沖縄人ルーツ「日本由来」
★沖縄人ルーツ「日本由来」
南方系説を否定
沖縄タイムス 9月17日(水)6時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00000005-okinawat-oki

琉球大学大学院医学研究科の
佐藤丈寛博士研究員と木村亮介准教授らを
中心とする共同研究グループは
琉球列島の人々の遺伝情報を
広範に分析した結果、 台湾や大陸の集団とは
直接の遺伝的つながりはなく、
日本本土に由来すると発表した。
これまでも
沖縄本島地方についての研究データはあったが、
八重山・宮古地方も含め、 大規模に精査した点が特徴。
英国に拠点がある分子進化学の国際専門雑誌
「モレキュラーバイオロジーアンドエボリューション」
の電子版(1日付)に掲載された。
木村准教授は
「沖縄の人々については、
東南アジアや台湾などに由来するという
いわゆる『南方系』との説もあったが、
今回の研究はこれを否定している。
沖縄の人々の成り立ちを明らかにする上で
貴重なデータになる」と話している。
研究では、沖縄本島、八重山、宮古の各地方から
計約350人のDNAを採取。
1人当たり50万カ所以上の塩基配列の違いを分析した。
また、宮古・八重山諸島の人々の祖先が
いつごろ沖縄諸島から移住したのか検証したところ、
数百年から数千年と推定され、最大でも1万年以上
さかのぼることはないとの結果が出た。
宮古・八重山ではピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や
白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴人(2万年前)
の人骨が発見されており、現在の人々の祖先なのか
関心を呼んできたが、
主要な祖先ではないことを示している。
一方、港川人(1万8千年前)については、
沖縄本島地方の人々の主要な祖先ではない可能性が
高いとみられるものの、さらなる精査が必要という。
共同研究に携わったのはそのほか、
北里大学医学部や統計数理研究所など。
琉球列島内で見ると、
沖縄諸島と宮古諸島の集団は遺伝的な距離が
比較的離れており、八重山諸島の集団が
中間に位置していることも判明した。
(引用ここまで)
★現代沖縄人DNAの遺伝系統
「日本本土に近い」
琉球新報 2014年9月17日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231707-storytopic-1.html

琉球大学大学院医学研究科の
佐藤丈寛博士研究員、木村亮介准教授、
北里大学、統計数理研究所の共同研究チームが、
現在の琉球列島に住む人々の核ゲノムDNAを
解析した結果、遺伝的に琉球列島の人々は
台湾や大陸の人々とつながりがなく、
日本本土により近いという研究成果を発表した。
琉球大学が16日、発表した。
また、沖縄本島から宮古、八重山諸島へ人々が
移住した時期をコンピューターで計算した結果、
古くても1万年前以降と推定。
宮古のピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や石垣の
白保竿根田原(さおねたばる)洞穴人(2万年前)は、
現代の宮古、八重山の人々の主要な祖先ではない
と結論付けた。
これまで、骨や一部DNAの分析から、
琉球列島の人々は中国や台湾より日本本土の人々と
近いとする研究成果が発表されてきたが、
今回、初めて全ゲノムを網羅した解析によって
同様の結果が導かれた。
今後の琉球列島の人々の起源を探る研究の一助
として注目されそうだ。
研究チームは、現在の沖縄、宮古、八重山諸島
出身者数百人からDNAを採取し、ヒトゲノム全域に
分布する60万個の単一塩基多型(SNP)を解析した。
その結果、琉球列島の人々と台湾先住民は別系統の
集団で、地理的に近接する八重山諸島の人々も
台湾先住民との間に直接の遺伝的つながりがない
と結論付けた。
港川人についても同チームは
「琉球列島の人々と漢族が分岐した年代が
縄文時代以降であると推定されたことから、
沖縄諸島の人々の主要な祖先ではない可能性が
高いと思われる」と推測し、
今後さらなる精査が必要としている。
<用語>ゲノム
親と似た性質を子に伝える「遺伝」という仕組みの
元になる情報のこと。
細胞の核の中に、2本一組の鎖状のDNAという
分子があり、鎖には塩基という物質が並んでいる。
塩基はアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、
シトシン(C)の4種類で、その並び順(配列)が
遺伝情報になる。配列に従って約10万種類の
タンパク質や酵素がつくられ、体を形作る約60兆個
の細胞の材料になったり、体の働きを制御したりする。
(引用ここまで)
昨夜、眠くて・・・
記事作成の途中で寝てしまったので
1日遅れでUPしますね。
★沖縄人のルーツを探る
2007/12/22
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/culture/0712/0712217652/1.php
(略)
安里進さん(県立芸術大学教授)は
浦添ようどれ遺跡等のグスク時代研究が専門。
今回は「意識や文化としての沖縄人」について、
一般向けに分かりやすく解説した。
土肥直美さん(琉球大学医学部准教授)は、
人間の骨格を対象とする形質人類学が専門。
「骨から見える沖縄人の歴史」を、写真など
豊富な資料を基に紹介した。
この中で安里さんは、
「琉球・沖縄が本土と
歴史的に深く繋がった時期が3回ある。
1つ目が貝塚時代前期と縄文時代、
2つ目がグスク時代と平安時代、
3つ目が現代」と語る。
一方、1万8000年前とされる港川人については、
考古学上不明な点が多く、学者の中には旧石器人
だとすることに疑問を持つ人もいるという。
「旧石器人かどうかは道具=文化によって判断するが、
道具がないので判断できない」と安里さん。
では港川人は
現代の沖縄人と繋がっているのだろうか?
