眞子内親王殿下、ブータン公式訪問で国王陛下ご一家と親しく交流

★眞子さま、国王一家と親しく交流
 右手に指輪、ブータン訪問

 時事ドットコム 2017/06/03
 
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017060300176&g=soc
【ティンプー時事】ブータン王室は3日までに、
同国を公式訪問中の秋篠宮ご夫妻の長女
眞子さま(25)が2日にワンチュク国王夫妻と
面会された際の写真を公開した。

(引用ここまで)


ブータン王室から提供された写真

kousitu201706031.png

kousitu201706032.png

kousitu201706033png.png

kousitu201706035.png

kousitu201706038.png

kousitu17060511200002-p1.jpg
 眞子内親王殿下と
 ジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王陛下

kousitu201706036.png

kousitu201706037png.png




ブータン王室提供の写真。
ブータンでは王族が絡む行事は取材規制が厳しく
基本的に自由な撮影は禁止。
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/170605/lif17060511200002-n1.html
 撮影が許可されるとしても写真とテレビカメラが
 1台ずつの代表撮影しか認められない。
 少し離れた場所にいたとしても、カメラやスマホを
 手に持つことはもちろん、
 バッグを開けて何かを出そうとするだけで、
 担当者が走り寄って来る。
 カメラマンともなれば常に首からカメラを
 ぶら下げているわけだが、
 一定のエリア内(とは言っても結構離れている)
 に近づくと、カメラを地面に置くよう求められて
 いるのを見た。まるで武装解除だ。
 (中略)
 王族にはそれぞれにプライベートのお抱え
 メディアがいるそうで、花の博覧会に限らず、
 あらゆるシーンで彼らは自由に眞子さまや
 王族に最接近して取材をしているのだ。
 本当に「プライベート」ならまだいいが、
 彼らは映像や画像など取材の成果を
 インターネット上で配信する。
 こちらはその映像や画像の提供を受け、
 「ブータン王室提供」とクレジットを付けて報じる。


産経新聞は、
日本のメディアが自由に撮影できない事を
公平ではない、おかしなルールだと報道。
ブータンでは、それだけ王族の方々が
守られているという証だと思うのですが。



インドの新聞『 Daily World』も、
眞子内親王殿下のブータン公式訪問を
報道しています。
ブータン王室が提供する写真の中で
選んだものがコチラのお写真。

kousituRoyal-Office-for-Media.jpg
https://dailyworld.in/paro-in-this-handout-photograph-released-by-royal-office-for-media/

ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王陛下に
拝謁される眞子内親王殿下のカーテシー。
上流階級の淑女の正式なマナーです。

makosamaCvahS5tVMAADiN3.jpg

ミニスカートでのエレガントなカーテシーの
お手本と紹介されたイギリス王族の
ウェセックス伯爵夫人殿下
 cu0316060512177738896_20170516220138a4b.png

生前のダイアナ元妃殿下のカーテシーも
優雅で美しかったですね。
 Princess Diane curtsies before Queen Sofia of Spain


ピンヒール&タイトスカートでのカーテシーも
凄い!と思ってしまうのですが
日本の皇族の方々は、振袖と草履ですから
更にハイレベルと言えるのではないでしょうか。

皇室離脱した黒田清子さんのように
御幼少の頃から特訓され身に付けたマナー。
 kousitunorinomiyasama.jpg

 kousitu0275715_03133390.jpg




ブータンでの、眞子内親王殿下の
国王陛下に最初の表敬訪問の際の映像は
日本の代表取材の映像なのか
上半身のの映像でしたので、美しいカーテシーが
拝見できなかったのですが
インドのメディアは、流石わかってらっしゃる!

★Royal curtsy
 http://daysofmajesty.blogspot.jp/2012/09/royal-curtsy.html




先日、着物を着る機会が有ったので
試しにカーテシーを試みたのですが・・・
どうにもこうにもwww
これは、日々、体幹と背筋や膝の屈伸を鍛えて
尚且つ着崩れないように訓練しなければ無理!

オランダの国王陛下と妃殿下が来日された時の
彬子女王殿下と瑶子女王殿下のカーテシー。
 kousitu0176186_083281.png

kousitu0176186_1273192.jpg

★皇室外交
 http://blogos.com/article/75941/


★ブータン王国の歴史
 http://bhutan-npo.asia/index.php/ja/historyofbhutaninjapanese


★ブータンの民族衣装「ゴ」と
 呉服の関連性

 http://www.geocities.jp/htkr15/0-01-bhutan3-05.html




天皇陛下ご譲位の特例法を検討する際、
民進党は、女性宮家を付帯せよと要求。
共産党は、天皇陛下の国務行事や皇室外交を
制限せよと要求。
自由党は、特例法ではなく「恒久性」にしろと棄権。
野党連合の皇室への対応を見ると
彼らが権力を握ったら、どうなることやら。




政治ランキング
スポンサーサイト

眞子内親王殿下、 同級生とご婚約へ

★眞子さま 同級生とご婚約へ
 NHK 5月16日 19時01分
 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170516/k10010983991000.html
kousitu170516190050.jpg

kousitu170516190052.jpg


秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまが、
大学時代の同級生の男性と婚約される
見通しになりました。
関係者によりますと、眞子さまは、
ICU=国際基督教大学に通っていたときの同級生で、
横浜市に住む小室圭さんと婚約される見通し
になりました。

