午後2時46分、実家にて黙祷

★東日本大震災6年、
 各地で祈り 
 約12万3千人が依然避難生活

 http://www.sankei.com/photo/story/news/170311/sty1703110008-n1.html
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★秋篠宮さまが追悼のおことば
 「深く心が痛みます」

 テレビ朝日系(ANN) 3/11(土) 16:00配信
 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170311-00000029-ann-soci
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 東日本大震災の発生から6年となる11日、
政府主催の追悼式が東京で開かれ、
秋篠宮さまが「いまだ帰還の見通しが立っていない
人々の気持ちを思うと、深く心が痛みます」と述べられました。

 秋篠宮さま:
「困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。
 特に、避難生活が長期化するなかで、
 年々、高齢化していく被災者の健康や放射線量が高い
 ことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない
 地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます」


 午後2時半から東京の国立劇場で開かれた
東日本大震災の追悼式には、これまで天皇皇后両陛下が
出席されてきましたが、今回は秋篠宮ご夫妻が参列されました。
秋篠宮さまは
「一日も早く安寧(あんねい)な日々が戻ることを
 心から願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします」
とお言葉を締めくくられました。
宮内庁によりますと、両陛下は、地震が起きた午後2時46分に
皇居で黙祷(もくとう)を捧げられました。
11日は予定は入れず、静かにお過ごしになるということです。

(引用ここまで).



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★「教訓忘れることなく、防災意識を高め、
  災害から多くの人々が守られることを
  希望します」 秋篠宮さまのお言葉全文

 産経新聞 2017.3.11 15:59
 http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/170311/evt17031115590021-n1.html
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 6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに
経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、
東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な
地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、
2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の
行方がいまだ知られておりません。
ここに、本日、参集したすべての人々と共に、
震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、
深く哀悼の意を表します。

 この6年間、被災地においては、人々が互いに
助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、
復旧と復興に向けた努力を続けてきました。
そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、
それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。
その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、
学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において
着実な進展が見られました。また、
 原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域に
おいても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がって
きております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、
心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに
進んでいくことを祈念しております。

 しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、
困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。
特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく
被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の
見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと
深く心が痛みます。
困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、
平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、
私たち皆の願いです。

 東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、
私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の
記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。
この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の
意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、
災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。

 様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく
歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、
一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、
御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。




★東京大空襲72年で法要 
 遺族ら参列、秋篠宮ご夫妻も

 朝日新聞 2017年3月10日
 http://www.asahi.com/articles/photo/AS20170310001503.html
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政府主催の東日本大震災の追悼式。
今年は秋篠宮両殿下が参列された。
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 (黙祷される秋篠宮両殿下)

宮内庁の決定で、
天皇陛下は、追悼式典には節目の年に
臨席される事となった。
今上陛下がご譲位された後も、
このようにされるのだろうか?

秋篠宮両陛下は
東京大空襲72年の春季法要に続いてのご参列。
眞子内親王殿下が成人皇族となられて
秋季法要に参列されている。




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3月11日、今年は実家で母と過ごす。
TVを映しながら 午後2時46分、黙祷・・・

あれ?
黙祷の時間にサイレンが鳴らない。
私の住む市では、黙祷の時間に合わせて
サイレンが鳴るのになぁ・・・

母が
「そういえば、終戦の日も
 いつの間にかサイレンが鳴らなくなったわね。」

ええええ?
うちの市では、毎年鳴っているよ。
3/11も、8/15も、
サイレンが鳴ると、仕事の手を止めて皆で黙祷する。
(阪神大震災の追悼サイレンは
 10周年以降鳴らなくなったが)

この町では鳴らさないんだ・・・
皆で黙祷を捧げないのかな。

午後、町内でお亡くなりになった方の放送があった。
あれ、昔は放送の前に「蛍の光」の音楽が流れ
通夜や葬儀の日程がアナウンスされたのに・・・
蛍の光の音楽が流れたら、聞き逃さないように
窓を開けて放送を聞いていたのだけれど。
今は
「〇班の、〇〇さんがお亡くなりになりました。
 心よりご冥福をお祈りします。」
と、1回だけ放送して繰り返さない。

母「先日も放送を聞き逃しちゃって
  知り合いのお通夜に参列できなかったの・・・」

町内会の放送に「うるさい!」という苦情があって
蛍の光を流すのも、繰り返して放送するのも止めたらしい。
家族葬が多くなったので、
通夜や葬儀日程も、全て放送しない事にしたらしい。

いつの間にか、
町内で哀しみを共有することもしなくなった・・・。


★東日本大震災6年 
 震災直後10億円寄付した台湾人・
 張栄発氏を忘れてはいけない

 産経新聞 3/11(土) 11:30配信
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170311-00000517-san-cn


★台湾の日本人留学生が主催した
 「謝謝台湾」イベント6周年

 https://twitter.com/bluesayuri/status/840396852092575744/photo/1
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Discoveryチャンネル
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震災直後の早野教授のツイート。
マスコミが悲観論と危険論を論じてる中、
とても説得力のある話は無視された・・・。