琉球の歴史がはっきりしている6400年前、
つまり沖縄で最初の土器とされる爪形文土器
(渡具知東原遺跡)の年代から遡ると1万年以上の
断絶があり、その間に港川人が絶滅したとするなら、
港川人は沖縄人ではないことになる。
いずれにしても断定はできず謎に包まれたままだ。
その渡具知東原遺跡の爪形文土器の年代に
ついては異論もある。
形、焼き、文様などが非常に似ている爪形文土器
(1万1000年前)が、
長野県諏訪湖底・曽根で発掘されたからだ。
(中略)
「カギは(その間の)グスク時代にある」
と思った土肥さんと、安里さんも同意見だった。
10年前まではほとんど情報がなかった
グスク時代の人骨だが、ここ10年の調査で
成果が現れた。
その代表が安里さんの専門である
浦添ようどれの遺跡だった。
「グスク時代人は新しい遺伝子を持った
人たちが関係している」
と想像していた土肥さんにとって、浦添ようどれの
人骨たちは
「これ以上ないというほど自己主張してくれた」。
その特徴は、上あごが前に突き出している、
つまり「出っ歯」だという点。
これと同じ特徴を持つ人骨が存在する。
鎌倉材木座中世人だ。
土肥さんのまとめとしては、
「沖縄現代人の特徴は
アイヌとかなり違っている。
沖縄人の特徴には時代差がある。
グスク時代人は日本本土の中世人と
似た特徴を持っている。
グスク時代人の特徴は
沖縄現代人の特徴とも共通している」
というもの。
(全文は引用先で!)
注1)貝塚時代前期と縄文時代の本土との接点
青森県の三内丸山遺跡で
琉球列島のイモガイをまねた土製品が
発見されている。

各地の特産品が、日本海を丸木舟でわたって
この交易の拠点であったこの地に運ばれてきたもの。
北海道礼文島北部の船泊湾の砂丘で発見された
船泊遺跡にも、南方との交易を示す品が多数発見
されている。イモガイ、マクラガイやタカラガイなど
南の暖かい海に生息する貝で作った装飾品がある。
特にイモガイは、日本では九州や沖縄でしか採れない。
注2)浦添ようどれの遺跡
浦添グスクの北側崖下にある、
琉球王国初期の王陵。
13世紀に英祖[えいそ]王が築いたとされ、
その後元和6年(1620)に浦添出身の
尚寧[しょうねい]王が改修した。
向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓
といわれている
http://www.shimatate.or.jp/20kouhou/simatatei/sima_32/sima32-25-27.pdf
石棺内の遺骨を調べたところ、
石棺には1・2名の遺骨ではなく、
複数個体の遺骨が確認されている。
(中略)
尚寧王陵にある4石棺の遺骨から検出された
母系遺伝子のミトコンドリヤDNA分析の結果、
一個体から中国南部から東南アジアに多く
見られるハプログループFに分類される遺伝子が
得られている。
一方、英祖王陵の2号石棺から検出された
頭蓋骨の中には中世日本人の特徴である
出っ歯と長頭の傾向が認められている。
浦添ようどれに眠る王族の遺伝系統は
単純ではなかったと考えられている。
注3)鎌倉材木座中世人とは
1953年に当地で発掘された合計約910体の人骨
1333(元弘3)年の新田義貞による鎌倉攻めの
際の死者であることが判明している。
東京の鍛冶橋出土の室町時代人骨と同様に、
頭が前後の方向に長い長頭型で、鼻は低く、
反っ歯(歯槽性突顎)。
頭蓋骨は、半数以上の54.2%が長頭型だった。

http://anthropology.blog.ocn.ne.jp/bioarchaeology/2014/02/post_46bf.html
★日本語と唯一
類縁が認められる琉球語
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/nihongo_chosengo.htm#anchor3
■琉 球 語(首 里 語)
琉球民謡(浜千鳥節)
たびやはまやどぅり、くさぬふぁぬまくら
にてぃんわすぃららん わやぬうすば
ちぢゅややはまをゐてちゅゐなちゅゐな
ちゅゐなちゅゐな
たびやどぅぬにざみ まくらすばだてぃてぃ
うびじゃしゅさんかし ゆわぬつぃらさ
ちぢゅややはまをゐてちゅゐなちゅゐな
とぅけやふぃざみてぃん てぃるつちやふぃとぅち
あまんながみゆら きゆぬすらや
ちぢゅややはまをゐてちゅゐなちゅゐな
旅や浜宿り 草の葉の枕
寝ても忘ららぬ 我親の御側
千鳥や浜居てちゅゐなちゅゐな
旅宿の寝覚め 枕側立てて
覚出すさ昔 夜半のつらさ
千鳥や浜居てちゅゐなちゅゐな
渡海や隔めても 照る月や一つ
あまん眺みゆら 今宵の空や
千鳥や浜居てちゅゐなちゅゐな
・おもろさうし(七-三十六)
わかさ、あしときや
たまきや、ゑらて、さちや物
ひやくさ、なてからは
こかね、すへつきやり
御まへ、かゝ、おらに
わかさ、あしときや
よろい、ゑらて、きちや物
ひやくさ、なてからは
こかね、すへつきやり
御まへ、かゝ、おらに
(大和語訳)