結婚の時期は、来年が想定されている
ということです。

お相手の小室さんは、大学時代には、
神奈川県の藤沢市観光協会が主催する
2010年度の「湘南江の島 海の王子」として
各地で行われる観光キャンペーンなどで
活躍した経歴があります。
秋篠宮ご夫妻は、眞子さまから小室さんを
紹介されたうえで、交際を認められていた
ということです。


眞子さまは、平成3年生まれの25歳で、
大学を卒業後、イギリスに留学し、
帰国後は、皇族としての活動に取り組んでいて、
去年からは、東京大学の博物館の研究員として、
東京・丸の内の施設で週に3日程度
勤務されています。

眞子さまは、天皇の子や孫にあたる女性皇族
「内親王」で、宮内庁は、同じく「内親王」として
結婚した秋篠宮さまの妹の黒田清子さんの例も
参考に、水面下で準備作業を進めています。
準備が整えば記者会見を行って
眞子さまと小室さんの婚約の内定を
発表する方針です。

女性皇族の婚約は、3年前、
高円宮妃の久子さまの次女、典子さんが、
島根県の出雲大社の神職、千家国麿さんと
婚約したとき以来で、
「内親王」では、黒田清子さん以来12年ぶりになります。


交際の経緯

眞子さまは、5年ほど前、
東京・渋谷区の飲食店で開かれた
留学に関する意見交換会の席で
小室さんと知り合い、交際を続けられてきました。

若者のデートスポット、横浜市のみなとみらい地区や、
埼玉県の長瀞などの観光地に加え、
天皇ご一家の静養先、神奈川県の葉山などにも
出かけられました。
最近も月に数回、東京都内やその近郊で会われて
いたということです。

眞子さまは、一般のカップルと変わらぬ形で
周囲に溶け込むようにデートを重ね、
小室さんとの愛情を育まれてきました。


(中略)
小室さんとは

神奈川県の藤沢市観光協会のホームページ
によりますと、小室圭さんは、2010年度の
「湘南江の島 海の王子」として、
各地で行われるさまざまなイベントや
観光キャンペーンで活躍しました。

市制70周年を迎えた藤沢市の市民まつりの
パレードに加わったり、JRの湘南新宿ラインで
結ばれる群馬県高崎市を訪れて藤沢市の魅力を
PRしたりしたほか、テレビのチャリティー番組による
募金活動にも参加しました。

小室さんは、高校時代まで
インターナショナルスクールで過ごしたということで、
当時の紹介文では、「海の王子」としての抱負について、
「湘南藤沢の魅力をグローバルな視点から
 皆さまにお届けできたらうれしいです」
などと語っていました。
また、趣味は、眞子さまも得意なスキーのほか、
バイオリンと料理を挙げ、将来の夢は、
「外交に携わる」としていました。

(続きはリンク先で)


★婚約者は
 法律事務所勤務の大学院生

 共同通信 2017/5/16 20:54
 https://this.kiji.is/237181481790046216
宮内庁の山本信一郎長官は、
眞子さまの婚約相手は、法律事務所勤務で
一橋大大学院生の小室圭さん
と述べた。




眞子様、おめでとうございます!

kousitu7211acf6.png

kousitu653d4663.jpg
向かって左が、18歳の時の小室圭さん

去年の10月に、堂々とデートしていて
渋谷と横浜を結ぶ東急東横の車内で
スクープされた彼ですね。

  kousitu4eeb449a-e82c-4398-8e2c-f88aaaf841ed.png
https://geinou-news.jp/articles/%E7%9C%9E%E5%AD%90%E3%81%95%E3%81%BE-%E7%86%B1%E6%84%9B-%E6%A8%AA%E6%B5%9C-%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%88

ちょっと気になったのが、
宮内庁正式発表前のNHKのリーク。
天皇陛下の譲位の時と同様に
正式な発表前に報道してしまうNHK・・・。

眞子様が叔母さまに当たる黒田清子さんにも、
ご相談されていたと報道しているので
秋篠宮文仁親王殿下、もしくは侍従などからの
情報を得ているのでしょうか。

ご両親と同様に、
kousituimg20080311142309.jpg
普通にデートを重ねて、普通に結婚に至る。

お相手の小室さんは、高校時代まで
インターナショナルスクールで過ごしたそうなので、
皇室に対して身構えてしまうことなく、
眞子様には普通に振る舞えて嬉しかったのかな。

 kousitu1cbce0ef40.jpg

感慨深いなぁ・・・

ご結婚まで、若い二人には
様々な、マスコミの追っかけとかあるでしょうが
そっと見守ってさしあげたいと思います。
眞子内親王殿下のご婚約の話題で
今後、女性宮家創設の話題が沸きそうですね。

凛と背筋を伸ばした美しいカテーシー。
makosamaCvahS5tVMAADiN3.jpg
上流社会のマナー、振袖でのカテーシーは
お小さい頃から
かなり特訓をされたのではないでしょうか。

kousitunorinomiyasama.jpg

kousitu0275715_03133390.jpg

貴族出身だからこその、
子供の頃からの特訓の成果
凛として美しく上品なカテーシー。
Princess Diane curtsies before Queen Sofia of Spain

cu0316060512177738896_20170516220138a4b.png

身分の格差がどうのこうのと言うけれど
このようなエレガントな文化
消えて欲しくない。
世の中が、ガサツで五月蠅い人ばかりよりも
気品あるエレガントな世界は残して欲しい。
旧宮家の全部が復活は難しいけれど
皇室を存続させる方法を考えて欲しい。
お子様のいない宮家に、
ご養子に入っていただくとか・・・

