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韓流研究室

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韓国議員「ソウルの日本大使館新築は優遇措置がとられ違法nida!」

ソウルの日本大使館新築、
優遇疑惑に包まれる

krnews 2013/10/15
http://www.krnews.jp/sub_read.html?uid=5595§ion=sc10§ion2=%E7%A4%BE%E4%BC%9A
 ソウル日本大使館新築許可を巡って
優遇措置がとられたとの疑惑が提起された。

韓国の最大野党・民主党のキム・サンヒ議員は
14日に開かれた教育文化体育観光委員会の国政監査で、
ソウル景福宮(キョンボックン)前に位置する
日本大使館の庁舎新築審議の過程で、
文化財保護法に違反した新築計画が承認され、
この過程で政府の圧力があったと疑われる状況が
発見されたと明らかにした。

2012年に出された日本大使館新築計画案は、
文化財委員会の許可基準(上限高さ14m)を
2倍以上超えたという理由で否決されたが、
今年7月の文化財委員会の再審議では結果が覆され、
条件付きで可決された。
2013年に再提出された大使館の新築庁舎の高さは、
2012年提出案よりわずか3.4m低くなっただけで、
依然として許可基準を超える数値だ。

現在の日本大使館敷地は景福宮とも隣接しており、
歴史文化環境保全地域に指定され、
文化財保護法により新築の場合、
高さ14m以下(傾斜屋根17m以下)とされている。

日本大使館は2012年6月に基準を超える高さ(35.8m)
の大使館新築計画を申請したが、
文化財庁は景福宮の歴史文化環境破壊の理由で
日本大使館新築計画を否決した。

これに対し、日本大使館は同年12月、
「駐日韓国大使館新築当時、
 日本側が便宜を図った」
とし、
「日本大使館新築計画が再審議においても
 否決された場合、日韓関係に悪影響を与える」

という公文書を韓国文化財庁に送付した。

一方、韓国外交省も2013年5月、
文化財庁に公文書を送り、
「この問題は文化財庁の裁量判断が可能な事案」とし、
「肯定的な再考を要請」した。

外交省の文書送付から1ヶ月後の2013年6月、
日本大使館は当初計画した建物の高さ35.8mより
3.4m低くなった32.4mの新築許可を申請した。
許容基準値の2倍を超える高さであったが、
文化財庁は最初の結果をひっくり返し、
7月に条件付き許可を出した。

国政監査初日の14日、キム・サンヒ議員は
上記の事実について
「文化財庁の態度が1年で急変したのは、
 日本大使館側と韓国外交省の外圧を
 疑わざるを得ない」とし、
「歴史と文化財保護のための文化財保護区を作っておいて、
 文化財庁が先頭に立って基準を無視して破ることは、
 自分自身を否定すること」と批判した。

さらに
「日本統治時代、強制的に破壊され復元した
 景福宮の歴史を照らして見ても、
 長期的に文化財庁とソウル市が
 日本大使館を説得して
 代替敷地を設け、景福宮ではなく
 別の場所に移転できるような
 対策が必要だ」
と助言した。

これについて文化財庁は「違法ではない」とし、
「今年の再審議では14人の委員のうち、
 ほとんどが現場調査に参加した結果、
 周辺の建物が日本大使館をほぼ覆っており

 歴史文化環境を損なうとの見方は難しかった」

と許可の理由を説明した。

それにもかかわらず、韓国国民は
「景福宮の前に日本大使館があること自体が問題」
と否定的な反応だ。
1995年に韓国では、日本統治時代、景福宮の一部を
破壊して建設された朝鮮総督府中央庁舎を
当時の金泳三(キム・ヨンサム)大統領が撤去させ、
国民の間で大統領の支持率が急上昇している。
今回の日本大使館新築も遺跡破壊とする
否定的な見方が出ており、議論は続くと予想される。



■ソウルの日本大使館

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日本大使館以外は・・・高層ビル



駐日韓国大使館新築当時、
 日本側が便宜を図った


■東京の新韓国大使館
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★韓国大使館、新庁舎に移転
 開館式に400人参席

 スポーツソウル 2013-07-18 20:46:44
http://www.sportsseoul.jp/economy/read.php?sa_idx=6946
駐日韓国大使館が
東京都港区南麻布に位置する、
地下1階、地上7階の新しい庁舎に移転した。