若さ有りし時は
玉纏、選んで挿した物
百歳、成ってからは
黄金杖、突きやり
御前、輝居らん
若さ有りし時は
鎧、選んで着た物
百歳、成ってからは
黄金杖、突きやり
御前、輝居らん
★沖縄文化はどこから来たか
定説に疑問呈する挑戦の書
2009年6月28日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-146432-storytopic-6.html
(略)
さまざまな分野からの結論は、
沖縄諸島以南のグスク時代(11~12世紀)の
開始には外的な衝撃が大きかったのではないか
という点で、ほぼ一致。
すなわち、従来の研究に再検討を迫る異議申し立て
の書と言えよう。
考古学からは、奄美諸島の喜界島で発見された
城久遺跡群(9~12世紀)に、沖縄諸島のグスク
時代が始まるより早い段階から九州地方の文物が
大量に搬入されている事実を踏まえ、
九州地方から人間集団が南漸した結果
との見方が示される。
日本語学からは、沖縄の古謡集『おもろさうし』の
対句部における単語をよく観察した結果、
室町時代に用いられた単語を積極的に取り入れて
いることが判明。
室町時代語と重なるという事実は、グスク時代
、『おもろさうし』の編纂(へんさん)に
大和の人間が深くかかわった証拠ではないか、
と論じる。
(引用ここまで)
琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』
『鎮西琉球記』などでは、
12世紀、源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の
地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になった
とされている。
源為朝ではないにしろ、日本本土から
室町人骨と同様の特徴を持つ、
中世鎌倉人骨と同じ人々が

大量に移住したという説は
今回の研究結果で証明されるのかな?
★鎌倉時代人と現代日本人、
ミトコンドリアDNA同じ特徴
朝日新聞 2008年02月21日10時59分
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200802210093.html
今日の日本人は、
古くから列島に暮らしていた縄文人に、
大陸から渡ってきた弥生人が合わさり
誕生したと考えられている。
それでは、
両者の融合はいつごろから進んだのだろうか。
日本人の形成をめぐる大きななぞに、
遺伝子の面から一つの回答が示された。
鎌倉時代に関東地方に住んでいた人々の
ミトコンドリアDNAの特徴は
現代人とほぼ同じだというのだ。
これまで「顔立ちが独特で不可解な存在」と
されてきた中世人。
その成り立ちが最新の科学技術によって見えてきた。
■中世の人骨61体を解析
国立科学博物館人類史研究グループの
篠田謙一研究主幹(分子人類学)が、
神奈川県鎌倉市の由比ケ浜地域の二つの
遺跡で発見された鎌倉時代の人骨61体から
ミトコンドリアDNAを抽出し分析した。
(続きはリンク先で)
★沼津市千本浜の首塚と
関東地方の中世日本人頭骨
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/shiseki/suzuki_c.htm
さて、韓国の研究者は
「対馬は韓国の領土」説と同様に
沖縄は韓国人が支配していたnida!
という論文を発表している。
文献の継ぎ接ぎと3日間の現地調査だけで・・・
★「沖縄は韓国人が開拓した国」
~新羅・于山国が
沖繩を670年間支配していた
2007/02/22(木)
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1172120974/
琉球国の建国…『ソウル』、『マムマ』、
『アンサラム』、沖繩の言葉と類似】
【日・古文献の分析、現場踏査を含めた
著書を来月出刊】
新羅時代の于山国(現在の鬱陵島)住民
約1,000人が、西暦513~514年頃に日本の
南端である沖繩島に移住し、
12世紀末まで25代にわたり王位を継承していた
という 主張が申告された。
昨年、『独島領土権原研究』論文で
成均館(ソンギュングァン)大学の博士学位を
受けた 鮮于栄俊(ソンウ・ヨンジュン)首都圏
大気環境庁長は、
「日本の古文献の調査と3回にわたる
沖繩の現地踏査を通じ、
沖繩の旧称である『琉球国』が
『古代の鬱陵島住民の
移住によって起こされた国』、
という事実を裏付ける証拠を見付けた」と、
21日に明らかにした。
著書に紹介された関連文献などによれば、
日本の古書である『琉球国旧記・1731年』、
『古琉球・1890年』など、数十巻の文献を
分析した結果、
于山国は512年に新羅の異斯夫 (イサブ)により
服属された直後、資源不足などを理由に
沖繩(旧称・ウルマ国) 南部の 久高島などに
遠い航海の果てに初めて進出した。