佳子内親王殿下のイギリス留学もあり、
成人皇族のご公務の調整が大変になりそう・・・




政治ランキング

天皇皇后両陛下 、ベトナムで歓迎行事。明日は残留元日本兵の家族と面会

★ベトナム訪問の両陛下 歓迎式典に出席 
 ホーチミン廟、献花へ

 北海道新聞 平成29年03/01 13:39
 
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0374007.html
【ハノイ小野孝子】国賓としてベトナムを公式訪問中の
天皇、皇后両陛下は1日午前(日本時間午後)、
首都ハノイの国家主席府前庭で行われた歓迎式典に出席した。
続いてチャン・ダイ・クアン国家主席夫妻と会見し、
ベトナム建国の父、ホー・チ・ミンの遺体が
永久保存されているホーチミン廟(びょう)に花を供える。

 歓迎式典では日本とベトナムの国歌が演奏された後、
天皇陛下がクアン国家主席の先導で儀仗(ぎじょう)隊
による栄誉礼を受けた。


★天皇皇后両陛下
 ベトナムで歓迎行事や国家主席と会見

 NHK 平成29年3月1日 16時40分
 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170301/k10010894811000.html
28日からベトナムを公式訪問している
天皇皇后両陛下は、首都ハノイで歓迎式典や
クアン国家主席との会見に臨まれました。

両陛下は、現地時間の1日午前10時すぎ、
ベトナムの国家主席府に到着し、国賓としての
公式行事のスタートとなる歓迎式典に臨まれました。

国家主席府の前庭で、両国の旗を持った大勢の
ベトナムの子どもたちが歓迎する中、
両陛下は花束を受け取ってクアン国家主席夫妻と
にこやかにあいさつを交わされました。

続いて、両国の国歌が演奏され、
天皇陛下が国家主席と並んで兵士たちを巡閲されました。
このあと、両陛下は、国家主席夫妻と30分近くにわたって
会見されました。

宮内庁によりますと、この席で、
クアン国家主席が今回の訪問についての歓迎と、
これまでの日本からの支援への感謝の気持ちなど
伝えたのに対して、天皇陛下は
「両国の交流の長い歴史を振り返りながら、
 お互い、よりよい国を作るために努力していくことが
 重要だと思います」
などと話されたということです。

(引用ここまで)


heika000095327_640.jpg

heika000023368_640.jpg




★ベトナムの独立戦争を戦った「残留元日本兵」
 産経新聞 2017.2.28
 http://www.sankei.com/column/news/170228/clm1702280003-n1.html
天皇、皇后両陛下は、さまざまな事情で海外に出て
その地に留(とど)まった日本人と家族に、
長年心を寄せられてきた。

昨年1月にフィリピンを公式訪問した際も、
陛下の強い希望で、日系人と懇談されている。
両陛下にとって初めてとなる今回のベトナム訪問では、
残留元日本兵の家族と面会される。

▼日本軍がフランスの植民地だったベトナムに
 進駐したのは、1940年である。
 終戦時約8万人いた軍人の大半が撤収するなか、
 約600人が留まった。ホー・チ・ミンらが率いる
 「ベトナム独立同盟」(ベトミン)に参加するためだ。
 再植民地化をもくろむフランスとの戦いで、
 約半数が亡くなったとされる。


「新ベトナム人」と呼ばれた旧日本兵は、
 各地の士官学校の教官となって戦争の知識を教えた。
 54年にベトナムがフランスを破った
 「ディエンビエンフーの戦い」では、司令官の参謀の
 半分を日本兵が占めていた。

▼昨日の社会面で紹介されていた元日本兵は
 その後、現地で結婚した妻を伴って帰国を果たした。
 ただ、家族同伴が認められず、帰国した日本兵と
 ベトナム人の妻や子供が離ればなれになるケースも
 多かった。ベトナム戦争で米国側を支持した日本への反
 感が強まると、残された家族は差別や嫌がらせに苦しんだ。

(続きはリンク先で)


★天皇、皇后両陛下 
 28日からベトナム・タイご訪問 
 残留元日本兵の家族「義に生きた父誇り」

 産経新聞 2017.2.27 11:23
 http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/170227/lif17022711230005-n1.html
(引用開始)
 猪狩さんは2歳のとき、父の和正さん、
ベトナム人の母とともに同国から帰国した。
和正さんは現地でのことをあまり語らなかったが、
テレビでベトナム戦争の映像が流れた際、
戦車を指し「あの中に俺の生徒がいる」と
つぶやいたことが記憶に残り続けていた。


 帰国から20年余りが過ぎた昭和56年、
肝硬変で入院した和正さんを見舞った際、
猪狩さんは初めて父の足跡を聞いた。

 ベトミンに協力

 和正さんは先の大戦で陸軍少尉、中尉として従軍し、
フィリピンやインドネシアを転戦。
ベトナムで終戦を迎えて間もなく、
ベトナム独立同盟(ベトミン)から協力を求められた。
「ベトナムにも新しい時代が来る。
 時代を切り開くのに自分の力をぶつけたい」。

