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  著書「盗まれた仏像」を手にする
  郷土史家の永留久恵さん=長崎県対馬市

 日韓友好に取り組んできた長崎県対馬市の郷土史家、
永留久恵さん(93)が、平成24年に対馬市で起きた
仏像2体の盗難事件に関する著書「盗まれた仏像」を
出版した。
仏像は倭寇の略奪品だとして、
韓国には返還に反対する意見がある。
永留さんは
交易でもたらされた品と考えるのが最も適切だ
と反論している。

 根拠として、
対馬島主らが真珠や水銀を贈るかわりに、
高麗から仏像や経典を受け取っていた
歴史を詳細に記した。

盗まれた2体のうち、海神神社にあった
国指定重要文化財の銅造如来立像
対馬にもたらされた時代は
倭寇の登場よりずっと前と強調。

略奪したとされる倭寇も高麗末期に関しては
大半が高麗の住民で、対馬の島民らではない
と指摘した。
朝鮮王朝の正史「朝鮮王朝実録」の記述から
分かると説明する。

「韓国でも『仏像は日本に返すべきだ』と
 主張する人は多く、
 本当のことを知ってほしい」
と話す。

(引用ここまで)



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 【盗まれた仏像
  -対馬と渡来仏の歴史的背景】


永留久恵さんは”郷土史家”の域を超えた
対馬の歴史研究の第一人者です。
彼の言う
略奪したとされる倭寇も高麗末期に関しては
 大半が高麗の住民で、対馬の島民らではない
 朝鮮王朝の正史「朝鮮王朝実録」の記述から分かる

とは・・・
前期倭寇の最末期についての文献である、
朝鮮王朝実録の『世宗実録』二十八(1446年)
十月壬戌条に、判中枢院事・李順蒙曰く
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前朝之季 倭寇興行民不聊生
 然其間倭人不過一二而
 本國民仮著倭服成黨作亂
とあり、
「前朝の季、倭寇興行し、民の生を聊んぜず。
 然るにその間の倭人は一二に過ぎずして、
 本国の民の避けて倭服を著け
 党を成し乱を作す」

と記載されているのです。
朝鮮側史料の「倭寇」の中に
「禾尺(牛馬屠殺・皮革業)・才人(芸能民)」と呼ばれた
高麗の被差別民の中に倭服を着て偽装した者が
含まれていると指摘している。



銅造如来立像があった海神神社は
http://www.genbu.net/data/tusima/kaijin_title.htm
社伝によれば、神功皇后が新羅よりの帰還の途、
上県郡峰町に至り旗八旒を蔵ゆて、新羅を鎮める験
としたといい、それが現在の宗形八幡という。
その後旗は、木坂山に遷し、木坂八幡宮(当社)とし、
宗像社を末社にしたという。
また、仁徳天皇の御宇、異国の軍艦が本州の西面の
海面に来襲した折に、木坂山の山頂より奇雲烈風が起こり、
軍艦は散じ沈んだとも伝えられている、
承和四年(八三七)二月、従五位下を授けられ、
貞観元年(八五九)正月、従五位上、同一二年三月
正五位下に昇叙されたことが国史に見えている、
『延喜式神名帳』には「和多都美神杜」と見え、
名神大杜に列している。  
また対馬国一の宮として、衆庶の崇敬を集めた。

中世以降は、八幡本宮とか上津八幡宮と称され
一般に尊崇されていたようである、
社殿の造営は、古くは、対馬国から太宰府に納める
税が充てられ、不足の分は神領の民戸の手で
補われていたが、遷座の時は、特別に太宰府より
御料が進められた。
建長四年(一二五二)に社殿の修理が行なわれ、
嘉暦二年(一三二七)再建、永和四年(一三七八)
宗澄茂により社殿の造営がされて以来、
宗氏によりたびたび修造が行なわれた。

(引用ここまで)


記録に残る中世以降でも、
対馬国一の宮として、衆庶の崇敬を集め
大宰府や対馬の領主・宗氏によって丁重に扱われ
現在に至る海神神社に、
大切に大切に保存されていた銅造如来立像は
『対州神社誌』(貞享3年)の木坂村八幡宮の条にも、
御神体5躰のうち2躰が金像で、この像がそのうちの
1躰にあたるという。
その面貌や衣褶(いしゅう)の特色から、
新羅統一時代の仏像である事が解っている。

では、
韓国における統一新羅時代の仏像は
どのような環境に置かれているのか・・・

★聞慶で統一新羅時代の
 金銅仏像7点出土

 中央日報 2011年04月22日
 http://japanese.joins.com/article/383/139383.html
慶尚北道聞慶市虎渓面(キョンサンブクド・
ムンギョンシ・ホゲミョン)の烏井山(オジョンサン)には
「チョルゴル」という地名がある。
「寺がある谷」という意味だ。
朝鮮時代の文人、徐居正(ソ・ゴジョン、1420~1488)が
聞慶県八詠に「烏井鐘楼」を挙げ、
金宗直(キム・ジョンジク、1431~1492)は
時調「烏井霜鐘」で
夜に聞こえる寺の鐘の音を詠んだ。