■ryugo hayano‏@hayano
 https://twitter.com/hayano/status/46978697999286273
 【参考】1974年に中国が大気圏核実験を行い,
 東京に雨とともに放射性物資が降った.
 学生だった私はガイガーカウンターで
 人々の頭髪や衣服などを測定.その数値は,
 福島の病院で被曝された方々と同程度以上,
 都民の多くが被爆したはずだが,
 それによる健康被害は
 現在にいたるまで報告されていない.
 9:59 - 2011年3月13日




★そのイメージ、
 2011年で止まっていませんか?
 アップデートしたい福島のこと

 BuzzFeed News 2017/03/11
 https://www.buzzfeed.com/satoruishido/3-11-fukushima-2?utm_term=.kfWJOwJ5g7#.jxzY1wYKRV




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東日本大震災追悼曲「日出ずる国へ」、シンセの始祖キース・エマーソンさん死去・・・

2011年3月11日、
日本での東北地方太平洋沖地震と津波の
ニュースを見たキース・エマーソンさんは、
日本の皆様の励ましにすこしでもなれば、と
”The Land Of Rising Sun”
(日出ずる国へ)
という曲を作曲し、
同日に録音しました。

キースさんはこのMVを無料公開し、
これを見た方々に
日本へ、そして世界のあらゆる災難の
被災地への寄付を呼びかけてくださいました。

そして
東日本大震災で愛するご家族を失われた方々、
そして被災されたすべての皆様に向けて
メッセージを送って下さいました。


 強靭でそして美しい国、日本

 桜が毎春必ず花を付けるが如く
 皆さんはいつもいつの時でも
 家族や友人たちに
 見守られていくことでしょう。

 皆さんはそんな方々の為に
 心を強く持ち
 お互いを助け合いながら
 歩んでいくのでしょう。

 愛をこめて
 キース・エマーソンより




●KEITH EMERSON
 "The Land Of Rising Sun" v.2
 「日出ずる国へ」日本語訳版

 https://www.youtube.com/watch?v=ABOdm2-rLlw&sns=tw




★キース・エマーソンさん自殺
 「エマーソン・レイク&パーマー」
 キーボード奏者

 The Huffington Post 2016年03月12日
 
http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/11/keith-emerson-passed-away_n_9444234.html
1970年代に人気を博したプログレッシブバンド
「エマーソン・レイク&パーマー」(ELP)の
キーボード奏者、キース・エマーソンさんが
3月10日、死去した。71歳。


元バンドメンバーのカール・パーマーさんが
Facebookで明らかにした。
「良き友であり、音楽での兄弟、
 キース・エマーソンの死を知り、深く悲しんでいます。
 キーボード奏者としてのパフォーマンス、
 音楽への愛と情熱は比類ないものでした。
 キースは開拓者、発明者でした。その音楽の才能は
 ロック、クラシック、そしてジャズの世界に及びました。
 私はいつも、彼の温かい笑顔、ユーモアのセンス、
 エンターテイナーとしての意識の高さ、
 作品への没頭ぶりを思い出します。
 彼と知り合え、音楽を一緒にできたことは
 私にとって幸せでした。安らかに」


バンドの公式Facebookページは、
キース・エマーソンさんがアメリカ・ロサンゼルスの
自宅で亡くなったことを短く伝えた。

ビルボード誌は警察の情報として、
キース・エマーソンさんが拳銃で自殺した
と報じている。




●シンセサイザーパフォーマーの始祖、
 キース・エマーソン死去

 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/12/news022.html
(引用開始)
シンセサイザーをライブ演奏することが
考えられなかった時代(1970年頃)に
大型のモジュラー型Moogシンセサイザーを
ステージに持ち込み、生でパッチングをしながら
音色をどんどん変えていき、
音程を自由に変更できるリボンコントローラーを
駆使したギター以上に自由なパフォーマンスで、
スタジオワークが中心だったシンセサイザーの
可能性を大きく広げ、その後のMinimoogなど
持ち運び可能な小型シンセサイザーへの道を開いた。

 Hammondオルガンにナイフを突き立てて音を固定したり、
反対側から弾いたりといった、ジミ・ヘンドリックスの
キーボード版とも言えるハッタリの効いたパフォーマンスと、
クラシックの素養に裏付けられた正確な演奏技術とが
あいまって、同時代のキーボードプレーヤーの中で
ずば抜けた存在感を持つアーティストとなり、
今なお多くのミュージシャンの尊敬を集めている。


モジュラーMoog、Hammond、ピアノなどに囲まれた
「城」の中でプレイするスタイルは
多くのキーボードプレーヤーのモデルとなった。


 ベーシスト兼ボーカリストのグレッグ・レイク、ドラマーの
カール・パーマーと組んだELPは1970年にデビュー。
「展覧会の絵」「タルカス」「恐怖の頭脳改革」といった
ロックの歴史に残る名作を70年代の前半に続けざまに
リリース。当時、日本においてはアイドル並の人気を
誇っていたことでも知られる。

日本では
アニメ映画「幻魔大戦」のサウンドトラックを担当。
NHK大河ドラマ「平清盛」では、「タルカス」のオーケストラ
編曲版が使われた。来日公演も多く、
4月には東京、大阪でのライブが予定されていた。




