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韓流研究室

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「日本語のルーツは韓国語」と東京大学(院生)が言っているnida

東大教授「日本語のルーツは韓国語にあり」
http://www.chosunonline.com/news/20110506000003
 AFP通信が5日に報じたところによると、現代の日本語が、
2200年前に韓半島(朝鮮半島)などアジアからの移住民によって
大きな影響を受けたという主張を盛り込んだ論文が公開されたという。

 東京大学の長谷川寿一教授とリー・ショーン氏は、
イギリス王立学会報に論文を掲載し、その中でこのような主張を行った。
研究陣は、長期にわたってほとんど変化がなかった
日本語の動詞・数詞・名詞など210個の単語を選び、
59種類の方言と比較するという方法で、日本語の起源を追跡した。
その結果、現在の日本語は、韓半島から日本列島への移住が
大々的に行われた紀元前200年ごろにルーツがあることが分かったという。

 今回の研究は、韓半島出身の移住民が日本の原住民の言語を
かなり入れ替えたという学説(日本列島外部流入説)とも一致する。
最近の考古学的・遺伝学的調査でも、紀元前200年前後に韓半島などから
新たな農業技術や道具を持ち込んだ移住民が、
原住民に対し農業など各種の生活だけでなく、言語の面でも影響を及ぼした
ことが明らかになっている。
一部では、日本語が韓半島の移住民による影響を受けていたため、
滅亡した百済の遺民が日本に渡ったときも、意思疎通に大きな問題が
なかったと主張している。

 日本の学界では、日本語の起源について、
自生説と外部流入説が対立している。
自生説は、日本では1万2000-3万年前から人が暮らしており、
現代日本語は当時の原住民から直接伝わったという主張だ。
紀元前200年前後に韓半島などユーラシア大陸から人の流入があった
ことは認めるものの、コメや農業技術を伝えただけで、言語には
特に影響を及ぼさなかったと主張している。

東京=車学峰(チャ・ハクポン)特派員


アジアからの移住民が日本語の形成過程に影響を与えた
という学説が、
どうして「日本語のルーツは韓国語」になるんだよ!

外来語が日本語に転化する例は現在でも良くある。
ポルトガル語のタバコは、ご丁寧に漢字表現もされ
「煙草」としてすっかり日本語として定着されている。
スペイン語由来の天麩羅もね。
じゃあ、何千年後かにポルトガル人が「日本語のルーツは・・・」などと
言わないでしょ、きっと。

さて、イギリス王立学会報に掲載された論文を書いたリー・ショーンは
長谷川研究室の博士課程の大学院生
 http://beep.c.u-tokyo.ac.jp/index_japanese/menba.html
彼の研究テーマは【日本語族の系統進化】
恐らくこれは、修士課程での卒業論文で、指導教官が長谷川寿一教授。
本名は、Sean Sangheon Lee
*韓国生まれで幼少時母国脱出してニュージーランド移住した
 韓国系移民で通名ショーン君なのかもね。
 lee.jpg
http://seanlee.110mb.com/Site/About_Me.html
翻訳と通訳のスキルは、英語・韓国語・日本語 

思いっきり韓国系の学生でしたねwww
どおりで、韓国メディアがすぐに喰らいついた訳だ!
李君、紛らわしいから
Leeという中国語表記ではなく、韓国語表記の「」にしなさいよ。

まあね、オークランド大学出身で日本政府の奨学金を貰って
東京大学に留学して、文科省からの学費支援で
研究を続けている「おりこうさん」なんでしょうよ!

■長谷川寿一
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%AF%BF%E4%B8%80
 日本の行動生態学者、東京大学教授・教養学部・総合文化研究科長。
 神奈川県出身。 研究テーマはインドクジャクの配偶者選択、
 ヒト・類人猿の生活史戦略と配偶戦略、自閉症者の認知など。

長谷川教授は、
文部科学省が選ぶ21世紀COEプログラム「心とことば」の
拠点リーダーとして、「人間進化学」部門の研究も進めている。
「言語の成立を可能にした前適応」を探ることで、
ヒトがどうして「特別なチンパンジー」なのかを明らかにする
という人間研究の最重要拠点としての研究をしている。
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2005/09/post_153.html