当時の于山国の住民は、
馬韓と百済、高句麗系統だと推定される
天孫氏(チョンソンシ)と 呼ばれた集団で、
鬱陵島に茂っていたけやきで作った船舶に乗り、
沖繩に到着して全域で勢力を伸ばして
670年間王位を維持していたが、
1187年に国王が重臣に殺害された後、 滅亡の
道を歩く事になった。
以降、内戦など長年の混乱期を経験し、
日本の江戸幕府が琉球を侵攻して植民地として
作ったが、幕府側は琉球と韓国との関係を
徹底的に不正であると削除し、
まるで九州から沖繩の歴史が始まったように
操作して来たと著書は主張している。
日本の学者らが古文献を参照しながら
住民達の血族系統を研究した結果、
沖繩原住民の Y-染色体が、韓半島で形成された
韓国人特有のY-染色体(O2b1a)と殆ど同じで、
隣近の台湾などの原住民の染色体とは大きく異なる
という事が指摘されていて、
沖繩が韓国人の開拓により出来た国である事を
裏付けていると言うのである。
また沖繩で使っている言葉と古代の国語
(または現代国語)の間に、
発音や意味が類似する単語が多い事が分かった。
沖繩神歌に出る『ソウル(韓国意味・小雨漏)』は
『ソウル』の日本かな式表記から推定され、
日本学者たちは新羅の首都『徐伐』を『ショ-ウル』と
読んでいると思っている。
沖繩現地の村で使われる『ウマニ』は、
国語の『オモニ(お母さん)』と意味が同じで似ている
発音をしているし、現地の別の村では『アムマ』と
発音される。
沖繩伝統の言語である『アンサレ』は
国語の『アンサラム(家内・奥方)』を意味するのと
発音が似ていて、
『パル』は国語の『着(または原野、程度)』のような
言葉である。
『ヨナグスク』という言葉は、
沖繩で最初の名門家などを意味しているが、
『ヨナ』は韓国語 の古語辞書では『ヨナ(開く)』と表記、
『新たに開く』と言う意味を持っているし、
『グスク』は 韓国古語の『グズクする(生える)』の意味
としてお互いに通じる。
鮮干博士は、
「現在も沖繩の各所では、
1,500年前の韓国の言葉と文化が
そのまま残っている事が直接確認出来る」とし、
「韓国と沖繩間の歴史、言語、文化に対するより
体系的な研究が成立すれば、
韓日古代歴史の全面的な再解釈が出来る
と思われる」と語った。
(引用ここまで)
>韓国人特有のY-染色体(O2b1a)
そもそも、これが間違っているのさ。
http://www.khazaria.com/genetics/koreans.html
韓国の男性の Y-染色体 (父親)の分布で
O2bは、約 14 ~ 33 % 発見されるのだが
「韓国の人口のY 染色体均質性」
(2010年11月)によると
O3 M122 を含む: 44.3 %
O2b *-SRY465: 22.5 %、
O2b1 47z: 8.7%
因みに、
ハプログループの DE-YAP は、
日本人だけに高い比率で発見されているが
韓国人の中にも2.5 % と、
若干ではあるがYAPが確認される。
一方
日本人に検出される「Y染色体ハプロタイプ」の
主なマーカは「D2A」「O2B1」「O3」「C1」「N」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=245378
O系統 東・東南アジア
O1 台湾原住民 日本:1%程度
O1a 長江文明人 下流域? タイ=カダイ系
O2a 長江人文明人 中流域? 楚人系?
(チワン/タイ/ヴェトナム/インドネシア)
華南 30% 日本 0%
O2b(O-M176 旧O2b/O2b1) 呉人系?
琉球南部 67% タイ6% ヴェトナム 14% 中国 0
日本 35% 朝鮮 30% 弥生琉球・江南ルート
O2b1(O-47z 旧O2b1a) 弥生人?
日本人に占めるO2b系の75%がO2b1
朝鮮では25%。
O3 華北中国人(匈奴・鮮卑系?)
華北 66% 朝鮮40% 日本20% 弥生山東・江南ルート
【 本土日本人 (%は混血比率)】
・DE系統D亜型D2A(約40~50% YAPあり)
・NO系統O亜型O2B1(約20~30%)
・NO系統O亜型O3(約18~20%)
※ 縄文人:D2Aと推定される
※ 弥生人:O2B1と推定される
徳島で 28%, 大阪で 26%
(O3も含む可能性あり)
その他として数%
「C1(日本固有)」「N」「C3」「O2B*」を検出。
-------------------------------------------
【 沖縄県民(琉球民族)(%は混血比率)】
・DE系統D亜型D2A(約50~60% YAPあり)
本土日本人より高い
・NO系統O亜型O2B1(約20%)
・NO系統O亜型O3(約20%)
全ゲノムを網羅した解析によって
今の韓国人とは違う
「日本本土人」由来の遺伝子が証明された
という事なのでは???
まあ、論文を全て読まないと
報道だけでは詳細は解らないけど・・・
取りあえず
沖縄県民は、対馬の人々同様に
韓国から逃げて~~~!!!