そう考え、求めに応じたという。

和正さんは士官学校の教官として、銃の扱いとともに、
「源平の戦い」「川中島の戦い」など日本の合戦を
例示しながら戦いの手法を教え、
フランスとの第1次インドシナ戦争中、8期生まで
兵士を育てた。
各地に散った卒業生は後のベトナム戦争を戦った。
歯科医免許を持っていたため、医学教育にも当たった。


 和正さんが現地で結婚した後の1954年、
残留元日本兵の帰国が許可された。
だが、家族を伴うことは許されなかったため残留。
帰国する同僚に、故郷の父への歌を託した。

 《今さらに何をか言わん遅桜 故郷の風に散るぞうれしき

 「『今は何を言っても遅いが、故郷に戻りたい』
という望郷の思いを歌にした。
日本兵が協力していたことは当時は極秘。
理由を書けば検閲にひっかかる。それでも、
故郷を忘れていないということを伝えたかった」。
和正さんはそう話したという。
5年後に家族の同伴が認められて帰国した後は、
和正さんがベトナムの地を踏むことはなかった。
「病気が治ったら、また行きたい」。
病床でそう話した和正さんは、間もなく亡くなった。

(続きはリンク先で)




★祖父はベトナムに残った 
 残留日本兵1万人の戦後70年

 http://www.ebookjapan.jp/ebj/326611/
君ら(日本軍)は白人と戦った。我々も白人と戦う
ならば、我々と目的は同じじゃないか」。

旧日本陸軍第3航空軍・仏印分遣隊の元山久三1等兵は、
日本の降伏に納得せず、仲間数人と脱走、
ベトナム独立連盟(ベトミン)の幹部に勧誘され、
軍事学校の教員となった。
その孫娘、ホアン・ティ・タイン・ホアイさんは今、
2014年末、日本企業の支援でハノイに開設された
「日本国際眼科病院」の経営アドバイザーとして、
監督官庁とのやりとりや、日本人経営陣の方針を
現地職員に伝える役割を担っている--

 1945年の終戦時、日本に復員せず、
現地に残った残留日本兵は約1万人と推計されている。
残留兵とその家族たちは、
戦後70年をどう生き抜いてきたのか。
国際政治や経済情勢に翻弄されてきたその運命を追う。

(引用ここまで)


★石井卓雄
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%8D%93%E9%9B%84


★クァンガイ陸軍中学
 http://m-jiten.org/article/%83N%83%40%83%93%83K%83C%97%A4%8CR%8Em%8A%AF%8Aw%8DZ/




昨年、両陛下がフィリピンをご訪問された際に
私は実家の墓前で、祖父母と父と、
フィリピンで戦死した、父の兄「一郎さん」に報告をした。

現地で戦死し、ご遺骨がそのままの多くの人々、
自ら日本に戻らず、現地で骨を埋めた人々・・・

両陛下の「慰霊の旅」は、こうした人々の御霊を
祖国へと導いてくださっている気がする。

両陛下が帰国の途に着かれる時、
現地で亡くなった人々の御霊も、一緒に帰国を果たす・・・


昨年の両陛下のフィリピンご訪問の後、
一郎さんの御霊が、ようやく生まれ育った家に戻れたのだと
私は、そう確信している。
亡くなった父も、きっと、そう思っていると思う。

 一郎伯父さんが、
祖父母の御霊に、ようやく抱かれることが出来たのだと・・





当ブログの過去記事より

★天皇皇后両陛下の御心
 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1129.html
(引用開始)
●皇后宮美智子さま 祈りの御歌
(略)
 語らざる 悲しみもてる 人あらん
 母国は青き 梅実る頃


これは皇后美智子様が≪旅の日に≫と題して平成十年にお読みになった
御歌(みうた)で、宮内庁によって次のような註が付けられています。

「英国で元捕囚の激しい抗議を受けた折、
 『虜囚』となったわが国の人々の上を思われて読まれた御歌」
と。

平成十年5月26日、
両陛下のお乗りになった馬車がバッキンガム宮殿に向かう途中、
イギリス人の下捕虜たちが「背向け」行為という非礼を
あえてしました。このことから皇后様は、
敗れたるゆえに、去る対戦時、虜囚となったわが国人は、
 悲しみも語りもしえず、いかに耐えていることであろう

とご心情をお寄せになりました。

この御歌を初めて新聞紙上で拝見したとき、
私はひじょうに大きな感動に打たれました。
皇后様のようなお立場の方が、これほどの透明な抒情と
憂国の至情を併せてお示しになるとは思いもよらなかったからです。
しかも、ご自身の内面の世界を詠われた「上の句」と、自然を捉えた
「下の句」が見事に調和し、その明転とでも申しましょうか、
闇から光に視線を転じるかのような、えも言われぬ美しさに
心底魅了されたのです。

長年フランス文学を研究する一方で、
深層から日本の文化・伝統を世界に伝えて
日本への理解を深めたいと念願して、
非力を振るってきましたが、
皇后陛下の限りない霊性世界の深さを、御歌の翻訳を
とおして少しでも伝えられるならばと考えて、ついにはパリに
五年あまり移り住んで、フランス語訳に取り組むこととなりました。