芸能ゴシップサイトのTMZによれば、
エマーソン氏は神経性の障害で
右手の2本の指が動かず、最近はうつ状態だった

と報じられています・・・。

辛いなぁ・・・

ご冥福をお祈りします。








ELP Live in Tokyo 1972




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東日本大震災5年、殉職された多くの方々に哀悼の意を込めて

★津波にのまれた父を思う…
 6歳の女の子は
 一度も髪を切ったことがない
 「パパがなでた髪かもしれないから」
 
 産経新聞 2016.3.11 10:30
 http://www.sankei.com/affairs/news/160311/afr1603110017-n1.html

髪に宿るパパのぬくもり

 宮城県塩釜市・高橋心陽(こはる)ちゃん(6)

 死者、行方不明者合わせて1万8千人を超えた
東日本大震災は、発生から11日で5年となる。
歳月は流れ、
変わるものと変わらぬものが交錯する被災地。
人々は胸にさまざまな思いを宿し、
復興に向けて歩みを進める。

       ◇

 「幼稚園で一番長いんだ」。
お尻まで伸ばした髪をなびかせ、ほほ笑んだ。

 宮城県塩釜市の高橋心陽(こはる)ちゃん(6)は、
これまで一度も後ろ髪を切ったことがない。
東日本大震災が起きたのは1歳の時。
津波のことも、
消防団員として避難を呼びかけながら
亡くなった父、昌照(まさてる)さん=当時(37)=

のことも、ほとんど覚えていない。

仙台市の自宅にあった家族写真は津波で流された。
「パパがなでた髪かもしれないと思うと、
 切れないんです」。

母の陽香(はるか)さん(42)にとって、
心陽ちゃんの髪は夫のぬくもりを残す大切な思い出だ。

(中略)
「こっちには来るな!」

 「おむつが欲しいからそっちに行くね」
「こっちには来るな!」。平成23年3月11日、
仙台市宮城野区の消防団に所属していた昌照さんは、
自宅に戻ろうとしていた陽香さんを電話で制止し、
保育園に長男の真心(こころ)君(8)と心陽ちゃんを
迎えに行くよう指示。これが最後の会話となった。

 昌照さんが乗っていたポンプ車は自宅から
約150メートル離れた場所で大破して見つかったが、
連絡はとれないまま。
13日に避難先で知人と再会した陽香さんは、
思わず泣き崩れた。「パパがいないの」。
傍らでは子供たちが不安そうに見つめていた。
「もう泣けない」。涙をこらえた。

 夜、おぶっていた真心君がつぶやいた。
「パパ、死んだんだよね」。思わず否定した。
「パパ、生きてるから!」。
自分に言い聞かせていたのかもしれない。
息子は背中で泣いていた。

同月30日、
自宅近くのがれきの中から遺体が見つかった。
作業着の胸と肩には家族3人の名前をつなげた
「真心陽香」の刺繍(ししゅう)。
肌は土色になっていたが、確かに昌照さんだった。
死因は頭部損傷。ヘルメットには亀裂が走っていた。

 昌照さんは最後まで住民に「逃げて」と呼びかけ、
消防団仲間に「家族を逃がせ」と促していた。
夫らしい行動だったと思う。

火葬を終え、骨壺に「心陽より軽いよ」と語りかけた。

(中略)

「なんでパパが
 死ななければならなかったんだ!」。

今年1月、真心君が突然、布団で泣きじゃくり、
枕をたたいた。
震災後、自分から父の話をすることはなかった。
父の記憶を封じようとしているのかは分からない。
葛藤が垣間見えた瞬間だった。

 髪を伸ばし続けてきた心陽ちゃんも時々、
「切りたい」と言うようになった。
「心陽に決めさせようと思いつつ、
 迷っている私がいる」と陽香さんは話す。
 
(全文はリンク先で)



●迫る津波を前に命がけで
 水門を閉めた消防団員たち
 253人の犠牲者を生んだ
 重すぎる「社会構造の矛盾」

 2011年10月11日
 http://diamond.jp/articles/-/14354
今回の震災で死亡したり、行方不明となった
消防団員は、総務省消防庁が9月に行なった
調査で253人になる。
内訳は、
岩手県が119人、宮城県が107人、福島県が27人

消防団員は、普段は自営業を営んだり、
農林水産業に従事している。
火災や地震などの自然災害があれば、
いち早く現場に駆けつけ、
人命救助や消火、復旧作業などを行なう。


 東北3県で犠牲になった消防本部の職員は
27人であるのに対し、団員は253人。
団員は非常勤特別職の地方公務員であるが、
1人につき年間で数万円の報酬しか支給されない。
災害や火事などの1回の手当は、
1500~3000円ほどだ。

 彼らが3月11日、命をかけて行なった
災害救助活動の後には、
さらなる試練が待ち構えていた。
今回は、消防団員の活動やその課題を
採り上げることで、「大震災の生と死」を考える。