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/2a9a6b02fe1f90ad0fe5d034d4036fd3
という事だね。

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南方系説を否定
沖縄タイムス 9月17日(水)6時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00000005-okinawat-oki

琉球大学大学院医学研究科の
佐藤丈寛博士研究員と木村亮介准教授らを
中心とする共同研究グループは
琉球列島の人々の遺伝情報を
広範に分析した結果、 台湾や大陸の集団とは
直接の遺伝的つながりはなく、
日本本土に由来すると発表した。
これまでも
沖縄本島地方についての研究データはあったが、
八重山・宮古地方も含め、 大規模に精査した点が特徴。
英国に拠点がある分子進化学の国際専門雑誌
「モレキュラーバイオロジーアンドエボリューション」
の電子版(1日付)に掲載された。
木村准教授は
「沖縄の人々については、
東南アジアや台湾などに由来するという
いわゆる『南方系』との説もあったが、
今回の研究はこれを否定している。
沖縄の人々の成り立ちを明らかにする上で
貴重なデータになる」と話している。
研究では、沖縄本島、八重山、宮古の各地方から
計約350人のDNAを採取。
1人当たり50万カ所以上の塩基配列の違いを分析した。
また、宮古・八重山諸島の人々の祖先が
いつごろ沖縄諸島から移住したのか検証したところ、
数百年から数千年と推定され、最大でも1万年以上
さかのぼることはないとの結果が出た。
宮古・八重山ではピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や
白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴人(2万年前)
の人骨が発見されており、現在の人々の祖先なのか
関心を呼んできたが、
主要な祖先ではないことを示している。
一方、港川人(1万8千年前)については、
沖縄本島地方の人々の主要な祖先ではない可能性が
高いとみられるものの、さらなる精査が必要という。
共同研究に携わったのはそのほか、
北里大学医学部や統計数理研究所など。
琉球列島内で見ると、
沖縄諸島と宮古諸島の集団は遺伝的な距離が
比較的離れており、八重山諸島の集団が
中間に位置していることも判明した。
(引用ここまで)
★現代沖縄人DNAの遺伝系統
「日本本土に近い」
琉球新報 2014年9月17日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231707-storytopic-1.html

琉球大学大学院医学研究科の
佐藤丈寛博士研究員、木村亮介准教授、
北里大学、統計数理研究所の共同研究チームが、
現在の琉球列島に住む人々の核ゲノムDNAを
解析した結果、遺伝的に琉球列島の人々は
台湾や大陸の人々とつながりがなく、
日本本土により近いという研究成果を発表した。
琉球大学が16日、発表した。
また、沖縄本島から宮古、八重山諸島へ人々が
移住した時期をコンピューターで計算した結果、
古くても1万年前以降と推定。
宮古のピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や石垣の
白保竿根田原(さおねたばる)洞穴人(2万年前)は、
現代の宮古、八重山の人々の主要な祖先ではない
と結論付けた。
これまで、骨や一部DNAの分析から、
琉球列島の人々は中国や台湾より日本本土の人々と
近いとする研究成果が発表されてきたが、
今回、初めて全ゲノムを網羅した解析によって
同様の結果が導かれた。
今後の琉球列島の人々の起源を探る研究の一助
として注目されそうだ。
研究チームは、現在の沖縄、宮古、八重山諸島
出身者数百人からDNAを採取し、ヒトゲノム全域に
分布する60万個の単一塩基多型(SNP)を解析した。
その結果、琉球列島の人々と台湾先住民は別系統の
集団で、地理的に近接する八重山諸島の人々も
台湾先住民との間に直接の遺伝的つながりがない
と結論付けた。
港川人についても同チームは
「琉球列島の人々と漢族が分岐した年代が
縄文時代以降であると推定されたことから、
沖縄諸島の人々の主要な祖先ではない可能性が
高いと思われる」と推測し、
今後さらなる精査が必要としている。
<用語>ゲノム
親と似た性質を子に伝える「遺伝」という仕組みの
元になる情報のこと。
細胞の核の中に、2本一組の鎖状のDNAという
分子があり、鎖には塩基という物質が並んでいる。
塩基はアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、
シトシン(C)の4種類で、その並び順(配列)が
遺伝情報になる。配列に従って約10万種類の
タンパク質や酵素がつくられ、体を形作る約60兆個
の細胞の材料になったり、体の働きを制御したりする。
(引用ここまで)
昨夜、眠くて・・・
記事作成の途中で寝てしまったので
1日遅れでUPしますね。
★沖縄人のルーツを探る
2007/12/22
http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/culture/0712/0712217652/1.php
(略)
安里進さん(県立芸術大学教授)は
浦添ようどれ遺跡等のグスク時代研究が専門。
今回は「意識や文化としての沖縄人」について、
一般向けに分かりやすく解説した。
土肥直美さん(琉球大学医学部准教授)は、
人間の骨格を対象とする形質人類学が専門。
「骨から見える沖縄人の歴史」を、写真など
豊富な資料を基に紹介した。
この中で安里さんは、
「琉球・沖縄が本土と
歴史的に深く繋がった時期が3回ある。
1つ目が貝塚時代前期と縄文時代、
2つ目がグスク時代と平安時代、
3つ目が現代」と語る。
一方、1万8000年前とされる港川人については、
考古学上不明な点が多く、学者の中には旧石器人
だとすることに疑問を持つ人もいるという。
「旧石器人かどうかは道具=文化によって判断するが、
道具がないので判断できない」と安里さん。
では港川人は
現代の沖縄人と繋がっているのだろうか?