18日、駐日韓国大使館は約400人の来客が
出席する中、完成まで3年かかった新庁舎の
開館式を開いた。
(中略)
今年6月に完成した新庁舎は、
1979年に建てられた旧庁舎を2010年から解体し、
その上に約70億円を投資し改築したもの。
東京でも高い地価で有名な
麻布に新庁舎ができたのは、
在日同胞の故・徐甲虎氏が
土地と建物を寄付した
のが
きっかけとなった。




★韓国大使館、
 東京の一等地の開設に
 朝鮮人の敗戦利権と
 GHQと共産党

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2551.html
徐氏は戦後、大阪泉南に反毛や漁業網を製造する
阪本産業を起業し、焼野原の広がる南船場に営業所を構える
青年実業家であった。従業員は100名を超えていた。
また朝連泉南支部委員長にも就任している。

大阪は戦前、
「東洋のマンチェスター」と称されるほど
繊維産業が盛んであったが、
戦後再び
「メイド・イン・ジャパン」の衣料が
世界を席巻することを恐れ、
欧米は厳しい対日規制を
行っていたのである。


しかし1947年、
GHQは「生活必需品」という名目で
紡績業の復活を許可した。
これらの情報入手や原料、資金の調達に
徐氏の「朝連幹部」の肩書きは
モノを言ったのであろう

1948年3月には
廃棄処分されていた紡績機を
買い集めることに成功して
関西の紡績業界を牽引し、
さらに財閥解体で手放された
川崎重工の工場を買い取って
またたく間に
西日本最大の紡績王となったのである。



★坂本紡績・徐甲虎 夢と挫折(3)
 ―駐日大使館寄贈者の母国投資ストーリー

 http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=73663&thread=04
(引用開始)
東京南麻布にある駐日大使館の敷地は
3091坪に達する。

この一帯は昔から、日本の皇族や権力者が
居住する地域であったと同時に、
東京の一等地だった。
韓国大使館の元の所有者は、明治時代の
大物政治家・松方正義で、太平洋戦争中には
海軍大将・米内光正が別荘として利用していた。
両者ともに総理大臣を務めた政界の大物だった。
大使館の土地・建物は、戦後デンマーク公使の
邸宅となったが

サンフランシスコ講和条約が
発行された52年、
徐甲虎がこの土地を手に入れた。

(中略)
徐甲虎が南麻布の土地を購入するまでの経緯は
いくつかの説が伝わっている。
第一は、朝鮮王朝最後の皇太子である栄親王・李垠の
住居として購入する事になったという説だ。
当時代表部の首席代表だった公使の金溶植は、
政府の指針を受けて
李垠と彼が住んでいた赤坂見附の私邸に対する
返還交渉をした。

大義名分は「朝鮮総督府の財産」だから
政府に返還するべきだということだったが
李垠は
「この私邸は、日本の天皇が私に下賜したもの
として一蹴した。
前任の公使だった金龍周の時代にも韓国政府は李垠に
私邸の返還請求をした事がある。
この時期に、徐甲虎は政府とも李垠とも交流していた
数少ない一人だ。
政府の執拗な返還要求に対して、李垠が赤坂見附の私邸を
手放す代わりに新しい邸宅が必要だった。
そこで、徐甲虎が南麻布の土地を購入したのではないか
というのだ。

二番目は、
GHQ占領下であった日本がドルを調達するために、
朝鮮人である徐甲虎を活用し、後に返礼として

南麻布の土地を
安価で払い下げたという説だ。


戦後の日本は、銀座の通りにさえも米軍相手の
売春婦がいたほど経済はどん底だった。
いくら日本政界の大物であっても、ドル資金を
用意する良策がなかった時、GHQと繋がりがある
韓国人実業家であり、軍需物資の紡績製品の
オーナーである徐甲虎は仲介者としてこの上ない
人物だった。
つまり、日本の仲介者が公にできない事の仲介者
または代理人の役割を果たしたという訳だ。
(引用ここまで)



★もう一つの国際経済学:
 移民企業家と本国経済

 在日コリアンによる
 初期本国投資の事例研究

 朴 一
 http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/111C0000004-11101-7.pdf
(引用開始)
日本の中の最大のエスニック・マイノリティ集団
である在日コリアンはどうか。
彼らは居住国・
日本や母国・韓国の経済成長にどのような貢献を
してきたのだろうか。最近刊行された永野慎一郎編
『韓国の経済発展と在日韓国企業人の役割』
(岩波書店,2010年)は,
こうした研究の間隙を埋めるものである。
事実,在日コリアンも華僑・華人と同じように,
日本で蓄えた富を彼らの母国である韓国に還流
させてきた。彼らの本国投資は日韓が国交を結んだ
1965年から本格化し,1974年には本国投資の窓口になる
在日韓国人本国投資協会が設立されたことで,
その後,件数・金額ともに急増していくことになった
韓国が高度成長を遂げた1965年から78年まで,
在日コリアンが韓国に投資した総額は10億ドルを
超えており,驚くべきことに同期間中の韓国に対する
外国人投資の総額9億3700万ドルを上回っている。