 津波が来ることはわかっていた
 だが、逃げることはできなかった

(中略)
釜石市の防災課によると、
市は震災前の時点で140ヵ所ほどの水門を管理し、
そのうち消防団は77ヵ所を担当していた。
震度4以上の地震が起きたときや、
津波注意報・警報が発令されたときは、
団員がそれらの水門を閉めることになっている。

(全文はリンク先で)


●大震災で公務中に亡くなった
 消防団員の遺族に支払われる
 弔慰金が大幅に削減される事態に。

 2011年06月23日
 http://blogos.com/article/13983/


●被災地から 消防団(3)
 逃げるのだって任務

 2014年03月04日
 http://www.nishinippon.co.jp/feature/fire_company/article/73426




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 枯れ草に覆われた津波浸水域で
 行方不明者の捜索をする消防団員たち
 =福島県浪江町で2015年3月11日



私の父は、消防隊員だった・・・

子供の頃から、母は
「お父さんは、
 イザという時には出動しなくちゃいけない。
 だから、災害が起きたら
 私たちだけで乗り切らなくてはいけない。」

と、いつも自分に言い聞かせるように言っていた。

我が家が、台風で床下浸水した時も
父は緊急出動してしまい
残った家族だけで後片付けをした。
近所で火事が起きた時、
通夜から戻ったばかりの父は
礼服のまま消火活動に入って、
びしょ濡れでスス混じりの喪服と
泥だらけの靴で戻って来た日もある・・・

消防団員は、わずかな報酬を受けるだけの
ボランティアなのだ。
それぞれの仕事が終わった後の夜に集合して、
消火訓練や講習もある。
地域防災の担い手としての責務を負う。
自ら志願して、地域防災の要として
奮闘して下さっている。

高橋心陽ちゃん(6)と真心君(8)の幼い兄妹が
「なんでパパが
 死ななければならなかったんだ!」

と堪えきれない哀しみを抱えている・・・
納得できないだろう。
避難誘導をしていなけれれば、
今頃家族揃って過ごしていたかもしれない。

せめて
あなた達のパパの避難誘導によって
救われた命を誇りにして欲しい。

「自分の町を、自分の手で守る」
強い使命感で、
今夜も、住民の知らない所で、
地域は、こうした人達によって守られている。

東日本大震災では、
自衛官・警察官・消防官・消防団員・市職員・
教師・医療従事者などなど・・・
多くの人達が、職務を全うする為に
自己を犠牲にして命を落とされました。

どうか、どうか、
彼らの事を忘れないでいて欲しい。
遺されたご家族の為にも、
どうか忘れないでいて下さい。



●東日本大震災で殉職された方々
 http://tsuitou.com/fallen-hero/


●東日本大震災と殉職
 兵庫県こころのケアセンター
 副センター長 加藤 寛
 http://www.hemri21.jp/columns/columns020.html
(引用開始)
東日本大震災が阪神・淡路大震災と大きく
異なる点の一つは、殉職者の多さである。
発生時刻が平日の昼間の時間帯であり、
地震から津波襲来までの時間に、防災マニュアル
どおりに防潮堤や水門を閉めたり、
住民の避難誘導や情報収集などにあたったりした
多くの人たちが亡くなった。
消防隊員・消防団員262名、警察官25名、自衛官2名
のほかにも、役場の職員、教職員、医療機関や
介護施設の職員などを含めると、
数百人の尊い命が奪われた。


災害救援者が業務を通して経験する
心的外傷(トラウマ)体験を、惨事ストレスという。
生命の危険を感じる現場活動、悲惨な遺体を
扱うこと、過酷な環境での作業などが、
その典型的な状況であるが、
同僚の殉職はとりわけ大きな影響を、
現場に居合わせた同僚のみならず、
職場全体に大きな影響を及ぼすことが知られている。  


●震災の殉職消防団員らを慰霊 
 天皇陛下、退院後初の公務

 2011/11/29
 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2901D_Z21C11A1CR0000/
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●天皇陛下
 「国民が心を一つに寄り添って」 
 おことば全文

 朝日新聞 2016年3月11日
 http://www.asahi.com/articles/ASJ3C3T3SJ3CUTIL00J.html
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(一部を引用させていただきます)
5年前の今日、東日本を襲った巨大地震と
それに伴う津波により、2万人を超す死者、
行方不明者が生じました。
仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで
押し寄せてくるテレビの映像は、
決して忘れることができないものでした。
このような津波に対してどのような避難の道が
確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちに
なったことが思い起こされます。
また、何人もの漁業者が、船を守るために
沖に向け出航していく雄々しい姿も
深く心に残っています。

 このような中で、
自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする
国や地方自治体関係者、さらには、一般市民が、
厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず
救助や捜索活動に携わったことに
深い感謝の念を抱いています。


 地震、津波に続き、
原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、
多くの人々が避難生活を余儀なくされました。
事態の改善のために努力が続けられていますが、
今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと
心が痛みます

(中略)
 あれから五年、
皆が協力して幾多の困難を乗り越え、
復興に向けて努力を続けてきました。
この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の
造成、産業の再建など進展が見られました。
しかし、被災地で、また避難先で、
今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。
特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、
私どもの関心の届かぬ所で、
いまだ人知れず苦しんでいる人も
多くいるのではないかと心に掛かります。