琉球の歴史がはっきりしている6400年前、
つまり沖縄で最初の土器とされる爪形文土器
(渡具知東原遺跡)の年代から遡ると1万年以上の
断絶があり、その間に港川人が絶滅したとするなら、
港川人は沖縄人ではないことになる。
いずれにしても断定はできず謎に包まれたままだ。
その渡具知東原遺跡の爪形文土器の年代に
ついては異論もある。
形、焼き、文様などが非常に似ている爪形文土器
(1万1000年前)が、
長野県諏訪湖底・曽根で発掘されたからだ。
(中略)
「カギは(その間の)グスク時代にある」
と思った土肥さんと、安里さんも同意見だった。
10年前まではほとんど情報がなかった
グスク時代の人骨だが、ここ10年の調査で
成果が現れた。
その代表が安里さんの専門である
浦添ようどれの遺跡だった。
「グスク時代人は新しい遺伝子を持った
人たちが関係している」
と想像していた土肥さんにとって、浦添ようどれの
人骨たちは
「これ以上ないというほど自己主張してくれた」。
その特徴は、上あごが前に突き出している、
つまり「出っ歯」だという点。
これと同じ特徴を持つ人骨が存在する。
鎌倉材木座中世人だ。
土肥さんのまとめとしては、
「沖縄現代人の特徴は
アイヌとかなり違っている。
沖縄人の特徴には時代差がある。
グスク時代人は日本本土の中世人と
似た特徴を持っている。
グスク時代人の特徴は
沖縄現代人の特徴とも共通している」
というもの。
(全文は引用先で!)
注1)貝塚時代前期と縄文時代の本土との接点
青森県の三内丸山遺跡で
琉球列島のイモガイをまねた土製品が
発見されている。

各地の特産品が、日本海を丸木舟でわたって
この交易の拠点であったこの地に運ばれてきたもの。
北海道礼文島北部の船泊湾の砂丘で発見された
船泊遺跡にも、南方との交易を示す品が多数発見
されている。イモガイ、マクラガイやタカラガイなど
南の暖かい海に生息する貝で作った装飾品がある。
特にイモガイは、日本では九州や沖縄でしか採れない。
注2)浦添ようどれの遺跡
浦添グスクの北側崖下にある、
琉球王国初期の王陵。
13世紀に英祖[えいそ]王が築いたとされ、
その後元和6年(1620)に浦添出身の
尚寧[しょうねい]王が改修した。
向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓
といわれている
http://www.shimatate.or.jp/20kouhou/simatatei/sima_32/sima32-25-27.pdf
石棺内の遺骨を調べたところ、
石棺には1・2名の遺骨ではなく、
複数個体の遺骨が確認されている。
(中略)
尚寧王陵にある4石棺の遺骨から検出された
母系遺伝子のミトコンドリヤDNA分析の結果、
一個体から中国南部から東南アジアに多く
見られるハプログループFに分類される遺伝子が
得られている。
一方、英祖王陵の2号石棺から検出された
頭蓋骨の中には中世日本人の特徴である
出っ歯と長頭の傾向が認められている。
浦添ようどれに眠る王族の遺伝系統は
単純ではなかったと考えられている。
注3)鎌倉材木座中世人とは
1953年に当地で発掘された合計約910体の人骨
1333(元弘3)年の新田義貞による鎌倉攻めの
際の死者であることが判明している。
東京の鍛冶橋出土の室町時代人骨と同様に、
頭が前後の方向に長い長頭型で、鼻は低く、
反っ歯(歯槽性突顎)。
頭蓋骨は、半数以上の54.2%が長頭型だった。

http://anthropology.blog.ocn.ne.jp/bioarchaeology/2014/02/post_46bf.html
★日本語と唯一
類縁が認められる琉球語
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/nihongo_chosengo.htm#anchor3
■琉 球 語(首 里 語)
琉球民謡(浜千鳥節)
たびやはまやどぅり、くさぬふぁぬまくら
にてぃんわすぃららん わやぬうすば
ちぢゅややはまをゐてちゅゐなちゅゐな
ちゅゐなちゅゐな
たびやどぅぬにざみ まくらすばだてぃてぃ
うびじゃしゅさんかし ゆわぬつぃらさ
ちぢゅややはまをゐてちゅゐなちゅゐな
とぅけやふぃざみてぃん てぃるつちやふぃとぅち
あまんながみゆら きゆぬすらや
ちぢゅややはまをゐてちゅゐなちゅゐな
旅や浜宿り 草の葉の枕
寝ても忘ららぬ 我親の御側
千鳥や浜居てちゅゐなちゅゐな
旅宿の寝覚め 枕側立てて
覚出すさ昔 夜半のつらさ
千鳥や浜居てちゅゐなちゅゐな
渡海や隔めても 照る月や一つ
あまん眺みゆら 今宵の空や
千鳥や浜居てちゅゐなちゅゐな
・おもろさうし(七-三十六)
わかさ、あしときや
たまきや、ゑらて、さちや物
ひやくさ、なてからは
こかね、すへつきやり
御まへ、かゝ、おらに
わかさ、あしときや
よろい、ゑらて、きちや物
ひやくさ、なてからは
こかね、すへつきやり
御まへ、かゝ、おらに
(大和語訳)
若さ有りし時は
玉纏、選んで挿した物
百歳、成ってからは
黄金杖、突きやり