(続きはリンク先で)




敗れたるゆえに、
去る対戦時、虜囚となったわが国人は、
悲しみも語りもしえず、
いかに耐えていることであろう・・・


敗れたるゆえに、
終戦から現在に至るまで
近隣国だけでなく、国内の人々にまで
有らぬことまで非難され、憎しみをぶつけられ
辱めを受けていながらも、
ただ黙って、悲しみも語りもしえず、
いかに耐えてきたことだろう・・・


両陛下のご訪問の度に、
先の戦争での出来事に灯りが燈る。
忘れられた記憶が蘇る。

一昨年の終戦記念日の読売新聞コラムに、
「先の戦争で、独身のまま戦死した人々には
 供養を続ける子孫がいないので
 忘れ去られてしまうのではないか・・・」

という文章があった。

都会に出て放置されたままの先祖代々の墓や、
跡取りがおらず墓仕舞いをせざるを得ない人々、
はたまた、先祖の墓に入ることを拒否し、
個人墓や仲間同士の共同墓を造る人などなど・・・

祖国に、故郷に、帰りたいと願ったまま亡くなっていった
多くの御霊は何処に帰ればよいのだろう。

両陛下と共に戻られる御霊に、
祖国の、桃や早咲きの桜の花が出迎える。
日本は・・・変わり果ててしまったけれど
変わることなき風情の富士山が出迎える。

fuji9_20170301232939092.jpg
 
天皇皇后両陛下がご帰国されたとき、
「お帰りなさい。」と呟こうと思う。

言霊に乗せて・・・



宮内庁次長、マスコミ誘導の「1月1日の即位は難しい」菅官房長官も否定

★「1月1日の即位は難しい」
 宮内庁次長が見解

 NHK 平成29年1月17日 16時14分
 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170117/k10010842741000.html
宮内庁の西村泰彦次長は、2019年の元日に
新しい天皇が即位する案が検討されていると
報道された
ことについて、
「1月1日は、皇室にとって大事な儀式や
 行事が続く極めて重要な日で、
 譲位、即位に関する行事を設定するのは
 難しいと考えている」
と述べました。

宮内庁の西村次長は、17日の定例の記者会見で、
最近の報道に対する宮内庁の見解を尋ねられました。

これについて、西村次長は
「現在、有識者会議でさまざまな議論がなされている
 最中ですので、制度に関わることについての
 仮定の議論に言及することは控えたい」としたうえで、
「一般論として申し上げれば、
 1月1日というのは、
 皇室にとって極めて重要な日であります
」と述べました。

そのうえで、
「早朝から祭しがありますし、
 国事行為として位置づけられている儀式である
 新年祝賀の儀が行われます。
 1月1日には、両陛下は、これらの大事な儀式や
 行事を、終日連続して、
 心を込めてお務めになっておられます。
 従いまして、仮に譲位ということになりましても、
 1月1日に譲位、即位に関する行事を設定するのは、
 実際にはなかなか難しいのではないかと
 考えています」
と話しました。
そして、元号を改める改元も、
元日にはできないということにつながる考え方だ
と述べました。

西村次長は、これらの見解について、
「1月1日に限定して難しいというのが、
 今のわれわれの見解で、
 これは宮内庁独自の判断だ」としたうえで、
どういうタイミングがいちばんふさわしいかについては、
「特にまだ検討はしておりません」と述べました。

そして、
1月1日で決まりみたいな報道が相次いでいますので
 現時点で宮内庁の見解をお示ししたほうがよいと思った。
 宮内庁としての意思表示をしただけで、
 それがどう決まるかはこれからのことだと思う」

と話しました。


官房長官 1月1日即位検討全く承知せず

菅官房長官は、午後の記者会見で、
平成31年1月1日の新天皇の即位を、
 政府が検討しているということについては、
 全く承知していない。

 西村次長はあくまでも一般論として、
 1月1日に天皇陛下はさまざまな儀式や行事を
 お務めになられるため、ご多忙である
 という趣旨の発言をされたということだ。
 いずれにしろ、天皇陛下の公務負担軽減は、
 現在、有識者会議で予断を持つことなく
 進められているわけであり

 それ以上の答えは差し控えたい」と述べました。

(引用ここまで)






ぼやきくっくりさんが
毎回書き起こして下さっている
「虎ノ門ニュース」を確認


http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2003.html
(15)新元号 来年半ばに発表も 政府

 これを後半に大きく取り上げた理由。
1つは、また例によっておかしな方向に
誘導しようという記事が出始めている。

もう1つはもっと大切なこと、
僕は元号案を国民から公募すべきだと、
一人の国会議員として提案してます。

 誘導というのは、
「政府は再来年の2019年1月1日に
 新たな天皇が即位することを想定してる」。
これは産経新聞が大特ダネとして出して、
普段は後追いしない朝日新聞などほとんどが後追い。
1つだけ大きなメディアが後追いしてない。それはNHK。

 そもそもご譲位問題はNHKから始まった。
独特のルートを今も確保してて、
情報源はまだ暴露されてないから、まだ生きてる。
NHKの中にも、僕の考え方を支持する友達がいる。
その人によると、今回の報道、
NHKはたくさん議論したが、見送っている。
 (事実かどうか)確認できないと。
 実は確認できないのが正解。
 政府はこんなこと決めてません!