 困難の中にいる人々一人ひとりが
取り残されることなく、一日も早く普通の生活を
取り戻すことができるよう、
これからも国民が心を一つにして寄り添って
いくことが大切と思います。


 日本は美しい自然に恵まれていますが、
その自然は時に非常に危険な一面を見せることも
あります。この度の大震災の大きな犠牲の下で
学んだ教訓をいかし、国民皆が防災の心を培うとともに、
それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が
築かれていくことを衷心より希望しています。

 今なお不自由な生活の中で、
たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、
被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを
一同と共に願い、
御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。
 
 
(全文はリンク先へ)





東日本大震災から5年。
日本国民が、犠牲者を悼み黙とうを捧げる。
海外でも、日本と共にに犠牲者を悼んでくださる。




こんな日に、
狂ったサヨクは五月蠅く騒いでデモ。
殉職した同僚を悼み慰霊をしたいのに、
こんな連中の騒がしいデモの警備に
当たらなくてはならない警察官の皆さん・・・

こんな日に、
毎年、便乗デモなんて狂気の沙汰だ。
静かに亡くなった方々を哀悼できないのか!
人でなし!



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http://hantenhangenpatsu.hatenablog.com/

>全国一斉黙祷反対!
 ヒロシマナガサキフクシマの責任取れ!
 天皇制いらない!



呼びかけ*反戦反天皇制労働者ネットワーク

賛同団体:
*改憲阻止!労働者・市民行動
*関西単一労働組合
*参戦と天皇制に反対する連続行動
*全関東単一労働組合*戦時下の現在を考える講座
*立川自衛隊監視テント村*
千葉高教組市川支部「ひょうたん島研究会」
*天皇制を考える会:静岡*排外主義にNO!福岡
*派兵反対実*反安保実行委員会*反原発ジグザグ会
*反原発・たねがしま
*反戦反天皇制労働者ネットワーク
*反天皇制運動連絡会
*「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
*兵庫反天皇制連続講座 *福岡合同労働組合
*フリーター全般労働組合*労働運動活動者評議会
*労働者共闘


●排外主義にNO!in 福岡
 イオWebマガジン
 http://www.io-web.net/2010/06/blogers-ksetan/

 


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震災孤児の後見人横領で再逮捕

★震災孤児の後見人横領で再逮捕
 NHK 02月22日 21時22分
http://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20160222/5863981.html
東日本大震災で両親を亡くした、当時、
小学生だったおいの未成年後見人に選任された
石巻市の男がおいの預金口座から現金を引き出し
着服したとして逮捕された事件で、
男は22日、業務上横領などの疑いで
再逮捕されました。
着服したとされる額はあわせておよそ
6800万円にのぼっています。


再逮捕されたのは、
石巻市の飲食店経営、島吉宏容疑者(40)です。
仙台地方検察庁によりますと、島容疑者は、
両親を東日本大震災で亡くした当時小学生の
おいの未成年後見人に5年前の平成23年5月に
選任されたあと、この年の9月から翌年5月にかけて
おいの預金口座からあわせて
およそ4200万円を引き出したり、
経営する店の支払い先の口座に振り込んだりして
着服したとして業務上横領の疑いが持たれています。


島容疑者はおいの口座から同じように現金を
引き出すなどして着服したとして2回逮捕されていて
22日までにあわせて2600万円の業務上横領の罪で
起訴され再逮捕された分をあわせると
被害額はおよそ6800万円にのぼります。

仙台地検によりますと着服したのは
親がなくなって支払われた保険金などが含まれていて、
島容疑者は車やバイクの購入、
それに経営する飲食店の運営費用に使っていた
ということです。
また島容疑者は、自分の姉が震災で亡くなったにも
かかわらず「姉の治療費が必要だ」などとうそを言い
姉の口座の通帳を再交付させ現金を引き出した
として詐欺や窃盗の疑いでも再逮捕されました。
仙台地検は認否について明らかにしていません。

(引用ここまで)


★震災孤児後見人
 さらに4320万円横領か

 河北新報 2016/02/23
 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201602/20160223_13039.html
未成年後見人の立場を悪用し、
東日本大震災の孤児から現金を横領した事件で、
仙台地検は22日、さらに現金約4320万円を
着服したなどとして、業務上横領容疑などで、
石巻市の飲食店経営島吉宏容疑者(40)を
再逮捕した。逮捕は3回目
被害額は計約6900万円に上った。

 逮捕容疑は2011年9月~12年5月
未成年後見人の立場を悪用し、両親を震災で
亡くしたおい(14)名義の預金口座から
計約4200万円を払い戻すなどした疑い。
 11年4月には、おいの母親に当たる当時
30代の姉が震災で犠牲になったのに、銀行に
「入院中のため代理で来た。
 自宅が津波で流され、通帳がない」
とうそをつき、
現金計約120万円を引き出した疑い。