こうしたデータを見るだけでも,在日コリアンの
本国投資が成長途上にあった韓国の外貨不足を補い,
経済成長に大きく貢献してきたことが判る。
(中略)

Ⅱ.本国投資の先駆者:徐甲虎(阪本栄一)の場合
今でこそ,多くの在日コリアン企業家が
韓国に進出しているが,まだ韓国が日本と
関係を正常化していない1960年代の前半期,
本国(韓国)投資を行うのは多大なリスクを伴う
ものであった。
当時は日韓関係が正常化していないため,
法的な手続きが困難であるばかりか,
韓国内の経済事情も悪く,本国投資に可能性を見出だそう
とする在日コリアンは皆無に等しかった。
戦後,
日本の紡績王と言われた徐甲虎(日本名:坂本栄一)は,
そうした状況の中で在日コリアンに本国投資の道を
切り開いた先駆者であったと言える。
徐甲虎は1915年,
韓国の慶尚南道蔚州郡三南面に生まれた。
1928年,徐は故郷の慶尚南道を離れ,
単身日本に渡ってきた。

当時14歳だった徐は,大阪の商家に丁雅奉公に入り,
しばらく機織り技術を学んだ。
機織り技術を習得した徐は,商家を飛び出し,アメ売り,
廃品回収,タオル工場の油差しなど,数えきれないほど
多くの職業を経験したという。
徐にとってのビジネスチャンスは
祖国解放後,突然訪れた。

戦後,軍需物資の売買で一儲けした徐,
終戦直後に廃棄処分された紡績機を買い集めて,
1948年3月に坂本紡績を設立。
さらに徐は勢いに乗って1950年春には,泉南市にあった
戟時中の川崎重工業の工場を2000万円で買いとり
第2工場を建設し,大阪紡績を設立。

短期間に紡績工場の規模を拡張した徐に
確かな勝算があったわけではない。

しかし,同年6月,工場の規模拡大の時期を
見計らったように,朝鮮戟争が勃発。
この戦争の特需景気の波に乗って,
彼の紡績会社は急成長を遂げることになった。
その後も,徐の勢いはとまらず,
1955年には経営不振に陥っていた常陸紡績を買収。
1961年,徐は年商100億円を稼ぎだす
西日本最大の紡績王となり,
1500人の従業員と18万錘の設備を有する
阪本紡績グループは,前後日本の経済復興を支えた
10大紡績の一つに数えられる大企業に成長した。
また紡績業で成功をおさめた徐は,
やがて事業を不動産,ホテル,ボウリング場まで
拡大するなど,
あらゆるビジネスに旺盛な意欲を示した。
徐が当時,経営者としてどれくらい成功したかを
判断する尺度として,
高額所得者ランキング(長者番付)というものがある。
徐は1950年所得1億2000万円を稼ぎだし,
いきなりこの年の大阪府内の長者番付の
トップに躍り出る。

全国的にはどれくらいのレベルだったのか。
1950年代の日本全体の長者番付を見てみると,
松下電器(現在のパナソニック)の創業者である
松下幸之助が一貫してトップの座を維持しているが,
徐甲虎は驚いたことに
1952年度所得3億6966万円で
長者番付第5位,
57年度所得1億332万円で長者番付第8位,
59年度所得1億299万円で長者番付第8位
に輝いている。

彼は50年代の「高額所得者ランキング」において,
毎年のように松下幸之助,石橋正二郎,井植歳男,
出光佐三など,そうそうたる財界人たちと
しのぎを削っていたのである。 
(引用ここまで)


私達は長らく、自虐教育によって
在日コリアンは、戦前、戦中、戦後に渡って
日本人に全てを収奪され、強制連行され
差別を受け、貧困に苦しんできた民族である・
・・と、
頭に叩き込まれてきました。
だから、彼らを批判する行為は
差別主義者による絶対悪であり
してはいけない、許されない行為だと・・・。

14歳で、単身日本に出稼ぎにやってきて
戦後、突如として西日本最大の紡績王となり
現韓国大使館の広大な敷地3091坪を入手できた
徐甲虎の摩訶不思議なサクセスストーリーを、
皆さんは、どの様に感じますか?