(中略)
今までは新しい天皇が即位されるかというのは、
日にちはタブーだった。
明治維新までは違う。
崩御されなくても譲位、歴代半分以上の天皇がなさってる。
伊藤博文さんが考えたのは、制度をはっきりさせると。
崩御された時だけ皇位は継承されると。
事前に語ると、いついつ今上陛下が崩御されるって
話になるから、これ絶対できないことだった。
でも今回は今上陛下がご健在なままご譲位されるので、
これ言ってもいいよって話になった。
(中略)
元号の根本。
一番最初の元号は「大化」。
明治維新までは、大きな病気が流行ったり、
逆に大変良いことがあった時も元号を変えたりした。
明治維新をもって、
皇位継承をもって変更することになった。

 
昭和天皇が当時、
実は政府は全く発表してなかったが、
すい臓癌という非常に難しいご病気になられた時、
中曽根政権が一番その件を引き継いでくれる
竹下さんを選んだ。
中曽根さんは、安倍晋太郎さんはこの件に
あまり関心がないと思い、
宮沢さんはアメリカの考えに近いから危ないと思った。

中曽根・竹下政権でどうするか一番悩んだのは、
日本国憲法は天皇陛下に関する行事を
ほとんど否定している。

神道を国家神道とでっち上げて、
全然違うのに、けしからんものとされてしまった。
要するに天皇陛下が崩御された時の
大喪の礼も、実は神道儀式。
その後の即位の礼も本来は神道儀式で、
憲法と全部矛盾する。
 
憲法改正すればいいが、例によってしないから、
何とかギリギリ一致させるにはどうしたらいいかと。

神道色ぬきで途中まで儀式やって、
鳥居をくぐったらそこから神道だみたいにやった。

もう1つ問題になったのは、元号をどうするのかと。
その時、例によって、政府の奥に敗戦後、
エセリベラルが入ってるから、
要するに、元号やめるべきだと。
有識者の中にも、
元号をやめるべきだと言った人がいた。

そこは中曽根さんは国士だったから、
そんなことはしない。
竹下さんに、元号をちゃんと引き継いで下さい
それならあなたを総理にすると言って、
竹下総理になった。


その時に元号法という簡単な法律を作った。
日本国の中で一番短い法律。2行しかない。

1つは、元号は政令で定める。
もう1つは、
皇位継承があった時だけ変えますよという趣旨。


これで実際どうやって決めていったか。
誰が考案したかを調べにいくと、
内閣の役人が、内政審議室長って人。

(続きはリンク先で)




>エセリベラルが
 元号をやめるべきだと
 

★池田 信夫
 「もう元号を使うのはやめよう 」

 http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4647.html



(続きはリンク先で)


★元号法
 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S54/S54HO043.html
(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)

1  元号は、政令で定める。
2  元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

   附 則
1  この法律は、公布の日から施行する。
2  昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき
  定められたものとする。




エセリベラルの「元号はやめよう」言論は、
皇位の継承をやめようという事に利用される?

カレンダー業者が困るとかいう報道は
改元は面倒くさいから、ややこしいから
元号はやめよう!と誘導か???
ご譲位を、何度も何度も「退位」と報道するのも
裏があるのか・・・




★日本共産党綱領
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-07/05_01.html
 天皇の制度というのは、憲法で定められた制度です。
 日本共産党の考えだけで変えられるものではありません。
 これをなくすことは、国民の中で

 “民主主義を徹底させよう、そのためには
  民主主義と矛盾する制度はもう終わりにしよう”


 という声が大きくなったとき、
 はじめてできるようになります。

 そこで綱領では
 「天皇の制度は憲法上の制度であり、
  その存廃は、将来、情勢が熟したときに
  国民の総意によって解決されるべきものである」

 と書いたんです。
(引用ここまで)


津久井山荘は広大な敷地に4棟もある豪邸で
敷地面積約九百八十八坪。
書庫兼不破氏の趣味である郷土玩具の陳列に1棟。
問題はそのうちの2棟。
木造二階建ての居宅および車庫の名義は、
共産党の所有となっている。
不破氏私有の土地の上に、党費で建物を建てるという
公私混同。不破氏の固定資産税は???
専属料理人・秘書・お抱え運転手に囲まれて暮らす。

 a9a5349b-s.jpg
http://blog.goo.ne.jp/asdxz123/e/f77bb6b059c87fb1d3c56512bfb7a86b


天皇の制度は
民主主義に矛盾していると主張しながら
赤い貴族はOKというWスタンダード。
共産党の「不破天皇」は、絶対に守る。






プロテスタントのSEALs・奥田愛基君らが
やたらと「民主主義!」と叫ぶ理由が解りますねぇ・・・




政治 ブログランキングへ

秋篠宮文仁親王殿下の誕生日会見

★文仁親王殿下お誕生日に際し(平成28年)
 宮内庁HPより
 
http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/6
   kousitu75e3767.jpg

 文仁親王同妃両殿下の記者会見
 会見年月日:平成28年11月22日
 会見場所:秋篠宮邸

(引用開始)