 地検は22日、14年4~11月、
おいの口座から流用目的で計約2190万円を
自分名義の口座に振り込んだとして、
島容疑者を業務上横領罪で追起訴した。
島被告は、11年8月においから現金約400万円を
着服した別の業務上横領罪でも起訴されている。

 地検によると、
被告は着服した金で高級車やバイクなどを
購入していた。
被害金には遺族特別援護金なども
含まれているという。

(引用ここまで)




★震災遺児のおいから1800万円横領 
 容疑の元後見人を再逮捕 宮城

 産経新聞 2016.2.3
 http://www.sankei.com/region/news/160203/rgn1602030056-n1.html
仙台地検は2日、東日本大震災の津波で
両親を亡くしたおい(14)の預金を着服した
として業務上横領容疑で、
未成年後見人として財産を管理していた
石巻市の飲食業、島吉宏被告(40)
=同罪で起訴=を再逮捕した。

 逮捕容疑は
平成26年4月25日~11月5日、石巻市の銀行で、
自身のために使う目的で当時同居していたおいの
預金口座から13回にわたり、
計約1790万円を自身の口座に振り込み
横領したとしている。

 地検によると、
平成23年5月、仙台家裁石巻支部が
島容疑者を後見人に選んでいた。
おいは両親の死亡に伴い、寄付金や災害保証金
を受け取るなどしていた。
島容疑者はすでに後見人を解任されている。

島容疑者は同じ手口で計約400万円を横領した
として先月12日に逮捕されていた。

(引用ここまで)



関連記事

★名ばかり管理職:残業代など、
 268万円支払い命令
 --地裁判決 /山形

 [毎日新聞社 2011年5月26日(木)]
 http://www.stecyn.com/news/detail.php?no=1343185860
「名ばかり管理職」で残業代が支払われなかった
として、山形市香澄町1の飲食店「天地旬鮮 魯山人」
元料理長、島吉宏さん(36)=宮城県石巻市=
同店を経営する「シーディーシー」(本社・東京都)に
支払いを求めた訴訟で、山形地裁(石栗正子裁判官)は
25日、同社に約268万円の支払いを命じた。

判決は、島さんの待遇や権限の内容を精査した。
他の従業員の採用や昇給を決める権限
▽管理監督者にふさわしい給与待遇
▽食材の仕入れ先の選定権限――が、
いずれも島さんになかったと認定した。
石栗裁判官は「管理監督者に当たるとはいえない」と
指摘し、会社側の主張を退けた。

 訴状などによると、
島さんは06年4月から07年7月まで同店に勤務。
管理職の立場にあるとして同社が支払わなかった
残業代や解雇予告手当など総額約838万円の
支払いを求めていた。

 島さんは判決後の会見で、
「裁判が長く続いたがとりあえず安心した。
 経営者は従業員の生活を預かっているのだから、
 お互いが不幸にならないように考えてほしい」
と語った。
島さんの支援を続けた連合山形の
柏木実組織広報部長は

「悪質な経営者のモラルをただし、適正な時間と
 健康管理がなされるよう今後も訴えていきたい」
と話した。
一方、同店は「担当者がおらずコメントできない」
としている。【安藤龍朗】




★希望を紡ぐ日々
 両親を亡くした甥と共に、
 人々の幸せに尽くす生き方を誓う

 東北福光新聞第8号 2011/10/22
 http://plaza.rakuten.co.jp/tron357/diary/201110220001/
今回に震災で、両親共に失った子どもたち、
いわゆる震災孤児は、二百数十人に上るという。
 石巻市内のアパート。
小学4年の****君は、朝6時になると、
眠い目をこすりながら1階に下りてくる。
叔父の島吉宏さん(第2宮城総県石巻躍進県・
渡波支部、男子部員)が作った朝食を食べ、
7時すぎには、家を出る。
アパートから学校へはかなり距離がある。
島さんに車で15分ほどかけて送ってもらう。
 学校が終わると、学習塾やサッカー教室。
毎日、結構、忙しい。

 震災前まで、**君は
両親、祖母、2人のいとこ、そして叔父の島さん
と共に7人で暮らしていた。

(中略)
 料理人だった島さんは、
勤め先のホテルにいて無事だった。

 **君は家族と共に車で避難したが、
途中で波にのまれた。**君と、いとこの1人は、
窓から外に逃れて助かったが、ほかの家族の
行方はわからない。

(中略)
両親を失った**君には、日本全国そした
海外からも、温かい支援の手が差し伸べられた。
その人生を最終的に引き受けたのは、
叔父の島さんだった。
勤め先のホテルは被災で職を失った島さんは、
再雇用の話しが来ても断った。

**君を育てながら、やっていける仕事では
なかったからだ。
(中略)

 島さんと何度か出会いを重ねた後、
10月に家を訪ねると、
台風の被害を受けた和歌山に、
ついこの間までボランティアに行ってきたと言う。

「石巻が助けられたから、今度は、
 逆の立場で恩返ししてみたかったんです。
 車で20時間ぐらいでした。
 石巻から来たというので、とても感謝されて」

(中略)
島さんも、**君、これからの人生の厳しさは
覚悟している。
島さん自身、
自分で店を開くために苦心する日々だ。

「いつかは、僕から離れなきゃいけない。
 それまでは必死になって応援しようと思って。
 勤行だって、あえて一人でさせるんです。
 僕の後ろについてやるより、
 一人で考えることもあるだろうと思って」
 
(引用ここまで)

少年と同居していた”いとこ”というのは
島容疑者の子供だったのか、
別の親族の子供だったのだろうか??