つまり、人間行動学と人間進化学からみた
「言語の成立」という学生論文の中の、一部分を
拡大解釈して「日本語のルーツ=韓国語」。

この論文がコチラ
●Bayesian phylogenetic analysis supports an
 agricultural origin of Japonic languages

 http://rspb.royalsocietypublishing.org/content/early/2011/05/04/rspb.2011.0518.full?sid=70f7963c-50ec-4bef-8eeb-bee972d1f9a3  
 この大学院生のSean Leeがベイズの定理を使ってコンピューター解析し
「語彙データで構成された言語系統発生は、今までのところ、
 オーストロネシア語族、インド=ヨーロッパ語族、および
 バンツー族スピーカーの人口拡大を明らかにしました。」
そして、
「考古学的で生物学的な証拠と共に、私たちの結果は、
 日本の最初の農業者が人々と言語の両方の起源に
 深遠な影響力を持っていたと示唆します。

 農業の拡大が、グローバルな言語多様性を形成するための
 主要因であるという私たちの結果は理論と一致しています。」

■ベイズの定理
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86
 1763年に発表された確率論の定理である。
 今日では、いくつかの未観測要素を含むコンピュータによる
 推論等に応用され、迷惑メールの発見・分類といった作業の
 自動化(フィルタリング)といった情報工学上の
 情報ふるい分けに利用されている。
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大学院生のリー・ショーン、いやイ・サンギョン君?
韓国系学生らしく、卒論の前文に
「九州西南の遺跡から発掘された土器や頭骸骨や歯などから、
 多くの農民が朝鮮半島から流入し支配階級となった
と、勝手に稲作を伝播したのは半島と断定しています。
日本において水稲による農耕がいつから始まっていたのかを
見事に無視して推論している韓国系学生。
しかも、言語学とか考古学の研究室ではなく
行動生態学の研究室・・・

『長谷川教授は、文部科学省が選ぶ21世紀COEプログラム
 「心とことば」の拠点リーダーとして、
 「人間進化学」部門の研究も進めている。』という事は
イ君の研究費は、文部科学省が出しているの???


■土井ヶ浜遺跡
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E3%83%B6%E6%B5%9C%E9%81%BA%E8%B7%A1
 土井ヶ浜遺跡は、山口県下関市豊北町土井ヶ浜にある
弥生時代前期から中期の墓地遺跡である。
「戦士の墓」とか「英雄の墓」とかいわれている。

これまでに延べ19回の学術調査が行われ300体を超える
弥生人の骨が見つかっている。
砂の中に混じっている貝殻の石灰分が骨のカルシウム分の
保存に適し、人骨の保存状態が良好である。
出土した人骨の形質が縄文人のそれと異なることから、
土井ヶ浜遺跡は稲作文化とともに中国大陸側からやってきた
渡来人の墓地として注目されてきた。

土井ヶ浜人は、頭が丸く、顔は面長で扁平であり、
四肢骨は長く、男性の平均身長は縄文人より3-5センチメートル
ほど高く、163センチメートル前後と推定された。
このことから金関丈夫は、これらの集団が朝鮮半島からの
渡来者と、土着の縄文人との混血であろうと考えた。
また、土井ヶ浜人の故郷が朝鮮半島北部と思われることを
示唆した。
埴原和郎は、中国東北地方、あるいは東シベリアにあるという
可能性がつよい。混血に対しては、渡来人そのものであると主張し、
その証拠に、4世紀の慶尚南道金海の礼安里遺跡の人骨が極めて
よく似ている、としている。

しかし、その後、礼安里遺跡人骨との比較分析が行われたが、
形質的な同質性をみるに至らなかった。
同じ慶尚南道の海岸線にある勒島(ろくしま)などの、比較的
土井ヶ浜遺跡と年代の近い人骨との比較では、
かなり異なっていることが分かった。

最近の調査で、
中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料の中に、
土井ヶ浜人ときわめてよく似た形質をもつ資料が
多く見つかっている。


●弥生人の故郷
 http://sawyer.exblog.jp/7178292/
1999年(平成11年)3月23日、中日共同調査団が発表、
「弥生人」の起源は江南地方か

共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる
渡来系弥生人の人骨と、長江(揚子江)下流域の江蘇省で発掘された
ほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、
DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、
18日までの中日共同調査団の調査で分かった。