余談ですが、
★【寄稿】「故郷の家・東京」の
 設立を助けよう

 中央日報 2013年10月11日13時31分
 http://japanese.joins.com/article/017/177017.html?servcode=100§code=140
 先日、韓国社会福祉法人代表者協議会の
政策諮問委員長の資格で日本の大阪と京都を
2泊3日の日程で訪問した。
大阪と京都の社会福祉関係者との懇談会とともに、
京都にある「故郷の家」という在日韓国人高齢者の
老人ホームを訪問し、施設を視察する機会があった。
施設設立の主体である「社会福祉法人こころの家族」の
役職員と高齢者のための施設福祉制度に関する
韓国と日本の違いについて議論した。
関心を引いたものの一つが、現在運営中の堺・神戸・
大阪・京都の「故郷の家」設立背景と、
2014年2月に着工予定の「故郷の家・東京」の
設立計画だった。

最初の施設「故郷の家・堺」が設立された契機は、
30年前の1983年、在日韓国人のための日刊紙・
統一日報に掲載された記事だった。
愛知県である在日韓国人の高齢者が死後13日目に
発見され、別の高齢者は火災の中で救出されて
治療中に死亡したが、遺族がいないため、
遺骨を福祉事業所が保管するという内容だった。

これに衝撃を受けた当時の尹基(ユン・ギ)
共生福祉財団会長は、孤独死を控えた多くの
在日韓国人高齢者のために韓国人専用の老人ホーム
設立することを決心した。
すでに高齢社会に入った当時の日本でも
孤独死が社会問題だったが、在日韓国人の
高齢者に対する視点は違った。公務員の反応は冷たく、
当時、日本の有名大学の社会福祉学科教授、
日本キリスト教伝道協会会長、牧師などと話し合ったが、
「良いことではあるが、現実は…」と言葉尻を濁した。

こうした状況で尹会長は84年6月、
「在日韓国人の老人ホーム建設を!」と題して
朝日新聞に寄稿し、その必要性を訴えた。
この提案に約3万人の日本人が後援支援金を送り、
篤志家が力を合わせて在日韓国人が最も多い大阪に
「故郷の家」と介護サポートセンターを、
神戸に地域住民と在日韓国人が一緒に暮らす
「故郷の家・神戸」を設立した。
その後、「故郷の家・京都」が設立、
いま「故郷の家・東京」に挑戦している。

http://japanese.joins.com/article/018/177018.html?servcode=100§code=140
東京に「故郷の家」を設立するのにかかる
費用は23億円。
うち8億円は東京都が補助し、
残り15億円は法人が負担する予定だが、
一部は募金で充当する。
日帝時代に徴兵・徴用された
多くの在日韓国人1世代は
まだ異国の地で
恨を抱きながら暮らしている。

生涯故国を思いながら老年を過ごしてる
在日韓国人の高齢者と日本の高齢者に、
韓国のキムチと日本の梅干しがある
老人ホームをつくろうとしている。

その間、私たちは在日韓国人問題に無関心だった。
日本政府は過去の過ちを反省しないが、
「故郷の家」に取り組む日本人はこれを贖罪しよう
とする良心勢力だ。

在日韓国人のための老人ホーム設立に率先する
87歳の阿部志郎・神奈川県立保健福祉大学名誉学長は
「日本が韓国に犯した罪は2つある。
 一つは武力による侵略で、
 もう一つは同化政策で
 名前も文字も使えないよう強要したことだ」
と話す。

在日韓国人の高齢者は
歴史の犠牲者として生きてきた。
晩年も韓日間の間に挟まれて窮屈に暮らしている。
つらい歴史を歩んできた在日韓国人1世代には
老年の安息所が必要だ。
「故郷の家・東京」は安らかな老後を過ごすのに
適したところだと考える。
ぜひ韓国でも「故郷の家・東京」の設立の趣旨に
多くの人たちが力になることを強く望む。

チェ・イルソプ・ソウル大名誉教授

★「故郷の家・東京」を早く!  
 http://www.tsukurukai.jp/topics/2011/26syuunen.html
「故郷の家」を東京にも欲しい―
韓国語しか話せなくなった在日コリアンの
母へすまなかった、と詫びた玄さん、
東京に「故郷の家」がないことは
都民として恥ずかしい
と決意を示した樋口さん、