上記の記事からは、少年と共に生き残った
”いとこ”の存在が記載されていないから
別の親族に引き取られたのかなぁ・・・

亡くなった少年のご両親は、少年の祖母と
”いとこ”2人も養育しながら、弟も居候させ
色々と大変な環境で子育てをしていたのだろうに。

宗教でも邪悪な心は救えなかったか・・・




経営する飲食店の運営費用に使っていた
着服した金で高級車やバイクなどを購入


震災孤児の財産管理に危惧する弁護士が
指摘していた通りの事件・・・


★震災孤児に未成年後見人を!
 2011年06月28日
 http://ameblo.jp/iki-ogura/entry-10937242835.html
(引用開始)
ただ、震災孤児たちには、結構大きな財産が
転がり込んできて、心配になります。

労働者災害補償保険法による遺族補償年金、
親が加入していた生命保険、
親の死亡による退職金など、大金を、
震災孤児は受け取ります。

この財産は、不幸にも孤児となってしまった
子供たちの将来のために、
有効に使われなければならない。
浪費されることがあってはならず、
適切に管理する人をつけなければなりません。

(中略)
ただ、過去に見てきた事例では、
未成年を引き取って育てていく過程で、
保護者が未成年の子供の財産を不正に
流用するケースが散見されました。

そうなっては、保護者も子供も不幸です。
(中略)
財産管理は未成年後見人、
身上監護は親族がするのが
適切だと考えるのです。


(引用ここまで)



★進まぬ選任 実態つかめず 
 震災孤児の後見人半数

 東京新聞 2011年7月16日
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2011071602000189.html
東日本大震災で親を失った子どもに必要な
未成年後見人の選任が進んでいない。
本紙の調査では震災後、7月上旬までに
岩手、宮城、福島の3県で200人余りの孤児に
就いた後見人は半数程度にとどまる。
後見人は養育や財産管理を行うことが主な仕事。
行政機関などは
「現状のままでは子どもの保護が不十分」として、
対策を急いでいる。 (安食美智子)

 厚生労働省によると、
震災で両親を失った十八歳未満の子どもは
岩手県八十八人、宮城県百十二人、
福島県十九人の計二百十九人
(六日現在)。

 震災後、未成年後見人の選任を申し立てた
人数と選任された人数は、
盛岡家裁が三十六人に対し十三人(一日現在)、
福島家裁が十人に対し七人(四日現在)、
仙台家裁は八十三人に対し八十一人(八日現在)。

 親権者がいない未成年者は、
里親がいる場合でも未成年後見人がいなければ、
親の死亡保険金を受け取ることができない。
住宅ローンや滞納税金などの債務免除の
手続きもできない。

 選任が進まない背景として、
孤児が震災前の住所を離れ、親族の元に
身を寄せるなどし、自治体や児童相談所が
孤児の生活実態を把握しきれていないこと
などが考えられる。

 三県の中で、選任の割合が最も少ない
岩手県の県福祉総合相談センターの担当者は
「対応の遅れは認識している。
 今後、児童相談所や社会福祉士、弁護士らで
 サポートチームをつくり、未成年後見人制度を
 含めた孤児らの生活支援を進めたい」と話している。

 仙台市で孤児の法手続きにかかわる
花島伸行弁護士は
「財産を含め、孤児を見守る未成年後見人を
 早急に選任しないと、金銭目当ての無責任な
 養子縁組も起こりかねない」と指摘。
自治体主導の迅速な対応を求めている。

(引用ここまで)



東日本大震災から、もうすぐ5年・・・

未成年後見人どころか成年後見人さえも
横領事件が後を絶たない昨今。
一体、誰を信じればよいのだろう・・・

震災孤児の14歳の少年の将来が心配。
叔父に全財産を奪われ、
今誰が、彼を保護し養育しているのだろう。

他の震災孤児たちは大丈夫なのだろうか?
あれから5年・・・
震災孤児・遺児達1698人に
もっともっと、
私達は心を配るべきではなかったのか・・・


★震災孤児・遺児1698人、
 養護施設入所はわずか2人
 親を亡くした子どもたちは
 どう過ごしているのか

 2013年3月29日
 http://diamond.jp/articles/-/33932
 img_6fcde74eabdac0920406bca45d8612924115_201602250155519c3.png


★3.11震災孤児・遺児1698人 
 親を亡くした子どもたちの今 ~ 
 親戚里親も被災者、ボランティアの
 支援が主流 行政の支援も必要

 http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62208643.html


★震災孤児はなぜ死んだ? 
 東日本大震災後の被災地を襲う
 新たな悲しみ

 2014年03月14日
 http://astand.asahi.com/webshinsho/asahipub/weeklyasahi/product/2014031000003.html