 渡来系弥生人は、朝鮮半島や華北地方から来たという説が
有力と考えられていたが、稲作の起源地とされる長江下流域を含む
江南地方からも渡来した可能性が高くなり、弥生人の起源を探る上で
注目されそうだ。

 同日、東京で記者会見した日本側山口団長らによると、
調査団は1996年から3年計画で、江蘇省で出土した新石器時代から
前漢時代(紀元前202-紀元後3年)にかけての人骨と、
福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人や縄文人の人骨を比較した。

 その結果、弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8―同5世紀)から
前漢時代にかけての江蘇省の人骨と、渡来系弥生人の人骨には、
頭や四肢の骨の形に共通点が多かった。

 また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を
抜く風習があったが、江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。

 江蘇省の人骨三十六体からDNAを抽出し分析した結果、
春秋時代の三体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと
一致したという。

 中国側団長の鄒厚本南京博物院考古研究所所長は
「弥生人と江南人骨の特徴が極めて似ていることが分かり、
 弥生人渡来の江南ルート説に科学的根拠が与えられた。
 今後も多方面から研究を進め、弥生人渡来の実態を解明したい」
と話している。

 江蘇省ではこれまで春秋戦国時代から前漢時代までの人骨が
ほとんど出土せず、渡来系弥生人との関連を探る研究は進んでいなかった。

「文化的にも江南から影響有」という記事も見られる。

吉野ヶ里で発見された絹は、遺伝子分析により前2世紀頃中国江南に
飼われていた四眠蚕の絹であることが分かった。
当時の中国は蚕桑の種を国外に持ち出すことを禁じており、
世界で最初に国外に持ち出された場所が、日本の北部九州であり、
考古学的に証明された。

『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の
 貴族のものとみられる墓から、原始的な磁器の鐸が見つかった。
 南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した
 鐸と異なり、日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。
 中国側研究者からは
 「日本の銅鐸は越から伝わった可能性があるのでは」との声が出ている。
 鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12~18センチの鐘型。
 肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、
 鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いている。

 同博物院などの説明では、黄河流域を中心に中国各地で出土してきた鐸は
 上部に手で持って鳴らすための細長い柄が付いたものばかり。
 日本の銅鐸と似たつり手の付いた鐸が、長江(揚子江)下流域の呉
 (?~紀元前473)と越(?~紀元前334)に存在していたことが
 歴史書にあるが、実際に中国で出土したのは今回がはじめて。
 楚に滅ぼされた越から日本に逃げた人がいるとされることもあり、
 日本の銅鐸との関連性を指摘する声が出ている。

 2006年3月7日付の朝日新聞
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でも君の論文には、韓国学者の学説
韓半島出身の移住民が日本の原住民の言語を
 かなり入れ替えた」

とは、どこにも書かれていないのさ!
多種のアジア移民の流入によって、新しい農業技術の伝播が
それまでの先住民の言語から変化したという論文。
言語学的見地ではなく、人間行動学から見た
「農業の社会的発達は生物学・言語学の多様性に大きく
 影響を与える要因の一つであり、それは
 技術文化的革新が伝播することで起こりうるという仮説」

君も論文で述べているが
「このアプローチによって、言語変化の詳細が
 明確になるわけではない。」
仮説は仮説。

ところで、この様なアプローチは言語学では既に行われている。
【ベイズの定理】を使った統計学的確立理論じゃないけれどね。
日本語が、ハイブリッド言語であるという学説は目新しい理論ではない。
例えば、
南島語が日本語に与えた影響についてアプローチしたのは泉井久之助氏。
泉井氏の説を受け継いだ村山七郎氏のアプローチでは
臍(へそ)
悔しさを表現する言い回しに、「ホゾをかむ」というのがあります。
ホゾというのは、ヘソの古語です。
ハ行,ハヒフヘホのの子音は、室町時代にはで、
ホゾは、フォゾ(fozo)と発音されていました。
更に時代を遡ると、と発音され、
pozo あるいはpotsoと発音されていたと推定されています。

一方,沖縄の八重山群島方言では、 putsuです。
この八重山群島というのは,日本語の研究者にとって有名な地域で,
非常に古い形の日本語が保存されていると考えられています。
語頭音が、p なのは、実際に古い形が保存されていることを示してます。