記者
 今後両陛下にどのようにお過ごしになって
 いただきたいか。


殿下
 今,それこそ有識者の議論が続いておりますので
 そのこととは全く切り離して
 ということでお話ししたいわけですが,
 私はやはり以前もそれに少し関連したことを
 話したかもしれませんが,
 人間ある一定以上の年齢になった,つまり高齢に
 なった場合には,若くて実際にフルに活動ができて
 いたときにはできないことも多々あるわけですので,
 できるだけある年齢以上になったら,
 今までやってみたいと思っていたこと,そういうことを
 できるだけする時間が取れたらいいなと思っております。

 例えば,
 若い頃からずっと続けてこられたハゼの研究であったり,
 音楽であったり,その他,これは私が「こういうこと」と
 決めてしまうものではありませんが,そういうものを
 できるだけ時間を取って過ごしていただけたらいいな,
 と思っております。そして,やはり何と言っても,
 お身体(からだ)を大切にして過ごしていただきたいな
 と思います。

(中略)

記者
 皇位継承者として悠仁さまのお立場が
 注目されている中で,これから学び経験して
 ほしいこと,それから陛下から示された
 お考えについてお聞かせ願います。


殿下
 学び経験してほしいこと,
 若干自分自身のこととも重なるのですが,
 私は割と若い頃,比較的日本の各地いろいろな所に
 行って,そこの土地土地の文化に触れるという機会
 ありました。そのことは今,意外と私自身のふだんの
 生活というか,ふだん人と接したり,外国に行ったり,
 海外からお客様が来てお話ししたりするときに,
 意外と役に立っているんですね。
 それでいろいろな場所を見ることによって,それぞれの
 地域の文化の非常に近い点,それから異なっている点など,
 これを理解できるようになって,もちろんちゃんと理解して
 いるかというと怪しいのですけれども,
 ある程度は分かることができて,それは私自身にとって
 非常に良かったなと思っております。そのようなことから,
 できれば長男にも,もちろん海外も大事ですが,
 日本の国内のいろいろなその文化に触れる機会を持って
 もらえたらいいなと思いますし,
またそれも含めて,
 幅広い事柄に関心を寄せてくれたらと思っております。


記者
 悠仁さまの教育について陛下から示されたお考えがあれば。


殿下
 それほど多くはありませんけれども,これは私と家内で
 共通しておりますけれども,
 (陛下から)言われたこととして,きちんとした社会生活を
 送れるような子になってほしいと,
 それがまず第一だということを言われたことがあります。

(中略)

関連質問
 殿下にお伺いいたします。
 天皇陛下の象徴についてのお務めに関する
 お言葉なのですが,
 非常に簡略化して申し上げますけれども,
 象徴天皇というのは国民のために活動を続ける,
 それこそが象徴のお姿であると,そのように私は
 受け止めておりますけれども,
 一方でそれは天皇の本来の姿ではないと,
 天皇というのは存在するだけでいいんだという意見の方も
 いらっしゃいます。
 
 これに関して殿下のお考えはいかがでございましょうか。

殿下
 いろいろな意見があると私は思います。
 現在の天皇陛下が活動していく,活動は
 いろいろなことがあります。
 例えば大きい災害があったときにそこにお見舞いに
 行かれることもそうでしょうし,その他もろもろのことが
 あります。私はやはり,
 いろいろな意見はありますけれども,今現在陛下が,
 先ほどお話ししましたように,
 象徴というのはどういうふうにあるべきかということを
 ずっと模索し,考えてこられたその結果
であるだろうと
 考えています。
 なかなかそれ以上のことは言うことは難しいですけれども
 やはり天皇になられてからのその日々の中で
 ずっと考えてこられて,今のような考えになられたと
 私は思いますし,私もそのお考えは,
 なかなかいい言葉で言えないですけども,
 私もそのお考えに
 非常に同じような気持ちを持っております。

kousitu055e759387c3b81c64ef8567a26e0b43.jpg

kousitu10d4c01cf732489afe61efa08bf2f943.jpg


(民間webサイトですと、すぐに検索できなくなってしまうので
 宮内庁HPにリンクを貼りました。全文はリンク先で)





”退位”じゃなくて「譲位」だっての!

記者からの質問が
”天皇陛下のお言葉”に関する事が主になってしまい、
やはり、色々と配慮を要しただろうと推察し
いつもの、両殿下ののびのびとした雰囲気とは違い
慎重に、言葉を一つ一つ選ばなければならない
お立場の難しさを感じました。

その中でも、陛下の長年のお気持ちに対して
「私自身としては,長い間考えてこられたことを
 きちんとした形で示すことができた,
 これは大変良かったことだと思いますし,
 話されるにしても様々な制限がある中で,
 最大限にご自身の考えを伝えられたのではないか
 と考えております。」


お子様としてのお立場で、
「今までやってみたいと思っていたこと,
 そういうことを
 できるだけする時間が取れたらいいな
 と思っております。 」
と、
正直な心境をお話になっていらっしゃる。

有識者会議と、その後の結果にかかわらず
摂政をお立てになって
陛下には、ご公務のご負担を減らして頂き
ゆったりとしたお時間を過ごして頂きたいと思いますが・・・。










★天皇陛下の公務
 大幅に減らすことは困難 宮内庁

 NHK 11月30日 14時48分
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161130/k10010789861000.html
(引用開始)
天皇陛下の活動について、政府は、
憲法で定められた「国事行為」と、
象徴としての立場に基づく「公的行為」、
「その他の行為」の大きく3つに分けられるとしています。