(略)
「故郷の家・東京」を一日でも早く。
(略)
東京計画に3つの構想

 東京大会では、尹基理事長が
「故郷の家・東京」について、東京の
不動産事情を勘案した3つのタイプに分けた
構想を説明し、参加者の協力を呼びかけました。

A案は、3300平方メートル(1000坪)以上の
用地が確保できた場合。
「故郷の家・京都」と同じタイプ。
特別養護老人ホームだけでなく
独立した文化ホール(300席)に、
留学生会館を併設。

老人福祉施設のイメージを一新し、
未来への展望を開く新しい総合センター構想。

B案は、2300平方メートル(700坪)以上の用地
ならば、「故郷の家」(堺市)、
「故郷の家・神戸」と同じタイプで、
老人福祉施設が主体の構想。

C案は、660平方メートル(200坪)以上で、
定員30人程度のグループホームを建設。
この場合は都内4ヶ所程度を順次、確保し
対応する構想。
(引用ここまで)



大阪市立大学の朴一教授の論文によると
>韓国が高度成長を遂げた
 1965年から78年まで,
 在日コリアンが韓国に投資した総額は
 10億ドルを超えており,
 驚くべきことに同期間中の韓国に対する
 外国人投資の総額9億3700万ドルを
 上回っている。



特別養護老人ホームは、多くの場合
長い長い順番待ちです。
父の入院中に、同じ病室のお爺ちゃんの
老老介護中の奥様から聞いた話では
「入所の予約登録をしているけれど
 現在43番目だと言われた。
 ここを追い出されたら行き場所が無い。」と・・・

空き室待ち43番でも、
生活保護を受けているご老人は優先入所されるので
途中で割り込めるのだそうだ。
だから、43番以上係るのは必至で
死ぬまでには間に合わないかもしれないと
84歳の腰が大きく曲がったご婦人がこぼしていた。
特養に入れるなんて奇跡に近いと・・・
でも、
民間の老人ホームでは、国民年金だけの高齢者には
高額過ぎて入所できない。
近所の民間老人ホームは、要介護3で14万8千円。
これに紙おむつ代などの経費がプラスされる。
要支援レベルでは18万9千円。

父の入院していた「介護付き療養型病院」も、
長い長い順番待ちで、おそらく父の死後
空いたベッドには、既に別の高齢者が
入院している事だろう・・・
誰かが死ななければ入る事ができない。
この「介護付き療養型病院」も医療費がかかるので
政府はもう、新設はしないのだそうだ。

84歳のお婆ちゃんが不安げにこぼす。
「今、二人分の年金のほとんどが
 爺ちゃんの入院費に消えてしまい
 貯金を取り崩して何とか生活している。
 私達は子供がいないから
 爺ちゃんが死んだ後、どうしようって
 不安で不安で、夜も眠れないのよ。」

お爺ちゃんのおむつ替えの最中に
圧迫骨折をした腰がようやく治ってきたと
腰をさすりさすり看病に通っていた彼女は
どうしているだろう。

空襲で、親兄弟も家も、すべて失って
親戚中をたらい回しにされながら育って
お爺さんと出会って
ミカン箱と布団一組の貸家住まいから
頑張って頑張って働いて、八百屋の店を持ち
(税金も、年金の掛け金もきちんと払って)
夫婦二人で生きてきたそうだ。
 
戦後、どん底の日本で
歯を食いしばって生きてきた日本人高齢者達。

>在日韓国人の高齢者は
 歴史の犠牲者として生きてきた。


あなた達だけじゃないよ・・・


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Comments 2

トマト

長くてすいません

朝鮮に踊らされているということでしょうか日本が…派手な成功をしっかり納めてそれなのに…何なんでしょうか日本人って…今、日本人として周りがよく見える様になったけど、今が変化の時はかな~と。安倍さんが教育に力をいれようとしています。未来の日本人には左翼に流されず真っ直ぐな歴史認識を持った人が増えてくれることを願います

2013-10-16 (Wed) 03:21 | EDIT | REPLY |   

弓取り

記事そのままですが

単身渡日した子供が、地下人脈と日本の不幸につけ込んで、濡れ手に粟の大儲け。他にもいるんだ。
これは実力でのし上がったんじゃないんですね。その証拠が極端に貧しいままの自由渡航してきた韓国朝鮮人一世の姿。

祖国の親族はなぜ助けなかった?
それでも、よく命を長らえ生きてこれたなとは思う。日本に感謝すべきところもあるはず。
極貧の一世二世を救うべきは、不自然な僥倖に恵まれ蓄財できている在日同胞か自分の祖国ですね。日本国じゃない。

2013-10-16 (Wed) 07:48 | EDIT | REPLY |   

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