故に、へその古代日本語の原型は「putso」と推測されます。

一方、南島語の「臍(へそ)」は
 台湾高砂族         puza
 フィリピン(タガログ語)  pusod
 インドネシア        pusat
 バリ島  puser
 サモア  pute
 タヒチ  pito
 ハワイ  piko
 フィジー  vido
 南島(オーストロネシア)祖語  putsog(推定)
南島語から分布されたへその古語の変化形・ホゾが現存する。

ロシアの言語学者・ポリワーノフ氏は、1914年とその翌年に来日し、
日本語方言の調査を行いました。
漢語のオリジナルのアクセントが、日本語のどこの方言に正確に
保存されているか調査し、土佐方言が、最も古い日本語のアクセントを
保存しているという説を唱えました。

彼が注目したのは、、「接頭語」。
万葉集などを見ると、奈良時代には様々な接頭語が使われていました。
 イ  い隠る い渡る
 カ  か黒き かそけき か細き
 サ  さ衣 さ夜
 タ  たなびく,たばしる
 マ  ま白

真っ黒、真っ白、真っ赤・・・
接頭語なるものは、アルタイ語にはありません。
一方、このような接頭語は、南島語では、ありふれた文法要素です。
ポリワーノフさんは、日本語の『真っ黒』という表現から
makkuro → ma・ku・kuro
kuroに強調の接頭辞 'ma'が付いて、
kuroの一部が不完全に反復されて、元の形容詞の意味を
強調したものと解釈したのです。

これに似た表現が、フィリピン語(タガログ語)にあります。
例えば、bait(善良さ)の形容詞強調形(複数)は、

bait(善良さ)→ ma-ba-bait(善良な)
「接頭語ma+語根の不完全重複」ですね。

さて、日本語のルーツは韓国語だといわれても
古代朝鮮半島の言語の音韻資料は、あまりにも乏しく
日本語の音韻と比較するのは、とてもとても困難です。


例えば、
高句麗語は、ほんの断片しか現在に伝えられてないのですが、
特に数詞において、日本語とのの類似が注目されます。
「3」=mir、 「5」=uts 、「7」=nanin、 「10」=tok
日本語の「ミー」「イツ」「ナナ」「トヲ」に似ています。

しかし、一方の韓国語では、
「3」=sai、 「5」=tasas、 「7」=nilgup、 「10」=yal
で、全く似ても似つかない形をしています。

高句麗語の「3」=mirが、
中世朝鮮語の「nil」と日本語の「mi」に分かれたと仮定して
日本語の「5」がツングース起源とすれば、
高句麗語の「uts」から変化して「tu」 になるハズなのですが
実際には「イツ(itu)」
しかも、五六(i-so-roku)三路(mi-so-ji)という発音があり
十=soとすると、日本語の「5」はi
そうなると、オーストロネシア(AN)祖語の「lima」の方が
近いんですよ・・・

だから、たった210のサンプル数を用いて
PCで確率を計算させたら、日本語は半島由来でした!
なんて仮説が、
如何に「ウリナラ願望フィルター」を掛けているか解りますよね。


イ・サンギョン君の
「紀元前200年前後に半島から移住した農民によって
 それまでの先住民の言語から、日本語が大きく変化する」仮説
2200年前の朝鮮半島の情勢は、
●楽浪郡
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E6%B5%AA%E9%83%A1
 楽浪郡(らくろうぐん)は、漢朝によって設置され、
紀元前108年から西暦313年まで存在した、朝鮮半島北部の
地方行政機構(植民地との見方も存在する)。
真番郡、臨屯郡、玄菟郡と共に漢四郡と称される。
東方における中華文明の出先機関であり、朝鮮や日本の中華文明受容に
大きな役割を果たした。