このうち「国事行為」には、
内閣総理大臣の任命や、法律や条約の公布などがあり、
「公的行為」には被災地のお見舞いや外国公式訪問、
それに全国規模の式典や行事への出席などが
挙げられています。

そして、これらの活動を除く宮中祭しなどは、
「国事行為」と「公的行為」のいずれにもあたらない
「その他の行為」に分類されています。

天皇陛下は即位以来、現代にふさわしい皇室の
在り方を求めて、新たな社会の要請に応え続けられ
公務の量は昭和天皇の時代と比べ大幅に増えています。

特に多くなっているのが「公的行為」にあたる活動で、
冷戦の終結やソビエトの崩壊などで国連の加盟国が
大幅に増え、外国の賓客の接遇などが増加しています。

また、閣議決定に基づく外国への親善訪問や、
戦後50年の平成7年以降、節目の年などに行われてきた
国内外への慰霊の旅、それに東日本大震災などに伴う
被災地へのお見舞いも増えています。

宮内庁によりますと、天皇陛下が82歳を迎えられた去年と
昭和天皇が82歳となった昭和58年の活動を比較すると、
「公的行為」の件数は1.5倍余りに増えています。

宮内庁は、
天皇陛下の退位などを検討する政府の有識者会議の
議論には関与しない立場をとる中で、
「天皇陛下の公務は客観的な状況によって
 必然的に増えている」と説明し、
天皇陛下の公務を大幅に減らすことは難しく、
背景を国民に理解してもらいたいとしています。
(引用ここまで)



う~~~ん・・・
私としては、摂政をお立てになって
内閣や海外の大使の認証式などのご公務や、
外国の賓客の接遇などは
陛下のご名代として、摂政が代わりをお勤めになっては?
ご高齢の陛下のご体調を理解していただく。

王室など、例えば王様がご訪問になった時
摂政の東宮殿下では失礼になってしまう場合は
陛下のご体調を考慮して検討して頂く。

海外への親善訪問は、
文仁親王殿下と妃殿下に、陛下のご名代を担当して頂く。
(今より更に激務になってしまいますけれど)
・・・という公務の分担ではダメでしょうかねぇ。








(引用開始)
実は、秋篠宮さまの会見でも
こうした有識者会議での意見を
念頭においた発言があった。

公務の削減を主張して
「天皇は存在するだけでいい」などとしている
「退位」に否定的な一部の専門家の考え方について、
記者から問われた秋篠宮さまは、
陛下は即位後、象徴天皇のあり方を模索する中で
「今のような考え方になられたと思う」と話され、
被災地見舞いなどの活動も天皇の「務め」として
大切にする陛下の考えに賛同された。

(引用ここまで)



文仁親王殿下の会見全文を読めば
日テレのタイトルが、
明らかに作為的なミスリードであることが解る。
殿下はきちんと
「有識者の議論が続いておりますので,
 そのこととは全く切り離して,
 ということでお話ししたいわけですが」
と、断わりを入れている。

有識者会議に口出しをするなどと言う事はしていない。
きちんと言葉を選んでいますね。

陛下の「象徴天皇の務め」に対するお考えに
「私もそのお考えに
 非常に同じような気持ちを持っております。」

賛同とか、制約があって言えないから
お言葉を選んでいらっしゃるのに・・・

ドラマ「天皇の料理番」のセリフの中で、
GHQに対して
「天皇陛下は、日本人にとって
 味噌汁みたいなもんなんだよ!」
と啖呵を切る場面がありましたけれど、
私は、天皇陛下は、失礼な言い方かもしれませんが
お米だと思うのです。
世の中には
パンとかパスタとか蕎麦とか饂飩とか、
小麦粉で加工した食品が色々有るけれど

やっぱり、お米!
清らかな水で研いで炊いた、つやつやのご飯。
お目出度い時はお赤飯でお祝いして
お祭りにはちらし寿司や太巻の飾り寿司等々、
麹となって様々な物を産み出し
日本酒になって皆で酔い、病気の時はお粥を食べ
弔事の時は茶飯で頂く・・・
喜びも悲しみも苦しみも辛さも、皆で一緒に味わう
お米なのではないかと・・・。

どんなに外来の様々な食品が入って来ようとも
海外に行って日本に帰ってきた時にも
やっぱり、日本人にはお米!

天皇陛下は、無くてはならない「お米」なのだと思う。
日本の伝統文化であり、歴史であり、
日本人の主食・・・国民統合の象徴なのだ。
(糖質ダイエットでご飯を食べないなんてなんてクソ喰らえ!)



今、図書館で借りてきた
【古事記と岩石崇拝】を読書中。
縄文より続く古代信仰と伝承と宮廷祭祀等々、
かなり面白い。




政治 ブログランキングへ
プロフィール

あや

  • Author:あや
  • 韓流に嵌った母と義母の為に
    韓国情報を調べていたら・・・
    韓流ブームに仕掛けられた
    怪しい罠に気付いてしまった。
    韓流の闇と、利権や陰謀
    仕掛け人を徹底研究!
ランキング
ランキングに参加しています!
最近のコメント
最近の記事
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
ブログ内検索