★震災孤児、育ての親に目立つ疲れ
 …支援は手探り

 2014年03月10日
 http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000305/20140310-OYT1T00680.html




★弱者を食い物?
 成年後見不正弁護士の発生

 成年後見制度を悪用する弁護士が急増
 東洋経済 2013年11月15日
 http://toyokeizai.net/articles/-/24004

★成年後見人による横領が後を絶たない
 (親族による着服が9割)

 2014年5月1日
 http://momenaisouzoku.net/blog/%e8%aa%8d%e7%9f%a5%e7%97%87%e3%83%bb%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%83%84%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%83%9e%e3%83%bc/%e6%88%90%e5%b9%b4%e5%be%8c%e8%a6%8b%e4%ba%ba%e3%81%ab%e3%82%88%e3%82%8b%e6%a8%aa%e9%a0%98%e3%81%8c%e5%be%8c%e3%82%92%e7%b5%b6%e3%81%9f%e3%81%aa%e3%81%84%ef%bc%88%e8%a6%aa%e6%97%8f%e3%81%ab%e3%82%88/



ごく一部の鬼畜な親族の事件・・・
このニュースに、傷つく人々も多いだろう。

東北大震災子ども支援室長の
加藤道代教授の言葉
「育ての親の多くは、
 家族を失った悲しみを感じつつ、
 『身内が育てるのが当たり前』
 との使命感で子育てに力を注いでいる。
 中には弱音を吐けない人もいる」




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阪神・淡路大震災から21年

★阪神・淡路大震災から丸21年 
 各地で深い祈り

 2016/1/17 05:50神戸新聞NEXT
 
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201601/0008728780.shtml
 
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6434人が亡くなり、3人が行方不明になった
阪神・淡路大震災は17日、
発生から丸21年となった。
追悼行事は昨年より減少したものの、
地震発生時刻の午前5時46分には各地で
多くの人々が亡き人を、あの日からの歩みを思い、
被災地は深い祈りに包まれた。

 神戸市中央区の東遊園地で開かれた
「1・17のつどい」では、参加者が亡き人の名前を
刻んだ銘板をなで、追悼の象徴となる竹灯籠の
ともしびに生前の面影を重ねた。
竹灯籠は形作る文字が今年初めて公募され、
「1・17」の上部に「未来」の文字が浮かんだ。

 神戸の街を見下ろすビーナスブリッジ
(同市中央区)ではトランペットが奏でられ、
北淡震災記念公園(淡路市)では参加者の歌声が
響き渡った。追悼行事を取りやめた地域でも、
公園の慰霊碑などに手を合わせる人の姿があった。

 今年3月には東日本大震災の発生から5年となる。
東北から訪れた遺族らも鎮魂と復興への思いを
共有した。(高田康夫)




今朝は、5時に起床して準備。

午前5時46分
西の方角に手を合わせて黙祷・・・。

日本列島の歴史は、自然災害の歴史。
古の昔より、
地震や津波、火山の噴火、台風、洪水など
数々の自然災害に見舞われ多くの被害に遭った。

母の実家でも
1707年の富士山の「宝永の大噴火」で
屋敷も田畑も墓地も、降り注ぐ火山灰で
全て焼失したそうだ。

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 http://www.cbr.mlit.go.jp/fujisabo/jimusyo/fujiazami/fujiazami_66/fa66-1.html

宝永4(1707)年10月4日、
東海から紀伊半島・四国にかけて巨大地震が襲った。
これは東海・東南海・南海の連動地震で、
マグニチュードは8.4と推定されている。
この巨大地震とそれにともなう大津波は、
甚大な被害をもたらした。
49日後、この大地震に連動して、
宝永4年11月23日(1707年12月16日)
午前10時ごろ、富士山が大噴火したのだ。


母の祖先達は
火山灰で埋まった土地をひたすら復興した。
祖父は母たち兄弟を仏壇の前に座らせ
代々言い伝えた話を聞かせたそうだ。
「掘っても掘っても、
 砂利と砂しか出てこない荒れ地を
 毎日毎日、必死で耕した。
 屋敷は焼けて、
 ご先祖さまのご位牌は見つからなんだが
 墓地を掘って掘って、何とか墓石を見つけ出し
 今の墓地に残したのだよ。

 今、こうして
 米や野菜が獲れるようになったのも
 皆が安心して暮らしていけるのも
 ご先祖様のお蔭なんだから絶対に忘れるなよ。」


災害と復興の記憶は消してはならない。
母方のご先祖様達も、
代々日記に残し、屋敷内に石碑も建立し
子孫に”記憶”を伝えようと努力した。

災害の被害と、復興への道筋
危機管理や問題点などなど
あまたの記憶を残し、伝え続けることが
犠牲になった人々への最大の供養になると思う。

阪神・淡路大震災から21年、
東日本大震災から5年、
絶対に風化させてはいけない。




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あや

  • Author:あや
  • 韓流に嵌った母と義母の為に
    韓国情報を調べていたら・・・
    韓流ブームに仕掛けられた
    怪しい罠に気付いてしまった。
    韓流の闇と、利権や陰謀
    仕掛け人を徹底研究!
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