日本の壱岐市の原の辻遺跡では楽浪郡の文物と一緒に
弥生時代の出雲の土器が出土しており、
これは、楽浪郡と壱岐、出雲の間の交流を示す。

姫原西遺跡や西谷墳墓群がある出雲平野には、強大な国が
あったと思われ、出雲が楽浪郡と深い関係を持ちながら、
山陰を支配していた可能性がある。

●邪馬台国と楽浪郡
 ホケノ山古墳の楽浪鏡 画文帯神獣鏡と方格規矩鏡

 http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/shiten3yamatai.htm
 ヤマト政権は楽浪郡を通じて大陸の先進文化を受容していました。
しかし楽浪郡は313年に高句麗によって滅ぼされ、これによって倭国は
中国大陸の政権と完全に隔絶されてしまいます。
4世紀後半より倭国は盛んに高句麗と戦闘しますが、想像を逞しくすれば、
高句麗によって国を追われ日本列島へと移住した楽浪移民にとって、
故地を奪還するという目的もあったと考えることは些か想像を過ぎましょうか。
初期の古墳に埋葬された小札鎧の存在から見ても、楽浪郡から物品の移動
のみならず人の移動もあったのは間違いないと思われますし、
古墳時代のはじめから出現する楽浪鏡や北部九州以外の地域での新たな
楽浪鏡の副葬開始と、積石塚や竪穴式石室などの新しい墓制の出現が
それを明確に示していると考えています。
-----------------------------------------------------------------

韓国メディアの
「韓半島から日本列島への移住が大々的に行われた
 紀元前200年ごろにルーツがある
という報道は、
奇しくも、韓国学者の
「韓半島出身の移住民が日本の原住民の言語をかなり入れ替えた」
という学説を跳ね除け、逆に
海人族と呼ばれる、中国南部や東南アジアから渡来系住民の言語が
南方系縄文言語と合体してクレオール化した日本語の祖語が
土井ヶ浜遺跡で発掘されたような中国山東省の遺跡で発掘された
漢代の人骨とよく似た紀元前200年ごろの移住民によって確立された
と、朝鮮半島ストロー説が証明されてしまうのではなかろうか?

>一部では、日本語が韓半島の移住民による影響を受けていたため、
 滅亡した百済の遺民が日本に渡ったときも、
 意思疎通に大きな問題がなかったと主張している。
というウリナラ学説も、
4世紀以後の亡命渡来人が、すでに畿内が均質化し確立された
日本語祖語によって、百済王家でさえもせいぜい東北の国造クラスに
しかしてもらえなかったのだから、
彼らの言語と紀元前200年ごろにはすでに固まっていた日本語とは、
ほとんど通じないものになっていたはずなのです。
では、何故意思の疎通が出来たのか?

●紀元前1世紀の楽浪郡木簡発見
 2009年3月19日11時19分
 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200903190125.html
 北朝鮮で紀元前1世紀の木簡の発見が伝えられ、
日本や韓国の研究者の注目を集めている。
日韓で見つかっている木簡よりも500年以上さかのぼり、
中国より東では群を抜いて古い。
情報は断片的だが、中国文化が東アジアに波及する過程を
示すものとして、「画期的史料」との見方が強まっている。
(略)
平壌の古代の墓から出土したといい、
「楽浪郡初元四年県別戸口多少」との題がついていた。
「初元」は前漢の年号で、4年は紀元前45年に当たる。
戸籍の統計と見られ、楽浪郡の人口は28万人といった
内容と推定できる。
(略)
楽浪郡は前漢が前108年に設置した植民地。
韓国・翰林大の金秉駿教授は
「文字を使った行政をはじめ、中国文化はまず楽浪郡で受容され
 韓半島に広がり、日本列島へと渡った。
 楽浪は東アジアの古代を考えるために決定的に重要だ」
とその意義を語る。

 楽浪郡による支配は420年にもわたり、
日本との外交の窓口でもあった。
日本が記録に初めて登場する漢書には
「楽浪の先の海中に倭人がおり、百余国に分かれている」
と記されている。「漢委奴国王」の金印をもらった奴をはじめ、
日本のクニグニは楽浪に使いを送ったはずだ。
出土場所が墓だったので、戸籍を担当した役人の副葬品との見方もあるが、
平壌では楽浪時代の墓が千基以上も調査されているという。
日本にかかわりのある木簡も眠っているのでは……
研究者の視線が熱を帯びる理由だ。
----------------------------------------------------------------
楽浪郡による朝鮮半島支配は420年。
420年も支配されれば、それまでの言語の喪失や変化や転化が置き
中国東北部の高句麗から他民族が来ようとも、支配層以外は
様々な言語や訛りが存在したわけで
百済棄民との意思疎通ができたのは、百済訛りの中国語(前漢語)とか
前漢語訛りの百済棄民とハイブリット古代日本語との意思疎通でしょう?

韓国系学生がPCで解析したくらいでは、複雑すぎる
多重構造の日本語!