御前、輝居らん
若さ有りし時は
鎧、選んで着た物
百歳、成ってからは
黄金杖、突きやり
御前、輝居らん
★沖縄文化はどこから来たか
定説に疑問呈する挑戦の書
2009年6月28日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-146432-storytopic-6.html
(略)
さまざまな分野からの結論は、
沖縄諸島以南のグスク時代(11~12世紀)の
開始には外的な衝撃が大きかったのではないか
という点で、ほぼ一致。
すなわち、従来の研究に再検討を迫る異議申し立て
の書と言えよう。
考古学からは、奄美諸島の喜界島で発見された
城久遺跡群(9~12世紀)に、沖縄諸島のグスク
時代が始まるより早い段階から九州地方の文物が
大量に搬入されている事実を踏まえ、
九州地方から人間集団が南漸した結果
との見方が示される。
日本語学からは、沖縄の古謡集『おもろさうし』の
対句部における単語をよく観察した結果、
室町時代に用いられた単語を積極的に取り入れて
いることが判明。
室町時代語と重なるという事実は、グスク時代
、『おもろさうし』の編纂(へんさん)に
大和の人間が深くかかわった証拠ではないか、
と論じる。
(引用ここまで)
琉球王国の正史『中山世鑑』や『おもろさうし』
『鎮西琉球記』などでは、
12世紀、源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の
地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になった
とされている。
源為朝ではないにしろ、日本本土から
室町人骨と同様の特徴を持つ、
中世鎌倉人骨と同じ人々が

大量に移住したという説は
今回の研究結果で証明されるのかな?
★鎌倉時代人と現代日本人、
ミトコンドリアDNA同じ特徴
朝日新聞 2008年02月21日10時59分
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200802210093.html
今日の日本人は、
古くから列島に暮らしていた縄文人に、
大陸から渡ってきた弥生人が合わさり
誕生したと考えられている。
それでは、
両者の融合はいつごろから進んだのだろうか。
日本人の形成をめぐる大きななぞに、
遺伝子の面から一つの回答が示された。
鎌倉時代に関東地方に住んでいた人々の
ミトコンドリアDNAの特徴は
現代人とほぼ同じだというのだ。
これまで「顔立ちが独特で不可解な存在」と
されてきた中世人。
その成り立ちが最新の科学技術によって見えてきた。
■中世の人骨61体を解析
国立科学博物館人類史研究グループの
篠田謙一研究主幹(分子人類学)が、
神奈川県鎌倉市の由比ケ浜地域の二つの
遺跡で発見された鎌倉時代の人骨61体から
ミトコンドリアDNAを抽出し分析した。
(続きはリンク先で)
★沼津市千本浜の首塚と
関東地方の中世日本人頭骨
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/shiseki/suzuki_c.htm
さて、韓国の研究者は
「対馬は韓国の領土」説と同様に
沖縄は韓国人が支配していたnida!
という論文を発表している。
文献の継ぎ接ぎと3日間の現地調査だけで・・・
★「沖縄は韓国人が開拓した国」
~新羅・于山国が
沖繩を670年間支配していた
2007/02/22(木)
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1172120974/
琉球国の建国…『ソウル』、『マムマ』、
『アンサラム』、沖繩の言葉と類似】
【日・古文献の分析、現場踏査を含めた
著書を来月出刊】
新羅時代の于山国(現在の鬱陵島)住民
約1,000人が、西暦513~514年頃に日本の
南端である沖繩島に移住し、
12世紀末まで25代にわたり王位を継承していた
という 主張が申告された。
昨年、『独島領土権原研究』論文で
成均館(ソンギュングァン)大学の博士学位を
受けた 鮮于栄俊(ソンウ・ヨンジュン)首都圏
大気環境庁長は、
「日本の古文献の調査と3回にわたる
沖繩の現地踏査を通じ、
沖繩の旧称である『琉球国』が
『古代の鬱陵島住民の
移住によって起こされた国』、
という事実を裏付ける証拠を見付けた」と、
21日に明らかにした。
著書に紹介された関連文献などによれば、
日本の古書である『琉球国旧記・1731年』、
『古琉球・1890年』など、数十巻の文献を
分析した結果、
于山国は512年に新羅の異斯夫 (イサブ)により
服属された直後、資源不足などを理由に
沖繩(旧称・ウルマ国) 南部の 久高島などに
遠い航海の果てに初めて進出した。
当時の于山国の住民は、
馬韓と百済、高句麗系統だと推定される
天孫氏(チョンソンシ)と 呼ばれた集団で、
鬱陵島に茂っていたけやきで作った船舶に乗り、
沖繩に到着して全域で勢力を伸ばして
670年間王位を維持していたが、