過去の地図や文献にも
烏井寺という寺が現れるが、
いつなくなったのか、
正確にどこにあったのかは
究明されたことはなかった。


ところが国軍体育部隊を移転するために敷地を
調査していたところ、寺の跡が確認された。
統一新羅時代の金銅仏像も7点出土した。
埋蔵文化財専門調査機関の嶺南(ヨンナム)文化財
研究院は21日、烏井寺の建物跡9棟、築台施設6基、
付属施設8基などを発掘したと明らかにした。

新たに見つかった仏像は精巧に作られた金銅如来立像と
金銅菩薩立像などだ。仏像は8世紀の統一新羅時代から、
それより少し後代に作られたものとみられる。
最も大きいものは長さが18センチメートルに達するが、
鋳物ではなく板で作られた薄い作品だ。
左から2番目の金銅如来立像と3番目の金銅菩薩も
やはり典型的な8世紀のものだ。
(引用ここまで)



聞慶は昔、朝鮮南部地方に住んでいた人々が
首都ソウルに行くためにはこの道を通らなければ
ならなかった地域。
特にソウルで行われる科挙の試験に受けるために
大勢の人々が、この地の峠を通ったことから
「科挙の道」とも言われているそうだ。

そんな地域でさえ
歴史ある烏井寺という寺の存在が完全に消され
「寺がある谷」という地名だけが残っていたエリアの
土の下から、3年前にようやく発掘されたのである。

★朝鮮の仏教史
 http://myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index65.htm
(略)
高麗(936~1392年)の国王も、ひきつづき
崇仏を基にして仏教を外護しました。
寺院の建立や、「僧科」という僧侶の階位を設けて
僧侶を育成しています。
(中略)
高麗中期以降、仏教界はこの「天台宗」と「曹渓宗」が
主流となっていましたが、権力と結びついていた
「天台宗」は次第に堕落していきます。
徐々に上流階級からも批判されるようになります。

元宗(1260~1274年在位)のころに、
朱子学が栄え廃仏の運動が起きます。

そして、李朝(1393~1910年)に入りますと、
太祖李成桂は朱子学を信奉し、
儒教を国教としたので、
仏教は徹底的に弾圧されます。

李氏朝鮮時代の「排仏運動」と、儒教の隆盛により、
李朝500年の仏教界は、国王の外護を失い
衰微していくことになります。
(引用ここまで)


海神神社にあった銅造如来立像は、
韓国側の資料には、どこで作られどこ在ったのか等、
経緯を示す証拠資料が存在していません。

粗末な扱いを受けてきた韓国の仏像と違い
対馬で丁重に保存されてきた銅造如来立像・・・

そんな国が、今頃になって
下賤な泥棒が対馬から盗み獲ってきた仏像を
前期倭寇に略奪された可能性が高いだの何だのと
難癖をつけて返さない。

★李氏朝鮮の廃仏政策
  20061_keisyuuhakubutukan15_201406180125036b6.jpg
 http://www.iokikai.or.jp/siomatinominato.busan.html
 新羅王朝の華厳宗(仏教)の影響は、
 日本では天平文化として花開き、
 国宝として大切に保存されて来た。
 しかし朝鮮では、
 首を切り落とされた仏像群が
 無残な姿であぜ道に転がっていた。


 石造観音菩薩立像身体部と頭部が
 畑の畝に放置されていたのを、
 1997年、現在の形に復元した


(中略)
本格的な廃仏運動が始まるのは第3代太宗の
代からである。
この時、朝鮮半島では多くの仏教寺院は廃され、
242の寺のみが国家の統制下の下で残された。
第4代世宗の時代にはさらに厳しくなり、
18寺に減らされ
仏教寺院が所有していた土地や奴婢の多くが
没収された。
このため、高麗時代の仏教遺跡が破壊されたり、
仏像や文化財などの多くが海外へ流出した。

たとえば、太宗時代に土橋の代わりに石橋を造る事
になったが、十二神将の石仏を破壊し、その石材に
するという事を行った。

ただし、李氏朝鮮前期の廃仏政策は一貫性が無く、
廃仏に積極的だった世宗は末期には仏教に帰依
してしまう。また第7代王世祖は、儒臣との対立から
仏教を返って保護し、ソウル内に円覚寺と言う寺を
建てた。
この寺は、第10代燕山君の時代に破壊された。
第8代睿宗の時代には再び廃仏政策は強化され、
第11代中宗時代は李氏朝鮮前期で最も
仏教弾圧が厳しい時代であった。
 
李氏朝鮮初期の崇儒廃仏政策はこの様に一貫せず
一進一退を繰り返すが、第16代の仁祖の時代に
城内からの僧侶追放令が発せられ、
ここに李氏朝鮮の廃仏政策は完成に至る。
このようにして現在の韓国では、
仏教徒は1/4に過ぎない。

 寺や仏や先祖の墓石も、
王が代るとその命に従い、破壊する。

王の命には絶対服従の儒教精神には理解に苦しむ。
この国に正義感はないのだろうか?

(続きはリンクで!)


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https://www.youtube.com/watch?v=ahIU5D8Vtlk

2014-06-18 (Wed) 09:48 | EDIT | REPLY |   

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http://www.nicovideo.jp/watch/1402986769

2014-06-18 (Wed) 10:06 | EDIT | REPLY |   

名無しさん

なりすましは、昔からのことだったんですね。

2014-06-18 (Wed) 12:45 | EDIT | REPLY |   

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