で、韓国学者よ
古代朝鮮語が、どの様な発音だったか
音韻の詳細な資料があったら並べて見せなさい。
そして、その古代朝鮮語と現代韓国語の継続性を証明しなさい。

出来るのならね!

朝鮮日報の
車学峰(チャ・ハクポン)東京特派員、
大学院生のイ君の論文を、
「東京大学教授」の論文だなんて
嘘を付くな!嘘を!

まったくぅ
息をするように嘘を付きやがる・・・
 


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Comments 9

半世紀

「韓半島」???

「朝鮮半島」はすぐに変換できますが、「韓半島」では出て来ません。
つい最近、何とか「国」として認められた程度のくせに、よくもまあ、恥ずかしいことをのたまって、、、
韓国という国に対して、最初は「怒り」でいっぱいでしたが、段々「笑い」に変わり、今では「哀れみ」すら感じるようになりました(笑)

2011-05-06 (Fri) 18:09 | EDIT | REPLY |   

ゆーさくパパ

??

日本が併合前の朝鮮人の写真など観て思うんですが
朝鮮土人、乞食、売春、乳出し、ウンコ酒国家に朝鮮人に歴史ってあるの?
フィクション国家だからしょうがないけど
ランクリです

2011-05-06 (Fri) 19:21 | EDIT | REPLY |   

名無しさん

イ・サンギョン君、
幼少時に韓国からまともな国に脱出しても、
嘘つきは治らなかったのね。
韓国人がなりすますのは日本人だけかと思ったら、
中国人にもなりすます。
哀れなピエロに見えます

2011-05-07 (Sat) 01:13 | EDIT | REPLY |   

Alicia

東大の大学院って

管理人様のようにきちんと下調べをすればすぐに「捏造」「思い込み」とわかるようなレベルの卒論でOKなんですね・・・レベル低!
これが天下の日本の東京大学のレベル。
そして、こんなんがそのうち日本の大学の教授とかになっちゃうんでしょうか??
日本、政治的にも、学問面からも、あらゆる内部から破壊され始めてます。気をつけないと!

2011-05-07 (Sat) 04:24 | EDIT | REPLY |   

Nickelback

ありがとうございます

初めまして
ブログ内容に関心しました
これからも頑張ってください
いい勉強になりました
本当に
ありがとうございました。

2011-05-07 (Sat) 17:59 | EDIT | REPLY |   

-

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2011-05-08 (Sun) 01:00 | EDIT | REPLY |   

名無しさん

朝鮮半島の歴史はややこしく複雑です。1つハッキリしてる事は朝鮮人は朝鮮半島でまともな文化なんて産み出していません。朝鮮人の祖先はエベンキ族なんです。
要するに高度な半島文化は漢人や秦人や満州人の人達が担当していて残りの住民はエベンキ朝鮮人と半島の原住民で構成されていて土人同然
あくまでも仮説ですが
多分両班は文化担当の半島人で白丁の方はエベンキ朝鮮人だったんだと思います。
1910年時点での朝鮮人(エベンキ)の文盲率は90%で土人並みでした。
残り10%の文化人は非朝鮮人なんです。
補足ですが新羅は女真族を中心に建国された国で倭人も大きく建国に関わりました。エベンキ朝鮮人は後から新羅に寄生してジャックしたんです。朝鮮半島の文化人は100%非朝鮮人です。
ホンタイジは女真族出身なんです。新羅.百済.高句麗.高麗(コマ)の文化は漢人や秦人や満州人(女真)が全部産み出した文化
ちなみに高麗(コマ)は満州人が建国した国
紛らわしい事に高麗(コウライ)は満州人の国の高麗(コマ)とは全く関係無い偽物国家なんです

2011-06-03 (Fri) 01:26 | EDIT | REPLY |   

mina

ビックリ

本当に韓国人は嘘が多いですね・・捏造というか。

2012-02-23 (Thu) 22:32 | EDIT | REPLY |   

mimisiwa

朝鮮人が嫌い

朝鮮人には素直にはなれません。
中国人にも素直にはなれません。
例え、古代からの繫がりがあったとしても認めません。
古代、この国を造ったのがロコ(日本民族)でなかったことも認めません。
中国、朝鮮が大嫌いだから。

これ、虐めにあったガキか女の子みたいで大人気ないかな。

2016-04-30 (Sat) 21:02 | EDIT | REPLY |   

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