1187年に国王が重臣に殺害された後、 滅亡の
道を歩く事になった。
以降、内戦など長年の混乱期を経験し、
日本の江戸幕府が琉球を侵攻して植民地として
作ったが、幕府側は琉球と韓国との関係を
徹底的に不正であると削除し、
まるで九州から沖繩の歴史が始まったように
操作して来たと著書は主張している。
日本の学者らが古文献を参照しながら
住民達の血族系統を研究した結果、
沖繩原住民の Y-染色体が、韓半島で形成された
韓国人特有のY-染色体(O2b1a)と殆ど同じで、
隣近の台湾などの原住民の染色体とは大きく異なる
という事が指摘されていて、
沖繩が韓国人の開拓により出来た国である事を
裏付けていると言うのである。
また沖繩で使っている言葉と古代の国語
(または現代国語)の間に、
発音や意味が類似する単語が多い事が分かった。
沖繩神歌に出る『ソウル(韓国意味・小雨漏)』は
『ソウル』の日本かな式表記から推定され、
日本学者たちは新羅の首都『徐伐』を『ショ-ウル』と
読んでいると思っている。
沖繩現地の村で使われる『ウマニ』は、
国語の『オモニ(お母さん)』と意味が同じで似ている
発音をしているし、現地の別の村では『アムマ』と
発音される。
沖繩伝統の言語である『アンサレ』は
国語の『アンサラム(家内・奥方)』を意味するのと
発音が似ていて、
『パル』は国語の『着(または原野、程度)』のような
言葉である。
『ヨナグスク』という言葉は、
沖繩で最初の名門家などを意味しているが、
『ヨナ』は韓国語 の古語辞書では『ヨナ(開く)』と表記、
『新たに開く』と言う意味を持っているし、
『グスク』は 韓国古語の『グズクする(生える)』の意味
としてお互いに通じる。
鮮干博士は、
「現在も沖繩の各所では、
1,500年前の韓国の言葉と文化が
そのまま残っている事が直接確認出来る」とし、
「韓国と沖繩間の歴史、言語、文化に対するより
体系的な研究が成立すれば、
韓日古代歴史の全面的な再解釈が出来る
と思われる」と語った。
(引用ここまで)
>韓国人特有のY-染色体(O2b1a)
そもそも、これが間違っているのさ。
http://www.khazaria.com/genetics/koreans.html
韓国の男性の Y-染色体 (父親)の分布で
O2bは、約 14 ~ 33 % 発見されるのだが
「韓国の人口のY 染色体均質性」
(2010年11月)によると
O3 M122 を含む: 44.3 %
O2b *-SRY465: 22.5 %、
O2b1 47z: 8.7%
因みに、
ハプログループの DE-YAP は、
日本人だけに高い比率で発見されているが
韓国人の中にも2.5 % と、
若干ではあるがYAPが確認される。
一方
日本人に検出される「Y染色体ハプロタイプ」の
主なマーカは「D2A」「O2B1」「O3」「C1」「N」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=245378
O系統 東・東南アジア
O1 台湾原住民 日本:1%程度
O1a 長江文明人 下流域? タイ=カダイ系
O2a 長江人文明人 中流域? 楚人系?
(チワン/タイ/ヴェトナム/インドネシア)
華南 30% 日本 0%
O2b(O-M176 旧O2b/O2b1) 呉人系?
琉球南部 67% タイ6% ヴェトナム 14% 中国 0
日本 35% 朝鮮 30% 弥生琉球・江南ルート
O2b1(O-47z 旧O2b1a) 弥生人?
日本人に占めるO2b系の75%がO2b1
朝鮮では25%。
O3 華北中国人(匈奴・鮮卑系?)
華北 66% 朝鮮40% 日本20% 弥生山東・江南ルート
【 本土日本人 (%は混血比率)】
・DE系統D亜型D2A(約40~50% YAPあり)
・NO系統O亜型O2B1(約20~30%)
・NO系統O亜型O3(約18~20%)
※ 縄文人:D2Aと推定される
※ 弥生人:O2B1と推定される
徳島で 28%, 大阪で 26%
(O3も含む可能性あり)
その他として数%
「C1(日本固有)」「N」「C3」「O2B*」を検出。
-------------------------------------------
【 沖縄県民(琉球民族)(%は混血比率)】
・DE系統D亜型D2A(約50~60% YAPあり)
本土日本人より高い
・NO系統O亜型O2B1(約20%)
・NO系統O亜型O3(約20%)
全ゲノムを網羅した解析によって
今の韓国人とは違う
「日本本土人」由来の遺伝子が証明された
という事なのでは???
まあ、論文を全て読まないと
報道だけでは詳細は解らないけど・・・
取りあえず
沖縄県民は、対馬の人々同様に
韓国から逃げて~~~!!!
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/2a9a6b02fe1f90ad0fe5d034d4036fd3
という事だね。

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